現実:7



 自らをアキラと名乗る謎の女の声が途絶えてから、しばらく沈黙が続いた。

 頭の中に残っているのは、殺人鬼という物騒な言葉と、生き残れば解放するというメッセージ。

 いったい、何を言っているんだ?

 そもそも、あの声の女は誰だ?

 疑問に脳がパンクしそうになるが、周囲を見渡してみても、答えを持ち合わせている者はいないようで、誰もが口を噤んだままだった。


「これは、これは、大変なことになったね。というより、なっていたみたいだ」


 そんな息の詰まるような沈黙を最初に破ったのは、凛とした蒼い声。

 予知能力者フォアサイトのオゾン。

 俺たちがこの不可解な混乱に陥る十秒前から、オゾンだけはきっとこうなることを知っていたのだろう。


「色々とわからないことだらけだけど、とりあるず僕は残りの“二人”を探し出すべきだと思うんだけれど、どうかな?」


 おそらく俺たちをこの館に連れてきた犯人であろうアキラは、たしかにこう言っていた。

 七人が、目覚めたと。

 まだここにいるのは俺を含めて五人しかいない。

 念動力者のインク。

 予知能力者のオゾン。

 発火能力者のトーチ。

 治癒能力者のプレイ。

 そして俺を除く四人は全てが、異能力者と呼ばれる、都市伝説じみた存在だ。

 どう考えても、偶然ではない。

 合理的に考えて、残りの二人も何かしらの特別な才能を持っていると想定するべきだろう。

 俺もオゾンの考えに賛同する。

 殺人鬼だとか、館からの脱出方法や、アキラが何者か等、知りたいことはいくらでもあるが、思考するより先に情報を集めたい。


「……そっか。あんまり、みんなは気乗りしてくれてないみたいだね。一人だけか。僕についてきてくれるのは」


 しかし、俺が他の二人を探索するという意見に同意を示す前に、少しだけ寂しそうな声でオゾンはため息をつく。

 その意味を遅れて理解した俺は、自然とインクの方を見てしまう。

 一度だけ交錯する黒い視線。

 しかし、彼女にしては珍しく、すぐに気まずそうにその瞳は遠くに逸らされてしまった。


「じゃあ、行こうか、“トオル”。他のみんなは、十秒経っても、僕らと一緒には着いてきてくれないみたいだからさ」


 目を伏せたままのプレイ、何かを考え込むようにして宙空を見つめるトーチ

 視線が合わないように、顔を逸らし続けるインク。

 

 俺たちは、友人でも、なんでもない。


 そんな基本的なことを思い出し、俺は小さな諦めを胸に抱く。

 信じられるのは、自分だけだ。

 

「ああ、行こう、オゾン。ただ、もしお前が殺人鬼でも、俺のことを殺すなよ? 二人の状態で俺を殺したら、さすがにバレるぞ?」


「……ふふっ。安心していいよ。もし僕が殺人鬼なら、トオルは最後に殺すことにするからさ」


 俺の少しブラックな冗談に、オゾンは顔が青ざめるようなジョークで返す。

 何も安心できない。

 まあもっとも、この館に安心できる場所があるのかというと、それはそれでどこにもないのだが。




———



「残りの二人を探すついでに、この館の全容を知りたいよね」


 再び二階部分の扉を一つ開けて、俺とオゾンは件の両壁ガラス張りの廊下を歩いている。

 透明の壁から見える景色に特に変化はない。

 相変わらず六つの灰色の館が静かに聳え立っているだけだ。


「それぞれの館から二つの廊下が伸びている。だけど、館にはそれぞれ二階部分には四つの扉がある。四つのうち二つは廊下に繋がっているとして、残りの二つの扉の先には、何があるんだと思う?」


