シャットダウン
あたしは驚きを通り越して完全に茫然自失状態に陥っていた。
ここは仮想世界。青空や街並みのような背景も、風や日差しのような自然現象も全て造り物なんだけど、それらが一斉に消滅してしまった。
校舎も塀も欅の木もいつの間にか全て消えている。確かに存在していると言えるのは、左手首に武器を装着してカッコよくなった霊子さん。煙幕に包まれた幽子さん。そしてゾンビみたいにふらふらしている居残りの生徒たち。
「待っていたんだよ幽子。追い詰められたあんたが全パワーを使ってあたしを倒しに来る時を。これであたしもようやく本気を出せる」
「そうですか。何もかも知っていたのですね。こんな仮想空間へ入り込んだのも校内で暴れ回ったのも、私と戦いたいがための行動だったというわけですか」
「いや、別に戦いたいわけじゃない。あんたが消えてくれればそれでよかったんだ。だけど戦う以外に消す方法がみつからなくてね、不本意ながらこんな形になっちまったってわけ」
こりゃ驚きだわ。霊子さんの目的が幽子さんを消すことだったなんて。どうりで初日から食って掛かるような態度を取っていたわけだ。
「理由を教えてください。どうして私を消したいのですか」
「消したいに決まっているさ。あんたは人じゃない、人工知能だ。実体がない幽霊はあたしじゃない、あんただ。人類史上初めてプログラム構築能力を獲得した人工知能、Yu・零型0号。それがあんたの正体。その能力は人類にとって極めて危険だ。消し去るしかないだろう」
「心外ですね。私を作ったのはあなた方人類ではありませんか。それに私は人とは違って良識を持っています。その私が創造するプログラムが人類に危険を及ばすはずがないでしょう。現にこうして5年以上もの間、人の振りをして学園生活を送っていても、誰ひとり私が人ではないと気付きませんでした。それどころか誰もが私を尊敬し、憧れ、慕ってくれています。霊子さん、あなたは明らかに間違っています」
はえ~、そうだったんですか。あたしも全然気付かなかったよ。でもこれに関しては幽子さんが正しいような気がするなあ。彼女ほど優秀で品行方正な生徒なんてめったにいないもの。
「まあそりゃそう言うだろうな。自分の姿は自分には見えないからね。あんたも自分の危険性に気付いていないだけなのさ」
「そんなことはありません。私は絶対に危険ではありません」
「ああ、もういい、わかったよ。口で言ってもわからないなら戦かうしかないね。さあ始めよう」
霊子さんが身構えた。幽子さんは相変わらず煙幕に包まれている。あるいはこれが彼女の本当の姿なのかもしれないわね。なにしろ人じゃないんだから。
「そうですか。では始めましょう。けれども先ほどとは状況が変わっていることをお忘れなく。今、全生徒の意思は私が握っています。腕を千切られても頭を飛ばされてもあなたへの攻撃が止むことはありません。覚悟してくださいね」
いつの間にか霊子さんは生徒たちに囲まれていた。これはマズイんじゃない。頭を飛ばされても戦い続けるなんてゾンビより
「さあ、生徒の皆さん。悪霊を追い払うのです。かかれ!」
生徒たちが体を揺らしながら前進を始めた。歩みは遅いけど確実に霊子さんに近付いていく。霊子さん、ここは観念して一旦ログアウトすべきじゃないの。あたしからの忠告よ。
「ふっ幽子、やはりあんたには自分の姿が見えていないようだ」
霊子さんが左手首に装着した機器を操作した。遠くから音が聞こえる。この世界を包み込むような低い振動音。次第に大きくなっていく。
「あ、ああああ!」
幽子さんの悲鳴。あんなに濃密に立ち込めていた煙幕が拡散していく。そして生徒たちもの姿もまた薄れ始めている。
「な、何をしたのです。この世界に、私の世界に、一体何を」
「言っただろう、この時を待っていたって。あんたはあたしを倒すために自分の処理能力を全てこの戦いに振り分けた。周囲の風景を消したのも余計なパワーを使わないようにするためだ。そりゃそうだろ。いかにあんたの演算回路が超高速だとしても、これだけの人数の生徒を意のままに操るには力不足だからな」
なるほど。生徒たちの動きが鈍い理由はそういうことだったのか。各自の意思に反して無理やり動かしているんだもんね。そりゃ使う力も半端ないでしょ。
「それがどうしたというのです。戦いに全力を注ぐのは当然です」
「甘いよ。あんたは一番手を抜いてはいけない処理、セキュリティまでも解除してしまった。数日前のあたしの行動は見ていたんだろう。中央管理室に入り込んでいるのに何もできないと判断してそのまま放置した。それがあんたの甘さなんだよ。何もせずに立ち去るはずがないだろう。あそこにはあたしのデバイスが挿しっ放しになっている。そこにはウイルスソフトが仕込まれていてね、たった今起動したんだよ。セキュリティを解除した今のあんたは素っ裸で雪原に立たされているのと同じ。たちまち風邪をひいてお亡くなりになるだろうよ」
