第3話 スマホの中にも出るらしい

みんな下を向いている

 幽霊は年を取らない! あたしは永遠の17才!


 ってのがあたしの持論だったわけだけど、幽霊になって100年ぐらい経った頃から老いを感じるようになってきた。

 老いって言ってもシワや白髪が増えたとか、足腰が弱くなったとか、ケガがなかなか治らないとか、そういう肉体的なことじゃないのよ。そもそも体がないんだから老化しているのかしていないのか確認もできないし。


 あたしが感じているのは、

「やっぱり心も老いるのかなあ」

 ってこと。


 世の中の動きに付いて行けないのよ。進歩が速すぎるって言うのかなあ。

 1年くらいウトウト眠っていると生徒たちの話題に付いて行けなくなっちゃう。それぐらいここ数十年の変化は目まぐるしかった。

 人を乗せたロケットがお月様に到達し、人工衛星をばんばん打ち上げ、電線は網の目のように張り巡らされ、情報を乗せた電波があまねく行き渡る。何もかもが時間に縛られて誰もがせっかちに動き回っている現代社会。


 あたしが幽霊になったばかりの頃はもっとのんびりしていたような気がする。

 生徒たちはほとんど徒歩で通学。人力車や自転車を使う娘もいたけど人の力で動かす点は同じでしょ。

 それが今はバスや電車や自家用車に変わっちゃった。まあ自転車は相変わらず現役なんだけど、変速ギヤが装備されていたり電気で補助するタイプもあって、最初の頃とはかなり様変わりしている。


「そして一番変わったのがあれね」


 校門をくぐって登校して来るたくさんの女子生徒たち。その半数近くが小型の機器を手に持っている。中にはそれを見つめたり操作したりしながら歩いている者もいる。もはやこれなくしては生活が成り立たないほどの必須アイテム、スマホ。

 それ以前にも似たような通信機器はあったのよ。ポケベルとかPHSとかケータイとか。でもあっと言う間に廃れちゃって今はスマホが主流。少し経てばまた廃れて別の機器になるのかと思うと気が重くなる。


「ようやく覚えたと思った頃に変わっちゃうんだもん。疲れちゃうよ」


 とにかく覚えないと生徒たちが何を喋っているのかまるで理解できないわけよ。メールだのチャットだのラインだの、本来の意味とは微妙に違う意味で使われている単語が山ほど出てくるんだから。


 あたしの場合、実際に使っているわけじゃなく生徒たちが使っているのを見たり聞いたりしているだけ。そのせいかなかなか覚えられない。ほら、習うより慣れろって言うでしょ。実際に自分で経験を積まないと身に着かないものなのよ。

 で、やっと話に付いて行けるようになったらまた違う機器、また意味のわからない言葉、また一から覚え直し。ずっとこの繰り返し。

 この年頃の女子ってただでさえ身内でしか通じない言葉を使いたがるでしょ。油断しているとお喋りの内容が全然理解できなくなって、まるで外国に迷い込んだ気分になっちゃう。


「それなのに変わってほしいことはずっとそのままなのよね」


 いつまでも同じで不満に思っていることはふたつある。

 ひとつは共学。この学校、まだ女子校なのよ。他の学校は合併したり新たに男子の募集を開始したりして着々と男女共学の道を歩んでいるのに、ここだけは高等女学校の雰囲気のまま。

 毎年定員を超える志願者がいるから社会のニーズはあるんだろうけどあたし的にはもう十分って感じ。

 唯一の救いは学園祭。その数日間だけは招待券を持ってさえいれば男子でも幼児でも老人でも校内に立ち入れる。年1回のあたしの楽しみ。


「もうひとつはあたしのレベル」


 幽霊になって140年ほどが過ぎようというのに最初の頃と全然変わってない。相変わらず学校の敷地からは出られないし、所有能力は視覚と聴覚だけ。あたしの姿は誰にも見えないしあたしの声は誰にも届かない。物理的な接触も不可。他の幽霊に出会ったこともない。

 どうすれば幽霊レベルを上げられるんだろう。そもそもレベルなんてものはなくて、あたしは元々こういう存在なのかなあ。とすれば諦めるしかないのかなあ。つまんない!


