第2話 焼け跡にも出るらしい

焼け跡の校舎

 幽霊ほど幸福なものはない。

 ってのがあたしの持論だったわけだけど、最近ちょっとこの考えが揺らぎ始めているんだよね。


 人ってのはたくさんの欲を持っている。お腹いっぱい食べたい、たっぷり眠りたい、暑さ寒さを避けたいみたいな生理的欲求。

 認められたい、お金持ちになりたい、嫌な人とは関わり合いたくないみたいな心理的欲求。で、そういった欲求が満たされれば幸福を感じるわけなんだけど、


「幽霊にだって欲がある!」


 なんだよねえ。人ほどじゃないにしてもね。

 生理的な欲求に関して言えば睡眠は合格。最近50年くらいはほとんど眠っていた。暑さ寒さも合格。だって温度や湿度を感じないんだもん。でも、


「美味しいものを食べたい!」


 これが一番厄介なあたしの欲。

 もちろんお腹は減らないわよ。そもそもお腹がないんだから。飲まず食わずでずっと過ごしても元気がなくなるとか体調が最悪になるなんてことはない。眠気を除けばいつでも絶好調。それなのに何かを味わいたいという欲はあるんだなあ。これはちょっとツライ。


 心理的欲求に関してはかなり不合格。お金は要らないし贅沢な暮らしをしたいとも思わないけど、他人と意思疎通したいって気持ちはある。

 別に威張りたいわけでも認められたいわけでも「あなたってカワイイわね」ってお世辞を言われたいわけでもないんだけど、やっぱり無視され続けるってのはツライものなのよ。


 まあでもこの件に関してはあたしの側に問題があると言えなくもない。それもこれもあたしの幽霊レベルが低いせいだと思うから。

 幽霊になって半世紀以上が経とうというのに、視覚と聴覚しか備わっていないなんてダメダメ過ぎるでしょ。きっとレベルが上がれば触覚や味覚なんて能力も会得して触れたり食べたりできるようになる気がする。

 さらにレベルが上がればあたしの姿が人に見えて、あたしの声も人に聞こえて、楽しい女子会なんかも開けるようになる気がする。

 もしかしたら幽霊の姿が見える高レベルの幽霊がすでにあたしの周囲にいるんじゃないかなあ。そして眠ってばかりのあたしを見て、


「ふっ、あの調子では未来永劫初級幽霊のままだな。レベルを上げれば人だけでなく幽霊とも交流が持てるというのに。愚かで怠惰な幽霊め」


 とか言ってあたしを嘲笑っているんじゃない。

 うわー、恥ずかしい。早く初心者から抜け出したい。でもどうやって幽霊のレベルを上げればいいのかわかんないんだよね。だから教えてください。レベルの上げ方を伝授してください。上級幽霊さん、迷える初級幽霊に愛の手を!


「しっかし、ここも変わったなあ」


 あたしは全然変わらないけど世の中は常に動き続けている。相変わらずあたしは学校の敷地の外には出られない。見える範囲も限られている。

 それでもこの国がすごい速さで様変わりしていくのは感じられる。電線が張り巡らされ、高い建物がいくつも出現し、整備された道路には人力車ではなく自転車や自動車が走り始め、ガス灯ではなく電灯が夜を照らしている。

 もちろん良いことばかりじゃない。地震が起きたり、伝染病が流行ったり、大火災が起きたりもした。


「特に腹立たしいのは戦争よね」


 あたしの婚約者を奪ったのも戦争だった。あ、あたしが婚約者に先立たれた悲恋の女子生徒って設定、まだ生きているからね。だってそれに該当する幽霊に出会ってないし、誰かがその幽霊を見たって話も聞いてない。それならあたしがその幽霊だってことにしても問題ないでしょ。

 で、その戦争だけどずっと続いていたのよ。この国ってよっぽど戦うのが好きなのね。しかも連戦連勝だったから調子に乗っちゃって、とんでもない国を相手にしちゃった。


「あの数年は見ていて胸が痛んだなあ」


 ここは女学校。女子生徒たちは戦いとは無縁のはずなのにスカートの代わりにモンペを履かされて、竹やりで突撃の訓練をしたり、校庭の隅でお芋を栽培したり、もう学校じゃないよね。

 さらに敗色が濃くなってくると生徒がいなくなっちゃった。近くの工場へ働きに行かされたの。静まり返った学校は寂しかったなあ。暇で仕方ないから眠るより他にどうしようもなかったわね。あの期間は日中もほとんど寝て過ごしていた。でもいきなり大編成の飛行機が飛んできて空襲が始まったから嫌でも目が覚めちゃった。


「ちょっと、目覚ましにしては派手過ぎない」


 と文句を言いたくなるくらいとんでもない規模の空襲だった。鉄筋コンクリート製の校舎はなんとか残ったけど、他の建物はほとんど焼失。周囲の民家もひどい有様。

 それに校舎は壊れなかったと言っても割れた窓から入り込んだ火炎で内部は完全に焼き尽くされちゃった。非難してきた人々も蒸し焼き。地獄のような光景に思わず目をそむけたくなったよ。もしあたしが普通の女子生徒だったら絶望して立ち直れなくなっただろうなあ。


「あの時はさすがに幽霊でよかったって思わずにはいられなかったな」


 だけど人ってのは頑張り屋さんだよね。戦争が終わったらすぐ復興に取り掛かった。周囲には家が建ち始め校内の瓦礫も片付けられてかなりきれいになった。


「この調子ならみんなすぐに戻って来てくれるかな」


 と思ったけど、さすがに授業再開には時間がかかった。その間、あたしはまた独りぼっちの日々。ほとんど寝て過ごすだけの日々。

 眠っていればあっという間に日は過ぎる。1年も経たないうちに校舎内部の修復が終了した。机や椅子は寄せ集めで、焼けちゃった書籍や教材も十分に揃っているとは言い難いけど、みんなが教室に集まって勉強できるってのはやっぱいいいものね。


