現実:3
ひりひりと痛む痣をさすりながら、俺は改めて周囲を見渡す。
白い壁と床。
他には何も見えず、僅かに耳を澄ませば空調の音が聞こえてくるくらいだ。
「なんですか。嫌味な人ですね。そんなわざとらしく痛い痛いアピールしないでください。小学生でもあるまいし。おっと、精神年齢は小学生でしたか」
「嫌味なのはどっちだ」
そして俺の隣では小柄で童顔だが、俺と同い年の十七歳と自称する少女、インクがじとっとした瞳で俺を見ている。
念動力者。
俄には信じ難いが、実際に俺はそれを目の当たりにして、体感している。
いわゆる超能力者、異能力者と呼ばれる人間だ。
「それで、ここはどこなんですか?」
「知るか。知っていたら、今頃君に殺されてるだろ」
「たしかに」
「真顔で頷くなよ。怖いだろ」
「人が怯えているところを見るのは、けっこう好きです」
「本当に怖い」
あはは、と表情筋を動かさず嘘くさく笑うインクは、まったく何を考えているのかわからない。
彼女もまた、俺と同じように唐突にこの場所に連れ去られてきてしまったようだが、俺とは違って混乱や不安のようなものがあまり見られなかった。
それが彼女の性格的な気質に起因するものなのか、それともまた別の理由によるものなのか、俺には判断がつかない。
「とりあえず、この先、どうしますか? やはり、この隣にいる唯一の容疑者を拷問して、情報を吐き出させますか?」
「消去法で犯人決めるなよ。あとはっきり拷問って言ったな」
「私、体育会系なので」
「語弊を招く体育会系の使い方やめてくれ」
インクと少々過激な会話を楽しみながら、俺たちはどちらともなく右の道を進んでいく。
無機質な白壁には模様のひとつもなく、それほど長くない廊下をやけに長く感じさせた。
「……行き止まりですね」
「ここの曲がり角、意味あるのか?」
そして廊下の突き当たりを曲がると、そこは人二人ぶんしか入れないような狭い突き当たりの壁になっている。
「ん?」
だがよく見ると、そこの壁はこれまでと違い、完全に真っ白というわけではない。
壁を真ん中に区切ったとしたら、ちょうど左側半分に、真っ黒な染みがある。
いや、それは染みではない。
意味をなした、文字列だった。
「……“BLACK”」
「わざわざ声にしなくても読めますよ。馬鹿にしてるんですか?」
白い壁に描かれたいたのは、黒を意味するアルファベット。
意図は全くわからない。
「これは、なんだ?」
「ただの文字でしょ」
「いや、そんなわけないだろ? 何かしら意味があると思うのが普通じゃないか?」
「意味なんて、あるんですか? 何にでも意味があるとは、思いませんけど」
しかし、インクは全くこの文字に興味がないようで、まるで気にも留めていない。
たしかに、俺には考察癖がある。
細かな、どうでもいいことにも意識がいってしまい、考え事をする悪癖だ。
それでも、このような異常な状況下にあって、小さな違和感にも意識を払うのは当然のことのように思えたが、どうやらそれは俺だけの常識みたいだ。
「私、頭を使うのは苦手なんです。簡単ですよ。私たちをここに連れてきたやつを見つけ出して、ぶっ飛ばせばいい。ただ、それだけです。他に気にする必要のあることなんて、何一つない」
「一周回って、君のことがかっこよく思えてきたよ」
「最初から私はかっこいいです。無駄に一周するなんて。トオルはお馬鹿さんですね」
お馬鹿さん、のところだけやたらとゆっくり発音するインクは、嬉しそうに頬を緩める。
俺をおちょくる時だけ、本当に楽しんでいるということだけは、どうやら正しい考察らしい。
「ほら、行きますよ、トオル。次、です」
「あ、ああ」
すぐにBLACKと左半分に描かれた壁に興味を失ったインクは、踵を返して先ほどとは反対側の道へ歩いていく。
置いていかれないように、俺も彼女の後ろをついていく。
ある意味さっぱりとした性格だ。
俺を一目みた瞬間に異能を使って襲いかかった時もそうだが、彼女は迷わない。
即断即決。
思考する速度より、行動する速度の方が早い。
ある意味、俺とは真逆のタイプだ。
そして、俺が目覚めた部屋と、もう一部屋、おそらくインクが目覚めた部屋だろう、の前を通り過ぎると、また曲がり角がある。
再び曲がった先にあったのは、先ほどのような壁ではなく、灰色の扉だった。
「鍵はあいてるみたいですね。まあ、あいてなくても、壊すだけですけど」
一切の躊躇なくドアノブを捻るインク。
ぎぃ、という擦れるような音とともに扉は開かれ、ややぬるい風が吹き込んでくる。
「階段ですね。登りましょう」
白い廊下に比べると、やや薄暗く感じる非常階段のような空間。
インクは俺が返事をするよりも先に、階段の一段目に足をかける。
この先が、どこに繋がっているのか、きっと彼女は想像すらしない。
「君は、怖くないのか?」
「私は、止まる方が、怖いんです」
ほんの一瞬だけ、足を止めて、短く言葉を紡ぐと、彼女は再び階段を上がっていく。
その小さな背中が、ほんの少しだけ寂そうに見えたのが、俺の考え過ぎなのかどうかは、わからなかった。
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