幽霊の威を借る小悪党

「ねえ、こんなのが写っているんだけど」


 麗子さんが憂子さんにスマホを見せた。憂子さんは表情ひとつ変えない。写っていて当然みたいな顔をしてボソボソとつぶやいた。


「これ、150年以上前に亡くなった、高等女学校時代の女子生徒の幽霊、だと思う」

「えっ、あの話、まだ残っているの!」


 驚いちゃった。帰ってこない婚約者を待ちながら亡くなった女子生徒。その幽霊が欅の木の下に出るという都市伝説。あたしがその幽霊に違いない、なんて思ったこともあったなあ。今ではもう微塵も思ってないけどね。


「麗子さん、たぶん、取り憑かれた、んだと思う」


 精一杯怖がらせようとしているのがありありとわかる。やっぱりあなたの仕業だったのね。麗子さんを欅の木に誘い出して自撮りさせ、その背景と幽霊の画像を合成させる。どうしてそんなことが可能なのか全然わからないけど憂子さんならできそうな気がする。


「幽霊? やだ、そんなのいるわけないよ。スマホの調子が悪いだけでしょう」


 でも麗子さんは全然怖がっていない。そういった話は信じない性格みたい。憂子さんの復讐第一弾は空振りに終わったようだ。


「あ、また来てる!」

「これ、ちょっと、ヤバいかも」


 欅の木の下で自撮りをした日から、麗子さんのスマホには毎日何通もメッセージが送られてくるようになった。差出人は全て「欅の幽霊」になっている。


 ――おまえは呪われたのだこの学校から立ち去れ

 ――すぐいなくなれ明日いなくなれ

 ――いつまで居座るつもりだ

 ――左手を隠して何が悪い

 ――目障りだ顔も見たくない

 ――このままではおまえの命はないものと思え


 まあ考えるまでもなく送っているのは憂子さんよね。言葉の端々に本音が滲み出ているもん。よっぽど麗子さんのことが嫌いなんだろうなあ。


「うわ、今度はこんなのが送られてきた」

「これ、かなり、ヤバいかも」


 メッセージだけでなく気持ちの悪い画像も送られてくる。生首とか血だらけの小動物とかビリビリに引き裂かれたブラウスとか。もちろんこれも憂子さんの仕業。だけどまさか自分で撮影した画像じゃないわよね。ネットで適当に拾って送信しているんだよね。


「全て削除っと。はいスッキリした」


 麗子さんは相変わらずのマイペース。毎日こんなメッセージや画像が送られてきたら多少は気分が悪くなるものだけど、麗子さんはまったく意に介さない。憂子さんのイライラは前にも増して募っていく。


 ♪ヒュードロドロドロ!


「きゃっ、何!」


 授業中、突然麗子さんのスマホが鳴り出した。憂子さんの新たな嫌がらせだ。


「こら、授業中はマナーモードにしろと言っているだろ。放課後まで没収だ」


 先生に叱られてさすがの麗子さんも気落ちしてしまった。さらに憂子さんが追い打ちをかける。


「たぶん、幽霊の仕業だと思う」

「そんなはずないよ。そうだ、授業中はスマホの電源をオフにしておこうっと。これなら大丈夫ね」


 うん、それなら大丈夫ねとあたしも太鼓判を押したのだけど、憂子さんの技術力は想像の遥か上を行っていた。遠隔操作で電源を入れてまた授業中に鳴らしたのだ。


「きっと、幽霊の仕業だと思う」

「それはないって。そうだ、スマホを充電しなければいいんだ。バッテリー残量は常にゼロ。これならきっと大丈夫」


 うん、今度こそ大丈夫とあたしも再度太鼓判を押したのだけど、憂子さんの技術力は神懸かっていた。

 ワイヤレス充電の仕組みを応用して麗子さんのバッテリーに送電したのだ。またも授業中に歌い出す麗子さんのスマホ。考えてみれば元は憂子さんのスマホだったわけだし、あらかじめ何らかの細工をしてから貸してあげたんでしょうね。


「絶対、幽霊の仕業だと思う」

「だから違うって。そうだ、もう教室には持って来ないでおこう。寮に戻っても触らない。これで絶対大丈夫」


 さすがの憂子さんもこうなると打つ手がない。恐怖メッセージや画像は毎日送っているし、寮の外からワイヤレス充電もしているが、麗子さんがスマホを見なければ何の意味もない。万事休すの憂子さん。


