あたしの未来は過去にあるの

 時間跳躍機の扉が開いた。操縦席に座ったまま室内を見回した。大勢のスタッフに見送られてここを出発したあの日が昨日のことのように思われる。


「出迎えはひとりもなし、か」


 ここはあたしが過去を改変したために生じた世界。施設内部はよく似ているけどあたしの記憶とは微妙に異なっている。照明灯の色とか装置の形とか。でもこの世界は間違いなくあたしが出発した時代の世界だ。


「思い出すなあ、最初にここへやって来たあの日を」


 リハビリを終えて日常生活を支障なく送れるようになると、直ちに時間跳躍機の操縦訓練が始まった。何もかも初めての体験で戸惑うこともあったが2年で全ての課程を終了できた。


「ここが跳躍機の発着基地だ」


 連れられてやって来たのは地下深くの施設だった。上部には樹木が逆さまに生えている。


「あの木は何ですか」

「欅だ。生命体を時間軸に沿って移動させるためには、移動する全時間帯に存在する生命体が必要なんだ。この欅は樹齢1500年ほど。つまりこの欅の生命時間軸を利用すれば1500年前までさかのぼれることになる。すでに根だけの状態になっていた欅を再生させ、放射能汚染が進行している大地ではなくこの地下空間で生かし続けていたのだ」

「この欅を利用するためにここに基地を作ったんですね」

「それもある。しかし一番大きな理由はこの基地の真上にターゲットが存在していたことだ。500年前の人工知能革命の端緒となった人工知能、Yu・零型0号。これを破壊することが最重要かつ最優先の君の任務となる。この跳躍機は時間移動はできても空間移動ができない。ターゲットの近くに跳躍した方が何かと都合がいいだろう」

「空間移動できないのなら跳躍した後も地下深くに埋まったままなんですよね。どうやって地上に出ればいいんですか」

「腰に巻いて装着できる超小型の空間跳躍機がある。それを使えば瞬時に空間を移動できる。ただしそれほど長い距離は飛べない。うまく使ってくれ」

「わかりました」


 それ以外にも細々こまごまとした指示を受けた。

 エネルギー充填100%なら過去へ4回、未来へ1回跳躍できる。よって失敗は3回まで許される。

 もし首尾よく1回でYu・零型0号を破壊できたら、万全を期すためさらに過去へ跳躍し3人のターゲットを抹殺する。

 未来への跳躍はまだ万全ではなく不具合発生の可能性がある。任務完了後に帰還する場合はチェックリストを入念に確認してから作動させる、などなど。


「任務失敗の場合でも必ず帰還するように。我々は君の失敗を責めたりしないから」

「はい。でもやるからには必ず成功させて帰還します」


 こうしてあたしは過去へ跳躍した。最初のターゲットである人工知能Yu・零型0号は首尾よく1回で消滅させられた。だけど残る3人のミッションは気が進まなかった。


 3人がターゲットにされた理由は人工知能の発展に大きく寄与したためだ。

 スマホの好きな憂子さんは卒業後AI研究の第一人者となり、Yu・零型0号の原型となる人工知能を開発していた。

 金儲けに情熱を傾ける勇子さんは勇ファイナンスという金融会社の経営者となり、その後、その会社は勇ホールディングスと名を変えて、仮想空間接続デバイスを開発し独占的な販売を開始していた。

 医者を志す優子さんは脳神経外科の世界的権威となって国立脳神経研究所の初代所長となり、その後、その研究所から発表された「機械と神経の接続理論」によって生体信号を直接脳に送信する技術が開発されていた。


「彼女たちは生身の人間。できれば命を奪わずに任務を達成したい」


 時間跳躍機に装備された記録装置で3人のデータを洗い出すうちに、ある共通点が見付かった。彼女たちは全員同じ学校の生徒だった。しかもその学校はYu・零型0号が格納されていた施設と同じ敷地に建てられていた。


「これよ!」


 この偶然を利用しない手はない。命を奪わなくても彼女たちの生き方を変えればいいのだ。憂子さんにはスマホのない人生を、勇子さんには金儲けとは無縁の人生を、優子さんには平凡な主婦の人生を。彼女たちの未来を人工知能とは無関係なものにしてしまえば、任務完了と見なしてよいはずだ。