「……たしかに、言われてみれば」


「あとは、僕が目覚めた場所は館で言うと地下部分だったんだけど、そこで上に上がれる階段とは反対側の廊下の突き当たりの壁に、不思議なものが書いてあったんだ」


 両手をポケットに突っ込んでゆっくりと歩くオゾンは、窓ガラスをたん、たん、たたん、と独特のリズムで叩きながら進んでいく。

 館の地下の突き当たりの壁。

 心当たりがある。


「もしかして、“BLACK”って書いてなかったか?」


「……いや、僕のところは、“BLUE”だった」


 だが、俺の予想とは異なり、そこには微妙な差異があった。

 黒と青。

 どちらも色を意味するアルファベット。

 そこにいったい何の意味があるのだろうか。

 

「ヒント、のつもりなのかもしれないね」


「……連続殺人鬼が誰か、という意味でか?」


「まあ、そんなところ。あのアキラとかいう奴の口ぶりだと、向こうは誰が連続殺人鬼なのかわかっているみたいだったからね」


「ゲームのつもりか。だいぶ悪趣味だな」


「しかも、連続殺人鬼すら、駒の一つにしているからね。まともな倫理観とは思えない。それに殺人を容認しているのと同義だから、どちからといえばアキラという人もそちら側なんだろね」


「そちら側。つまり反社会的イリーガルか」


「その通り」


 今のところ、オゾンとは考えが一致している。

 なぜ俺たちがここに集められたのか。

 数ある疑問の内の、その一つはわかってきたような気がした。

 つまりは、これは強大な権力を持つ何者かの、遊戯みたいなもの。

 特別な理由はない。

 強いていうならば、異能力者を集めた、デスゲームだ。 


「とりあえず七人全員を見つけたあと、オゾンはどうするつもりだ?」


「どうするつもりと言われてもね。一旦は向こうの話に乗るしかない。ムカつくけれど、手段はなさそうだし。だいたい、この場所に拉致されている時点で、ある意味僕らはすでに負けているというか、死んでいるに等しい」


「まあ、それは、そうだが」


「連続殺人鬼を見つけ出して、夜明けまで生き残る。今の僕たちにできることは、現時点で他にない」


 顔だけ振り向かせ、強い光を携えた瞳で、オゾンはそう口にする。

 穏やかな微笑を浮かべた表情には、自信が滲み出ていて、俺は少し憂う。

 もし、オゾンが犯人だったら、少なくとも俺に勝ち目はない。


「それに自分で言うのもなんだけど、僕は予知能力者だ。そう簡単に殺されるつもりもないし、犯人が僕以外の誰かを近くで殺そうとすれば、その動きを視ることができる。このゲームで、向こうがルールを破らない限り、負ける気はしないよ」


「頼もしい限りだな。さっさと殺人鬼とやらを見つけて、このくだらない遊び場から脱出しよう」


「うん。任せて。トオル、君のことは僕が守るよ」


 爽やかに微笑みかけてくれるオゾンの瞳は、俺を見ているようで、見ていない。

 もっと遠くの、別の何かを視ているらしい。

 

