大切なのは引き際
最近のあたしはすっかり意気消沈しちゃってる。期待が大きかっただけに、それが叶えられなかった時の失望感も半端なく大きかった。
「あの子たち、本当に仲がいいんだなあ」
幽霊騒ぎは勇子さんとユウ、ユッコの3人によって仕組まれたものだった。まんまとだまされたってわけね。
でもそれには理由がある。勇子さんが親戚の家に住まわせてもらえるのは高校卒業まで。もし縁談を断れば勇子さんは自活しなくちゃならない。それにはまとまったお金が必要。授業をさぼって闇市で働いても手に入るのは小銭程度。さらに授業をさぼれば出席日数不足で落第は確実。
こんな親友の窮地を知ってユウとユッコが見過ごせるはずがない。自分たちもお金を稼いで力になってあげたい、そう考えたんでしょうね。
「それにしてもうまい手を思い付いたものね」
手っ取り早く稼ぐ方法として考え出したのはユウの人気を利用すること。校内一の長身で短髪、体付きもガッシリしているユウは、体育着に着替えると男子にしか見えなくなっちゃう。そのため女子生徒、特に下級生には絶大な人気があって、毎年誕生日になるとプレゼントやら手紙やらを持った女子生徒たちが教室に押し掛けてくるのよ。
「ああ、ありがとう。みんなの気持ちは嬉しいんだけど女子には興味ないんだ。だってあたしは女子だから」
これまではそう言って断ってきた。ユウだって恋に憧れる女子生徒だもん。恋愛対象はあくまで男子なのよね。でも勇子さんを救うためにユウは自分を使うことにした。プレゼントを持って来てもらう代わりにお金を持って来てもらうことにしたの。もちろん対価は払うわよ。男装したユウの甘いささやきと熱い抱擁。
「だけど学校側に知られたらまずいんじゃないか。ただのお遊びならまだしも、金が絡むとなると学校側も放っておいてはくれないだろう」
そこで考え出したのが幽霊のウワサ。学校側に知られないようにするのではなく、わざと学校中に知られるように仕向けたのよ。
まさか校内でこんな大胆なことをやっているとは学校側だって夢にも思わないでしょうからね。軍服は父親のお古が押し入れの隅に眠っていたのでそれを使っているみたい。
毎週水曜日に限定したのは宿直の関係。宿直当番は曜日で固定されている。水曜日は校内最高齢の社会科のご老人で、ろくに校内を見回りもせず一晩中宿直室から出て来ないのよ。耳もだいぶ遠くなってきているし、多少騒いでも大丈夫と判断したんでしょうね。
「これも共学の影響かなあ」
これまでのように中学高校が男女別学だったら、これほどの人気にはならなかったような気がする。男女共学になって男子と女子が一緒に校門をくぐったり、席を並べて勉強する姿が報道されたことで、これまで女子生徒たちが抑え込んでいた恋人への渇望が一気に噴出したんでしょうね。
「もっとあの3人の動向に気を配るべきだったなあ。そうすれば変な期待を抱かずに済んだのに」
彼女たちの企みに気付けなかったのは大きな痛手。だけどどうしようもなかった。校内ではその話を一切しなかったんだから。壁に耳あり障子に目あり。彼女たちもこれが真っ当な稼ぎ方でないことは十分承知していたんでしょうね。そこで用心に用心を重ねて、相談は必ず学外で行っていたみたい。くう~、校内に閉じ込められている自分が歯がゆくて仕方がない。
「ねえ、勇子だいぶ貯まったんじゃない」
「ああ、これもユッコたちのおかげだ。礼を言う」
「やだ、あたしは見張りをしているだけで何もしてないじゃない。ところでユウはどうしたの」
「級長に呼ばれたらしい。2人だけで話がしたいそうだ」
「ふうん。ユウが呼ばれるなんて珍しいね」
幽霊商法が軌道に乗ってすっかり気が緩んじゃったみたい。今では校内でも平気でこんな話をしている。ただしさすがに教室では無理。2人がいるのは欅の木の下。ここはもう彼女たちの隠れ家みたいになっている。
――ガサガサ。
茂みで音がした。慌てて話を中断する2人。
「誰!」
「あたしだ、ユウだ」
「なんだ、驚かすなよ。で、級長と何の話をしていたんだい」
「それが、ちょっとまずいことになった」
それから始まったユウの話は本当にまずかった。級長は中学の生徒から相談を受けていたようで、ユウに対してこんなお願いをしてきたみたい。
「あ、あの、ユウさん、最近、複数の下級生と親しくお付き合いをしていると聞きましたが、本当ですか」
「お付き合いって、ただのお喋りだよ。それにあたしが誰と付き合おうと級長には関係ないと思うんだけど」
「お喋りをしてあげる代わりに、その、お金を受け取っているとか」
「お金じゃなくプレゼント。くれるという物をもらわなければ、かえって失礼になるし」
「でも、あの、相談しに来た生徒は、ユウさんにあげるお金がなくて会えなくて寂しい、こんな風に言っていたんですけど」
「な、何かの誤解じゃないかな」
「そう、ですか。とにかく下級生には優しくしてあげてくださいね。お金もプレゼントも関係なく、誰に対しても分け隔てなく接するのが上級生の責務だと思うので」
「了解」
うわ~、こんな所にいないで、そっちの話を聞きに行けばよかった。弱気の礼子さんが顔を真っ赤にしてユウに意見するところを見たかったなあ。
「それはまずいな。ユウに会えなくて不満を募らせた下級生が幽霊の正体をバラすかもしれない。相談したのが級長でよかった。先生に相談していたら一発でアウトだったぞ」
「ねえ勇子、そろそろ終わりにしない。なんとか独り立ちできるくらいのお金は貯まったんでしょ」
「あたしもそうした方がいいと思う。出席日数は足りているのに幽霊商法で退学になったんじゃ本末転倒だもんな」
「わかった、そうしよう。ユッコ、ユウ、今までありがとう」
勇子さんは2人の手を合わせると自分の手も合わせてがっしりと握った。本当にこの3人の友情の強さは見ているだけで胸が熱くなる。あたしも親友が欲しいなあ。誰かあたしと友達になって!
