本当に怖いのは幽霊ではなく人


 日が暮れると欅の木の周囲は本当に薄気味悪くなる。見えないどこかに知らない何かが潜んでいるような気がして、否応なく不安な気持ちに陥ってしまう。


「こんな時でもスマホに愚痴ってる。ストレスが最高潮に達しているみたいね」


 欅の木の下に立つ憂子さんの顔は残照を受けているのに青白く見える。肩をすくめてスマホを操作する姿が痛ましい。


 ――大丈夫これはイタズラ幽霊のわけがない絶対正体を暴いてやる麗子さんのはずがないイタズライタズラ誰がやっているのどうしてあたしだって知ってるの


 まあそう考えるのが普通よね。ひょっとして憂子さん、昨日は自宅ではなく学校の近くで操作していたのかもしれない。そこを誰かに見られたのかもって疑っているのかな。


 カシャ!


 シャッター音。憂子さんの自撮り終了。さっそく画像をチェック。


「い、いる……」


 憂子さんの声が震えた。制服姿の麗子さんが憂子さんの背後に写っている。そしてにっこりと笑った。


「こんばんは憂子さん。来てくれて嬉しいわ」


 音声が聞こえてきた。スマホの中の麗子さんが口を動かして喋っている。うわ、これ動画じゃない。やっぱり本物の幽霊だけある。静止画だった憂子さんのニセ幽霊より一枚上手だわ。


「麗子さーん、あたしも幽霊なのよ。見える? 聞こえる?」


 さっそくスマホの麗子さんに向かって手を振ったり両手を打ち鳴らしたりする。でも全然気付いてくれない。スマホの中じゃなくて現実世界に出現してほしかったなあ。そうすれば低レベル幽霊のあたしの姿だって見えたかもしれないのに。


 ――おおまえは誰だ目的は何だ正直に言え


 憂子さん、こんな時でもスマホに打ち込むのね。麗子さんの動画と重なって読みにくいったらありゃしない。


「私は麗子よ。あなたに殺された麗子。幽霊になって戻って来たの。あなたにお願いするために」

 ――ウソだ幽霊なんているわけがない

「ねえ憂子さん、あたしが何もかも知っていたってあなたは知っていた?」

 ――いいから正体を言え麗子に頼まれたのか金が欲しいのかそれとも

「キャウ!」


 悲鳴を上げてスマホを落とす憂子さん。右手で左手を押さえている。地面に落ちたスマホから麗子さんの声が聞こえた。


「電気ショックの味はいかが? スマホのバッテリーって怖いわよね。下手をすると人を殺せるんだから」

「あ、あなた、どうやって、あたしのスマホに、細工を」

「私は幽霊だもの。それくらい簡単にできるわ。ねえ、少し落ち着いて私の話を聞いてくれない。次は手がしびれるだけではすまないわよ」


 憂子さんがスマホを拾った。高ぶっていた気持ちが幾分収まったように感じられる。電気ショックの力って偉大よね。


「話って、何?」


 おっ、憂子さん、スマホではなく声で会話を始めた。これなら読まなくていいから楽。


「最初からわかっていたのよ。憂子さんが私を鬱陶しく思っていることも、スマホを貸してくれたのは親切心からではなく私に復讐するためだってことも、背後に写った幽霊や送信されてきたメッセージや画像は憂子さんの仕業だってことも、そして私を学校から追い出すために欅の木の下に誘い出したことも、全てわかっていたのよ。わかっていて知らないふりをしていたの」


 うわー、そうだったの! あたしもだまされちゃった。麗子さんもかなりの小悪党じゃない。


「ふ、ふーんそうなの。で、それがどうしたって言うの。そんなのただの思い込みじゃない。そもそも証拠がないでしょ。言っとくけどあなたへの送信にはネットを使ってないから。あたしが使ったのは無線ダイレクト通信。それも送信者を特定できない方法でね。これはあなただけじゃない。他の全生徒に対しても同じ。だからキャリアの通信記録なんか調べてもムダよ。使ってないんだから」


 スマホをトランシーバーみたいに使っていたってことか。憂子さんもかなり用意周到ね。


「そうね。あなたがあたしに貸してくれたスマホも完全に壊れてしまったから証拠はない。でもそんなことはどうでもいいの。別に憂子さんに謝罪してほしいとは思っていないから。ただひとつ、お願いを聞いてほしいだけ」

「お願い? 言ってみなさいよ」

「スマホから離れてほしいの。できるならスマホとは永遠に手を切ってほしいの」

「ふん、バカバカしい。できるわけないでしょ」

「いいえ、その気になればきっとできる。ねえ憂子さん、スマホなんか無くても人生は十分楽しめるわ。休日に街歩きをした時のワクワク感。ピクニックに行った時に見上げた空の青さ。校庭での日向ぼっこ。スマホなんかないのに私たちはとても楽しかった。そうでしょう」

「それはあんただけよ。あたしは全然楽しくなんかなかった。スマホを触りたくて気が狂いそうだった。スマホの無い人生なんて考えられない。死んだ方がまし」

「本当にそう思うの? 死んだ方がいいの?」

「しつこい! 死んで幽霊になったとしてもあたしはスマホを触り続けてやる」


 それはレベルの高い幽霊にしかできないんだよ。あたしなんかスマホどころか自分の顔にさえ触れないんだから、って言うか顔自体が無いし。


「意思は変わらないか……ねえ、もう一度考え直してくれないかな。あたしと一緒に過ごした時間、スマホを触らずに過ごした時間、思い出してみて。あの時間は本当に楽しくなかったの? つまらなかったの? たとえスマホが無くても人は幸せになれると思わない」

