肝試しは青春の定番イベント

 寝不足で頭がぼんやりしている。

 いつもは夜が明けてから授業が始まるまで少し眠るんだけど、今朝は昨夜の出来事が気になって全然眠れなかった。

 あたしがいるのは事務室。警備員のおじさんの事情説明が行われている。


「いつものように見回っておりました。校舎の巡回を終えて外に出て、普段と同じ経路で校庭を歩いていたところ、欅の木の下に人影を認めました。ええ、そうです。小振袖に海老茶袴、長い髪。女子生徒に間違いないと思いました。そこで『おまえは誰だ。そんな所で何をしている』と声を掛けたところ、まるで煙のように消えてしまったのです。あれは人ではありません。魑魅魍魎ちみもうりょうたぐい、恐らく幽霊です」


 だいぶ話を盛ってるなあ。「うえっ、あんた、出たー」しか言わなかったくせに。まあそれはいいとして、やっぱりおじさんには見えていたんだ。

 うー、腹が立つ。おじさんに気を取られ過ぎた。振り向いて欅の木を見れば、そこに立っている幽霊をあたしも見られたかもしれないのに、残念。


「本当に女子生徒だったのですか。見間違いということはありませんか」

「月明かりがありましたしカンテラも持っていたのです。間違いありません」

「本当にすぐ消えたのですか。走り去ったということはありませんか」

「それなら追い掛けています。消えてしまったから捕まえられなかったのです」


 またでまかせを言っている。一目散に走って逃げたくせに。

 でも消えてしまったのは本当だろうな。あの後、敷地内を飛び回って探したけどそれらしい人影は見付からなかったんだから。


「わかりました。取り敢えず見回りは続けてください」

「いえ、申し訳ありませんが辞めさせてください。相手が幽霊では見回りなどしても無意味です」

「そうですか。仕方ありませんね」


 あらら、意気地がないなあ。後任はすぐ見つかるのかな。妖怪変化を相手にするんじゃ敬遠する人も多いだろうし、しばらくは宿直の先生だけで見回りだろうな。お気の毒。


「お聞きになりましたか、謎の人影の正体。幽霊だそうですよ」

「怖いですね。祟りとかなければよいのですけど」


 どこから漏れたのかこのウワサはその日のうちに全校生徒に知れ渡ってしまった。そしてそのウワサが広がることで新たなウワサが流れることになった。たぶん一部の生徒は知っていたけれども口には出さなかったのだろう。でも幽霊にほぼ間違いないと断定されたことで人々の口に上り始めたのだ。それはこんな話だった。


 数年前、5年生の女子生徒に縁談がまとまった。相手は陸軍士官学校の卒業生。間もなく少尉に任官されるのでそれを機に輿入れすることになっていた。

 本来なら縁談がまとまった時点で寿中退するんだけど、あと数カ月で卒業だったので学業を続けることになった。

 けれども好事魔多しの諺どおり、不運がふたりを襲った。ちょうどその頃、この国は大陸にある隣国と戦争をしていた。そして女子生徒の婚約者が繰り上げで少尉に任命され召集されてしまったのだ。

 戦争は勝利に終わった。しかし婚約者は帰ってこなかった。行方不明になってしまったのだ。悲しんだ女子生徒は悲嘆のあまり病にかかり間もなく息を引き取った、という悲恋話。


「おふたりは授業が終わるとよくあの欅の木の下で逢引をされていたそうです。部外者が校内に入るのは禁じられているのですが、学校側も大目に見ていたそうですわ」

「きっとその頃の幸せが忘れられなくて欅の木の下でさまよわれているのでしょうね」

「でもどうして数年も経ってから姿を現したのでしょう。何か理由があるのでしょうか」

「それは……わかりませんね」

「うわー、いい話だなあ。その幽霊、あたしだったらいいのになあ」


 女子生徒たちの話を聞いているうちに羨ましくなってきた。死後も思い出の場所で婚約者の帰りを待っているなんて素敵じゃない。

 でも待てよ、あの世で一緒になれてないってことは、その婚約者、まだ大陸のどこかで生きているってことなのかな。つまりその婚約者を欅の木の下に連れて来れば無事成仏できるんじゃない。


