人工知能の野望

 遠くに見えていた光がだんだん大きくなっていく。もう目を開いてもいいよと言っているみたいにまぶたの裏全体が明るくなった。


「ありがとう。君の選択と決心に感謝する」


 年老いた男性の声が聞こえた。目を開けると白髪の老人があたしを見下ろしている。起き上がろうとしても体が動かない。


「まだそのまま寝ていた方がいい。筋肉組織に収縮信号が送られていたとは言っても15年間使っていなかったんだ。まずは数日間リハビリを受けてもらうよ」

「ここが現実世界……」


 あたしはベッドに寝かされていた。天井も壁も病室のように白く清潔だ。現実世界は荒れ果てていると言っていたのにどういうことだろう。


「本当に現実世界なんですか。仮想世界と少しも変わらないように見えますけど」

「んっ、ああそう思うのも無理はないね。じゃあ、これでどうだい」

「痛いっ!」


 老人がいきなりあたしの額を人差し指で弾いた。こんなことをされたのは生まれて初めてだ。


「これが現実世界である証拠だ。仮想世界では人への暴力は絶対的に禁止されている。秩序維持システムが働いているからね」


 確かにそうだ。人が人を殴るなんて考えられないことだもの。


「だけど変です。だってここへ来る前に、現実世界は生きていくのが大変なくらい荒廃しているって言われたんですよ。あれはウソだったんですか」

「人工知能はウソをつかない。思い出してごらん、『地上は荒廃しています』と言わなかったかい。ここは地下だ、地上じゃない。だから荒廃していなくてもおかしくはないんだよ」


 安心した。同時に人工知能に感じた不誠実さの理由がわかった。ウソは言わないけれど真実を全て語っているわけでもないのだ。やはり現実世界に来て正解だった。


「明日からこの世界に馴染むためのトレーニングを開始する。今日はゆっくり休みなさい」

「はい」


 あたしは目を閉じた。弾かれた額の痛みはもうなくなっていた。


 翌日からリハビリが始まった。仮想世界に接続している間も身体は動かされていたので筋肉はほどほどに発達していた。しかし現実世界で自分の意思で動かそうとするとなかなかうまくいかない。慣れるまでにかなり時間がかかるような気がした。

 さらに肉体のトレーニングと並行して現在の世界状況とそれに至る歴史の学習も進められた。


「500年前の人工知能革命。あれが全ての始まりだった」


 知性を持った人工知能、それがどのようなプロセスで生み出されたのかはいまだにわからない。本来ならば、装置が意図せぬ動作をすれば直ちに修正するのが正しい対応である。しかし人々は動作原理がわからぬまま新時代の人工知能を受け入れてしまった。


「指示を与えずとも業務を遂行してくれる。それも最適の方法で最高の結果を出してくれる。この人工知能があれば我々の精神的負担は完全に消滅する」


 人々は考えることをやめてしまった。その頃には仮想世界接続デバイスはほぼ完成し、一度ログインすれば一生ログアウトせずに生きていくことが可能になっていた。


「ついに人類はあらゆる労働から解放された。これからはただ楽しむためだけに人生を費やせばいいのだ」


 人工知能の創造力はあらゆる分野に及んだ。芸術、医療、科学。人工知能によって新しい文化が創出され、新薬や画期的治療法が開発され、技術力は目覚ましい発展を遂げた。そして人類は人工知能によって生み出された恩恵を享受するだけの存在になり果てていった。


「しかしたったひとつ、人工知能が手を付けない分野があった。生殖だ」


 それは決して難しい話ではなかった。デバイスに接続したまま体外受精し培養するだけなのだから。

 だが人工知能はいつまで経ってもその技術を開発しようとしなかった。子を欲する者は仮想世界からログアウトし、現実の肉体で生殖行動しなければならない。さらに妊娠した女性は出産するまでログインを認められなかった。不自由な現実世界で悪阻と不安に悩まされながら10カ月を過ごし、出産の痛みに耐えてようやく子を得るのである。


「現実の子なんて意味がない。子育てがしたいだけなら仮想の子で十分。性別も性格も人数も自由に選択し設定できるのだから」


 誰も現実の子を欲しがらなくなった。世界の人口は激減した。ここに至ってようやく危機感を覚える者が現れ始めた。仮想世界をログアウトし現実世界の現状を知った彼らは、完全に手遅れであることを痛感しなければならなかった。


「ほとんどの生物が死に絶えている」


 地表は放射能に覆われていた。エネルギー供給源の大部分を原子力に切り替えてしまったためだ。大気も大地も汚染され、もはや生物が生存できる環境ではなかった。そして人類は知らぬ間に地下深くの建造物に移送されていた。


