あり得ない転校生

 その日の朝、教室は驚きに包まれていた。


「今日からよろしくお願いします」


 なんと、転校生がやって来たの。生徒だけでなく先生までびっくりしていた。あたしも驚いたわ。だって常識では考えられないことだもん。

 転校理由として一番多いのは引っ越しだと思うんだけど、今の時代にその理由はあり得ない。


「学校を完全仮想化することの最大のメリットは居住地域に囚われないことにあります」


 これが新しく取り入れられた教育システムのスローガン。通学の必要がないからどこに住んでいる生徒でも入学できる。ぶっちゃけこの国に住んでいなくても通えちゃうわけよ。

 最近「先生、トイレに行ってきます」を連発する生徒は外国に引っ越したのが原因。まだインフラが進んでいない国なので回線が不安定らしく頻繁に接続が途切れるらしいの。それでもこの学校に通い続けている。引っ越しは転校の理由にはならないってわけ。


 すると個人的な理由で転校したってことになる。たとえば「学校になじめない」みたいなもの。

 だけどこれも首を傾げざるを得ない。全ての学校は秩序維持システムで管理されているでしょ。イジメは完全に根絶され生徒たちのストレスは最小限に抑えられている。教室内の雰囲気はどの学校でもほとんど同じ。学校を変えたって何も変わらないのよ。


 じゃあ経済的な問題かなと思ったんだけどここは私立の女子校、しかも中高一貫のお嬢様学校。公立に比べれば学費負担はかなり高額。わざわざお金のかかる学校に転校するんだから経済的な問題であるはずがない。

 これでわかったでしょ。この転校はあまりにもあり得ないのよ。


「すみません、転校の理由を訊かせてもらってもよろしいでしょうか」


 おお、さすがは委員長の幽子さん。みんなが知りたがっている質問をぶつけてくるとはやるじゃない。


「理由ねえ。この学校が好きだから、ってことで」


 まるで人を馬鹿にしたような答えが返ってきた。実際、転校生の顔は人を馬鹿にしたような表情になっている。おかしいな。軽蔑の眼差しや侮蔑の表情は秩序維持システムによって修正されるはずなのに。


「そうですか。わかりました」

「他に質問はないの?」

「ありません」

「あっそう」


 顔には出てないけど現実の幽子さん、怒ってるんだろうなあ。なんとなくそんな気がする。


「それでは着席してください」


 転校生の席はお約束通り幽子さんの隣。荒っぽく椅子を引いて座ると幽子さんに手を差し出した。握手を求めているのだ。


「よろしく。クラス委員長にして生徒会長の幽子さん」

「ど、どうして私の名前を知っているのですか」

「有名人だからね。知らない方がおかしいだろ。あたしは霊子れいこ。世話になるよ」

「お世話をするのは構いませんが、幽子などと下の名前で呼ぶのはやめていただけませんか」

「そう? じゃあ委員長って呼ぶよ。それとも生徒会長の方がいい?」

「……委員長で結構です」

「了解。ちなみにあたしは霊子って呼んでくれ。それ以外は受け付けない。もし破ったらあんたを幽子って呼ぶからね」

「承知しました。霊子さん」


 うわー、初対面から火花が散るような会話が炸裂してるじゃない。このふたりを見ているとハラハラしてくるなあ、面白いけど。

 でも変だな。霊子さんの口調、全然丁寧言葉じゃないよね。心理的負担を与えるような言葉じゃないにしても多少の修正は入るはずなのに。秩序維持システムが許容できるギリギリのレベルなのかな。


「人工知能ちゃん、ちょっとお疲れなのかもね、ふふふ」


 そんな冗談を言って笑っていられるのは数日間だけだった。霊子さんのあり得ない行動は日を追うごとに顕著になっていった。


「あいててて。転んじまった」


 あろうことか登校中の校庭で霊子さんが転んでしまったの。あまりにもド派手に転んだのでスカートがお尻の辺りまでめくれてしまったほど。


「だ、大丈夫ですか、霊子さん」


 偶然近くを歩いていた幽子さんが慌てて駆け寄る。周囲の生徒たちは信じ難い出来事を前にして凍り付いたようにふたりを凝視している。そりゃそうよね。絶対に転ばないのはもちろんのこと、逆立ちしようが暴風が吹こうがスカートは絶対にめくれないように秩序維持システムによって管理されているんだもの。


「あ、あの霊子さん、下着が見えていますよ」

「うはっ、これは失礼。しかしまさかの現実と同じ縞パンとは。どうせ仮想画像なんだし、もう少しカワイイおパンツにしてくれればいいものを」


 霊子さんにも多少の羞恥心はあったみたいね。ちなみに着替えのために更衣室を利用する場合を除けば、日常生活でパンツが見えることは絶対にない。階段下から見上げてもスカートの中に広がるのは意味不明な暗黒の闇だけだから。


「秩序維持システム、どうして働かなかったんだろう」


 あたしだけでなく他の生徒もそう思っているに違いない。幽子さんも何とも言えない表情をしている。


「と、とにかく、これからは気を付けてくださいね」


 戸惑いながらも歩き出す幽子さん。取り敢えずこの場はそれで収まった。ところが次の日、さらにあり得ない出来事が起きた。


「明日から3連休だし、休みの分も楽しんでおこうっと。うわーい!」


 足先だけを教室に残して窓から身を乗り出す空中浮揚大好き生徒。物理法則を完全に無視した光景に霊子さんは大喜びだ。


「よし、あたしもやってみよう」


 窓から少し遠ざかった霊子さんはいきなり走り出すと、思いっきり窓の外へ飛び出した。


「うわあああー」


 霊子さんの体は浮かなかった。まるでここが現実世界であるかのように真っ逆さまに地面目掛けて落ちていった。


 ――グシャ!