「そうよ、やってみる価値はある」


 あたしは女子生徒となって3人に近付いた。あたしたちの時代の技術を使えばさほどの苦労もなく学園に入り込めた。


 現実世界での学園生活、それは新鮮な体験だった。仮想空間では味わえなかった怒り、悲しみ、憎しみといった負の感情がこれほど心を揺さぶるものだとは思いもよらなかった。そして負の感情があるからこそ喜び、嬉しさといった正の感情がより強く輝くのだと、あたしは初めて知ることができた。


「でも結局うまくいかなかった」


 3人を説得するのは無理だった。あたしは彼女たちの命より与えられた任務を優先した。3つの命で数え切れない人類の命が助かるのだ、そう自分に言い聞かせて彼女たちの命を奪った。


「これであたしの世界は救われる。人類の滅亡は回避できる。さあ帰還しよう」


 あたしは未来跳躍の作動スイッチを押した。その時、予期せぬ事態が発生した。恐れていた未来跳躍時の不具合、精神と身体の分離だ。


「解決されていない問題で一番厄介なのは意識の消失なんだよ。過去から戻って来た高齢の生命体は、そのほとんどが意識を失った状態で帰還する。すぐ目覚める場合もあるし、意識が戻らないまま死に至る場合もある。君の年齢なら発生確率は低いと思うが、一応覚悟しておいてくれ」


 残念ながらあたしの場合も発生してしまった。たぶん1000年という大跳躍だったからだと思う。

 分離したあたしの精神は未来へ跳躍した身体の反動で、あたしが存在した最も過去の時点へと飛ばされた、全ての記憶を失って。


「えっ、あたしって幽霊なのかな」


 今思うとこんな発想をした自分が恥ずかしくて仕方がない。でもあんな状況なら誰だってそう考えるはずだ。


 身体がなくても見えたり聞こえたりしたのは仮想世界での経験によるものだと思う。あたしは15年間デバイスに接続されていた。その間、五感は全て脳に直接送信される生体信号によって体験させられていた。目や耳を使わずに見たり聞いたりしていたのだ。


「もともと身体を使わずに五感を体験していたのだから、精神だけの状態で体験できたとしても不思議ではないって感じかな」


 それでも五感全てが使えたわけではない。視覚と聴覚しか使えなかったのは、そのふたつが一番鍛えられていたからだと思う。仮想世界を去った後、あたしの15年間のデータを調べた。視覚と聴覚に関する信号量が群を抜いて多かった。それでこのふたつだけが生き残ったんだと思う。


 ネットの世界に入れたのは精神とネットの親和性が高かったからだ。なにしろ15年間ずっとネットの世界で生きていたんだから。


「仮想世界の体験が役に立ったってわけか。どんなことでも経験しておいて損はないわね」


 それからは幽霊のようになって自分の身体を追い掛ける日々が続いた。

 一足早く1000年先に行ってしまったあたしの身体に追い付くには1000年の年月がかかる。

 冷子、礼子、麗子、霊子、彼女たちは全て過去のあたし。1500年間存在した欅の生命時間軸を頼りにして過去へさかのぼったように、過去に存在したあたし自身の生命時間軸を頼りにして1日1日コツコツと歩み続けた。

 そして今日、改変した世界に帰還したあたしの身体に追い付いたあたしの精神は、ようやくあたしの身体へ戻ることができたのだ。


「おかえり、あたしの意識。これでやっとあたしはあたしになれたんだ」


 開いた扉から時間跳躍機の外に出る。任務完了の達成感はまったくなかった。この世界が今どうなっているのか、すでに地上にいたあたしの意識が確認していたから。

 それでも確かめずにはいられない。あたしは空間をタップした。3Dディスプレイが表示される。


「過去1000年の歴史!」


 次々に表示される情報は任務失敗を確定させるものばかりだった。確かに3人は亡くなっていた。しかし優子さんとは別の人物が脳神経の研究を始め、勇子さんとは別の人物が似た会社を作り、憂子さんとは別の人物が類似した人工知能を開発していた。そして元の世界より数十年早く人工知能革命が起きていた。


「現在の状況!」


 目を覆いたくなる有り様だった。現実世界で生存する人数はゼロ。仮想世界に接続している人数は2桁。人類絶滅まで数十年と予測されていた。さらに悪いことにこの改変された世界では時間跳躍機は完成していなかった。完成したのは発着装置まで。本体は未完成のまま研究者たちは死に絶えていた。