「思わない! 何度言われてもあたしの気持ちは絶対に変わらない。わかった? わかったなら消えて。二度とあたしのスマホに現れないで」

「それが憂子さんの結論なのね。わかりました。残念です。さようなら」

「ウッ!」


 憂子さんの低い唸り声が聞こえた。左手から滑り落ちたスマホが白い煙をあげて地面に転がる。そして憂子さんの体もまた崩れ落ちるように倒れた。


「憂子さん!」


 あたしは急いで近寄った。頬を叩き、肩を揺すり、胸を押して人工呼吸しようと思ったけどやめた。したくてもできないから。それにたとえできたとしても同じこと。麗子さんの時と同じだ。


「こんなこと、したくなかったのに」


 麗子さんの声だ。しかもスマホからじゃない。あたしの背後から聞こえる。


「ええっ!」


 振り向いたあたしは腰が抜けそうになるくらい驚いた。だって麗子さんが立っているんだもん。スマホで見たのと同じく制服姿。やけどした左手には包帯を巻いている。スマホが壊れたから現実世界に出てきたのかな。とにかく挨拶しなくちゃ。


「麗子さん、見える? あたしも幽霊なの。会えて嬉しい」


 抱き着こうとしたあたしの両手は空振りに終わった。頭を撫でる、肩を叩く、足を蹴る、ダメだ。全て空振り。現実世界に出現してもあたしは認識されないのね。


「同じ幽霊同士なのに交流できないなんて。いくらレベルが低いからってひどすぎない。これじゃあたしは永遠にひとりのままじゃない」


 意気消沈のあたしを完全に無視して麗子さんは歩いていく。そして憂子さんの傍らにひざまずくと頬を撫でた。


「許してね、憂子さん。こうするよりほかに仕方がなかったの」

「んっ、ちょっとおかしくない?」


 幽霊のくせに普通に憂子さんに触っている。どういうこと? よく見ると手にスマホを持っているし、街灯に照らされて影ができているし、風に吹かれて髪が揺れているし、麗子さん、本当に幽霊なのかな。妙に現実感があるんだけど。いや、でも亡くなったって言っていたし、急に出現したし、やっぱり幽霊? なんだかわからなくなってきちゃった。


「もう行くわ。さようなら」


 それがあたしが聞いた麗子さんの最後の言葉。まるで欅の木に吸い込まれるように麗子さんの姿は消えてしまった。


「急に消えちゃったし、やっぱり幽霊?」


 その日の夜はさらに大騒ぎになった。憂子さんが帰宅しないので家族が警察に連絡。欅の木の下で事切れている憂子さんを発見。救急車、警察、鑑識、学校関係者、報道関係者、やじ馬などなどが詰めかけてお祭り騒ぎ。あたしは連日の徹夜。眠いったらありゃしない。


「今日から授業を始める予定でしたが、予期せぬ事態が発生したため今日も授業は取りやめです。ホームルームの後は下校してください」


 2日続けて生徒が亡くなったことで学校側も大混乱。でも憂子さんと同じクラスの生徒たちはそれほどでもない。なんとなくシラケた雰囲気。憂子さん、想像以上に人望がなかったみたいね。


「また事件じゃなくて事故扱いか」


 前回同様死因は感電による心臓麻痺と判断された。まあこればっかりは仕方がない。幽霊の呪いで死んだなんて、たとえそれが真実だとしても立証不可能だもの。


「それよりも意外だったのは麗子さんね」


 あろうことか麗子さんの遺体が消えてしまったのよ。

 これは後でわかったんだけど、一昨日、麗子さんが病院へ運ばれた際、保護者に連絡を取ろうとしたの。でも電話は全然繋がらない。直接家に向かおうとしても名簿の住所は存在しない。転校時に提出した在学証明書や住民票などの書類は、どうやら全て偽造されたものだったみたい。

 学校側も遺体の処置をどうするかで頭を悩ませていたのよね。だから麗子さんの遺体が消えちゃったことは学校側にとってはむしろラッキーだったみたい。


「やっぱり昨日現れたのは、幽霊なんかじゃなくて麗子さん本人だったんでしょうね」


 きっと麗子さんは死んでなかったんだ。死んだふりをしていただけ。そしてこっそりと病院の遺体安置室を抜け出し、憂子さんを欅の木の下に誘い出し、命を奪った。その理由はわからないけど、そうとしか考えられない。


「ホント、人って怖いわよね。何を企んでいるのかわからないんだもん」


 教室の生徒たちは相変わらずスマホをいじっている。最近はネットゲームが大流行だ。スマホに表示されているゲーム画面はまるで本物みたいにリアル。


「ネットの世界にも幽霊って出るのかな。もしあたしがネットの中に入れたら、姿も声も認識してもらえるようになるんじゃないかしら。だってネットの中ではみんな仮の姿で存在しているんでしょう。あたしも仮で構わないから自分の姿が欲しいなあ」


 生徒の背後からスマホを覗き込む。この学校のホームページが表示されている。これは去年の文化祭レポートね。同じ年頃の男子生徒に出会える年に一度のチャンス。賑やかな画像がたくさん掲載されているなあ。あっ、うどん食べてる男子、あたしのタイプ。お友達になりたい。あたしもあの男子の横に立って一緒にうどんを食べたいなあ。


「あれ?」


 いつの間にかあたしの周囲には見慣れない景色が広がっていた。いや違う。この景色、どこかで見たことがある。ああ、そうだ、さっき見たスマホの画面だ。


「えっ、じゃあ、あたし、ネットの世界に入り込めたの?」

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