現実:8



 転移能力者テレポーターという異能は、たしかにオゾンが言う通り、この場においてあまりに特別すぎる。

 見知らぬ地に突然拉致されてしまったという条件は一緒だとしても、もし彼女が自由に任意の場所に転移が可能ならば、そもそも拉致する意味がない。

 もし俺が転移能力者だとしても、彼女と全く同じ行動をとっただろう。

 有無を言わさず、とんずらこくというわけだ。


「いやはや、困ったね。また考えるべき謎が増えたよ」


 さすがのオゾンも驚いているようで、いつも薄く僅かに覗く瞳を大きく見開いていた。

 

「まさか開幕早々一抜けとは。羨ましい限りだ」


「……うーん、それについて、トオルはどう思う?」


「それについて? どういう意味だ?」


「つまり、そもそも、本当にスノウは一抜けしたんだと思うかい?」


 オゾンは周囲をちらちらと伺いながら、何かを気にするように前髪を指で踊らせていた。


「実際、目の前でスノウは転移してみせただろ? それとも、オゾンには別の未来が見えてるのか?」


「彼女の異能自体を疑っているわけじゃないさ。僕が疑問に思ってるのは、アキラの方だよ」


 そこまでオゾンが言葉を紡いで、やっと彼が何を疑念に思っているのかを、俺は理解する。

 転移能力。

 果たしてこの特別すぎる異能に関して、アキラがどこまで認知していたのかを考えているのだろう。


「この館は基本的に、むりやり異能の力を使って力づくで出ることができないようになってる」


「そうだな。念動力者のインクが試してた」


「明らかに最初から僕らが何者なのか、ある程度把握した上で、集めてるんだ。むしろそうでないと、そもそも拉致をするなんて難しいだろうからね異能力者なんて、どこにでもいるわけじゃないからね。探さないと見つからない」


「それは同感だな」


「だからスノウの転移能力について、アキラはある程度知った状態であったはずなんだよ」


「何かしらの対策を、アキラはしてるはずだと?」


「僕はそう思う。僕なら、必ず対策は取る。それこそ、他の異能力者よりも、入念にね」


 オゾンの瞳からは力強い光が伺えた。

 たしかに、妙な話だとは思う。

 どう考えても、今のこの状況は、思いつきで適当に作り上げられたものではない。

 かなり綿密な計画を練らなければ、実現しないような奇跡的、あるいは限定的な状況だといえる。

 計算し尽くされた、まるでコンピューターで数値を調整してシュミレートされたかのような非現実的な事態だ。


「アキラはこの館からの出る条件を、生き残るか、全員を殺すかの二択に設定していた。だから前提として、他の手段でこの館から出れないようにするのが普通だろう?」


「スノウがどんな異能を知らなかったんじゃ?」


「異能力者だとはわかっていても、その能力の中身までは知らなかったと?」


「ありえないか?」


「ありえないとまでは言わないけれど、そんな分の悪い賭けをするような人間が、異能力者を七人も集められるとは思えない」


「自然と俺を異能力者に数えてるが、俺には何も特別な力はないぞ」


「ん? ああ、一応そんなこと言ってたね」


「おい、一応とか言うな」


「ははっ。まあ、それは今は置いておこうよ。僕はトオルのことを信用してるけど、だからといって君の言葉全てを信じてるわけじゃない。でもそれは、お互い様でしょ?」


 挑発的な視線で、オゾンは俺を見る。

 言い返す言葉が思いつかなかった俺は、気まずく唇を結ぶだけ。

 俺の小さな秘密は、いつか命取りになるかもしれないが、明かすのは今じゃない。


「……じゃあ、オゾンの予想だと、まだスノウはこの館から出れてないのか?」


「まあ、そうだね。公平じゃなくなるから、異能自体へのペナルティはないと思うけど、転移先をこの館の内側のみに限定するとか、あとは館の外に転移しようとするとある一定の場所に強制的に転移させてしまうとか、なんかそんな感じに規制してるんじゃないかな」


「なんだそれ。そんなこと、可能なのか? ただでさえ、異能なんて半分オカルトに突っ込んでるのに、それを規制? アキラとかいうやつは何者なんだよ」


「ありえないなんて、ありえない。不可能なんて、存在しないさ。ありとあらゆる可能性がある。なんなら、僕はアキラ自体も異能力者なんじゃないかと思ってるよ。たとえば他人の異能を制限する異能、とかね」


