悪霊よ、退散せよ

 授業が再開された。先生も生徒たちもただ失望するだけだった。霊子さんの行動は以前とまったく変わらなかった、と言うよりも以前にも増してひどくなったと言った方が正しいわね。再開初日の1時間目から暴走しまくり。


「わかりませんわかりません全然わかりませーん!」


 と叫びながら教科書を窓から放り投げ、教壇に上がって黒板に無意味な言葉を書き殴り、大声で校歌斉唱を始める。ひどいものでしょ。気の弱い先生だったから涙目になって教室を出て行っちゃった。

 これも秩序維持システムが働いたから涙目に抑えられただけで、現実の先生は大泣きしていたんじゃないかなあ。現代人って仮想世界で甘やかされている分、現実の心も体もひ弱になってしまっているからね。


「おい幽子、あたしが転んだ時、パンツ見たんだろ」

「え、それは見ましたけど、でも見たくて見たのではなく見えてしまっただけです。それに幽子という呼び方はやめてくださいと言ったはずですが」

「うるさい。あたしにもおまえのパンツ見せろ」

「きゃああー」


 勢いよく幽子さんのスカートをまくり上げる霊子さん。許せない行為よね。


「ちっ、秩序維持システム作動中か」


 舌打ちする霊子さん。スカートをまくり上げても下半身は謎の暗黒物質で覆われているから幽子さんのパンツは見えないのよね。

 まあ、あたしはその気になれば頭をスカートの中に突っ込めるし、さらに暗黒物質の中にまで顔を突っ込んでパンツを見られるので、たとえ今パンツが見えたとしても何とも感じないんだけど、幽子さんが恥ずかしがる姿はちょっと新鮮だった。


「霊子さん、今すぐ来てください」


 2時間目の授業が終わったところで呼び出しがかかった。職員室に行くのかと思ったら会議室。しかも着席している10名は見たことのない人物ばかり。校長先生がひどく恐縮しているから外部の偉い人なんでしょうね、きっと。


「おやおや、これはまた物々しい雰囲気ですこと。わたくしのような小娘に何か御用ですか」

「無駄口は慎んで。そこに座りなさい」

「はい」


 意外にも素直に着席する霊子さん。取り敢えず話を聞こうという考えなのかな。


「前置きは抜きにして本題に入ろう。君は何者だ」

「平凡な女子生徒です」

「平凡ね。やはり我々の学校運営システムは完璧ではないようだ。転入の合否はシステムが判定する。君の転入はシステムによって認められた。従って我々も何の疑念も抱かず君の転入を認めた。だが今回の件で改めて君の素性を再調査した。今度は人の目を通してね。驚いたよ。何もかもがデタラメだった。住所も経歴も国民識別番号さえもね。接続先を調べてもわからない。君はどこからこの仮想空間にログインしているのかね」

「それをあたしに訊くんですか。あなた方のように優秀な皆様でもわからないのに私のような小娘がわかるはずないでしょう」

「そうか。ところで休校中にこんな映像が撮影されたのだが」


 会議室のスクリーンに映し出されたのは休校中のセンターの風景。きっと監視カメラの映像ね。そこにはセンターに入り込んでから欅の切り株の近くで姿を消すまでの霊子さんの一部始終が捉えられていた。


「これがどうかしましたか」

「何をとぼけているのかね。これは君だろう」

「よく似ていますね。しかし私だという証拠がありますか。ただの映像じゃないですか。映像なんか簡単に加工できるわけですし、何の証拠にもなりませんよ」

「あくまでシラを切る、というつもりなのだね。わかった。君は退学だ。今、この時を以って君のIDとパスワードを無効化する。用件は以上だ。帰ってよろしい」

「では、また明日」


 最後もきちんとお辞儀をして会議室を出ていく霊子さん。その右足が廊下に出た途端、霊子さんの姿が消えた。強制的にログアウトさせられたのね。それにしても「また明日」だなんて、本当に皮肉が好きなんだから。


「これで学内の秩序は取り戻せた。明日からは今まで通り授業を進めるように」


 偉い人の言葉で会議は終了した。霊子さんに会えなくなるのは残念だけど仕方ないわね。でもセンターの中で何をしていたんだろう。あの行動がわからないままなのはモヤモヤするなあ。


 翌朝、信じられないことが起きた。


「おっはよー!」


 退学になったはずの霊子さんが教室に姿を現したのだ。すでに全校生徒には霊子さんが退学処分になったことは通知されていたので教室中が驚きで静まり返ってしまった。直ちに幽子さんが質問する。


