第4話 ネットの中にも出るらしい
誰も登校してこない
寝過ぎたなあ。ここんとこうつらうつらする日が多いんだよねえ。まあ仕方ないでしょう、何もすることがないんだから。
幽霊になって350年。この狭い敷地の中に閉じ込められて女子生徒たちを観察するだけの日々。いい加減飽きてきちゃった。眠くなるのも当たり前よね。
「しかも最近は誰も登校して来ないんだよねえ」
理由は簡単、学校が無くなっちゃったから。
と言っても廃校になったわけじゃないのよ。学校の建物が無くなったってのが正しい表現ね。
200年くらい前にタチの悪い感染症が流行したんだけど、その時に遠隔学習ってのが全国規模で展開されたのよ。学校での感染を防ぐために教室ではなく自宅で授業を受ける方式。
感染症の流行が収まっても遠隔学習の利点が見直されて、結局それ以降もずーっと続くことになっちゃったのよね。
「あの頃はまだよかったなあ。全然来ないってわけじゃなかったから」
自宅で受けるのは座学に限られていて、体育の実技とか理科の実験とかクラブ活動とか修学旅行とか文化祭なんかは今までと同じように行われていた。だから生徒に全然会えないなんてことはなかった。だけど、
「こんな形で科学技術が利用されるなんて、ちょっと間違っている気がするなあ」
って思うような変革が起きたの。
仮想現実の完全化。
大きなデバイスに全身を埋め込んであらゆる情報をデータ化し送受信できるようになったの。データ化できるのは視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感だけじゃなく、筋肉の動き、発汗、呼吸などの生体情報までも含まれているのよ。
「こうなると学校に行かなくても現実とまったく同じ体験ができちゃうのよね」
実際にコートに立たなくてもサッカーの試合だってプレイできちゃう。
視覚にはサッカーコートに立った時に目に映る風景の情報が送られ、
聴覚には選手たちの声や審判の笛やボールが弾む音の情報が送られ、
触覚には顔に吹き付ける風やボールの衝撃や相手との接触の情報が送られ、
全身の筋肉には走る速度に合わせて負荷の情報が送られて運動量とともに疲労を蓄積させ、体温を上昇させて発汗させ、心拍数と血圧を上げさせ、呼吸を荒くさせ、選手の技術力と持久力を加味してプレーの正確さを決める。
自宅にいながらコートでサッカーをしているのと寸分違わぬ現実感で体育の授業を受けられるってわけなのよ。まあたかが高校の授業でここまでリアルに再現することは実際にはないんだけど。
「確かに安全性の面から考えれば優秀な方式よね。ラフプレーを受けて痛みの情報が送られてきても、それは脳が痛いと感じるだけで実際には全然ケガしていないんだから」
初期の段階ではデバイスやプログラムを改ざんして不正を働く生徒もいた。
けれども厳密な監視システムが開発されて個人による不正が100%の確率で発見されるようになると、この方式は体育の授業やクラブ活動だけでなく、高校総体や各種大会なんかにも採用され始めた。修学旅行や文化祭、卒業式みたいな学校行事は言うまでもないわよね。
やがて自宅から一歩も出ないで仮想世界の中だけで高校生活を送れるようになっちゃった。そうなると校舎なんか不要でしょ。だから無くなってしまったってわけ。その代わりに設立されたのが学校システム運営センター。現在は学校だった敷地のほとんどがこの建物によって占められている。
「しかもこの施設、完全に無人化されているのよねえ」
センターを管理しているのは人工知能。年に数回、保守と点検があるけど作業員が来るわけでもなくメンテナンスマシンが作動するだけ。
そしてあたしは相変わらずこの敷地内に閉じ込められている。もう学校だなんてとても言えない空間に変貌してしまったんだし、あたしの監禁も解除してくれてもいいんじゃないのかなあ。
「これだけか、昔の名残を留めているのは」
どうしてそれが残されているのか、その理由はわからない。かつてはあたしの浮上可能な高さを制限していた欅の木。校舎の取り壊しが決まった時、慰霊碑や遺品の塚の撤去と同時にこの欅の木も切り倒されたんだ。
「あたしからケヤキちゃんを奪わないで! うわーん、悲しいよおー」
地面に転がる欅の木を見た時には泣いたなあ、って言っても幽霊だから涙は出ないんだけど心の中は土砂降りだったよ。あの時ほど人への憎悪をかきたてられたことはなかったね。しばらく立ち直れなかった。
「あ、芽だ!」
でも欅の木はすぐ立ち直った。切り株から萌芽が伸びてきたんだよ。今では結構な高さにまで成長している。幹は折られても心までは折られない不屈の精神、見習いたいものだわ。
「おまえとは幽霊になった時からの付き合いだもんね」
この欅の木には幼馴染のような親近感を感じているのよねえ。まだ幹とは呼べないほど細い木なんだけど、このまま切り倒されることなく一緒に時を重ねていきたいものだと思ってる。
「おや、始まるみたいね」
センターからチャイムが聞こえてきた。学校の開門を知らせる合図。現実世界で鳴らしたって聞いている人なんて誰もいないのに、人工知能が鳴らすと決めたから鳴っているみたい。妙な部分で学校の真似をしたがるんだよなあ、人工知能ちゃん。
「さて、行きますか」
壁をすり抜けてセンターの建物の中へ侵入する。向かうのはディスプレイがズラッと並ぶ中央管理室。ここには学校システムにログインした生徒や職員のデータが表示されることになっている。まだひとつも表示されていないのはいつものこと。授業開始の予鈴が鳴ってようやく表示が始まるのよね。
そしてそれらを監視するかのように対面に置かれた中央ディスプレイ。こちらは24時間稼働中。あたしはその表面に手を伸ばして念じる。
「
