3人の女子生徒

「いいなあ勇子、玉子焼き入ってる。羨ましい。あたしは今日も野菜の煮物だよ」

「ならやるよ。ほれ食いな、ユッコ」

「勇子、感謝!」

「デブに餌を与えないでください。これ以上太ると椅子が壊れます」

「ユウは黙ってろ」


 女三人寄ればかしましいって言うけどまさにそれ。お昼休みの教室は本当に賑やか。数人ずつ固まってお弁当を食べるからね。特に目につくのが勇子さんとふたりの友人。

 ユッコはふくよかで丸っこい女子。ユウは背が高く短髪。遠目からだと男子と見間違えそう。そして勇子さんは長髪で目鼻立ちのはっきりしたかなりの美少女。その代わり口が悪い。友人同士だとおじさんみたいな言葉で喋る。

 全然タイプの違う3人なんだけど、登下校も休憩中もお弁当の時間もいつも一緒に行動している。よっぽど気が合うのね。


「あー、勇子はいいなあ。毎日ちゃんとしたおかずで。あたしも玉子焼きや塩鮭を腹いっぱい食べたいよ」

「白飯が食えるだけマシだろ。よその組には芋をかじっているヤツもいるみたいだし」

「ユッコ、腹八分目医者いらずという言葉をじっくり噛み締めて食べてみたら。少しは痩せるんじゃない」

「あたしは太ってない。標準値の範囲内よ。見た目で判断しないで。ユウこそ背が高すぎるんじゃない」

「別に高すぎない。標準値の範囲内だ。男子の標準値だけどね」


 お喋りの内容は品がないけど面白い。まだまだ社会の先行きが見えなくて不安がいっぱいだけど、楽しいお喋りでそれを紛らわせようとしているのがよくわかる。それにお弁当は楽しく食べたいもんね。


「あ、あの、勇子さん」


 おどおどした声で話し掛けてきたのは礼子れいこさん。どこにでもいる平凡な女子生徒なのにちょっと浮いた存在。その理由は彼女が転校生だから。ほんのひと月ほど前に突然やって来たのよね。

 どうせ転校するならこんな焼け残りの学校じゃなくて、もっとちゃんとした校舎のある高校にすればいいのに、って思ったのはあたしだけじゃないはず。

 気が弱くて素直な性格のせいでみんなが嫌がる今学期の級長を押し付けられちゃった。だけどこういう損な役回りが多い人って、意外と芯はしっかりしていたりするのよね。


「何だよ、級長」


 それまでお喋りしていた3人は話をやめて一斉に礼子さんを睨んだ。


「えっと、その、先生からの言付ことづけです。今日、授業が終わったら職員室に来るように、とのことです」

「ちっ!」


 勇子さんは弁当箱を片付けると勢いよく立ち上がった。すたすたと出口へ歩いていく。


「ど、どこへ行くのですか」

「級長には関係ないだろ」

「授業が終わったら職員室へ行ってくださいね。忘れないでくださいね。確かに伝えましたよ」

「ああ、確かに聞いた。あたしが職員室に行かなくても級長のせいじゃないよ」


 荒々しく戸を開けて廊下に出ていく勇子さん。残されたユッコとユウが後を追う。ついでにあたしも追い掛ける。この半年間観察し続けてきた勇子さんの行動パターンから類推するに、恐らくこのまま午後の授業をボイコットするはず。


「うん、思ったとおりだ」


 3人は校舎を出て校庭を歩いていく。風を切って歩く勇子さんの後をユッコとユウは追いすがるように付いて行く。こんなに意地っ張りなヤツと友人関係を続けているこの2人にご苦労さまと言ってやりたくなるよ。


「勇子、また抜けるの? これ以上授業さぼったらまずくない?」

「そうだよ。冗談抜きで卒業できなくなる」

「卒業なんかしなくていい。何の意味もない」


 この言葉はきっと初めて聞かされたのだろう、ユッコとユウは顔を見合わせて呆れた顔をしている。


「意味がないことないよ。卒業できなかったら落第してもう1年通わなくちゃいけななくなるんだよ。あたしなら絶対にお断りだ」

「考え直しなよ勇子。頑張ってあたしたちと一緒に卒業しよう。その方が絶対いいって」

「卒業も落第もしない。中退する」

「ウソ! 本気?」


 あーあ、すっかりひねくれちゃってる。親の心子知らず、友の心友知らず。たぶん、昔はここまでひどくはなかったんじゃないかな。だからこそ、この2人は友達付き合いをしているんだろうし。きっと戦争が彼女を変えたのね。憎むぞ、戦争。