「長生きなんてするもんじゃないわね」


 世の中のことなんか放っておいてずっと眠り続けていれば、変化する通信機器も男女共学もあたしのレベルもそれほど気にはならないんだろうけど、それじゃ退屈過ぎるのよ。

 わずかでも好奇心が残っているってことは、まだまだ若いってことなのかな。それはそれで嬉しいけど。


「おまえも頑張ってるよね」


 数十年前に雷が落ちて半分に裂けてしまった欅の木は、手厚い世話のおかげでなんとか生き永らえている。

 余計な枝葉を取っ払ってしまったので、かなり小さくなっちゃった。今ではあたしが浮かび上がれる高さを制限しているのは欅じゃなくて校舎。

 かつての威厳はすっかり地に落ちてしまったけど、あたしよりも長く生きているこの木が頑張っているんだからあたしも頑張らなくちゃ、最近はそうやって自分を励まして世の中の動きに付いて行こうと努力している。


「ねえ、お昼行こう」

「うん。今日は何を食べようかな」


 ぼーっとしているうちにお昼休みになっちゃった。今はお弁当を持ってくる生徒はほとんどいない。戦後20年ほどして焼け跡に残っていた旧校舎が取り壊されたんだけど、その時に食堂も新設されたのよ。


「うはっ、何なのこのお料理!」


 驚いたわ、提供されるメニューの豊富さに。それまであたしって生徒や先生のお弁当しか見たことがなかったでしょ。サンプル画像を見ただけでヨダレを垂らしそうになっちゃった。


「あたしも食べたい!」


 あの頃は毎日テーブルに並ぶ料理をつかみ取ろうと無駄な努力をしていたなあ。幸せいっぱいの顔で食べる生徒たちが本当に羨ましかった。

 だけど慣れって怖いわね。だんだん感動が薄れていった。メニューは季節ごとに変わるし、数年ごとに大幅な見直しも行われるんだけど、そこに新鮮味を感じられなくなってきた。だって食材も調理法も調味料も基本的に同じなんだもの。そうなると不思議と昔のお弁当が思い出されてくるのよね。


「はあ~、卵焼きと塩鮭、懐かしいなあ」


 こんなため息まで出るようになっちゃった。一応メニューにはあるんだけど注文する生徒はほとんどいないから滅多にお目にかかれないの。

 こういう時なのよ、自分の老いを感じるのは。これじゃまるで日当たりのよい縁側でお茶をすすりながら、


「昔はよかったねえ、ずずっ」


 なんてつぶやいているおばあさんだよ。人も幽霊も昔を懐かしむようになったら、棺桶に片足を突っ込んでいると思った方がよさそうね。あ、幽霊は片足だけじゃなくすでに全身棺桶に入っているか。死んでるんだから。


「お、そのカツ美味しそう。一切れもーらい」

「こらあ! じゃあお返しに唐揚げいただくね」


 昔の食堂はこんな会話があちこちで聞かれていたし、人のおかずも平気で分捕っていた。

 でも今は授業中みたいな静けさの中でみんな大人しく食事をしている。それもこれも20年くらい前に流行したタチが悪い感染症のせい。会話による飛沫の飛散を防ぐために黙食が当たり前になっちゃったのよ。数名ずつ集まって食事をしているけどお喋りの声はほとんど聞こえてこない。だからってお喋りしていないわけじゃないのよね。


「さてさてどんなお喋りをしながら食べているのかな」


 あたしは食事中の生徒の背後に回り込んだ。肩越しにテーブルを覗き込むと傍らにスマホを置いて食べながら操作している。そう、口ではなくスマホを使って文字でお喋りしているのよ。