「……さて、それじゃあ次は、六人目、だね」


 そんなオゾンが再び顔を前に向け直し、扉に手をかけると、俺に聞こえるように言葉を漏らす。

 さっきは扉を開けた瞬間、炎の嵐だった。

 今度はもう少し大人しめの相手だとありがたいものだ。


「僕にとっては、再会、になるな」


 ドアノブをゆっくりと捻り、オゾンは扉をあける。

 追従するようにして、俺は三つ目の館へと足を踏み入れた。

 吹き抜けの二階構造。

 本棚が並び立つようにして、一階部分は絨毯といくつかのソファが置かれていて、壁には洋風の絵画が飾られている。

 これまでの二つの館と、ここも内装に変化はなさそうだ。


「今度は無視されないといいんだけど」


 唯一の異なる点は、その大広間の中央部に立つ、一人の少女だった。

 それは、どこか希薄で、霧や靄を見つめているような焦点の合わない感覚だった。

 色素の抜け落ちた、真っ白な髪。

 本当に生きているのか、疑ってしまうほど静かな佇まい。

 どこか近寄りがたい雰囲気を漂わせるその少女は、とくに何をするでもなく、ただそこにいた。


「あの子が、オゾンが俺とインクに会う前に会ったって子か?」


「うん。そうだよ。中々、曲者感あるでしょ?」


 ここで立ちっぱなしでも仕方ないし、とオゾンは言って螺旋階段を降りてその白髪の少女に近づいていく。

 俺たちが階段を降りて、一階まで降りてきても、その少女はこちらを見ることはなく、身じろぎ一つしない。

 しかし、俺はその少女の前に立つと、強烈な違和感を覚えた。

 なんだろう。この感覚は。

 そうだ、この違和感には、きちんと名前がある。

 これは、既視感デジャビュだ。

 俺はこの子に、どこかで会ったことがある。


「やあ、僕はオゾン。君もさっきのアキラとかいう人の話は聞いたでしょ?」


 十秒先で何かしらの反応があったのか、オゾンはしばらくの沈黙を経てから白い少女に声をかける。

 三、四秒の間をあけて、少女は黒い瞳を俺たちに向ける。

 知性が潜み、どこか無機質な冷たさを孕んだ視線。

 俺はこの目を、やっぱり、知っている。


「……私はスノウ。アキラの声は聞いたわ。今がどういう状況なのかは、理解してる」


 想像していたよりは、柔らかい声だった。

 正しい使い方をすれば、もっと人の懐に入ることができるような、綺麗で、魅力的な声だ。

 それが少し意外で、俺は思わず目を見開いてしまう。


「そっちの君は?」


「あ、ああ、俺はトオルだ」


「トオル。そう。君は、トオル、ね」


「わお。今回は返事をしてくれて嬉しいよ。トオルを連れてきて正解だったかな?」


「……今回?」


「そうだよ。僕は一度、君と顔は合わせてるだろ?」


「……いいえ。私は、君にも、トオルにも、今初めて出会ったわ」


「あれ? ほんとに? 僕が何か特別な力を持ってるか聞いた時、君、何もないって答えたよね?」


「いいえ。答えてないわ。君とは、今ここで初めて出会った」


 白の少女——スノウは、怪訝な表情でオゾンを睨み、オゾンもオゾンで、不思議そうに顔を傾けている。

 いったいどういうことだろう。

 スノウかオゾン、どちらか一方が嘘を吐いているのだろうか。

 しかし、あまりにも意味のない嘘に思える。


「私がここで君たち以外に会ったのは一人だけ」


 また十秒先に意識を集中しているのか、オゾンは喋らなくなった。

 俺たち以外に会ったとなると、トーチかプレイだろうか。

 インクは明らかに最初に出会ったのが俺のようなので、まずないだろう。


「紫色の髪をした、フウカという名の少年だけよ」


「……どうやらそいつが、七人目ってことみたいだね」


 紫のフウカ。

 それは知らない名だ。

 だが、これで白のスノウを含めれば、名前だけなら七人全員が揃ったということになる。

 この七人の中に、連続殺人鬼が一人いる。

 

「でも君たちには申し訳ないけれど、私はもうこれ以上、このくだらないお遊びに付き合うつもりはないわ」


「……おっと、それは予想外だね。その異能は、この場所において、あまりに“特別”すぎる」


 オゾンがまた未来を視たのか、会話を一つ飛ばす。

 このお遊びデスゲームに付き合うつもりはないと、強く断言するスノウの瞳に、迷いも、憂も、何も見当たらない。

 どうやら彼女は、俺たちとは少し違うステージに立っているようだ。



「私は“転移能力者テレポーター”なの。だから会ったばかりだけれど、さようなら。連続殺人鬼が潜んでいるような館に、これ以上いる理由が、私にはない」



 最後に、ほんの少しだけ笑うと、そして次の瞬間、スノウは消えた。

 まるで最初から、そこには誰もいなかったかのように、彼女が立っていた場所には僅かに埃が舞うだけ。

 十秒待っても、彼女の姿が戻ることはなかった。


 

 



 

 

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