「あんたたちは卒業すればいい。あたしだけが卒業できなかったからって、ひがんだりうらやんだりしないから。あたしの心配より自分たちの心配をしなよ。ほら、教室に戻りな」

「勇子!」


 勇子さんは校門を出て歩いていく。追い掛けたかったけど校門の外へは出られない。見えない障壁があるのだ。


「行こう、ユッコ」

「うん」


 それは残された2人も同じだった。見えない何かに押し返されるように教室へ戻っていく。どんなに親しく付き合っていても、この障壁を乗り越えられるほどの仲ではないのだ。


「先生、すっぽかされてどんな顔をするんだろう」


 授業が終わったら職員室へ行ってみよう。待たされてイライラする先生を眺めるのが今から楽しみ。


「昨日、どうして来なかったのですか」


 翌日、遅刻した優子さんが教室へ入ってきた途端、先生の口から出た言葉がこれ。


「すみません。昼に突然具合が悪くなったので早退しました」

「ウソはやめなさい。お家へ確認したところ、いつもと同じ時刻に帰宅したと言われました。どうせ授業をサボって遊び歩いていたのでしょう」


 勇子さんも詰めが甘いなあ。仮病を使って家で寝ていればよかったのに。まあ別にウソがばれたところでどうでもいいんでしょうけど。


「すみません。本当は職員室に行きたくなかったので早退したんです。先生とは話したくありませんから」

「な、なんてことを!」


 うわー、言っちゃったよ。正直は美徳だけど、ここまで行くと馬鹿だね。正直者が馬鹿を見るって諺、知らないのかな。


「わかりました。もう結構です」


 先生は完全にお手上げ状態だ。一方、勇子さんは飄々ひょうひょうとしてまるで気にしていない感じ。この肝の据わり方、将来大物になるんじゃないかなこの娘。


 その日はいつになく教室の雰囲気が重苦しかった。あんな形で朝が始まったのだから当たり前か。楽しいはずの昼休みもお喋りに花がない。


「ねえ、勇子、昨日のことだけどさ。もう一度考え直さない」

「そうだよ。普通に出席して普通に試験を受ければ卒業できるんだもん。勇子は頭がいいんだし、楽勝でしょ」

「ああ、心配してくれてありがと。だけど決めたんだ、卒業前に学校を去るって。あたしのことは放っておいてくれ」

「でも……」


 これじゃお弁当も楽しく食べられないわね。見ているあたしもあんまり楽しくない。今日は他の教室へ行こうかなあ。


「あ、あの、勇子さん」


 おっ、礼子さんだ。昨日にも増しておどおどしている。また先生から言伝を頼まれたのかな。級長なんて言ってみれば先生の雑用係ですからね。礼子さん、貧乏くじを引かされて本当にお気の毒。