「だけど級長は放っておけないな。あいつ、妙に勘がいいからそのうち幽霊の正体がユウだと気付くかもしれない。そうなったら必ず先生に報告するだろう」
「学校側にばれちゃったら、あたしたち終りね」
ユッコが沈痛な面持ちでつぶやいた。勇子さんが肩を抱いた。
「そうはさせない。心配するな、手はある。ユウ、次の水曜日の客は何人だ」
「次は……確かひとりもいなかったはずだ。もうすぐ試験だしな」
「それは都合がいい。じゃあ次の水曜日の客は級長だ。あたしがここに連れて来る。それを以て幽霊商法からは完全に手を引く」
「級長を!」
おお、これはまた面白くなってきた。勇子さん、どうやって礼子さんを手なずけるんだろう。
それからの数日間はあっという間に過ぎ去った。水曜日の昼休み、お弁当を食べ終わった勇子さんが礼子さんに声を掛けた。
「級長、話がある。ちょっと付き合ってくれないか」
「えっ、あ、はい」
教室を出て2人が向かったのは欅の木の下。今日は曇天で日差しがなく、いつにも増して薄気味悪い場所になっている。
「級長、知ってる? 水曜日になるとここに幽霊が出るって話」
「あ、はい。ウワサになってますよね」
「そう。でも所詮はただのウワサ。これまでも似たような話が何度も現れ、その度に消えていった。この年頃の女子ってのは下らないことを信じたがるものさ。幽霊なんてこの世にいるわけがないのに」
「ちょっと、幽霊はいるわよ。下らないのはあんたでしょ」
思わず文句を言ってしまった。自分が全否定された気分。
「はい、あたしも幽霊なんていないと思います」
礼子さん、あなたもなの! うう、悲しいなあ。だけど仕方ないよね。誰もあたしを認識できないんだから。
「しかし今回のウワサは今までとは違う。消えるどころか広がる一方だ。これは風紀上良くないんじゃないかな。生徒たちが虚偽の風説に染まってしまっては学校の品位を落としかねない。この辺で正しておいたほうがいいと思う」
「それは、そうですけど、でも、具体的にどうすれば?」
「簡単だよ。級長自らが幽霊なんていないことを証明すればいいんだ。今日は水曜日。出ると言われている日だ。放課後ここに来れば真実が明らかになる」
「えっ、でも出ないかもしれないし」
「それなら存在しない証明になるじゃないか。出るはずの日に出ないんだから」
「もし出たら?」
「その時はそれが偽物であることを暴いてやればいいんだよ。幽霊なんていないんだから偽物に決まっているだろ」
「え、ええ」
「よし、決まりだ。大丈夫、あたしも付き合ってやるから。じゃあ放課後」
勇子さん、強引ね。不安でいっぱいの礼子さんを置いてスタスタと歩き出しちゃった。あっ、止まった。
「ところで級長、もし幽霊が偽物だったとしたら、その正体は何だと思う」
「そ、それは……この学校の女子生徒、でしょうか」
「ふうん。じゃあ放課後」
勇子さんの目付きが険しくなった。それ以上は何も言わず欅の木を離れ、茂みを抜けて校庭に出るとユッコとユウが駆け寄ってきた。相変わらず仲がいいわね、この3人。
「どうだった勇子。うまく行きそう?」
「ああ、放課後来るってさ。しかしまずいな。級長、やっぱり疑っている。幽霊の正体がユウだと薄々気付いている」
「そう。なら絶対に成功させなくちゃね」
ユッコのこの言葉でこの話題は終了してしまった。ああ、気になる。どんな作戦を企てているんだろう。肝心な部分は学内では話してくれないんだよね。起きていると気になるから放課後まで寝て待とうっと。
「あっ、やっと来た。待ちくたびれたぞ」
寝ていたらあっという間に放課後になっちゃった。だいぶ暗くなってきたわね。
欅の下にいるのは勇子さんひとりだけ。ちょうど茂みをかき分けてやって来た礼子さんに声を掛けたところ。
危なかった、うっかり寝過ごすところだった。もしこんな面白そうな茶番劇を見逃しちゃったら、悔し過ぎて死んでも死にきれなかったでしょうね。実際、死んでも死に切れてないんだけど。
「こんばんは。遅くなってすみません。先生とお話をしていたので」
「今日のこと、話したのか!」
「いえ、別の件でちょっと。今日私がここへ来ることは誰も知りません」
「そうか」
