現実:13




「これでもう大丈夫だと思います。まだどこか痛むところはありますか?」


「いや、もう平気だ。ありがとう。助かったよ」


「ならよかったです」


「俺に優しいのはプレイだけだ。君が天使に思えてきた」


「……まだ頭の具合が悪いみたいですね」


「デフォルトでこれだから、これ以上はプレイでも治せない」


 数秒前までじくじくと痛んでいた頭部は、すでに一日中寝た次の日くらいには軽いものになっていた。

 見返りを求めない心優しき治癒能力者ヒーラーは、ほんの少し頬を赤く染めて視線を逸らす。

 冷たく硬質な灰色の石床の上に胡座をかく俺の額から、やがてプレイはそっと手を離した。

 そして彼女は小さく会釈をすると俺から少し距離をとって、浮雲がゆっくりと流れる青空の方に顔を向けて黙り込む。


「……それで? そっちは何か俺に言うべきことがあるんじゃないか?」


「だからさっきから謝ってるじゃないですか。しつこいですね」


「いやいや、まだ一度も謝られてない」


「そうでしたっけ?」


「そうだよ」


「そうでしたか」


「意地でも謝らんなこいつ」


 六つの塔に囲まれた中庭のような場所。

 実は外界と遮断されていることが判明したのだが、広々としているせいか涼風の流れを感じることができる。

 テラスのようなかたちになっていたところから、今俺たちはインクの念動力を使って下に降りてきたところだった。


「でも残念だね。せっかく外に出れたと思ったのにさ。思わせぶりな館だよまったく」


 ぐっと伸びをしながら、オゾンが青い目で遠くを見据える。

 俺の人体実験という尊い犠牲をもって、すでに証明したことだが、どうやら一見何もないように見える塔の周囲には、透明のガラスのようなものが張り巡らされていてやはり敷地内から出ることは叶わないようだ。

 インク曰く、そのガラスに対しても塔内のものと同じように異能が働かないらしい。


「それにしても、改めて見ると奇妙な建物ですね」


「わりと目立つよね。こんなの現代日本にあったらわりとすぐ有名になりそうなもんだけど。いや、そもそもここ、本当に日本なのかな?」


 プレイがぽつりと漏らした言葉に、オゾンがのんびりとした声を返す。

 規則正しく、六角形を形作るようにして聳え立つ塔は外から見ると大きく感じる。

 

「なあ、インク。あの椅子に座ってみたらどうだ?」


「は? なんですか急に? 喧嘩売ってるんですか?」


「なんで椅子をすすめたら喧嘩売ってることになるんだよ。いいだろ、べつに。ほら、あんなど真ん中に椅子が置いてあったら、気にならないか?」


「そんなに気になるんなら、トオルが座ればいいじゃないですか」


「だってここは、インクの場所だろ?」


「どういう意味ですか? 意味のわからないことばかり言って、私にストレスを与えるのはやめてください。仕返しのつもり?」


 この無駄にだだっ拾い中庭の中央には、白い椅子が一つ、無造作に置いてある。

 近くで見る限り、どうやら材質は石のようだ。


「……でもたしかに、ここがインクの場所ってのは一理あるね」


「はあ?」


「だってここは、本来ならば僕らは来れない場所だろう? 中身が吹き抜けの二階建てにしては、けっこうあの塔は天井が高いからね。僕らが飛んで降りたら最後、そのままあの世にまでダイブだよ」


「だからってあの椅子に座れと?」


「その資格があるのは君だけだ」


「……嫌です。絶対座りません」


 俺の意図を聡明にも悟ったらしいオゾンに言われても、頑なにインクは椅子に座ろうとはしない。

 冗談半分で言ってみただけだから別に構わないのだが、本当に頑固なやつだ。


「じゃあ、あたしが座りましょうか?」


「え!? いや、あなたが座らなくてもいいですって! こういう怪しげなことは全部トオルにやらせておけばいい!」


「いよいよ俺の扱いが雑になってきたな」


 気を利かせたのか、プレイが椅子の方に近づこうとすると、インクがなぜか焦ったように遮る。

 こいつ俺とプレイへの対応違いすぎるだろ。

 たかだか座る座らないで騒ぎ立てても仕方ないので、とりあえず俺が実験体Aとしてこの意味深な椅子に腰を下ろす。

 

「どうだいトオル? 座り心地の方は?」


「まあ、あまりよくはないな」


「トオルの頭がですか?」


「意図的に文脈を無視するのやめろ」


 座ってみたところで、当然特別な出来事が起きたりはしない。

 見てわかる通り、ただの椅子だ。

 この椅子が何を意味しているのかは、さっぱりわからない。

 というより、そもそも特別な意味などないのかもしれない。


「はあ。薄々わかってましたけど、やっぱり特に新しい発見はなさそうですね。トオルを置いて、塔の中に戻りましょうか」


「それで皆んなで、塔の上からトオルを見守る会でもするかい?」


「いいですね。気分よさそう」


「絶対すぐ飽きるからやめとけ」


 不穏なことを言い出したインクとオゾンに静止の言葉をかけながら、しかし俺は考えてしまう。

 たしかに、実際この場所へのアクセス権を持っているのは、インクだけだ。

 念動力サイコキネシスという術がなければ、塔の内部と中庭を行き来きすることは不可能。

 インクがその気になれば、この場所と塔の内部とで、彼女の意志に応じた分断が可能ということだ。


「……いや、そうとも言い切れないか。不確定要素がある」


「なんですか? ブツブツと。ほら、もう戻りますよ。なんだか寒くなってきたし」


 冷静に思い返してみれば、インク以外にもここへ来ることが出来る存在が最低一人、もしかすると二人いるかもしれないことに気づく。

 一人はもちろん、転移能力者テレポーターのスノウだ。

 真意は不明だが、彼女はいまだにこの館の呪縛から解放されていないということだけは確か。

 もう一人は、いまだ能力不明の素性不明のフウカだ。

 俺という例外を除けば、この館に集められた者は全員何かしら特別な才能を持っている。

 フウカという名の少年もまた、異能と呼ばれるべき超自然的な力を秘めていると考えておくべきだろう。


「そういえば、インクは四つ目の扉も開けたんだよね? 最後の扉の先には、何があるの?」


「ああ、もう一つは大したものじゃありませんでしたよ」


「……へえ? それはまた意外というか、六つの塔を取り囲む謎のドーム状のガラス壁っていう現実離れしたものを目の当たりにした後だと、やけに普通というか、チグハグに感じるね」


「まだ、何も言ってないんですけど」


「ごめんごめん、癖でね」


 また十秒先を見たオゾンが、どこか納得いかないような表情で唸っている。

 チグハグチグハグチグハグ。

 やけにそのフレーズが耳に残る。

 空を見上げれば、仄かに傾き出しているような気がした。



「四つ目の扉の中には、トイレがありました。洋風大便器が一つです。しかも内鍵つきなので、本来ならばそこに閉じこもれば一晩くらいなら過ごせると思いますよ。もっとも、ここが異能力者が集う館じゃなければって話ですけど」

 



 

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