本当に怖いのは幽霊ではなく人

「で、出たあー!」


 ユウとユッコとあたしが同時に叫んだ。でも勇子さんは大胆にも男を睨み付けたまま欅の木に歩み寄った。女子生徒にしておくのがもったいない気丈さね。


「あんた何者だ。そんな所に浮いていないで降りて来な」

「何者とは心外だな。おまえたちがウワサしている幽霊に決まっているだろう。遠路はるばる婚約者に会いに来たのだ。おまえがオレの婚約者か」

「ふざけるな!」


 勇子さんが石を投げつけた。見事に命中、せずに、石は男の体を素通りして幹に当たった。明らかに人ではない。


「本物よ、本物の幽霊なのよ」

「逃げよう勇子。取り憑かれるぞ」


 ユウとユッコは茂みの陰に隠れてしまった。あたしは複雑な心境だった。


「この幽霊、どうやら本物みたい。じゃあこの人があたしの婚約者ってこと? うわー、ちょっと遠慮したいなあ」


 だってどれだけひいき目に見ても中年のおじさんなんだもん。戦闘で死んだんじゃなくてどこかで捕虜になって十数年後に死んだのかな。おまけに顔の半分は焼けただれているし、左脚は変な方向に曲がっているし、こんな有様なら会いに来てくれないほうがよかったかも。


「悪いけどあたしも隠れさせてもらうね」


 幸いなことに本物の幽霊はまだあたしに気付いていないようだ。まあ、いつものように見えてないだけなのかもしれないけど。念のため見付からないように慰霊碑の陰に身を潜めて成り行きを見守ることにした。


「おまえたちの悪行、ずっと見ていたぞ。我が名をかたって金銭を巻き上げるとは言語道断な振る舞いだ」

「ああそうかい。だからってあんたに何ができるんだ。あたしたちを警察にでも突き出すのか。やれるものならやってみろ」

「この世の罰などでは手ぬるい。おまえにはあの世で罰を受けてもらう。しかし生き方を変えるのなら全てを許してやってもよい。金への執着を捨てろ。自立しようなどと思うな。縁談に応じることこそがおまえの正しい生き方なのだ。無駄な悪あがきはやめて嫁に行け」

「地獄の沙汰も金次第って知らないのか。この世で一番大事なのは金なんだよ」


 この幽霊、なんだか礼子さんと同じようなことを言っているわね。あれ、そう言えば礼子さんはどこ? 姿が見えないじゃない。


「どうしたんだろう」


 気になって慰霊碑の陰から出て宙に浮いた。いない。早々と逃げちゃったのかな。宿直の先生を呼びに行ったのかもしれない。あたしはさらに高く浮いた。


「いた!」


 礼子さんは意外な場所にいた。幽霊が出現している欅の木のちょうど裏側に立っていたのだ。これじゃあ誰からも見えるはずないわよね。


「あんな所で何をしているんだろう」


 下降して礼子さんに近付く。その左手からは薄っすらと光の筋が伸びていて、幹の反対側に浮かんでいる幽霊に繋がっている。右手首には腕輪をはめていて口元に当てている。


「もう一度言う。人は金だけでは幸福になれぬ。良き嫁、良き妻になり良き家庭を築け。真の幸福はそこにあるのだ」

「幽霊にあたしの生き方を指図される覚えはない。縁談なんて断固拒否だ!」

「天罰が怖ろしくはないのか。全てを失うのだぞ」

「やれるものならやってみろ。少しも怖くなんかない」

「そうか、ここまで愚かだとは思わなかった」


 あたしは礼子さんを見つめていた。そして気付いた。幽霊の言葉と礼子さんの口の動きが完全に一致しているのだ。


「この幽霊、ひょっとして礼子さんの仕業なの?」


 不可能なことではなかった。活動写真の上映会はこれまで何度も学校の講堂で行われていたから。動く映像をスクリーンに投影しそれに合わせて弁士が喋る。礼子さんがやっているのはそれと同じ。

 どうやって木の裏側から映像を投影しているのか、どうやって声色を変えているのか、その仕掛けは全然わからない。でも礼子さんは木の裏側で理解できない行動をとっている。何らかの形で関わっているのは間違いないはず。


