非現実:2


 酷く冷たい雨が降っていた。

 視線の先で流れる隅田川の水位は、普段より明らかに高く、その身を飛び込ませたらいとも容易く心身の自由を永久に失えるように思えた。


 鼠色の雲の中に先端を隠す、東京スカイツリータワーの方に向かいながら、一人の少女が歩き続けている。


 傘も持たずに全身を水浸しにさせながら、手元ではスマートフォンの画面をたぐっている。

 その異様な気配に時々、横を通り過ぎる人々が奇異の視線を浴びせるが、特には話しかけることはしない。

 君子危うきに近寄らず。

 この都会の街に住む人々は、親切という名の他者への関心を必要最低限にすることが身の安全を守るために最も大切なことだと深く信じて育ってきたからだ。


 靴の中に雨水が入り込み、アスファルトを踏みつけるたびに靴下が絞られるような不快な感触を覚える。


 少女にはもう目的地はなかった。

 彼女にとってこれは旅の帰り道。

 帰り道はない。

 あるのは記憶だけだった。


「……ねぇ、あの子って、ニュースでやってた……」


「あ、たしかに、あの髪色って……」


 顔を俯かせて歩く少女を見て、はっとしたような表情で呟く通行人。

 それに構うことなく、彼女は濡れた体を歩かせ続ける。

 悪天候の中、無防備な格好で歩くことだけでなく、彼女は外見も特徴的だった。

 しっとり水気を多分に含んだ髪は、雪のように白い。


 眼皮膚白皮症アルビノ


 少女は生まれつき色素が他人より欠乏していた。

 それゆえに、幼い頃から少し周囲とは異なった価値観を持ち、生活を過ごしてきた自負がある。

 奇異の視線には、慣れていた。

 彼女は自らの過去を薄らと回顧しながら、手元の画面を覗き込む。


『令和の神隠し。少年少女集団失踪事件』


 スクロールさせていた画面を、そこで止める。

 探していたものが、見つかったからだ。

 まだその記事が書かれてから、ほとんど日は経っていない。

 

『東京都墨田区の高校の生徒が六人、突如行方をくらまし、現在も捜索が続けられている。六人はSNSを通じて知人同士でもあったという情報も得られていて–––』


 文章を読み進めていく。

 この少ない日数で、メディアすらここまで情報得ているということは、捜査の方はもっと先まで進んでいることだろう。

 少女は、少しだけそこで、安堵した。


 おそらく、もうこれ以上犠牲者は増えない。


 記事を読み終えた彼女は、そこでふと足を止める。

 夜のように真っ暗になった画面から顔をあげれば、視線の先に一人の女性が立っていた。

 黒い傘をさし、彼女と同じ白い髪を流す、妙齢の女。

 その女は奇異とはまた別種の好奇心に満ちた瞳で、彼女を見つめている。



「初めまして、須能スノウさん」



 傘をさす女は、少女の名を正しく呼ぶ。

 初めから、逃げ切るつもりはなかった。

 だから彼女は、驚くことはしない。

 酷く冷たい雨が止む気配はなく、もう青い空を見ることができないのだと、彼女はもう知っていたのだ。



「私の名前はアキラ。それじゃあ須能さん、あと何人残っているのか教えてくれる?」

 





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