 窓の外で鈍い音がした。あたしも窓から飛び出して下を見ると、霊子さんが大の字になって地面に倒れている。


「霊子さーん!」


 と叫びながら玄関から出てきたのは幽子さん。さすが委員長、行動が素早い。もう1階まで降りているとは。あたしもそのまま地面に降り立つ。


「大丈夫ですか、霊子さん」

「ああ、委員長か。大丈夫だよ」

「きゃああー!」


 幽子さんが悲鳴を上げた。あたしも目をそむけたくなった。霊子さんの額が割れて顔が血だらけになっている。どうやら頭から落ちたらしい。


「あ、頭から、血が流れていますけど」

「ん、そうか。どうりで痛むと思った。でも所詮は映像だ。痛みだってシステムによって送信された生体信号によるものだし、額の傷だってログアウトしてしまえば次にログインする時には治っている。別に大騒ぎするようなことでもないだろ」

「と、とにかく保健室へ」


 額から血を流しながら歩いていく霊子さんは不気味としか言いようがない。


「秩序維持システムは霊子さんを守ってはくれないんだ」


 それだけは確かなようだった。しかし守ってくれないのは霊子さんだけではなかった。連休明け1時間目の授業中。


「先生、わかりませーん!」


 質問もされていないのにいきなり霊子さんが声を上げた。授業中の先生に対する不規則発言はシステムによって禁止されているはず。先生も生徒も驚きを隠せない。


「どこがわかりませんか?」

「何もかもでーす」

「そのような曖昧な表現では困ります。もっと具体的にお願いします」

「へっ、何がお願いしますだよ」


 教室がざわめいた。明らかに相手に心理的負担を与える言葉だ。それなのに言葉が置き換わらない。


「そ、そんな言葉をどうして……」

「あたしの言葉に文句もであるのかい。そもそもわからないのはあんたの教え方が下手なせいだろ。本当に教師の免許持ってるのかよ。もう一度勉強やり直した方がいいんじゃないのかい」

「こ、この授業はこれで終了します。残りの時間は自習してください」


 そそくさと教室を出ていく先生。これほど罵倒されたのは生まれて初めてなんじゃないのかな。ショックでしばらく寝込んじゃうかも。


「秩序維持システムはあの先生も守ってあげなかったんだ」


 ここに至ってようやく霊子さんの本質が見えてきた気がする。きっと彼女は現実と同じ行動しかできないのよ。だから普通に転ぶし普通に落ちるし普通に暴言を吐く。転ぶのも落ちるのも暴言を吐くのも現実世界では当たり前のこと。でもこの仮想世界ではあり得ない、絶対にあってはならない異常なことと認識される。本当は「転ぶことはあり得ない」なんてことの方が異常なのにね。


「何が正しくて何が間違っているのか、なんだかわからなくなってくるわね」


 霊子さんの行動が異常に思えていたあたし自身も、かなりこの仮想世界に毒されてしまったみたいね。


「明日から3日間休校にします」


 霊子さんの異常行動について検討した結果、システムのバグではないかという結論に達したみたい。人が作ったものに完璧はない。必ず不具合が発生する。そこで臨時のメンテナンスを行うことになったのだ。


「あー、暇だなあ」


 メンテナンスで人が来るのかと思ったらいつもと同じ、メンテナンスマシンが稼働するだけ。ハードウェアの一部交換のため外部から機材搬入があるって言うから、てっきり有人で行われると思っていたのになあ。やって来たのは無人の搬送ロボットだけ。この時代では学校だけでなく職場まで仮想世界になっているのかな。


「味気ない話ね」


 あたしはセンターの入り口付近を漂いながらぼんやりと機材の出し入れを眺めていた。現実世界じゃそれくらいしかやることがないしね。


「えっ!」


 見間違いかと思った。よく目を凝らして運搬車を見る。やっぱりいる。人がしがみついている。しかも女子、しかも制服を着ている。


「れ、霊子さん!」


 すぐ下に降りて運搬車の後を追った。センター入り口からいくつも扉を抜けて中央管理室に入ったところで霊子さんが車から降りた。


「ふう、ようやく入れた。人工知能関連の記録はほとんど遮断されているからデータ不足だったとはいえ、空間跳躍不可は完全に想定外。どうやらセキュリティも独自のプログラムを使っているようね」

「えっ、霊子さん、何を言っているの。何をするつもりなの」


 あたしの困惑など一切お構いなしに、霊子さんは手に持った小型装置を入力端末に接続した。ディスプレイに映し出される理解不能な表示、理解不能な操作、理解不能な霊子さん。あたしは呆然と見守るしかなかった。


「やはり外部からの入力は一切受け付けないか。ハードを破壊する手もあるけど電撃は効かないようだし、これだけ分厚い超硬合金に守られていると爆裂弾を使っても外側を吹っ飛ばすのが精一杯で本体は傷ひとつ付かないはず。500年前だと思って少し甘く見過ぎていたわね」


 霊子さんは顔を上げると室内を見回した。その表情は憎しみに満ちている。


「やはり内部から破壊するしかないようね。成功率は低いけど一か八かやってみますか」


 運搬車が戻って来た。飛び乗る霊子さん。そのままセンターの外に出ると校門の前で飛び降りた。敷地の塀に向かって歩いていく。


「何をするつもりだろう」


 あたしは霊子さんの後に付いて行った。向かう先にあるのは欅の切り株だ。霊子さんが切り株に触れた。するとその姿は消えてしまった。まるで幽霊のように。

 あたしは勘違いしそうになった。ここは本当は現実世界ではなく仮想世界なんじゃないかと。でもそれは違う。あたしが今いるのは紛れもなく現実世界だ。


「まさか、霊子さん、あなたも幽霊なの?」

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