異能館の殺人

谷川人鳥

非現実:1


 椅子に拘束されている自分の手を眺めてみると確かに色がついていた。

 透明ではない。

 俺は安堵と共に顔を上げる。


「まずは貴方の名前を教えてくれるかしら」


 そこは見慣れた無機質な部屋だった。

 四方を灰色のコンクリートに囲まれ、外の世界を映す窓の一つもない。

 目の前には面白味もない机が一つ置かれていて、その向こう側には何の感情も見せない女が一人座っている。

 俺とは違って両手両足を椅子に縛られていないその女に向かって、これまでもそうしてきたように自らの名を伝えることにした。


「俺の名前はトオルだ」


「そう。気分はどう、トオル?」


「最悪」


「そう。それは悪くないわね、トオル」


 もう若くない女は、若すぎる俺の名前を繰り返す。

 まるで俺に自分がトオルであることを忘れさせないようにするかのように。

 この部屋には時計がなく、女の方は自分の名前をいまさら口にしたりはしない。

 しかし俺はすでに知っていた。問い掛けることなどせずとも。

 その色素が全て抜け落ちた白髪の女の名前も、俺に残された時間がほとんど存在しないこともよく知っていたのだ。


「それじゃあ、トオル。あと何人残っているのか教えてくれる?」


「俺を入れて、あと二人」


「そう。さっきと変わっていないわね。でも貴方が今ここにいる。それはいいことだわ、トオル。弾丸はちゃんと残してある?」


「ああ、一つだけ」


「残っているのは二人の透明と一つの弾丸。そう。それはいいことね、トオル」


 女は満足そうに微笑んでいる。

 どこかその笑顔は俺の記憶の中に存在する母のそれと似ていて、皮肉な現実に思わず溜め息が漏れた。


「これで最後か、アキラ?」


「ええ、これで最後よ、トオル」


 女――アキラがそっと机の下から銃を取り出す。

 彼女はその鈍色に輝く凶器を真っ直ぐと俺に向ける。

 その時、初めてこれまで氷のように温度を持たなかった彼女の黒い瞳に躊躇いが混じるのが分かった。

 引き金にその細く白い指をかければ、透明な弾丸が一つ放たれ、俺は色を失う。

 おそらくその次は、俺が黒い弾丸を打ち込む番になる。

 それで終わる。

 全て終わる。

 俺は役割を終え、彼女は望んだ結果を手に入れる。

 きっと彼女は、そう思っている。


「これで最後なの、トオル?」


「ああ、これで最後だよ、アキラ」


 だが俺にはもう一つの選択肢があった。

 察しの良いアキラは俺に問い掛ける。

 不安からか、疑いからか、それともまた別の感情からかはわからない。


「心配は要らない。俺はもうここには戻ってこないよ。透明なのは、俺だけでいい」


 だから俺はアキラに安心するように声をかける。

 きっとこれがトオルとして俺の口が紡ぐ最後の言葉になるだろう。


「わかったわ。ありがとう……そしてさようなら、トオル」


 アキラは引き金を引いた。

 透明な弾丸が放たれる。

 俺は色を失う。

 それでも、代わりに、あいつが色を手に入れる。


 きっと、それでいい。


 その方が、いい。


 俺の小さな秘密は、もう秘密じゃなくなった。



 特別じゃなくなった俺たちは、やっと外に出れるのだから。



 

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