「それはさすがに都合が良すぎないか?」


「作為的すぎるかな? まあ、答えを急ぐ必要は、まだない。ゆっくり考えるしかないね」


 異能力者の存在という時点で、たしかにもはやこれは非現実的な非日常。

 何が起きても、おかしくない。

 オゾンの言っていることは、むしろこの場においては現実味のあることなのかもしれなかった。


「とりあえず、最後の一人、フウカだっけ? 彼を探しに行こうか。十秒先に、彼が現れるまで歩き続けよう」




–––––––––



 オゾンと共に館をぐるりと一周してみたが、七人目のフウカは見つからなかった。

 六つの塔として独立している館自体の内装は、各場所どこも似たようなものだった。

 どこに移動しても内装がほとんど同じなので、移動したのに移動していないような感覚になって、軽い酔いのような奇妙な気分になった。


「戻ってきたね。これでだいたい一周だ」


 何度目かわからない、扉の開閉。

 若干の焦げ臭さが、鼻腔に入り込む。

 例外として、唯一他の部屋とは違い内装が燃え荒れた景色。

 あのアキラとかいう謎の女のアナウンスを聞いた塔に戻ってきたらしい。


「……人が減ってるな」


「そうだね。もしかしてもう、誰か死んだ?」


 隣に立つオゾンの、不吉な冗談に、俺は反応を示さない。

 吹き抜けの二階部分から見下ろすと、ところどころ焼け焦げたソファーの端で、両膝を抱いて座り込む翠髪の少女、プレイの姿は確認できる。

 しかし、他の二人、あの過激な念動力者と発火能力者の姿がどこにも見当たらなかった。


「仲良く二人でお散歩ってことはないよな。あいつら、正気か? 殺人鬼が紛れ込んでるって言ってるのに、いきなり単独行動してるのかよ」


「まあ、いい意味でも悪い意味でも、自信があるんだろうね。自分の身は、自分で守る。誰も信じてない。才能は幸福だけを運ぶとは限らない」


 俺はインクとトーチのあまりに奔放な行動に若干腹が立つが、オゾンは鷹揚に構えている。

 自分に身は、自分で守る。誰も信じていない。

 オゾンが口にした言葉は、おそらく彼自身にも当てはまるのだろう。


「オゾン、これからどうする?」


「そうだね。とりあえずざっと一周したし、一旦状況整理と相互理解でもしようか」


「相互理解? どういう意味だ?」


「簡単にいえば、仲良くなろうよってことさ。ほら、トオルの出番だよ。そういうの得意でしょ。あのプレイとかいう子を僕らの仲間に加えよう」


「お前俺をなんだと思ってるんだ」


「凄腕のナンパ師」


「ちょっと前から思ってたけど、オゾンって冗談が下手くそだな」


「ひどいな。傷ついたよ」


「でもその軽口のセンスは悪くない」


「上げて落とす。さすがだね。たしかに僕の冗談は冗談になってなかったみたいだ」


 ふざけたことばかり言うオゾンは、そのまままるで動く様子はなく、感情の読めない微笑を浮かべてばかり。

 予知能力者と根比べをしても仕方がないので、諦めて俺は階段を降りて、ひとりぼっちで固まるプレイの方へ向かう。

 焼け切れた絨毯の一部を体に羽織るプレイは、俺が近づいても、一切こちらへ視線を向けることはない。

 何を考えているのか、何も考えていないのか、模様もない石床ばかり眺めていた。


「名前はプレイ、だよな?」


 おずおずと、俺は小柄なプレイに声をかける。

 プレイは反応を示さない。

 オゾンはああいうが、べつに俺は他人と会話するのが得意な方でもなんでもない。

 気まずい沈黙に、早くも喋りかけたということをなかったことにして、この場を去りたくなってきた。


「……なにか、用ですか」


 そして待つほど十数秒後、耳を澄ましていないと聞き取れないほどのか細い声が俺に届く。

 相変わらず顔はこちらに向けられていないが、どうやら俺の存在が認識できていないわけではないらしい。


「あー、そうだな。あの、他の二人は、どこに行ったんだ?」


「知らないです」


「ま、まあ、そうだよな。行き先をわざわざ告げるようなやつらじゃなさそうだったもんな」


「はい。何も言わずにどこかに行きました」


 警戒されているというよりは、何にも興味がなさそうな雰囲気。

 どこか自暴自棄な気配を漂わせるプレイは、小さくため息を吐くばかりだった。


「なら、他のやつは見なかったか?」


「いいえ。見ていません。あなたたちが出て行った後、黒い髪の女の子がその後を追って、あたしをいきなり炙ったあの女は、皆さんと反対方向に向かっていきました。その後、この部屋に入ってきた人は誰もいません。あなたがまたここに戻ってくるまで、誰も見ていません」


