仲良きことは鬱陶しいかな

「今日からよろしくお願いします!」


 パチパチパチ!


 教室に鳴り響く拍手。

 今日は朝からビッグニュース。なんと転校生がやって来たの。

 この学校って中高一貫教育の女子校ってこともあって、転校生はめったにいないのよね。しかもなかなかの美少女! 教室の生徒たちは若干興奮気味。もちろんあたしも。


「こんにちは。仲良くしてね」

「えっ、あっ、はい」


 憂子さん、思いっ切り狼狽してる。無理もないか。転校生の席は憂子さんの左隣なんだもん。


 ――これまでずっとボッチ席だったのにサイテー!


 おっ、憂子さん、さっそく机の中のスマホに愚痴を打ち込んでいるな。

 このクラスは31名。昔は40名以上いたのに少子化の影響でこんなに少なくなっちゃった。

 席の並びは縦6列、横6列。そして横の6列目は憂子さんひとりだけ。廊下側最後列のボッチ席。だからこそ授業中でも平気でスマホを操作できたわけ。誰にも気付かれないからね。


「あたしは麗子れいこって呼んで。あなたは?」

「あ、じゃあ憂子で」

「憂子さんね。それでさっそくだけど教科書を見せてもらえないかな? まだ準備できてなくて」

「は、はい。どうぞ」


 本当は断りたいのよね。でも断れないのが憂子さん。だから不満が溜まっていく。まあこの状況で「あんたに見せる教科書はない」なんて言える生徒がいるとも思えないけど。


「机、寄せるね」


 憂子さんの左側に麗子さんの机がくっ付く。真ん中に教科書を置く。ここで憂子さん、大変なことに気付いたみたい。


「あっ!」


 そう、左手は教科書を押さえたり、ページをめくったりするために机の上に置いておかなくてはならない。つまりこれまで日常茶飯事だった「机の中でスマホに愚痴る」という行為は完全に封じられてしまったってわけ。


「うっ、うっ」


 授業が進むにつれ憂子さんが呻き始めた。眉間にはシワが寄っている。まるで禁断症状に苦しむ中毒患者みたい。あっ、教科書から手が離れた。左手が静かに机の中に差し込まれる。


「憂子さん。授業中は両手を机の上に出すものよ」

「えっ! あ、はい」


 麗子さん、鷹のような目敏さで憂子さんにダメ出し。素直に従うしかない憂子さん。さあ、いつまで我慢できるかしら。


「起立、礼、ありがとうございました」


 授業が終わった。待ってましたとばかりに教科書を片付けて机の中に左手を突っ込む憂子さん。しかし麗子さんの追及は止まらない。


「あっ、また左手を机の中に入れている。憂子さん、お行儀が悪いですよ。昔、漱石先生は隻腕の学生に向かって『僕も無い知恵を絞って講義をしているんだから君も無い腕でも出したらよかろう』と言ったそうです。憂子さんはきちんと両手があるんだからきちんと出すべきです」

「う、うん」


 スマホを握って机から手を出す憂子さん。ホント素直よねえ。嫌なら断るか無視すればいいのに。と思っていたらスマホを握ったまま左手をスカートのポケットに突っ込んだ。なるほど転んでもただでは起きないか。だけどそれは麗子さんも同じ。


「憂子さん、いつまでもポケットに手を入れているのはお行儀が悪いですよ。それに転んだりした時、手を出すのが遅れて大ケガをしてしまうかもしれないし。ポケットハンドはやめましょうね」