一瞬で周囲の風景が変わった。そこは人工知能が作り出した仮想世界の学校。校庭も教室も体育館も欅の木も何もかもが取り壊される前の学校と同じように再現されている。
ついでに女子生徒しかいない点も同じ。どうせ仮想世界なんだから男子生徒のモブキャラくらい登場させてくれてもいいと思うんだけどなあ。本当に融通の利かない人工知能だ。
「この能力がなかったらマジで眠り続けるしかなかったでしょうね」
ネットの世界に入り込める能力。獲得してから200年くらい経つのかな。
あれは本当に偶然だった。ネットに接続できる機器が普及し始めてOSを搭載した携帯機器を持ち歩くのが当たり前になった頃のこと、生徒が操作していた機器の画面を見て、
「この中に入りたいなあ」
って思ったのよね。そしたら入れちゃった。びっくりした。自分にそんな能力があるなんて夢にも思わなかったから。
「ネットの他にも非現実の世界はたくさんあるわよね。もしかしたらそれらの世界の中にも入れるんじゃないかな。ちょっと試してみようっと」
調子に乗ったあたしは様々なモノの前で「入れ!」を連発した。絵画、テレビ、写真、絵本、小説などなど。しかしそれらは全て不発に終わった。どうやら入れるのはあくまでもネットの世界に限られているようだ。
「それでも新しい能力を獲得したってことは、ひょっとしてあたしの幽霊レベルが上がったのかな」
なんて思ったけど、どうやらそうではなかったみたい。相変わらずあたしの姿も声も認識されないし視覚と聴覚しか持っていなかったから。
幽霊レベルは相変わらず最低、にもかかわらず新しい能力が発動したのは、たぶんこの能力も視覚や聴覚と同じく最初から所持していただけなんじゃないかと思う。ただネットなんて技術がこの世に存在しなかったから、使うに使えなかっただけなんだ。
「あたしの中で眠っていたこの特殊技術を使う時が来たってことなのね」
なにしろあたしは「動け」って思うだけで動けるし、「浮け」って思うだけで空を飛べる。「入れ」って思うだけでネットの世界に入れたとしても不思議でもなんでもないでしょ。
「じゃあ「食べる」って思っても食べられないし「触る」って思っても触れないのはどうしてなんだろう」
それはたぶん幽霊レベルが低いからなのよ。つまりネットに入るという能力は基礎的な能力のひとつなんだろうなあ。
それにネットに入れると言っても極めて限定的だったのよね。この女子校のホームページにしか入れないの。そしてそのホームページの中でしか動けない。ネットは全世界と繋がっているから自由に動き回れると思っていたのに大誤算。
「なによこれ、ネットの中でもこの学校の中に閉じ込められているなんて。こんな能力、何の役にも立たないじゃない」
そんなわけでせっかく使用可能になった新能力もほとんど使うことなく校舎取り壊しの日を迎えたのよね。
誰も学校に来なくなり、寂しくて敷地内をうろうろしていたある日、新設された学校システム運営センターの中で大きなディスプレイを見付けた。手を伸ばして「入れ」と言った途端、あたしの世界は変わった。そこはかつての学校そのものだった。校舎がある。欅の木が立っている。そして生徒たちがいる。本物じゃないただの映像だってことはわかっているけど、話し、笑い、動き回る生徒たちの姿を見ることができる。嬉しかったなあ。
「とは言っても何もかもが同じってわけじゃなかったんだなあ」
それが顕著に表れるのは登下校の時。
当たり前だけどこの仮想世界では学校の周囲の風景もちゃんと再現されている。空には雲が流れ、塀の向こうには民家も道路も信号も商業施設もある。
でもそれらは本当にただの映像。見えているだけで存在していない。だから生徒が登校する時はいきなり校門の内側に姿が出現する。現実の世界なら校門の遠方から人影が見えてきてそれが次第に大きくなり校門をくぐる、ってなるでしょう。
だけどここは仮想世界の学校。校門の外は設定されていない世界。よって生徒たちはログインするとすぐ校門の内側に姿を現すってわけ。
「何度見ても不気味よねえ。何もない空間にいきなり姿が現れるんだもん」
下校する時も同じ。校門をくぐって外に出るとその瞬間に生徒の姿は消える。まるで幽霊みたいに。もちろんあたしは外に出られない。学校の敷地の中に閉じ込められているのは現実世界と同じ。
「他にも似たような場所が2カ所あるのよねえ」
ひとつはトイレ。これは生徒たちが用を足したくなった時、デバイスから離れて現実のトイレへ行く必要があるから。トイレの戸を開けて中に入った瞬間、生徒の姿は消えて強制的にログアウトする。
「もうひとつは食堂」
現実世界でお腹が空いて食事をしたくなったら、仮想世界の食堂へ入ることになっている。この場合も強制ログアウトとなって生徒たちはデバイスから離れ現実の世界で食事をする。お昼は一斉に生徒たちの姿が消えるのよね。食事風景が見られなくなったのは本当に残念。
「あれも数少ない楽しみのひとつだったのになあ。今の生徒たちはどんな料理を食べているんだろう」
だけど排泄と食事もログアウト不要になる日は近いような気もするの。マラソンなんかは走りながら給水するでしょ。水を飲むたびにログアウトしていたら競技にならないじゃない。だからデバイスに給水装置を組み込んで競技をする遠隔マラソン大会がすでに開催されている。もちろん排泄装置を完備したデバイスだってあるんだけど、こちらは相当値段が張るので一般には普及していないみたい。
そのうち学校の外の世界も設定されて現実とまったく同じ世界がネットの中に出現するんじゃないのかな。そうなったらあたしは学校の外に出られるような気がする。早くその日が来ないかなあ。
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