凹面の仮面の裏は凸面の仮面
最近ハマっていることがある。憂子さんウオッチング。
これまでは全然気に掛けなかった生徒なんだよね。地味だし、いつもひとりでいるし、お喋りもほとんどしない。完全に風景の中に埋没している感じで、あえて言うなら机や椅子と同じように教室内に存在するひとつのオブジェにしか見えなかったのよ、これまでは。
「やっぱり人って見掛けによらないなあ」
興味を持った切っ掛けは食堂での一件。半ば強制的に席を追い出されたら、お腹の中が不満でいっぱいになって食事なんかできなくなるじゃない普通は。でも憂子さん、その後も平然と食事を続けて食堂を後にしたのよ。
「へえ~、意外に図太い神経しているのかも」
で、それからは毎日憂子さんの周囲をうろちょろするようになった。
すぐ気付いたことがあった。
憂子さんってスマホが大好き……違うな、大好きなんてもんじゃない。スマホに取り憑かれていると言ってもいいくらい朝から夕方までずっといじっている。休憩時間は言うに及ばず、移動中、食事中、授業中も手放さない。体育の時間くらいかな、スマホを解放してあげるのは。
「速っ!」
操作する指の動きは目で追えないくらい速い。休憩中や移動中は両手で操作しているけど食事中や授業中は片手だけ。それでも常人の数倍は速い。
しかも授業中は先生にバレないように机の中に左手を突っ込み、画面を見ないで操作するんだけど全然ミスしない。左手に目でも付いているのかと疑いたくなるほど。
「ここまで来るともはや達人ね。スマホ達人憂子、う~ん女子生徒の二つ名としては微妙かな」
で、スマホで何をしているのかと言えば、ほとんどが文字入力。特に授業中はひんぱんに入力している。普通の人は机の中なんて見られないけど、あたしは自由に物体をすり抜けられるから机の中のスマホも簡単に覗き見できちゃうのよね。で、例えば英語の時間だと、
――いつも思うけど発音おかしくね
――黒板消すの早い!
――当たるな!他の人当たれ!私は絶対に当てないで
――文法なんか知らなくても会話できればいいんでしょ
こんな文章をずーっと打ち込んでいるの。そして打ち込むだけ打ち込んだら、自分で読むわけでもなく誰かに送信するわけでもなく消去。消去したらまた入力。それの繰り返し。傍から見ていると穴を掘る、埋める、掘る、埋めるを繰り返すのと同じ、完全な徒労にしか思えない。
「憂子さん流のストレス解消法なのかな」
そう解釈することにした。言いたくても言えない、でも溜め込んでもおけない、そんな不平不満を文字にして吐き出すことで、ストレスで膨らんでいたお腹をすっきりさせているんでしょうね。まあ、独り言をぶつぶつつぶやかれるよりはマシと言えるかも。
「あれ、ラインしている?」
憂子さんにはもっと意外な一面があった。ある日の休み時間中、いつものように憂子さんのスマホを覗いてみたら、トーク画面になっていたのよ。
「へえー、友人なんかひとりもいないと思っていたけど、そんなことなかったんだね。どんな話題で盛り上がっているのかな」
表示されている会話はいかにも女子生徒の日常会話だねえと言いたくなるような中身のない内容だった。
――新しく買ったシャンプー失敗だった
――洗髪は米糠がいいらしいよ 糠で洗え
――え~糠臭くなる やだ
――糟糠の妻って言葉知らないの?
――知らない うち白米だし
いつの時代も同じよねえ。終始一貫して無駄一色に塗り込められた目的も結論もない会話。それが女子生徒のお喋り。これもまたストレス解消の一環なんでしょうね。
いつもせかせかしている憂子さんでもこんな駄弁に時間を費やすこともあるんだなあと思って眺めていたんだけど、そのうち奇妙なことに気が付いた。憂子さんの指が全然動いていないのよ。ただ眺めているだけ。
「複数人トークってこと?」
と思ったけどメンバーの数は2。そして憂子さんは時々顔を上げて教室の一点をチラ見している。その視線の先にいるのはスマホを操作している女子生徒。
「話し相手はあの娘なのかな」
視線の先にいる生徒の横に移動してスマホを覗き込むと憂子さんと同じ画面。この生徒がトーク参加者のひとりであることは間違いない。でももうひとりは絶対に憂子さんじゃない。だって操作せず見ているだけなんだもん。そしてメンバーの数は2のまま。
「どういうこと?」
戻って憂子さんのスマホを見る。驚いた。今度は別のトーク画面が表示されていた。さっきとは違う参加者がお喋りしている。メンバーの数はやっぱり2。憂子さんは眺めているだけ。
「もしや……」
教室を飛び回って生徒たちのスマホを調べまくった。見つけた。憂子さんと同じトーク画面が表示されている生徒。何も知らずにお喋りを楽しんでいる。そしてその生徒をチラ見する憂子さん。
「トークしている2人の生徒は憂子さんのことなんか全然気にしていないよね。これってどういうこと?」
スマホのことはよくわからないんだけど、憂子さんが正しい使い方をしているとは思えない。だってさっき確認した2人の生徒は、自分たちの会話の内容が憂子さんに読まれているとは絶対に思っていないはず。
「つまり憂子さん、同級生のトークを盗み見しているってこと?」
そんなことが可能かどうかわからない。でもそれしか考えられなかった。
「いやいや早合点は良くないよね。あんなに真面目そうな憂子さんがそんなことするとは思えないし」
最初は不確かな疑念に過ぎなかった。だけど日が経つに連れ疑念は確信に変わっていった。
誰も憂子さんとトークをしないし声でのお喋りもしない。憂子さんの友だちリストは無人のまま。それなのに憂子さんのスマホはクラス中のほぼ全員のトーク内容を毎日表示している。
「憂子さんって、ひょっとしてヤバい人なのかも」
心の中に広がる疑惑の雲が真っ黒に変わり始めた頃、決定的な出来事が起きた。
ある日の昼休み、学食で一番嫌われているメニュー「大盛りにんにくラーメン餃子定食」を食べている生徒がいたので、すぐ近くで観察することにしたのよ。
一緒に食べている3人の生徒とスマホでお喋りしている。
――ちょっそれヤバくね 午後の教室がにんにく色に染まるぞ
――にんにく食うと頭良くなるってテレビでやってた
――血の巡りが良くなるだけでバカはバカのままだぞ
――ウソ!だまされた
――うわっすでに
――息しないと死んじゃう
――根性で生きろ!