「ごめん、ちょっとトイレ」


 スマホを持ってトイレに駆け込む憂子さん。個室に入ると猛然と文字を打ち込み始めた。


 ――なにが漱石先生だよなにがポケットハンドだよ関係ねえよ左手隠して何が悪いんだよだいたいおまえあたしの何なんだようぜえよこの……


 うはっ、何なのこの速さ。指の動きが尋常じゃない。光速を超えてるんじゃないかしらと思いたくなるくらいのスピード。

 結局憂子さんは休み時間終了のチャイムが鳴るまで個室で愚痴を打ち続けていた。たぶん1万字くらい打ち込めたんじゃないかな。


「憂子さん、さっきからあたしを見つめているけど何か用?」

「べ、別に」


 次の休み時間、憂子さんはトイレに駆け込まず教室で麗子さんを観察し始めた。何を企んでいるかあたしにはわかっている。麗子さんがスマホを使うのを待っているんだ。

 気に入らない生徒には変な曲や画像を送りつけて不満を解消するのが憂子さんのやり方。そのためには相手のスマホをハッキングする必要がある。


「連絡先交換しようよの一言すら口に出せず、相手の行動を待つだけの受け身人生。でもハッキングさえしてしまえば受けは一転して攻めに変わる。さあどうなるのかしら」


 興味しんしんで見守っていると麗子さんに別の生徒が声を掛けてきた。


「ねえ麗子さん、連絡先交換しない?」


 これぞ神からの恩恵。憂子さんが薄っすらと微笑んだ。ああ、これで麗子さんも憂子さんの餌食になるのね、と思ったら意外な返答。


「ごめんなさい。あたしスマホを持ってないの。興味が無くて」

「えっ! そうなんだ」


 驚く生徒。そりゃそうよ。このご時世、スマホを所有しない人がいるなんてあり得ない。絶滅危惧種に指定されてもおかしくないくらいだ。


「……」


 憂子さんが無言で立ち上がった。きっとトイレで愚痴るんだろうな。憂子さんの受け身人生はまだまだ続きそう。


「憂子さん、一緒にお昼食べましょう」

「憂子さん、図書室に付き合ってくれない」

「憂子さん、外で日なたぼっこしましょ」


 麗子さんが転校してきた日から憂子さんの日常は灰色に染まってしまった。とにかく麗子さんが事あるごとに憂子さんにまとわりつくのよねえ。授業中も休み時間も昼食もいつも一緒。その間、憂子さんはスマホを手に取ることすらできない。


「憂子さんだけよ、あたしと仲良くしてくれるのは。寮でも全然友人ができなくて」


 麗子さんは寮生だ。両親はだいぶ前に亡くなって親戚中をたらい回しにされて育ったらしい。

 だからと言って決して取っ付き難い性格ではない。むしろ喜んで友人にしたくなるような明るさと人当たりの良さを持っている。にもかかわらず転校からひと月が過ぎても憂子さん以外の友人がひとりもいないのは、


「スマホを持っていないから」


 これに尽きるわね。

 もちろん憂子さんだって麗子さんを友人だとは思っていないはず。なのに麗子さんに言われるがままに行動していると、それが結局友達付き合いになっちゃう。それで麗子さんも勘違いしてしまっているのね。

 そんな憂子さんの唯一の息抜きはトイレの中だけ。


 ――どこまであたしの自由を奪えば気が済むんだあの女消えろ消滅しろ原子レベルで崩壊し……


 休み時間の10分間はひたすら個室で打ち込みまくる。さりとてそんな短時間で憂さ晴らしできるわけもなく、憂子さんのストレスは溜まる一方。

 やがて目の下にクマができ始めた。昼に学校でいじれないから帰宅後徹夜でスマホをいじっているんでしょうね。

 ストレス解消法なんてたくさんあるんだから別の方法を試せばいいのにって思うんだけど、今の憂子さん、スマホ以外は目に入らないご様子。


「ねえ憂子さん、最近元気がないみたいだけど大丈夫」

「うん、平気」


 ああ、また心にもないことを言っている。「元気がないのはあんたのせいだよ!」って言ってやればいいのに。

 日ごとにやつれていく憂子さんを見ているとちょっと胸が痛むな。


 そんな感じで憂子さんにとっては地獄のような日々が続いていたある日、意外なことが起きた。憂子さんが手紙を差し出したのだ。


「麗子さん、これ、読んで、ください」

「えっ、ひょっとしてラブレター? 悪いけど私の恋愛対象は男子だけなの。ごめんね」

「違います! いいから、読んで」

「あらラブレターじゃないの? それなら読むわ」


 たったこれだけのセリフで憂子さんの息は乱れ、顔はほんのりと上気している。どれだけ人と話すのが苦手なんだとツッコミたくなるわね。あ、麗子さんが手紙を読み始めた。どれどれ。


