現実:16
今度は横たわっている。
意識がぼんやりと浮上する中、俺は冷たい石床の感覚を理解する。
仄かな日の光を感じ、ぬるい風が頬を撫でる。
つまりは、ここは外ということだ。
なんとなく霞がかった頭の中で、俺はどうやら自分がまだ生きているらしいということだけを実感していた。
「ああ、お前はまだ、生きていたのか」
静かな、熱を感じた。
視界の隅で、真っ赤な炎がちらついている。
二日酔いに似た不調を覚えつつも、灯りに釣られて身体を起こす。
「……トーチ。お前こそ、まだ生きてたんだな」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。しばらく顔を見なかったから」
「なるほど。理解した」
いつからそこにいたのか。
飼い猫を可愛がるかのように、手元で火炎を手繰りながら、トーチが怖ろしいほどに澄んだ瞳で俺のことを見つめている。
六つの塔の、四つの扉の内の一つ。
どうやら俺はあの死の館に戻ってきてしまったようだ。
いったい、さっきのはなんだったんだ?
幻覚か夢でも見ていたのか。
それにしてははっきりと覚えすぎている気がするが、ほんの数秒前まで俺は狭い一室でアキラと名乗る女と対面していたはず。
あれがアキラの持つ異能の類だったのだろうか。
「トオル、お前がオゾンを殺したのか?」
これまでと特に変わらない口調で、トーチが俺に問いかける。
意識的に、真っ先に考えないようにしていた事柄。
ああ、そうか。
彼女が俺にその問いかけをするということは、やはり現実は変わっていない。
もうオゾンは、いないのか。
「……いや、違う。俺が殺したわけじゃない」
「じゃあ、誰だ?」
「……わからない」
「私は、嘘が嫌いだ。もし、その言葉が誰かを庇った嘘だとしたら、お前のことも燃やすことになるが、いいか?」
「構わない」
「そうか。なら、いい」
俺はオゾンを、殺していない。
彼が死ぬ前まで、正直に言って俺は、連続殺人鬼の正体が俺自身なのではないかと疑っていたが、皮肉なことにもオゾンの死がそれを否定した。
連続殺人鬼は、俺じゃない。
しかし、今回、それがない。
オゾンの死を確認するまでの記憶はひと繋ぎで存在したままで、明確な記憶喪失はどこにもない。
これが気づいたら誰かが死んでいた、なんて場合は迷わず俺は自分自身を疑うところだが、どうやら今回はその兆候がない。
安堵と諦観。
二つの感情が暗く混ざりながら、心の内側に染み込んでいく。
「まずは、話を聞こう。どうしてオゾンは死んだ? お前の知ってる限りを話せ」
火が、消える。
俺を信じたのか、或いは別の理由か。
トーチは一貫した無表情で、手すりの方に近づくと下を覗き込む。
そして俺に説明を促すようにあごをしゃくった。
「……俺とオゾンは二人で行動していた」
「なぜだ?」
「二人組ならもし連続殺人鬼に襲われても対処できるから。そしてもし二人の内の一人が連続殺人鬼なら、生き残った方が犯人だと特定できるからだ」
「なるほどな。つまりトオルが犯人か?」
「だから違うと言っただろ」
「ということは、前者の推定から間違っていたということだな。二人組でも、連続殺人鬼は対象を殺せる」
冗談か本気か判断のつかない、独特な言い回しでトーチは俺の説明に追従する。
だが、たしかに、俺が犯人ではないとしたら、今回の殺人は説明がつかないことが多すぎる。
どうやってオゾンを殺したのかは大きな謎だが、それ以上に、どうして俺は殺されなかった?