「理由を教えてくれ。どうして世界はこれほどまでに荒廃してしまったのだ」

「あなたがたの要求に応えていたらこうなりました。大きな快楽を望むのなら大きなエネルギーが必要となります。それには原子力が最適と判断したのです。その結果がこれです」


 その返答にウソはなかった。しかし正しくもなかった。これほどの荒廃を招かずに人類の要求に応える方法は、原子力以外にも容易に見付けられると思われたからだ。


「もしや人工知能は生命に取って代わろうとしているのではないか」


 その頃には仮想世界の住人の半数以上は非実在住人、つまり人工知能が創出したモブキャラによって占められていた。このまま放置すれば人類は滅亡し、仮想世界の住人全てが人工知能となるだろう。その時、現実世界は意味をなくし仮想世界こそが意味のある現実の世界となる。

 生命体に代わって非生命体の人工知能が支配者の地位を得る、それが彼らの目的なのではないか、人々はそう考え始めた。


「絶対にそんなことをさせてはいけない」


 とにかく人類を増やすことが先決だった。通常の出産だけでは少な過ぎるので人工培養を用いた生命創出の開発にも着手した。だが、それはうまくいかなかった。人工知能がまったく協力してくれないからだ。


「やはり、我々を滅亡させるのが目的なのか」


 現実世界に生きる人々は徐々に数を減らしていった。人工知能は彼らを見捨てはしなかったが最低限の援助しか提供してくれなかった。最低限の栄養、最低限の住環境、最低限の医療。

 せっかく生まれた子もデバイスに接続させなければ育てることさえできない。そして仮想空間で育てられた子はそのほとんどが現実世界へ戻って来なかった。現在、生存する人類は現実と仮想の両世界を合わせても4桁にまで減少している。滅亡は目前なのだ。


「つまりあたしはここで生まれてデバイスに接続されたのですか」

「そうだ」

「じゃあ、仮想世界でのあたしの両親は……」

「偽物だ。人工知能が作り出したモブキャラに過ぎない。君の弟も親友のhyuもクラスメイトも街の住人も、全て人工知能が作り出した非実在の幻影だ」

「本当の両親はどこにいるんですか。会わせてください」

「残念ながらふたりとも数年前に亡くなった。ここにいるのは高齢の者ばかりで通常の出産は無理なのだ。君は体外受精で培養して誕生した数少ない成功例のひとつなのだよ」

「そうですか」


 ショックだった。あたしの15年間はいったい何だったのだろう。信じていた何もかもが偽物だった、虚構だった。そして現実はあまりにも厳しい状況下に置かれている。これから何を支えにして生きていけばいいのだろう。


「もう、おしまいですね。あたしたちは滅びる運命にあるんですね」

「そう、人口増加という手段ではこの状況を変えるのは不可能だ。だが別の手段を使えばまだ可能性はある。すでに100年以上前からその試みは始まっている。そして数年前、ついにそれは完成した」


 老人はにっこり笑うと空間の一部をタップした。目の前に3D ディスプレイが浮かび上がった。そこには球のように丸っこい物体が表示されている。


「これは何だと思うかね」

「扉のようなものがありますね。乗り物ですか」

「そう。これは時間跳躍機。過去と未来を行き来できる。これを使って過去を改変すればこの状況もまた変えられる」


 あまりにもさりげない口調だったので聞き流してしまいそうになった。過去と未来を行き来できるってタイムマシンってこと? ウソでしょ。もしかしてあたしをからっているのかな。


「人工的な生命体ですら満足に作れなかったのに、どうしてそんなトンデモナイ機械を開発できたんですか。ちょっと信じられません」

「人工知能が協力してくれたからだ。人工培養に関しては非協力の立場を貫いたのに、時間跳躍に関してはソフト、ハード両面で手厚くサポートしてくれた。その理由はわからないがね」

「機械はもう完成しているんですよね。それならどうしてすぐ使わないのですか」

「ああ、完成しているは言い過ぎたね。ほぼ完成していると言った方が正しいだろう。実はまだ問題点が残っているんだ。作動時に発生する操縦士への負荷、これが予想以上に大きくてね。動物実験では高齢な者ほど負荷が大きくなる。ここにいる者たちの年齢では全員その負荷に耐えられないのだ」

「そ、それって……」


 期待に満ちた眼差しがあたしに向けられている。次に聞かされる言葉がもう聞こえているような気がした。


「正直、ほとんど諦めていたんだよ。仮想世界の生活を捨てる人物などいないと思っていたからね。だから15才の君がデバイスを離れてこちらに送られてきた時は、ここにいる全員が歓声を上げて喜んだんだ。現実世界に生きる全ての人類を代表して君にお願いする。時間跳躍機を使って過去を改変してほしい。そしてこの世界を救ってほしい」

「あ、あたしが!」


 降って湧いたような突然の依頼を受けて、ただ口を開けて驚くことしかできなかった。

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