『これからの時代はスマホが必須です。興味がないでは済まされません。絶対所有するべきです。私は複数台のスマホを所有しています。よければ1台貸してあげます。賃料は無料で結構です。貴女に経済的負担はありません。ご検討いただけますと幸いです』


 手紙で伝えるような話じゃないわよね。しかも手書きじゃなくて印刷。さあ、麗子さんはどうするのかな。


「憂子さんがそこまで言うのならいいわよ。でも条件がある」

「条件、何?」

「次の土曜日、一緒にお出掛けしましょう。私、友人と一緒に休日を過ごしたことがないから」

「うっ……それで、スマホを持ってくれるのなら、いいです」

「ホント! やったあ」


 憂子さん、苦渋の決断ね。とは言っても1日我慢すればいいだけなんだから、これは憂子さんの大勝利と言えるかも。


「へえー、意外に簡単なのね」


 翌週の月曜日から麗子さんは休み時間のたびにスマホをいじり始めた。憂子さんは付きっ切りで指導に当たる。こんなに生き生きした憂子さんを見るのは久しぶり。まるで水を得た魚のよう。


「スマホも持ったことだし、これで麗子さんにも新しい友人ができるんじゃないかな」


 と思ったけど、同級生たちは今まで同様、冷めた目で麗子さんを眺めていた。理由は簡単。すでに憂子さんが麗子さんの友人だから。

 はっきり言って憂子さんと友達付き合いしたいと思っている生徒はひとりもいない。もし麗子さんと友人になればその友人である憂子さんとも友人にならなくてはいけない、それが嫌なのだ。


「憂子さんとキッパリ手を切れば麗子さんはもっと幸せになれるでしょうに。そしてそれは憂子さんも願っていることなのに。なんだか歯がゆいふたりね」


 手取り足取り麗子さんにスマホの使い方を手ほどきする憂子さん。その親切面の裏でいったいどんな悪巧みを考えているのだろう。ふたりを観察していると楽しくて仕方がない。あたしの毎日もかなり充実してきた感じ。


「これが自撮り棒、シャッター付き」


 昼休み、食事を終えたふたりは欅の木の下に来ていた。どうやら今日は自撮りについて説明するつもりみたい。


「この棒をセットして、カメラをこっちに切り替えて、あとは手元のシャッターを押すの」


 かなり熱心に教えているわね。この気合いの入れようから推察すると今日は何かやってくれそうな気がする。


「ふーん、操作は簡単みたいね。でもどうしてこんな場所で撮るの? この欅って雷が落ちて半分枯れているんでしょう。隣に慰霊碑もあるし何だか気持ち悪い」

「ここ、人が来ないから、邪魔されないから、それだけ。さあ早く撮って」


 むむ、憂子さんの口調がたどたどしい。やっぱり何か企んでいるな。


「うん、じゃあ撮ってみる」


 欅の木をバックにして自撮りをする麗子さん。小首を傾げたポーズが子猫みたいでカワイイ。


「うまく撮れたかな」


 自撮り棒を外して画像を確認する麗子さん。その顔が一瞬にして曇った。しばらくスマホを凝視した後、顔を上げて欅を見返した。そしてもう一度スマホを凝視している。


「失敗したのかな」


 麗子さんのスマホを覗き込んでみた。小首を傾げた麗子さんが可愛く映っている。なんだ、ちゃんと撮れてるじゃない。何をそんなに驚いているんだろ……ええっ!


「ウソ、何これ!」


 背筋が寒くなった。画像に映っているのは小首を傾げた麗子さん、その背後に欅の木、そしてその木の陰から小振袖に海老茶袴の女子がこちらを見つめているのだ。もちろん現実にはそんな女子はいなかった、はず。


「ふふふ」


 憂子さんの笑い声が聞こえたような気がした。

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