「ほら、また左手を机の中に入れている。お行儀が悪いよ」


 スマホから解放されたことで憂子さんへのお小言が始まった。最初の状態に逆戻りだ。憂子さんは見るのが悲しくなるくらい憔悴している。ほとんど病人だ。


「あの、麗子さん。これ読んで。ラブレター、じゃないよ」


 おっ、新しい復讐の方法を思い付いたのかな。今度はどんな手を使うんだろう。麗子さんと一緒に手紙を読む。


『これからの時代はスマホが必須です。いつまでもスマホから遠ざかっていては今後の人生に支障をきたしかねません。頻繁に起きる怪奇現象は幽霊の仕業なのですから、幽霊の話を聞いてその願いを叶えてあげればスマホは元通りになるはずです。次の水曜日の日没後、欅の木の下にひとりで行って幽霊の話を聞き、その願いを叶えてあげてください』


 独りがりもここまで来ると国宝級ね。これじゃ友達ができなくて当然だわ。さあ麗子さんはどうするのかな。


「幽霊ねえ。私は全然信じてないけど、せっかく憂子さんが提案してくれたことだし、やってみてもいいよ」

「ほ、本当に!」

「でも条件がある。次の日曜日ピクニックに付き合って。久しぶりに田舎道を歩いてみたいの」

「あ、はい」


 憂子さん苦渋の選択ね。まあこれくらいの犠牲は払って当然でしょう。


 水曜日はあっと言う間にやってきた。日が沈んで周囲に夕闇が漂い始めた頃、寮の戸が開いて麗子さんが出てきた。真っ直ぐ欅の木に向かって歩いていく。手にはスマホ、そして大型のモバイルバッテリー。これは今日の昼休みに、


「途中で、電池切れにならないよう、バッテリー、持って行って」


 と憂子さんから渡されたものだ。隠しカメラでも仕込んであるのかな。


「憂子さんは……いないみたいね」


 空高く浮かんで周囲を見回しても憂子さんの姿はない。ふたりよりひとりの方が恐怖も倍増すると考えたのかな。憂子さんの技術力ならかなりの遠方からでも容易に麗子さんのスマホを操れるでしょうし、今頃は自宅で麗子さんの様子を観察しているのかもね。


「えっとまずは自撮りね」


 今回は自撮り棒なし。前回と同じように欅の木をバックにしてシャッターを切る麗子さん。


「どうかな……あっ、写ってる」


 スマホを見ると欅の陰から襲い掛かろうとしている女子生徒が背後に写っている。振り上げた右手に握っているのは包丁。前回よりも恐怖度がかなりアップしたわね。だけど麗子さんはまるで動じない。


「で、幽霊さん、お願いって何?」

「この学校から出ていけ!」


 おお、スマホから声が聞こえてきた。甲高かんだかくてしわがれて、まるで首を絞められた鶏の断末魔みたいな声。脅かそうという意図は感じられるけどちょっとわざとらし過ぎない? でも文字ではなく声で会話しようというその努力だけは認めてあげるわ、憂子さん。


「それは無理。転校してきたばかりだもの。別の願いはないの?」

「ない。出ていけ。おまえの顔なんか二度と見たくない」

「だから無理だって。お金だって必要だし」

「金やるから出ていけ。さっさと転校しろ」

「転校ってそう簡単にできるものではないのよ。いくら幽霊の頼みでも無理なものは無理」

「ならば呪い殺してやる。それでもいいんだな」

「ぷぷっ、呪いなんてあるわけないよ。やれるものならやってみれば」


 麗子さん、本当に物怖じしないわね。普通の女子生徒ならもうちょっと怖がるんでしょうけど。相手が悪かったわね。


「きゃっ!」


 いきなり麗子さんが声を上げた。スマホとバッテリーが地面に落ちる。えっ、何が起きたの。


「どうだ、わかっただろう。これが呪いの力だ」

「呪い? そんなはずない。ちょっと手がしびれただけよ」


 落ちたスマホとバッテリーを拾う麗子さん。ちょっと待って。なんだか嫌な予感がする。だってバッテリーにしては大き過ぎるんだもん、その謎の機器、危険な細工が施されているような気がしてならない。