「霊子さん、どうしてここにいるのですか。昨日、退学を言い渡されたのでしょう」

「そうだよ。あたしはもう生徒じゃない。だからここには勉強じゃなく遊びに来たんだ。これからもよろしく」

「IDとパスワードを無効化されたらこの仮想世界に入ることすらできないはず。どうやってログインしたのですか」

「ひ・み・つ。ははは」


 こうなるともう手が付けられない。教室を渡り歩いて今まで以上に暴れ回る霊子さん。身柄を拘束しようとしても秩序維持システムのために霊子さんの体に触れることすらできない。学校側は何の対処もできないのよね。


「あー、暴れすぎて腹が減った。何か食おう」


 2時間目の授業が終わって霊子さんの姿が消えた。早弁するためにログアウトしたみたい。ようやく平和を取り戻した教室にささやきが聞こえ始めた。


「ねえ、霊子さんって、もしかしたら人ではないのかも」

「あなたもそう思う? 私も」

「監視カメラにはセンターを出入りする霊子さんの姿が映っていたのでしょう。生身の体で外を出歩くなんて普通じゃないですよね」

「しかも欅の切り株で姿が消えてしまったとか。現実世界ではあり得ない現象です」

「あの欅、婚約者を待ち続けて病死した幽霊が出るっていうけど、本当?」

「じゃあ、霊子さん、もしかしたらその幽霊なのかも」


 おー、あたしと同じことを考える生徒がいたか。確かにあのシーンだけ見ればそう考えたくなるよなあ。それにしても悲恋女子生徒の幽霊話がまだ語り継がれていたとは。驚いたね、まったく。


「でも幽霊が仮想世界にログインできるかしら」


 できるよ。現にあたしがログインしている。しかもIDもパスワードも無しでね。さらに言えば秩序維持システムはあたしにも効いていない。霊子さんが上級幽霊だとすれば全ての辻褄が合う。


「やはり皆さんも私と同じ考えのようですね」


 幽子さんだ。なんだか自信満々の顔をしている。


「転校初日から違和感を抱いていたのです。なぜあれほど傍若無人に振る舞えるのか。なぜシステムは霊子さんを制御できないのか。それは実体がないからです。霊子さんは生身の体を持っていないからです。そう、あれは人ではありません。幽霊です。あたしたちの平和を脅かす悪霊です。悪量は退治しなくてはなりません」


 いやあ、幽霊であることに異論はないけど悪霊は言い過ぎじゃないですかね。幽子さんってかなり極端な思考回路の持ち主みたい。


「あのう幽子さん、ひとつ訊いてもいいですか」

「どうぞ」

「どうして幽霊が今頃になって出現したのでしょう。そしてどうして私たちの平和を乱そうとするのでしょう」

「欅です。あの欅は幽霊のり所。幽霊にとって母とも言える大切な存在だったのです。しかしこのセンターが設立する際、切り倒されてしまいました。幽霊はそれを恨んでいるのです。そして理不尽にもその恨みを私たち生徒に向けているのです」


 なるほど。そういう理由だったのね。さすが幽子さん、説得力がある説明だわ。


「全校生徒の皆さん、聞いてください」


 いつの間に用意したのだろう。幽子さんの手にはマイクが握られている。そして教室のスピーカーから幽子さんの声が聞こえてくる。仮想世界の生徒会長は好きな時に校内放送を始められるみたいね。


「今、この世界には幽霊が入り込んでいます。私たちの平和を乱す悪霊です。学校側の対応は手ぬるいと言わざるを得ません。退学処分にしたにもかかわらず悪霊は完全に野放し状態で校内を暴れ回っているのです。これ以上学校側に期待しても無駄なことは明らかでしょう。今こそ私たち生徒が立ち上がる時です。私たちの平和は私たち自身の手で守るのです」


 一斉に歓声が沸き起こった。全ての教室から全ての校舎から拍手と賞賛が聞こえてくる。


「素晴らしい。生徒会長バンザイ!」

「私も協力させてください」

「悪霊をこの世界から追い出せ!」

「あの、でも幽子さん、具体的にどうすればいいのですか」


 こんな熱狂の中でも冷静な生徒はいるのよね。口で言うのは簡単だけど霊子さんを追い出す方法なんてあるのかな。


「悪霊を追い払う唯一の方法、それは秩序維持システムの解除です。全校生徒及び全教職員の9割の同意があればシステムを解除できます。さあ、手元の投票ボタンを押してください。解除に賛成なら白、反対なら青です」