あたし嗅覚がないからわからないけど、一緒に食べている生徒たちが手をパタパタさせているからよっぽど臭うみたい。にんにくってそんなに臭いのかな。ちょっと食べてみたくなっちゃった。
「ええっ、何これ!」
にんにくラーメン定食を食べていた生徒がいきなり大声を上げた。驚いてスマホ画面から顔を上げる3人の生徒たち。あたしもびっくりした。にんにく生徒の持つスマホのトーク画面がいきなり消えて別の画像が表示されたから。
「何よ、急に」
「どうかした?」
「ニンニク食べ過ぎて頭がおかしくなったか」
さすがにこういう時は文字ではなく声で反応するわね。にんにく生徒はスマホを掲げて3人に見せた。
「こんなのが出てきた」
それは動画だった。2個のにんにくが口から黄色い息を吐く。息はもわもわと広がって画面全体が真っ黄色になったかと思うとすぐ消えて2個のにんにくが現れる。そしてまた口から息を吐く。その繰り返し。
「趣味悪すぎだよ、その待受画面」
「あたし知らない。こんな設定にした覚えない」
「だけど実際そうなっているじゃない」
「もう、どういうこと、これ」
にんにく生徒は泣き出しそうな顔をしている。ちょっと気の毒になってきた。
「んっ?」
ふと誰かの視線を感じた。振り向くと隣のテーブルに憂子さんが座っていた。右手で鼻をつまみ、左手にスマホを持ってこちらを眺めている。
「これって……」
すぐ憂子さんの元へ飛ぶ。スマホを見る。思った通りだ。にんにく2個の動画が再生されている。さっき見たのとまったく同じだ。
「そろそろ、いいかな」
憂子さんは低い声でそうつぶやくと画面をタップした。動画が消えた。同時ににんにく生徒たちの声が聞こえてきた。
「あっ、消えた。元に戻った」
「よかったじゃん」
「よくないよ。原因不明なんだよ」
「故障だろ。店に行って見てもらえよ」
憂子さんの口元に浮かぶ微笑。それがあたしの疑念を確信に変えた。憂子さんの仕業だ。にんにく臭をまき散らす生徒を懲らしめるために、彼女のスマホに動画を送りつけたんだ。そうに違いない。
「待って、じゃあもしかしたらあの軍艦マーチも……」
あたしが憂子さんに注目する切っ掛けになった食堂での強制退去事件。下級生のスマホがいきなり軍艦マーチを鳴り響かせた奇妙な現象。今回と同じだ。きっとあの時は生意気2年生のスマホに曲を送りつけたんだ。
「そう言えば聞いたことがある。ハッカーって言うんだっけ」
ネットの脅威から通信機器を守るために幾重にも張り巡らされているセキュリティ。それを打ち破る技術を持った者、ハッカー。憂子さんもそんなハッカーのひとりなんだ、それもかなりの腕前の。
「ああー、情けないったらないわ。1世紀以上に渡って様々な人物を観察してきたのに、まだ人の本質を見抜けないなんて」
地味で無口で引っ込み思案でオブジェのように目立たない存在。一見すると人畜無害にしか思えない者が実はとんでもない要注意人物だった。そんなことはこれまで何度も経験してきたはずなのに。
「本当に、人は見掛けによらないってよく言ったものだわ」
思い込みは人の判断を狂わせる、何だっけ。そうだ思い出した。ホロウマスク錯視。仮面の裏側の凹面を見せているのに凸面として認識してしまう錯覚。
憂子さんも同じだ。いつも地味な行動しかしないから、トンデモナイ行為に及んでいるにもかかわらず地味な行為としか認識されない。仮面の裏側の凶悪な顔を見せても誰もその凶悪さに気付かない。
「これはさらに観察を続ける必要がありそうね」
憂子さんが昼食のお盆を持って席を立った。お盆の上にはスマホが置かれている。次はどんなことをやらかしてくれるのだろう。しばらくは眠気を忘れて楽しめそう。
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