「今のはほんの小手調べだ。次は本当の呪いがおまえを襲うぞ」

「いいわよ、襲ってみなさいよ」

「いいんだな。後悔しても知らないぞ」

「後悔なんてしない。幽霊なんていない。呪いなんて存在しない!」

「ならば死ね!」

「きゃあああー!」


 爆発音と麗子さんの悲鳴が同時に聞こえた。鈍い音をたてて欅の木の下に倒れる麗子さん。破損したバッテリーとスマホからは薄っすらと煙が立ち上っている。そしてもう声は聞こえてこない。


「麗子さん、しっかりして」


 急いで近付いたあたしは頬を叩いたり、肩を揺すったり、胸を押して人工呼吸をしようとしたけど、いつものように全て空振りに終わった。ううん、たとえ空振りに終わらなくても結果は同じだったはず。麗子さんはすでに息絶えていた。


 翌朝、全校生徒が体育館に集められ麗子さんの死が伝えられた。

 あたしは完全に寝不足だった。あんな大騒動、数十年に一度あるかないかだったしね。眠ってなんかいられなかったのよ。

 最初に発見したのは寮母さん。外出したまま帰らないので探しに出たところ、欅の木の下に倒れている麗子さんを見つけたってわけ。それからは救急車、警察、鑑識、学校関係者、報道関係者、やじ馬なんかが集まってきてちょっとしたお祭り騒ぎ。結局徹夜しちゃった。


「本日の授業は取りやめです。ホームルームの後は下校してください」


 麗子さんの教室は静まり返っていた。さすがに泣き出す生徒はいなかったけど、かなりショックを受けているのは間違いないわね。特にひどいのは憂子さん。顔が真っ青だった。そして机に突っ込んだ左手を震わせながらスマホに文字を打ち込んでいた。


 ――うそうそうそ違う違うそんなつもりじゃない驚かすだけだったそんなつもりじゃなかったうそうそうそ捕まる?あたし捕まるの?


 あらら、かなり取り乱している。自業自得だから仕方ないわね、ちょっとは反省しなさい。


「みなさんも気になっていると思いますから、現在わかっていることを簡単に説明します」


 先生の話によると事件ではなく事故として処理されているようだった。死亡推定時刻の天候は小雨。そう言えば雨がパラついていたような気がする。で、バッテリーを接続したままスマホを使用していたため接続部が雨に濡れてショート。死因は感電による心臓麻痺。バッテリーの爆発は手にやけどを負った程度で死亡との因果関係はなし。ということらしい。


 ――そうよあれは事故あたしのせいじゃないスマホの感電死なんてよくあることあたしは悪くない麗子さんが悪いあたしは悪くない


 憂子さん、このまま逃げ切りかあ。この世に正義は存在しないみたいね。


「明日からは通常どおり授業を行います。みなさん、麗子さんの分も勉学に励みましょう」


 終了の挨拶をして生徒たちが教室を出ていく。憂子さんもふらふらと歩いていく。気になって後を付いていくと校門ではなく欅の木に向かい始めた。冥福でも祈るつもりだろうか。


「麗子さん、死んじゃった。いなくなっちゃった」


 お、スマホ入力ではなく声に出して喋っている。珍しいわね。少しは改心したのかな。


「つまり、あたしの願いが叶ったってことね。ラッキー!」


 この娘、全然反省してないじゃない。これほどのクズだとは思わなかった。


 ♪ヒュードロドロドロ!


 いきなり憂子さんのスマホが鳴った。メッセージが着信したみたい。これは大珍事よ。誰かが憂子さんに送信するなんてあり得ないもの。


「誰?」


 憂子さんもかなり驚いている。でも送信者を見てもっと驚いた。『麗子』と表示されている。震える指でタップする。


 ――ねえ憂子さん、幽霊がいるのは本当だったみたい。だってあたしも幽霊になってしまったから。今日、日没後、欅の木の下に来て。そしてあたしの話を聞いてあたしの願いを叶えてちょうだい。さもなくば呪い殺すわよ。


「ウソ、でしょ」


 憂子さんが震えている。あたしも震えた。と同時に喜びで胸がいっぱいになった。ついにあたしにも仲間ができたんだ、そう思ったから。

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