 各自の机の一部がせり上がると、白と青、2つのボタンが出現した。生徒は着席してボタンを押す。黒板の中央に現在の集計値が表示されていく。


「投票終了! 全員一致で賛成と決まりました。直ちにシステムを停止させます」


 学校中から拍手と歓声が聞こえてくる。全員が幽子さんを称えている。いくら生徒会長だからって権力が大き過ぎるんじゃない。これじゃほとんど独裁者よ。


「悪霊は間もなく戻ってきます。ログイン場所は欅の切り株。全校生徒並びに全職員は速やかに当該地へ向かってください。武器の携行を許可します」


 生徒たちが一斉に教室を飛び出した。外を見るとたくさんの生徒たちが校舎から走り出してくる。目指すは校庭の隅にある欅の切り株。


「楽しくなってきたじゃない」


 あたしもすぐさま校舎の壁をすり抜けて欅の切り株に直行した。霊子さんはすでにログインしていた。おびただしい数の群衆を前にしてさすがに驚いているようだ。


「うわー、こりゃなんの騒ぎだい。出迎えにしては殺気立っているけど」

「霊子さん、観念してください。あなたは人ではなく幽霊、欅を切り倒された怨念を晴らすために現れた悪霊なのでしょう」


 幽子さんは群衆の先頭に置かれたお立ち台の上から霊子さんを見下ろしている。わざわざ台を持ってくるなんて準備がいいこと。


「はあ? あたしが悪霊? 冗談はやめてくれ。あたしは人間だ」

「とぼけるのはやめてください。ただの人間がこの仮想世界であのような暴挙を働けるはずがありません。もはや私たちはあなたを許してはおけません。力尽くで排除させていただきます」

「へえ~、ならやってみれば」


 こんな数の生徒たちを前にして霊子さんのこの余裕。本当に大丈夫なのかな。


「ほ、本気でやっちゃうんだからね」

「この人数相手に勝てると思ってるの」

「泣いて頼んでも許してなんかあげないよ」


 秩序維持システムが解除されたから口汚く罵れるはずなのに、生徒の皆さんの口調は中途半端に物柔らか。本気で戦うつもりがあるのかな。


「皆さん、この悪霊をズタズタに引き裂いて差し上げなさい。手足を断たれ、首を斬られ、内臓を引きずり出してあげなさい。ログインのたびにこのような地獄の責め苦を味わうとなれば、いかに悪霊でも再度ここへ来たいとは思わなくなるでしょう」


 うは、幽子さんの煽り文句が気持ち悪い。こっちは本気の戦闘モードに突入しているみたいね。


「時は来ました。かかれ!」

「わあー!」


 先頭の十数人が一斉に襲い掛かった。体育会系の生徒たちだ。手にはボールやラケットや黒帯などの武器を持っている。


「ふっ、動きが甘いな」


 うわー霊子さん、口だけじゃなかった。飛んで来るボールは相手の顔に弾き返し、振り下ろされたラケットは奪い取って相手を殴り、首を絞めにきた黒帯は引きちぎって相手の両手を縛りあげている。これはもう話にならない強さだわ。


「はっはっは、弱すぎるにもほどがあるぞ。仮想世界で甘やかされ過ぎたんじゃないのか」


 霊子さんの言う通りだ。だって生徒たちは痛みに慣れてないんだもん。これまで秩序維持システムによって痛みも苦しみも辛さも全て回避させられていたわけでしょ。システムが解除された今、生徒たちにとって未曽有の痛みや苦しみや辛さが体と心を襲っているはず。


「いやーん、痛すぎる。もう帰る」

「こんな思いをするくらいなら悪霊なんかどうでもいい」

「痛い、苦しい、システムを再稼働して!」


 などと言いながら次々にログアウトしていく。これは幽子さんにとって想定外だったみたいね。表情には焦りの色がありありと浮かんでいる。


「待ちなさい皆さん、敵に背を向けて恥ずかしいと思わないのですか。戦うのです。逃げてはなりません」


 と鼓舞するものの群衆の数はあっという間に半数になってしまった。それでも幽子さんは諦めない。


「それしきの痛みが何だと言うのです。耐えるのです。私たちの平和を守るために頑張るのです。ログアウトは許しません」

「もうやめろ幽子。システムを解除したところでこいつらは戦えない。殴られる覚悟のないヤツに殴られたって痛くも痒くもないんだから。こいつらを使ってあたしを排斥するつもりだったんだろうけど無駄骨だったようだな」

「くっ、こうなったら仕方ありません。奥の手を使います」


 急に辺りが暗くなった。青かった空は濃紺の闇に覆われ、風は止み、校外の風景は消え、幽子さんの周囲には黒い煙幕が立ち上り始めた。

 それと同時に集まった生徒たちの様子が変わり始めた。目が虚ろになり、両手がだらりと垂れ下がり、口を開けたまま棒立ちになっている。


「ついに本性を現したか、人工知能Yu・零型0号」


 霊子さんは左手首に小型機器を装着すると煙幕に包まれた幽子さんを睨み付けた。

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