「なんだよ」

「お話があるので一緒に来てくれませんか」

「はん、そう言って職員室まで連れて行くつもりなんだろう。誰がそんな手に乗るかよ」

「いいえ。私があなたにお話ししたいのです。お時間を取らせませんから一緒に来てください」

「あんたが、あたしに?」

「はい」


 猜疑心いっぱいの目で礼子さんを睨み付ける勇子さん。これは面白くなってきた。しばらく見学させてもらおうっと。


「ならここで話しな。聞いてやるよ」

「ここでは、ちょっと……他の生徒の皆さんもいますし」

「別に聞かれても構わないよ。どうせたいしたことじゃないんだろう」

「でも」

「あたしが構わないって言ってるんだ。いいから早く話しな」


 勇子さん、短気だなあ。礼子さんが先生の言い付けで仕方なくやっていることは勇子さんもわかっているはずなのに。もう少し優しくしてあげてもいいんじゃない。


「それなら話します。勇子さんは絶対に卒業するべきだと思います。だってそれが縁談相手の条件なのでしょう」

「えっ、縁談!」


 ユッコとユウが同時に驚いた。当然あたしも驚いた。毎日校内を飛び回ってウワサ話を聞きまくっているのに、勇子さんに縁談話が持ち上がっていたなんて初耳だよ。


「あんた、それをどこで」

「先生です。昨日はその件で勇子さんと話がしたかったそうです。縁談の相手側は勇子さんの卒業を望んでいる。何としても無事卒業させてこの縁談をまとめたい。先生にも尽力をお願いしたいと、勇子さんの親戚の方が直接先生に頼みにきたそうです。でも勇子さんは先生とは話をしたがらない。そこで級長のあたしから勇子さんによく言って聞かせてほしいと……」

「ああ、もうたくさんだ。聞きたくない」


 両手で机を叩いて話を遮ると勇子さんは教室を出て行った。ユッコとユウも後に続く。ションボリと立ち尽くす礼子さんはまるで先生に叱られた小学生みたい。


「よしよし、あなたは少しも悪くないんだからね」


 頭を撫でて慰めてあげる。言うまでもなく空振りなんだけどね。そしてすぐさま3人を追って教室を出る。こんなにワクワクする話は久しぶりだもん。もっと詳しく聞いておかなくちゃ。


「待ってよ、勇子。どうして隠してたの」

「そうだよ。小学校の頃からの付き合いなのに水臭いよ」

「2人には関係ない。話す必要はないだろう」


 3人がいるのは欅の木の下。あの空襲で被害を免れたのは鉄筋コンクリート製の校舎とこの欅だけ。木の横には空襲で亡くなった生徒たちを悼んで慰霊碑と小さな塚が作られている。そのおかげでここは人目に付かない、ちょっとした隠れ家みたいになっているの。内緒話をするにはもってこいの場所ってわけ。


「関係ないことない。どうして勇子が卒業したがらないのかやっとわかった。この縁談をぶち壊したかったんでしょ」

「ああ。相手は役場に勤める30男だ。冗談じゃないぜ」

「なら親にそう言えばいいんじゃ、あっ!」


 ユウが口を押えた。勇子さんに親はいない。親どころか祖父母も兄弟姉妹もいない。親戚の家に厄介になっている身なのだ。


「縁談なんてていのいい言い訳さ。要はあたしを追い払いたいんだよ。もし縁談がまとまらなくても高校を卒業したら家を追い出されるんだ。大卒の男子でさえまともな職に就けないこのご時世に、あたしみたいな小娘が高校を出たところで働ける場所なんてたかが知れてる。だったら卒業なんかしないで今のうちに金を稼いでおこうと思って、毎日闇市で働かせてもらっているんだ。コツをつかめば結構稼げるぜ。独り立ちするにはまだまだ足りないけどな」


 絶句! 不遇なのは礼子さんだけじゃなかったのね。礼子さんが貧乏くじを引いたのなら勇子さんは極貧ごくひんくじを引いちゃったって感じかな。

 好きでもない30男に嫁ぐか、貧乏覚悟で独り立ちするか、選ぶなら後者に決まってる。だってあたしたちはまだ17才なんだもん。


「金か。そうだよな、世の中は金だよなあ」

「お金よりご馳走のほうがあたしは好きだなあ」

「ユッコは黙ってろ」


 こんな時でも笑わせてくれるね、この2人は。


「ユウもユッコもわかっただろ。これはあたしひとりの問題。あんたたちが頭を捻ったってどうにもなりゃしないんだ。これ以上首を突っ込まないで放っておいてくれ」

「いや、そんなことはないよ、勇子」


 ユウが腰に手を当てて仁王立ちになった。背筋を伸ばすと体格の良さがよくわかる。スカートを履いていなかったら海軍の水兵さんみたい。上着はセーラー服だし。


「要するに縁談なんか断っても大丈夫なくらいの金を手に入れればいいんでしょ。任せてくれ」


 大見得を切るユウさん。大金が手に入るアテでもあるのかな。

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