 淡々とプレイは言葉を述べる。

 どうやら、あの後、インクも俺たちと同じルートを辿っていたみたいだ。

 だとしたら、彼女もそのうちここに戻ってくるはずだ。

 問題は、トーチの方だ。

 俺たちと反対側の道に向かったのならば、どこかですれ違っていないとおかしい。


 発火能力者トーチは、どこに消えた?


 嫌な予感に、俺は胸がざわつき出すのがわかる。

 全部の館を一周したと言っても、地下部分までは確認していない。

 変に心配しすぎても、よくないか。

 俺は意識を、プレイとの会話に戻す。


「君にも、異能があるんだってな」


「そうですよ。見ていたじゃないですか」


「ま、まあ、そうだが」


「あなたには、どんな異能があるんですか?」


「俺か? いや、俺に異能はないよ。ただの一般人だ」


「……そうですか」


 そこで言葉を切り、プレイはそれ以上は何も訊いてこない。

 治癒能力者ヒーラー

 よく考えてみれば、彼女の異能もこの場において、それなり際立つものに感じる。

 連続殺人鬼にとって、ある意味、天敵なんじゃないか。


「君は傷を癒せるみたいだけど、それは、他人も治せるのか?」


「治せますよ」


「それは、どの範囲で?」


「死んでなければ、なんでも」


「それは、すごいな」


「すごくないですよ。ただ、できるだけです。あなたが呼吸できるからって、それは特別なことですか? 褒められるべき美点ですか? 最初からできたんです。ただ、できただけです」


 プレイは吐き捨てるように、自らの才覚を語る。

 才能は、幸福だけを運ぶとは限らない。

 オゾンの言葉を、思い出しながらも、俺は彼女の考え方は少し寂しすぎるような気がしていた。


「それは少し、違うと思う。できるだけと言っても、傷を治すかどうかは、君の意思であり、君の行動だろう? ならそれは、特別なことだと俺は思う。君には褒められるべき才能がある」


 そこまで言って、初めてプレイの顔が、こちらを向く。

 翡翠に似た、穏やかでいて、それでいてどこか冷たさを孕んだ瞳。

 エメラルドグリーンの輝きが、俺に注がれ、初めて彼女の顔を真正面から見る。


「なら、もし、あなたが、傷だらけで倒れて、死にかけている時、あたしがあなたを治さなくて、それであなたが死んだとして、あなたはあたしを恨みませんか? 普通の人なら、元々何もできないから、非はない。でも、あたしは特別だから、救おうと思えば、救えた。だけど、救わないことを選んだとして、それでも、あなたはあたしの才能を特別な美点だと言いますか?」


 微塵も視線を逸らさず、強い意思を持って、プレイは問いかける。

 才能があるゆえの、責任。

 才能をもって生まれたからといって、必ずその才能を生かさなくてはいけないのか。

 俺は、数秒、悩む。

 芸能人が不倫をすれば、世間から大きくバッシングされ、アスリートが失言すれば人格や過去の実績までもが否定される。

 だから、俺が今から彼女に伝える考えは、少し世間一般とは、ずれているのかもしれない。

 でも、それでも、いいと思った。



「いや、恨まないよ。君が俺を見殺しにしても、君の才能が特別な美点であることに変わりはない。宝の持ち腐れなんて、嘘さ。宝は触れなくても、飾ってあるだけでも、宝なんだ」



 きっぱりと断言すると、プレイは少しだけ驚いたような顔をして、その後ほんの一瞬、笑った。

 それは、野山に咲く一輪の花のように、美しいもの。

 


「……あなたのお名前、もう一度だけ、きいてもいいですか?」


「ああ、いいよ。何度でもきいてくれ。俺はトオルだ。よろしく、プレイ」


「はい。よろしくお願いします、トオルさん。トオルさんがもし、傷だらけで死にかけていたら、死なないぎりぎりくらいまでは、治してあげてもいいですよ」



 オゾンよりよっぽど上手い冗談を言いながら、プレイは俺に向かって小さく会釈をした。 

 

 

 


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