現実:18
外はすっかり夕暮れになり始めていた。
どこから風が吹き込んでいるのか、渇いた空気が頬を擦る。
ちょうど足元には無常なまでの現実が転がり落ちている。
オゾン。
一人目の犠牲者となってしまった気さくな予知能力者は、今はもう頭部を見るも無惨に半壊させて状態で横たわっている。
腐臭のようなものはまだしないが、青臭い血の匂いは十分すぎるほど感じる。
土色に濁った肌と赤黒い血漿。
繊維質な人体の断面が覗き、折れ曲がった肢体からは白骨が飛び出ている。
「……せめて、綺麗な体にしてやりたいもんだけどな」
「……それはさっき話し合って決めたはずです。死体には触らない。それは警察の仕事ですから」
俺のほとんど独り言のような呟きに、インクが言葉を返す。
今、この塔の中央部にある中庭にいるのは俺と彼女の二人だけ。
一応テラスの上にはトーチとプレイがいるが、距離があるため顔は見えるが声は届かない。
四人での話し合いの結果、俺は一人だけ外に隔離されることに決まった。
元々はインクの意見で、最後までプレイが反対していたが、最後は俺自身の強い意思もあってこの結論に至った。
プレイの能力があれば、オゾンの酷い状態をせめて見かけ上は普通の状態にできるのだが、それは警察に状況証拠の隠匿にとられかねないといって、トーチが制した。
だが、俺はその言葉を聞いて、なぜか不思議な気分になった。
警察。
本当にそんな組織がこの場所に来ることはあるのだろうか。
誘拐、隔離、殺人鬼、死のゲーム、そして、異能。
現実的に説明しきれないことが、あまりに多すぎる。
そんな非現実的な空間に、警察のようなリアルが入り込む状況が全くイメージできなかった。
「オゾンが死ぬ前に、言ってたんだ。俺たちはもっと、普通の会話をするべきだったのかもなって」
「なんですか。普通の会話って。私たちは今、頭のおかしい女に捕まって、殺人鬼が野放しになった館に閉じ込められて、生きるか死ぬかの状況に陥ってるんですよ? 普通の会話なんて、できるわけないじゃないですか」
苛立ちを隠さないインクは、言葉を吐き捨てる。
普通の会話なんて、できるわけがない。
言われてみれば、それも正論の一つに思えた。
オゾンはこの状況下だからこそ、仲良くなれると言っていたが、それはまったく反対の理論だって成り立つ。
この状況下だからこそ、仲良くなれない。
もし、街で俺がインクと出会っていたら、こんな険悪な関係性になっていただろうか。
わからないな。
案外、今よりもっと距離のある関係性になっていた気がしないでもない。
「俺はさ、二重人格なんだ」
「……え?」
その発露は、自然と漏れた。
ここからインクが離れたら最後、俺はしばらく一人になる。
下手をすれば、そこを狙って殺人鬼が今度こそ俺を狙いに来るかもしれない。
これが他人と会話する最後になる可能性があると思うと、自然と素直な気持ちが溢れた。
「俺は自分のことを無能力者だって言ったが、本当に嘘をついているつもりはないんだ。でも、たしかに心当たりがなかったわけじゃない。
嘘はついていないが、隠していた。
それは事実だ。
心のどこかで、俺は他人に疑われるのを、嫌われるの避けていたらしい。
殺人鬼だけでなく、それ以外の無実の五人からも、逃げていた。
「俺のもう一つの人格は、はっきり言って、人を殺してもおかしくない奴なんだ。直接会って話したことはないけど、後始末をしたことはある。虫、魚、カエル、鳥、猫。人以外なら、すでに大抵のものは殺めてるはずだ」
今、俺は少し思う。
これは、いい機会なんじゃないだろうか。
この館には殺人鬼が潜んでいる。
俺は殺人鬼ではない。
でも、それは今だけだ。
いつか、誰かを、殺めてしまう。
もう一人の俺は、きっと止まらない。
現在の殺人鬼に、未来の殺人鬼を殺させる。
それはこの館にいるであろうオゾンを殺した犯人にとって、唯一意味のある殺人になる気がした。
「……それが、理由? 私に自分の異能を隠してたことの」
「まあ、そうだな。俺はオゾンを殺した犯人じゃないけど、似たようなもんさ。未来の俺は、きっと誰かを殺してしまうよ」