「結局、あたしの努力は何の意味もなかったのね。人類を救うどころかさらなる窮地に人類を追い込んだだけだったのね。」


 ようやく理解できた。どうして人工知能が協力してくれたのか。人工生殖に関しては頑なに非協力的だったのに、時間跳躍技術に関しては惜しみなく協力してくれたその理由が。


「わかっていたんだ。過去を変えても未来は変わらないってことを」


 わかっていたから協力したんだ。人類に徒労を味わわせ、さらなる絶望の深みに陥れるために、わざと時間跳躍機を作らせ、わざと失敗させたんだ。本当に、どれだけ人類を愚弄すれば気が済むのだろう。


「あたし、これからどうすればいいのかな」


 部屋の片隅には仮想空間接続デバイスがある。施設の内部には最低1台設置するという規約に基づいて設置されたものだ。あたしは一度接続を解除しているから再度の接続はできない。


「だけどちょっと待って。それは改変前の世界の話でしょ」


 改変されたこの世界ではまだ一度も接続していない。なによりあたしが存在しているのかさえわからない。だったら仮想空間に行けるはず。基地に蓄えられたエネルギー量は残り少ないけど、あたしが寿命を迎えるまでなら十分維持できるだろう。


「そうよ。こんな誰もいない現実世界にいるより、仮想世界で楽しく暮らしたほうがいいじゃない」


 あたしは接続デバイスに近付いた。ログインしてしまえば全てが解決する。嫌なことも辛いことも忘れて自由気ままな毎日を送れるんだ。幽霊だと思っていた時と同じように。


「幽霊だと思っていた、時……」


 ふと3人の同級生の思い出がよみがえった。憂子さん、勇子さん、優子さん。胸が痛んだ。命を奪う必要はなかった。歴史は変えられなかったのだから。彼女たちの死もまた無意味だった。無意味にしたのは私だ。ならば……


「そうよ、まだあるじゃない。現実世界でやらなくちゃいけないことがあたしにはある!」


 空間をタップした。そして基地に残っている全エネルギーを時間跳躍機に注入するよう指示を出した。


「助けに行こう。もう一度歴史を改変するんだ。彼女たちが死なない歴史を作るんだ」


 同一人物が同一時間に存在する場合、過去から存在している者が上書きされる。最初の跳躍より少し過去に跳躍すれば古いあたしは新しいあたしに上書きされるはずだ。


「そして今度は本当の親友になるの。彼女たちが望む人生を送れるように」


 エネルギーの注入が停止した。まだ100%にはなっていない。施設に残されているエネルギーが尽きてしまったのだ。


「この量だと、過去への跳躍はできるけど未来への跳躍は不可能ね」


 でもそれは全然問題じゃない。だってこの時代へ戻ってくる気はさらさらないんだもん。


「跳躍可能なのは4回か。3回はあたしが命を奪った彼女たちの時代に飛ぶとして、残りの1回はどうしようかな……そうだ!」


 ずっと会いたかった人がいる。婚約者を待ち続けて亡くなった女子生徒。最後の跳躍を使って彼女に会いに行こう。そして彼女と親友になって元気付けてあげるんだ。男なんか星の数ほどいるのよ。戻って来ない男のことなんか忘れて新しい彼氏を作りなさいって。欅の木の幽霊伝説なんか吹き飛ばしてやる。


「そしてあたしはその時代で今度こそ本当の女子生徒として生きるの。仮想ではない現実の世界で、喜びも苦しみも楽しさも辛さもある世界で、あたしはあたしの人生を送るんだ」


 時間跳躍機に乗り込む。起動スイッチをオンにすると低い振動音が響いてきた。合成音声が認証を求めてくる。


「パスワードを入力してください」


 ディスプレイをタップする。『Yu.Reiko』そう、これはあたしの名前じゃない。時間跳躍機の認証パスワード。全ての記憶を失ってもこれだけは忘れなかった。


「さあ、行くわよ」


 最初の目的地をセットして跳躍システムを始動させる。待っていて、憂子さん、勇子さん、優子さん、そしてまだ見ぬ悲恋女子生徒、あなたたちの未来は必ず取り戻してあげる。

 それはあたしの未来でもあるのだから。

 あたしの未来は過去にあるのだから。

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お気楽幽霊Yu.Reikoのまったりスローライフ 沢田和早 @123456789

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