最終話 変えられなかった未来

地下深くの空間で見付けたもの

 鈍色にびいろの空から雨が降ってきた。500年振りに目を覚ましたあたしの口から、これといった理由もなく同じ言葉が漏れる。


「本日は晴天なり、本日は晴天なり」


 これはマイクテストの決まり文句。決まり文句なので雨が降っていても晴天なりと言わなくてはいけない……ふふ、懐かしいなあ。女子生徒たちのそんな風景を眺めていたのがつい先日のような気がする。

 幽霊になって1000年、たくさんの思い出があるんだけど、今しがた回想した思い出が一番心に残っている。設立されたばかりの高等女学校。焼け跡に立つ校舎。下ばかり向いている生徒たち。仮想空間の学校。

 この4つの記憶だけがはっきりと思い出されるのは、きっと生徒が亡くなったからでしょうね。衝撃的な出来事って世の中にはたくさんあるけれど、突然奪われる命ってのは特別な意味があるんだと思う。


「ここもだいぶ変わったな」


 公園の時計台はまだ残っていた。500年間眠っていたってわかったのはこの時計台のおかげ。時刻だけでなく年月日まで表示されているから。

 それ以外は全てが変わった。欅の切り株はもちろん樹木は一本も生えていない。樹木だけじゃない、雑草すらない。あるのは人工的な建造物だけ。そこに人の気配は感じられない。鳥も虫も小動物もあらゆる生命の気配がまったく感じられない。


「昔みたいに敷地を取り囲む塀もないし、もしかしたらあたし自由に動けるのかも」


 期待しながらあちこち漂ってみた。ダメだった。東西南北、どちらへ行ってもこれ以上進めなくなる見えない障壁がある。感覚的に以前とほぼ同じ広さの中に閉じ込められているみたい。


「となると、高さもあの時計台までか」


 浮かび上がる。予想通り、時計台より上には行けない。


「誰も来ない、話を聞けない、どこにも行けない、これじゃもう何もすることがないじゃない。仕方がない、起きたばかりだけどまた寝るとしますか」


 欅の木があったと思われる場所に降りて目を閉じる。変だな、全然眠くならない。いつもなら「寝ちゃダメ」って時でさえ目を閉じれば眠ってしまうのに、どうして今日に限ってこんなに目が冴えているんだろう。


「まるで誰かに何かをやりなさいって言われているような感じ。でも今のあたしにできることって言ったら、見る、聞く、動く、これだけしかない」


 なにしろ幽霊になって1000年も経とうと言うのに最低レベルのままなんだから。周囲を見回しても民家とはとても言えない箱みたいな建造物が立ち並ぶ無味乾燥な風景しかないし、耳を澄ましたところで声も雑音も騒音も聞こえてこない、強いて言えば風が吹き過ぎる音くらい。動いたところでこの敷地の外にも上にも行けないし。


「んっ、待てよ」


 大事なことを忘れていた。まだ下には行ってなかった。地面の下に潜っても土とか小石とか何かの骨とかそんな物しかないから、これまでほとんど潜ったことがないんだけど、他にやることもないことだし、いっちょ潜ってみましょうかね。


「うりゃ!」


 土の中は真っ暗。当然よね。でも顔が物体を通り過ぎる時にそれが何であるかは認識できる。あっ、今、大きな黄色い石をすり抜けた。あっ、今、粘土質の塊を通り抜けた、みたいな感じ。


「思ったより深く潜れるわね」


 高さと同じく深さに関してもあたしの行動を制限する何かが存在するはず。考えられるのは時計台の基礎だけど、それにしては深すぎる気がする。他に何があるんだろう。縦方向だけでなく横方向にも動いてみる。


「これは……」


 一瞬、何かが顔をすり抜けた。戻ってもう一度すり抜ける。これは、根だ。木の根だ。でもおかしいな。地上には草木の1本も生えてなかったのに。根っこだけで生きていられる木なんてあるはずがないし。


「この根に沿って降りて行ってみるか」


 考えてみればあたしの浮上高度を制限している建物だって生命体じゃないんだから、この根が生きていようが死んでいようが関係ないことだ。潜行深度を制限しているのがこの根なら、先端まで行けば進めなくなるはず。それを確認してみよう。