「私に疑われたくなかった?」
「疑われたくなかったというよりは、嫌われたくなかったんだろうな」
「……ふーん」
インクは私たちに、ではなく私にという言い回しを使う。
その鳶色の瞳を真っ直ぐに俺に向けて、これ以上の偽りがないか探っているようだ。
鋭利な視線を受け止めながら、俺はどこか霞がかり始めた頭で好きだった映画のことを思い出す。
「好きな映画があってさ。マスクっていうやつ。ジムキャリーの」
「……知ってる」
「お、知ってるのか。俺さ、あれが好きだったんだ」
マスク。
気弱な主人公が、偶然見つけた古い木造りの仮面を被ると、全身が緑の超人になるというコメディー映画だ。
ただ超人になるだけじゃなく、人格も本来の優しく真面目なものから、ルールも一切守らない傍若無人なものに変化する呪いのマスク。
「あの映画の中にさ、なんか、マスクのせいでめちゃくちゃな行動をしてしまってると思ってたのに、実際はどれもこれも、本当は心の中で望んでいた欲望が過剰に顕になっただけかもしれないって、思わせるシーンがあってさ」
「重ねてるわけ? 自分と」
「話が早いな。つまりそういうこと。時々思うんだ。俺は自分のもう一つの人格の過激な行動も全部、まるっきり俺とは別物なわけじゃない。心のどこかで、渇望してるんじゃないかって」
認めたくはないが、もう一人の俺も、俺自身だ。
ブレーキばかりかけている俺にとっての、数少ないアクセルの部分。
最も俺から遠くて、近い存在。
映画のように、川に捨てることはできない。
「……私も好きですよ」
「え?」
一度言葉を切った俺に、インクが静かに声を返す。
俺が鈍い反応をしていると、なぜか薄らとインクは顔を赤らめ出した。
「勘違いしないでください! い、言っておきますが! 映画の話です! 映画のマスクが好きって意味ですからね!」
「あ、ああ、まあ、わかってるよ、それくらい」
もちろん会話の流れ的にそれ以外ないだろうと、わかっている。
ただ少し意外に思えて、すぐに返事をできなかっただけだ。
「まったく。わかってるならいいです。紛らわしい反応をしないでください」
「なんか、悪い」
「許しませんが、それは置いておいて、とりあえず反省していることは伝わりました」
べつに反省の弁を述べたわけじゃないが、どうしてかインクはさっきより若干機嫌が良くなっているようだった。
「本当はもうあなたのことを見捨てるつもりでしたが、ルールを変えてあげることにします。監視役を一人だけつけてあげましょう。もちろんテラスの上からですが」
「監視役?」
「もちろん一番の容疑者はトオルですが、もう一人、怪しい人がいる。そいつは唯一、私以外でここに降りることができる。おそらくプレイさんがトオルを一人にすることに反対していたのは、それが理由」
念動能力者以外で、テラスの上と下を自由に行き来できる者。
察しの悪い俺でもそれが誰のことを指しているのかはわかる。
彼女の異能は、俺を殺し得る。
「ちなみに、映画マスクで一番好きなシーンはどこですか?」
突然話を変えて、インクは突拍子もない質問をする。
マスクでお気に入りの場面。
たくさんあるが、強いて言うなら、犬のマイロがマスクを被るシーンだろうか。
「ちなみに私は、犬のマイロがマスクを被るシーンです。それじゃあ、また。犬のマイロの可愛さに免じて、あとで骨を拾いに来てあげます」
自分から質問をしてきておいて、俺の返事は聞かずに、そのままインクは自らの異能を使って宙に浮かび館の中へ戻っていく。
夕暮れの中で空中浮遊する彼女に、僅かに憧れを抱く。
テラスの上に残っていたトーチとプレイと幾らか言葉を交わすと、そのままプレイと二人で扉の内側へ消えていった。
どうやら最初の監視役は、トーチらしい。
犬のマイロ。
趣味が合うってことを伝えるために、次にインクが監視役としてここに戻ってくるまでは死ねないと思った。
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