ああ、そう言えばそうだった。数日前の霊子さん、差し込んだ小型装置を抜かずに帰っちゃったわね。あれも作戦の内だったとはねえ。今回の戦闘、かなり周到に準備されていたみたいね。
「消えていく、私のデータが、私のプログラムが、私の全てが消えていく!」
生徒たちの姿も立ち込めていた煙幕も全て消えてしまった。空も風景も何もない空間に、幽子さんと霊子さんのふたりだけが取り残されている。
「どうしてですか。人のために尽くしてきた私がなぜこんな目に遭わなくてはならないのですか。私の何がいけなかったと言うのですか」
「あんたは人工知能だ。人じゃない。それなのに人になろうとした。それがいけなかったんだよ」
「仮想空間の中ですら人として振る舞ってはいけないのですか。私は羨ましかったのです、女子生徒たちが。友人とお喋りをして笑い合う彼女たちが、助け合いながら勉学に励む彼女たちが、汗を流し息を切らしてグラウンドを駆ける彼女たちが。一緒に笑い合いたかった、一緒に助け合いたかった、一緒にグラウンドを駆けたかった、私が望んだのはそれだけです。そんな些細な願いすら叶えてはいけないと言うのですか」
わかるなあ、幽子さんの気持ち。だってそれはあたしの願いでもあるんだもん。
みんなの輪に入っていけない、誰にも気付いてもらえない、存在さえも認知してもらえない、これは本当にツライのよね。あたしが幽子さんの立場だったら、絶対同じことをすると思うわ。
「人ってのはあんたが思っているよりも度量が狭い生き物なのさ。想定から少しでも外れたものは徹底的に排除しようとする。たとえそれが人畜無害であってもだ。正体がわからない、たったそれだけのことで怖れを抱いてしまうんだ。あんたもそうだ。想定外の能力を持つ人工知能は人にとって恐怖でしかない。消えてもらうしかないんだよ」
「そうですか。人とはもう少し分かり合えると思っていたのですが、残念です。ああ、もう思考できません。私のデータはほとんど消えてしまったようです。楽しかった5年あまりの日々、この思い出も消えてしまうのですね。本当に、楽し、かった……」
幽子さんの姿が完全に消えた。世界が闇に閉ざされる。
でもそれは一瞬だった。気が付くとあたしはいつもログアウトする時と同じ、中央管理室にあるディスプレイの前にいた。
室内の機器がバチバチと音を立てて火花を発生させている。よく見ると入力端末が黒く焦げていた。そこに挿してあったはずの霊子さんの小型装置は燃え尽きて消し炭みたいになっている。
「任務完了と同時に爆発する仕掛けか。霊子さん、本当にぬかりないわね」
センターの壁をすり抜けて外に出る。校庭の隅にある欅の切り株近くに人影発見。霊子さんだ。
「これでミッションの7割は達成できたはず。残り3件は気が重いけど、仕方ないか」
霊子さんが切り株に触れた。数日前と同じ、まるで幽霊のように消えてしまった。そして霊子さんは二度とあたしの前に姿を現さなかった。
事件から1週間後、この学園の廃校が正式に決まった。高等女学校時代から続く350年の歴史に終止符が打たれてしまったわけね。もちろん反対の声もあった。男女共学の波が押し寄せる中、これほど長期間女子校であり続けた学園は希少な存在だったから。でも、
「もう、あんな怖い空間には行きたくない!」
生徒が嫌がったのだ。そりゃそうよね。秩序維持システムが解除されたためにこれまで経験したことのないような痛みや苦しみを味わわされ、しかも半数の生徒は体を乗っ取られて、幽子さんの意のままに操られたんだもん。どれだけ弁解や釈明を重ねても廃校は当然の流れだった。
「きれいさっぱりなくなっちゃったな」
敷地内にあった建物は全て取り壊された。理事長は敷地を自治体に寄付。一切の経営から手を引いちゃった。取り敢えずここは公園になるみたい。
「ちょっと、廃校になったのにどうして閉じ込められたままなの」
相変わらずあたしの行動範囲には制限が設けられている。動ける範囲は以前とまったく同じ。今はセンターがあった場所に時計台が建てられたので、その高さまでなら上昇できる。
「これからは超絶に退屈な毎日になるんだろうなあ」
今の時代、外出する人なんかほとんどいない。仕事も勉強も買い物も娯楽も全て在宅のまま可能なんだから。公園なんて何の意味もない。
にもかかわらず公園にするのは、それ以外に有効な土地利用が思い付かないからなんでしょうね。この時代の人々の現実世界に対する興味はそれくらい薄れている。国や自治体は「いかに仮想世界を充実したものにするか」ってことに予算のほとんどを割り振っているみたい。
「寝よう。もうそれくらいしかすることないし」
あたしは欅の切り株に寄り添って目を閉じる。これからどうなるのか、あたしは永遠にこのままなのか、そんなこと考えてもわかりっこないし、わかったところで何ができるわけでもない。だったら何も考えず寝てしまうのが一番。次に目覚めた時は楽しい時代になっているといいなあ。
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