「みんなあ、お帰りいー!」


 久しぶりに戻ってきた女子生徒たちを見た時は嬉しくて涙が出そうだったよ。ただその人数は明らかに減っていた。空襲でなくなった生徒、親兄弟を失くして遠い土地へ行ってしまった生徒、修業年限短縮のために4年で卒業しちゃった生徒。母校に戻ることなく去って行った彼女たちはさぞかし無念だったでしょうね。


「おはよう」

「あ、おはよう。宿題やってきた?」

「当然」


 早いもので校舎での授業再開から3年が経った。登校してくる生徒たちもだいぶ慣れてきたみたいだ。これからは思う存分青春を楽しんでほしいわね。


「起立、礼、着席!」


 お、授業が始まった。


「ついに高等女学校が廃止され新制高等学校が発足しました。皆さんは栄えある第一期卒業生となるのです。その名に恥じぬよう一心に勉学に励んでください」

「はい!」


 うん、みんな元気でよろしい。若者はこうでなくちゃね。

 今あたしがいるのは高校3年生の教室。教育制度が変わって5年制の高等女学校は廃止になり、3年制の女子中学校と3年制の女子高校に分かれちゃった。だけど校舎は同じ敷地内にあって移動も可能なので中学の方へも遊びに行くつもり。


「これからの世は男女平等です。女子もまた社会を動かす担い手となるのです。このことを強く肝に銘じてください」

「はい!」


 これは拍手喝采な改革よねえ。

 新学制になってから職員室に忍び込んで放り出してある資料をあれこれ読み漁っていたんだけど、男女とも同じ教育科目を履修することになったみたい。つまり裁縫や家事みたいに女子だけに課せられていた科目を男子も履修することになったわけ。

 まあそれらは必修じゃないみたいだから実際どうなるかわからないけど、針仕事する男子って想像するだけでカワイイじゃない。


「そして男女共学!」


 これよ、これが最大の目玉改革。

 尋常小学校や専門学校や大学は男子と女子が机を並べて学んでいたけど、中学、高校は男女別々だったでしょ。だけど今回の学制改革で全ての学校に男女共学が認められたの。

 考えてみればさあ、あたし幽霊になってから同年代の男子ってのを間近で見たことがないのよ。身近な男性と言えば、中年男の用務員さんとか還暦間近の老紳士英語教師とか、そんなのばっかりだったから。


 あ、ここでいう同年代ってのはあくまで人だった時の年齢ね。確かにあたし半世紀以上幽霊やってるから老婆と言われても仕方ないんだけど、幽霊は年取らないから永遠に17才のままなの。誰が何と言おうと17才。これだけは譲れない。

 ちなみに17才ってのは数え年じゃなくて満年齢ね。高等女学校時代にも政府の通達で満年齢に一本化されていたんだけど、庶民の間では数え年が一般的だったんだよね。でも戦後はそういった点も徹底されるようになったみたい。19才から17才になって何だか若返った気分。


「共学になれば17才の男子生徒に近付き放題、見放題、聞き放題かあ。ちょっとトキメイちゃうなあ、うふふ」


 美味しいものを食べたい欲求、誰かとお話したい欲求に続く新たな欲求が芽生えそうだ。でも望みは薄いわよね。ここ女子校だもん。方針が変わって男子の入学募集も始めてくれればいいんだけどなあ。


「すみませーん、遅刻しました」


 妄想に耽っていると教室の戸が開いてひとりの女子生徒が入ってきた。遅刻常習犯の勇子ゆうこさん。ここ数カ月というもの毎日遅刻している。いや毎日じゃないな。無断欠席する日もあるから。


「またですか。このようなことが続けば卒業できなくなりますよ。わかっているのですか」

「わかってまーす」

「なら改めなさい。早く席に着いて」

「はーい」


 この態度の悪さも毎度のこと。先生はとっくに諦めている。あたしもため息をつきたくなる。幽霊になったばかりの高等女学校はお嬢様ばかりだったからこんな生徒はいなかった。でも時代とともに社会は変わる。それにつれて人も変わる。社会が人を変えるのだ。


「まあ気持ちはわからないでもないんだけどね」


 この世代の女子生徒は確かに気の毒だ。多感な十代前半を戦争に塗り潰されてしまったんだから。オシャレもできず、満足に勉強もできず、美味しいものも食べられず、工場で働かされて、空襲に怯える日々。親兄弟、知人友人を亡くした者もいるだろう。


「きっと未練を残して死んだ人もたくさんいるんだろうなあ」


 それはつまり幽霊になってこの世を漂っている者もたくさんいるということだ。幽霊レベルの低いあたしには見えないけど、この教室にも溢れるくらい幽霊の見学者がいるのかなあ。ううっ、想像しただけで息が詰まりそう。


「そう言えば彼女は戦災孤児だったっけ」


 この勇子さんも戦争の犠牲者のひとり。代々続く地元の名士で裕福な家庭の娘だったんだけど、祖父と祖母は早くに他界。父と兄は戦死、母は病死、弟と妹は空襲で行方不明。実家は焼失。天涯孤独の身となった現在、母方の遠縁にあたる親戚の家に引き取られ肩身の狭い生活をしている、と職員室の生徒資料に書いてあった。


「そりゃ、やさぐれたくもなるよね」


 多くの人生に触れるたびに自分の幸せが身にしみる。幽霊ほどお気楽なものはない。文句を言うのはやめて今の自分で満足しよう、うん。

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