「きゃ!」


 ユッコが声を上げた。稲光が空を走ったのだ。遅れて雷鳴も聞こえてきた。一雨来るかもしれないわね。


「言いたいことはそれだけか幽霊。ならさっさと成仏しろ。ここにはおまえの探す婚約者などいない」


 そうね。あんな婚約者ならそういうことにしてもらっても構わないわ。もっとカッコイイ幽霊なら喜んで「あたしが婚約者です!」って名乗り出たのになあ。


「わかった、成仏しよう。だがおまえも道連れだぞ。いいのか」

「簡単に連れて行けると思うな。とことん抵抗してやる」

「もう一度言う。考えを改めろ。嫁に行け。平凡な暮らしを受け入れろ」

「死んだってお断りだ!」

「そうか。実に残念だ」


 礼子さんの口からため息が漏れた。同時に左手から発している光の筋が太くなり激しい閃光を放った。


「さようなら、勇子さん」


 周囲に轟音が鳴り響いた。あたしは目を閉じた。閉じていても眩しい。


「な、何が起きたの」


 光が薄れていく。ビクビクしながら目を開ける。欅の木が半分に裂けて煙が上がっている。遠くの空でまた稲光が走った。


「雷が落ちたのかな」

「勇子、勇子ー!」


 ユウとユッコが茂みから飛び出してきた。勇子さんは仰向けに倒れていた。半開きの口、見開いたままの目、微動だにしない体。生きているとはとても思えなかった。


「今回も、結局こうするしかなかったのね」


 それは礼子さんの声だった。振り返った欅の木にはもう幽霊の姿はない。そして礼子さんの姿もなかった。ただ礼子さんの哀しい声だけがあたしの耳に残っていた。



 結局全てが露見してしまった。轟音を聞いて駆け付けた宿直の先生が警察へ通報し、取り調べを受けたユウとユッコが何もかも喋ってしまったのだ。


「3名は毎週水曜日、欅の木の下において会合を開催。恋人の芝居をする対価として下級生より金銭を受け取っていた。先日もいつものように欅の木の下で客が来るのを待っていたところ落雷が発生。雷は欅の木に落ちたものの、その近くにいた女子生徒1名が側撃雷を受けて死に至ったものである。なお女子生徒が見たという幽霊であるが、この2名以外に目撃者がいないため真偽は不明である」


 これが警察の見解。でもあたしは知っている。あれは礼子さんが仕組んだものだってことを。左手から発していた光。投影されていた幽霊の映像。口元に寄せていた腕輪。あまりにもタイミングよく発生した落雷。幽霊のように消えてしまった礼子さんの姿。全てが不自然すぎるじゃない。


「級長の礼子さんは転校されました」


 それにあの日以来礼子さんは学校に来ていない。これでもうこの学校は用済みと言わんばかりに転校してしまった。内気で気弱で引っ込み思案な態度は全てお芝居だったんでしょうね。人は外見だけで判断しちゃダメってつくづく思い知らされたわ。


「勇子、ごめんなさい。勇子にはたくさん助けてもらったのに、あたし何にもできなかった。いつも見ているだけで、あの時も助けてあげられなくて、本当にごめんなさい」

「ユッコ、自分を責めるのはもうやめよう。雷が相手じゃ何もできなくて当然だよ」


 ようやくひと月の自宅謹慎が解けたユッコとユウ。欅の木の下に花束を置いて勇子さんの冥福を祈っている。


「この2人が退学にならなくてよかった。もしそうなっていたら校長室で暴れ回っていたでしょうね。大暴れしたところで塵ひとつ動かせないけど」


 2人が軽い処分で済んだのは全ての金銭を勇子さんに渡していたから。それはそうよね。だって勇子さんを助けるために力を貸していたんだもの。

 けれどもそれが2人にとっては幸運だった。首謀者はあくまでも勇子さんであり、ユウとユッコは勇子さんの命令でやむを得ず金儲けに参加させられていた、と判断されたってわけ。


「おまけにこれまで受け取ったお金も全て生徒たちに返したしね」


 下級生たちの力も大きかったな。ユウの退学を阻止するべく署名活動なんか始めちゃったし。金銭を渡していたと言っても喜んで渡していたのだから被害者意識はゼロ。何も悪いことをしていないのに退学はおかしいと毎日校門前で叫んでいたっけ。


「勇子、結局卒業できなかったね。一緒に卒業式に出たかったな、くすん」

「そうだな。しかし数年前はそれが当たり前だったんだ。勇子みたいな生徒がたくさんいたんだ。卒業したくてもできない生徒が」

「うん」

「勇子も含めてそんな生徒たちの分も幸福になること、それが私たちにできるせめてもの恩返しじゃないかな。さあ涙を拭いてユッコ」

「うん」


 この調子ならすぐ立ち直ってくれそうね。この2人には幸せをつかんでほしいわ。


「それにしても不思議なのは礼子さんね」


 縁談を蹴って自活するという勇子さんの生き方が最善だとは思わない。だけど命を奪うほどのことではないはず。いったい礼子さんは何を考えてあんなことをしたのだろう。


「本当に怖いのは幽霊ではなく人ね。何をやらかすかわからないんだもの」


 そう言えば昔も同じような出来事があった気がする。幽霊になり立ての頃、名前は確か冷子さん、だったっけ。心なしか礼子さんに顔や姿が似ていたような気がする。う~ん、はっきりとは思い出せない。だって半世紀以上も前のことなんだもの。


「ああ、なんだか眠いわね」


 あの日以来眠くて仕方ないの。欅の木は半分に裂けちゃったけど立ち枯れの心配はしなくていいみたい。しばらくこの木の下で眠ろうかな。目が覚めた時はどんな世界になっているんだろう。男女共学になっているといいな。そしたらあたしは毎日いちゃつく男女を眺めて、羨望と嫉妬で身悶えするんでしょうね。今から楽しみ。うふふ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る