「変だな」


 根の先端にはなかなかたどり着けない。それどころか根は下に行くにつれて太くなっていく。常識では考えられない現象を目の当たりにしてなんだか怖くなってきた。引き返したほうがいいかも、と思い始めたところでいきなり目の前に巨大な空間が広がった。


「な、何なの、ここは!」


 地下の空間なのに光がある。建造物がある。木が生えて緑の葉を茂らせている、それも逆さまに。


「これ、欅じゃない!」


 間違いない、あたしが幽霊になってからずっと一緒に時を過ごしてきた欅、あの木に間違いない。あたしをここまで導いてくれた根、あれはこの欅の根だったんだ。


「おまえ、生きていたのね」


 雷に打たれて半分に裂け、切り倒されて切り株になり、その切り株さえも撤去されてしまってもなお、地下のこんな場所で頭を下に向けて生き永らえていた欅の木。懐かし過ぎて頬ずりしたくなった。


「どんだけ根性あるのよ。嬉しくて涙が出そう」


 見知らぬ街でひとりぼっちになり心細くてたまらなくなった時、偶然知人に出会った、それに似た安心感があたしの胸に広がった。きっとこの欅があたしをここに呼んだんだ、そう思った。


「それにしても地下の奥深くにこんな場所があるなんて、ちょっと驚きね」


 あたしは空間の上部を行き来しながら観察した。高さは20階建てのビルくらいしかないけど面積はかなり大きい。ちょうど学校の敷地くらいの広さかな。その真ん中に大きな建物、そしてそれを囲むように小さな建物が3つある。


「ここまで来たら行くしかないわね」


 中央の大きな建物に入り込む。幽霊だから怖いものなしよ。誰かに見付かる心配もないし、たとえ見付かっても命を奪われることもない。いつもと同じように気ままに飛び回る。


「ここ、学校システム運営センターに似ているわね」


 建物内部は電子機器がずらりと並んでいた。かすかな振動音と明滅するランプの状態から察するに、現在もまだ稼働中みたい。


「もしかしたら新しい学校システムなのかも」


 500年前の記憶がよみがえった。ディスプレイに触れて「はいれ」と念じればネットの世界に入れたのよね。ちょうどディスプレイがあるし、やってみるか。


「入れ!」


 しばらく待つ。何も起きない。駄目か。ネットとは関係のない施設なのかな。


「他の建物へ行ってみよう」


 適当に3つのうちのひとつへ入る。そこは電源施設のようで、太い電線があっちこっちに伸びている。のたうつ蛇みたいに気持ち悪いのですぐ退出。次に入った建物はサーバルームのようで、デジタル表示盤を搭載したボックスが整然と並んでいる。特に何かできそうもないので退出。


「あれ、ここはガランとしているわね」


 最後に入った建物はほとんど何もなかった。中央に大きな円形の台、それに付随する制御盤、小屋みたいな丸型ドーム。あるのはそれだけ。でも妙に不自然なのよね。


「あの台、どうして何も乗っていないんだろう。乗っていた何かはどこへ行ったんだろう」


 なぜそんな気がするのか自分でもよくわからない。ただその何かが存在していた光景をどこかで見たような気がするのよ。


「そう、確かに何かがあの台の上に乗っていた。丸くて、頑丈で、内部には人が入り込めるくらいの空洞があって……あっ!」


 自分の言葉が真実になった、そんな気がした。だってあたしが思い描いていた通りの物体が突然台の上に現れたんだもん。


「もしあたしの想像通りだとしたら……」


 物体の中へ入り込む。いた。人がいる。若い女性。コックピットに似た空間に座って目を閉じている。眠っているのかな。でも何だろう、この懐かしい気持ち。この娘、見たことがある。一度だけじゃない。何度も、何百回も、あたしはこの娘と一緒にいた。その頬に触れてみる。途端にあたしの世界は変わった。


「戻って来た。やっとあたしは戻れたんだ」


 それはあたしの体だった。何もかもが元通りになった。心も、体も、そしてあたしの記憶も。

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