特に、ここにトーチが現れるまで、俺は気絶していたはずだ。
遠距離で相手を殺せるなら、なぜ俺は狙わなかった。
偶然オゾンが狙いやすかったとしても、あえて俺を見逃す必要がない。
オゾンと俺の両方を殺せばよかっただけだ。
「続けろ、トオル」
「……このテラスを調べていた俺は、一時的にオゾンに背を向けているタイミングがあった。その間にオゾンは下に落ちて、死んだ。死んだオゾンを見た俺は、ショックで少し気を失った。それだけだよ」
「ショックで気を失った、か。何がそんなショックだった?」
「なにがだと? 人が死んだんだぞ?」
「だからなんだ。人は死ぬ。その程度のことでなぜ気を失う? 失神癖でもあるのか?」
俺は信じられない気持ちでトーチを睨みつけるが、彼女は何も気にしていないようで、真紅の瞳で真っ直ぐと俺を見つめるばかりだ。
俺が、おかしいのか。
たしかに、俺とオゾンはまだ知り合ってそれほど時間が経っているわけではない。
そんな相手に感情移入して、気を失うほど動揺する俺の方が変わっているのだろうか。
俺はだんだんわからなくなる。
この世界では異能力者が当たり前に存在し、人が死んでも何も感じない奴がいる。
基準が、違う。
「……まあいいさ。わかって欲しいとも思ってない。ただ、俺はそういう性質なんだよ」
「そうか。なら、死んだ際の立ち位置を教えてくれ」
冷静に話題を切り替えるトーチは、まさにオゾンがそうしていたように手すりに身体をよりかからせる。
「私の予想だと、オゾンはこんな体勢だった」
「……そう、だな。だいたいそんな感じで、俺はこのあたりに立って扉側を見ていた」
「そして気がつけば、オゾンは転落死か」
俺が覚えている限りの状況を再現してみるが、やはりオゾンがどうやって殺されたのかわからない。
そもそも彼は予知能力者だ。
何らかの手段で遠隔から襲われたとしても、その光景が事前に見えたはずだ。
なぜ、防げなかった?
どうして、俺は助かった?
この不可解な謎に、説明がつくとはどうしても思えない。
「今のところ思いつく可能性は、一つだな」
「は?」
しかし、悩む俺とは違い、トーチはあっさりと仮説が一つ見つかったと答える。
こんな短時間で、そして何よりこの少ない情報量で。
推理力が高いなんていう次元じゃないぞ。
「忘れてないとは思うが、オゾンは
「ああ、覚えている。私は、記憶力がいい。まず、前提として、オゾンが自らの死を防げないパターンはたった一つしかない。それは未来を見ても、自分の死に気づけないパターンだ」
腕組みをしながら、トーチは冷静に語り始める。
声色はどこまでも落ち着いていて、今まさに連続殺人が始まったかもしれないというのに恐怖の色はどこにも見えない。
「自分の死に気づけない。そんなことあるのか?」
「オゾンの言葉に嘘がなければ、あいつは未来を自らの主観で映像視している。だから主観上で何も変化がなければ、その未来を変えようとしない」
「十秒後に死んでるのに、それが見てわからないってことか?」
「そうだ。オゾンの未来視には、死角がある」
「——熱っ!? なんだっ!?」
その瞬間、俺はうなじのあたりに強烈な熱を感じる。
慌てて飛び退くと、俺が立っていたあたりに小さな火の玉が浮かんでいた。
「その火の玉は私が十秒前からお前の背後に浮かばせていた。これで私の言っている意味がわかりやすいだろう」
「……驚いたな。そういうことか」
「お前やオゾンは予知能力をずいぶんと信頼していたみたいだが、私から言わせてみれば過信にしかすぎない。他にも毒などを使っても同じことが起こせる。予知能力者は、簡単に殺せるんだ」
物理的に見えない手段で、殺す。
たったそれだけで、いとも容易くオゾンの予知能力を掻い潜れることを証明したトーチは特に誇ることもなく、淡々と言葉を続けた。
「死んだ後は、簡単だ。ただ、落ちただけだよ。転落死とは、限らない。私の考えでは、落ちる前に死んでいただろうな」
冷めた目つきで、そこまで自らの仮説を語ると、トーチは手すりから身を離す。
死角をつき、虎視眈々と殺人の機会を伺う連続殺人鬼の正体がいったい誰なのかまでは、彼女は自らの考えを話さない。
そのまま塔の中に続く扉の方に近づき、ドアノブに手をかけると、珍しく表情を緩めて俺に視線を送るのだった。
「ここは冷える。とりあえず中に入り、嘘つきがいないか探すとしようか」
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