 ――次の体育持久走だって ゆううつ

 ――バテないようにたくさん食っとけ

 ――たくさん食ったら体重が増えて早く走れなくなるんじゃね

 ――遅くても完走すれば合格 リタイアは不合格 結論 食っとけ


 いつも通りの他愛もない無駄話。最初の頃は文字でのお喋りなんて楽しいのかなあって思ってたんだけど、声でのお喋りにはない利点がたくさんあることに気付いた。

 口に食べ物が入っていてもお喋りできる。離れた場所にいる人ともお喋りできる。字を読むので聞き間違いがない。声だとうっかり喋っちゃったりするけど、字は送信する前に確認できるし訂正できる。過去の発言を閲覧できる。などなど。


「でもみんなが見ているのは本物じゃないのよねえ」


 表示される文字は声ではないし、映し出される相手の表情も画像にすぎない。言って見ればディスプレイに表示された料理を見ながら食事を楽しむようなものだ。

 それで本当に美味しいと思えるのかなあ。相手から文字のメッセージを100回もらうより、実際に顔を見合わせて握手したほうが伝わるものは多いんじゃないかなあ。うつむいてスマホを操作する生徒たちを見ていると孤独に思えて仕方ないのよね。


「すみませーん、そこの席、空けてくれませんか」


 おっ、珍しく音声による会話発生。食堂の一番奥に数人の生徒が集まっている。対する相手はひとり。さっそく現場に移動して見学。


「えっ、ここ、私が先に座った席……」

「わかってまーす。でもあなたはボッチ。こっちは6人。で、そこは5席空いている。つまりあなたがどいてくれれば6人全員座れて全て丸く収まるんです」

「でも、まだ、食べている、最中」

「心配要りません、お手伝いしますから。窓際の特等席にお運びしますね」

「あっ……」


 有無を言わさずひとりがパスタの皿を持ち上げ、ひとりがサラダの小鉢を手に取り、ひとりが水の入ったコップをつかんで、窓際のテーブルへ運んで行った。校章の色から判断すると2年生か。言葉遣いは丁寧だけど地上げ屋みたいな強引さね。慇懃無礼いんぎんぶれいのお手本みたいな生徒たちだわ。


「はい。それでは移動お願いします」


 為す術なくフォークを持ったまま席を立ち、用意されたテーブルへ移動する気弱生徒。こっちは3年生。ああ、いつもひとりでいる憂子ゆうこさんか。あたしは一日のほとんどを3年生の教室で過ごしているから名前はだいたい覚えているんだ。今時珍しい三つ編みおさげの眼鏡っ。いつも無口で誰かとお喋りしている場面は一度も見たことがない。


「上級生らしくもっと毅然とした態度で臨めばいいのに」


 この学校は自由平等の理念を掲げているので学年間の上下関係はあまり感じないんだけど、それにしても少々目に余る行為だ。


「お仕置きしてやらなくちゃ」


 無駄だとわかっていても頬を引っ叩いてやりたくなる。料理の皿を持って着席した生意気2年生に近付いて右手を振り上げると、


 ♪じゃんじゃんじゃん、じゃじゃじゃんじゃん……


 突然大音量の勇ましい曲が食堂に鳴り響いた。おお、これは懐かしの軍艦マーチ。慌てふためくさっきの2年生。


「えっ、鳴ってるのあたしのスマホ? ウソでしょ」

「なに、その着信音。趣味悪。それに学校ではマナーモードにしておきなよ」

「違う。こんな曲選んでないしマナーにしていたはず。それに着信もないし。故障かな。うわー恥ずかしい!」


 これだから電子機器は嫌いなのよ。形あるものいつかは壊れるの精神で作られているんだから。まあこれだけ大っ恥をかいたのなら頬を引っ叩くのはやめといてあげましょう。どうせ無駄な行為なんだし。


「ふふ」


 窓際のテーブルに移動した憂子さんがほくそ笑んでいる。彼女も溜飲を下げられたみたい。よかったわね。

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