勇子さんの焦った顔、なかなか良かったわ。礼子さんって抜け目ないのか天然なのか、判断に迷うところがあって結構謎なのよね。
「じゃあ始めよう。級長、例のセリフよろしく」
「はい。あなたは誰ですか?」
「誰そ彼と我をな問ひそ九月の露に濡れつつ君待つ我そ」
間髪入れずユウが出てきた。この遣り取り、もう見飽きちゃった。
「うわあ出たあ、幽霊だあ」
勇子さんの驚き方がすごくわざとらしい。でも礼子さんはあんまり驚いていない。意外だな。もっと取り乱してくれると思ったのに。
「それで幽霊さん、あなたは誰なのですか」
「何を言っているんだい。ボクは婚約者に会うために大陸から帰ってきた幽霊さ。君がボクの婚約者なんだね」
「いいえ違います」
「会えて嬉しいよ」
ユウは聞く耳持ってないって感じね。礼子さんに近付くと強引に抱き締めちゃった。
「何をするんですか。放してください」
「ずいぶん待たせてしまったね。さあふたりで天に昇ろう」
「いいなあ」
お芝居だとわかってもいても羨ましくなってくる。お金を払ってでも恋人の振りをしてもらっていた下級生たちの気持ちがわかる気がした。
「きゃ!」
明るい光が抱き合う2人を照らした。同時に小さな機械音がした。
――カシャ!
いつの間にかユッコが勇子さんの隣に立っていた。手に持っているのは懐中電灯だ。あれで2人を照らしたのね。
「証拠写真、いただき」
勇子さんも何か持っている。カメラみたいだ。
「ど、どういうことですか」
ようやくユウの腕から逃れた礼子さんが勇子さんに向き直った。ああ、そういうことか。なかなかうまい手を考えたわね。
「撮らせてもらったよ、級長の密会シーン。この女子高では男女交際は禁止されている。男と抱き合うこの写真が明るみに出れば級長の退学は間違いないだろうね」
「どうしてこんなことを。それに幽霊はユウさんなのでしょう」
「そうさ。やっぱり知ってたのか。だからこんなことをやったんだ。幽霊の正体は誰にも言わないと約束してほしいのさ。その代わりこちらもこの写真は絶対に公表しないと約束する」
級長の弱みを握って口を封じる作戦か。ありきたりだけど効果は抜群ね。それにしても小型カメラなんてよく用意できたわね。半世紀以上生きてきたあたしだって記念写真の時くらいしか見たことないのに。
「あれ?」
勇子さんのカメラ、よく見たらレンズがない。それに枠は木でできている。幽霊だけじゃなくカメラまで偽物か。夕暮れでなきゃできないお芝居ね。
「そんなことしなくても私は誰にも言ったりしません。それよりも勇子さん、こんなことはもうやめてください」
「そんな言葉、信用できるわけないだろう。それからこの茶番劇は今日でお仕舞いだ。結構稼いだからな。級長が黙っていてくれれば全て丸く収まるんだよ」
「やめてほしいのは授業をさぼってお金を稼ぐことです。自活なんて考えないできちんと卒業してお嫁に行ってほしいのです。それが勇子さんにとって一番幸福な生き方のはずです」
「ふざけたこと言ってんじゃねえよ!」
あーあ、勇子さん怒っちゃった。礼子さんって本当に人の心が読めないのね。この状況でお説教なんかしても反発を招くだけなのに。
「あんたに何がわかるんだよ。戦争で家族を失ったあたしが嫌々引き取られた親戚の家でどれだけ肩身の狭い思いで生きているか、あんたにはわかりっこない。あたしを追い出すためだけの縁談、そんなものにすがって生きていくくらいなら野垂れ死んだほうがマシだ」
「目先の幸福だけで判断してはいけません。今の我慢が将来の幸福に繋がると思えば多少のことは許容できるのではないですか。お願いですからお嫁に行ってください。独り立ちなんて考えないでください」
「うるさい。もうこれ以上あんたとは話したくない。ユウ、ユッコ、行こう」
「勇子……」
ユッコの声が震えている。手に持っていたはずの懐中電灯は灯りが消えて地面に転がっている。
「どうした、ユッコ」
「勇子、あ、あれは何だ」
ユウは欅の木を指差している。そちらへ視線を向けたあたしの背筋に戦慄が走った。そこには人影があった。血だらけの軍服と破れた軍帽を被ったひとりの男が宙に浮いている。
「まさか、本物の幽霊……」
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