「あたしだわ。その悲恋女子生徒の幽霊、絶対あたしだわ」


 羨望が独断に変わってしまった。一旦捨てた「あたしこそが悲恋女子生徒の幽霊仮説」は復活させることにする。だってあまりにも素敵なんだもん。どうせならこんな幽霊になりたいじゃない。

 この女学校に在籍した記憶も婚約した記憶も欅の木の下でいちゃいちゃした記憶も病気になって死んだ記憶も一切ないんだけど、とにかくその女子生徒はあたしに違いない。


「でも待てよ。それならおじさんがあたしの姿を見た時、あたしにはあたしの姿が見えなかったのはどう説明付ければいいんだろう」


 問題はそこよね。う~ん、どうしてかなあ。教室を移動しながらあれこれ考える。そして導き出した結論がこれ。


「人には幽霊が見えるけど、幽霊には幽霊が見えない」


 ねっ、こう考えれば全然矛盾しないでしょ。幽霊の目は幽霊の姿を捉えられるようにはできていないのよ。

 そして通せんぼをしたあたしにおじさんが気付かなかったのは欅の木から離れたから。あの時は夢中で忘れていたけど「夜、欅の木の下にいる」っていう出現条件を逸脱していたのよね。だからおじさんにはあたしが見えなかったってわけ。


「そうよ、これで全ての辻褄が合う。あたしは悲恋のために夭折した哀愁の幽霊なんだわ。ああ、なんて痛ましい運命なのでしょう。あたしはこの女学校の敷地の中で帰らぬ婚約者を永遠に待ち続けるのね」


 あたしは完全に自分に酔っていた。ようやく真相がわかってかなり舞い上がっていた。それがほとんど自分の妄想に過ぎないとわかっていても満足だった。どっちにしろ真相はわかりっこない。それなら自分の好きなように解釈したっていいじゃない。


「冷子さん、最近学校中を賑わしている幽霊ですけど、本当にいると思いますか」

「どうでしょうね。ただ西洋の知識を以てしても解決できない問題は多いと聞いています。幽霊のような存在もあながち否定できないかもしれませんね」


 お昼休みの話題もあたしのことばかり。そしてさすがは冷子さんね、あたしの存在をきっちり認めてくれている。ますます好きになりそう。


「嘆かわしいこと。高等女学校最高学年の生徒の言葉とはとても思えません」


 横槍を入れてきたのは優子ゆうこさん。冷子さんに次ぐ秀才。代々大名家に仕えた御典医の家系で卒業後は医学校へ進学し女医になるんだって。お嫁にはいつ行くのだろうとちょっと心配になるわね。


「優子さん、あたしの何が嘆かわしいと言うのですか」


 おっ、珍しく冷子さんが怒っているみたい。言葉遣いは丁寧だけど声の調子がいつもと違う。


「幽霊だなんて、そんな非科学的な存在を本気で信じているのですか」

「信じているわけではありません。存在を否定できないと言っているのです。現に目撃者が3人もいるのですよ」

「単なる見間違いでしょう。幽霊の正体見たり枯れ尾花と言うではありませんか」

「では何と見間違えたと言うのですか」

「それは知りません。あたくしは見ていないのですから。残念です。もしその場にあたくしがいればすぐ正体を暴いてやれたのに」

「そうですか。それならば優子さんも実際にご覧になってみればいかがですか」

「えっ?」


 あたしも「えっ?」って言っちゃった。冷子さん、売り言葉に買い言葉で大変なことを口走っているような気がするんだけど、大丈夫かな。


「ご覧になるって……いつ現れるかわからないモノを見ることなどできるはずがないでしょう」

「いいえ、いつ出るかわかっています」


 教室中が静かになった。みんなお弁当を食べるのも忘れて冷子さんの言葉に耳を傾けている。


「最初の目撃は16日前の水曜日。次の目撃はそれから7日後の水曜日、そして3回目の目撃は一昨日の水曜日」

「あっ!」


 優子さんが声を上げた。あたしも初めて気が付いた。さすが冷子さん、目の付け所が違う。「水曜日の夜、欅の木の下にいる」これが正しい出現条件だったのね。


「聞くところによれば女子生徒が亡くなったのは水曜日の寒い夜だったそうです。この一致をただの偶然と済ませられるでしょうか。幽霊は水曜日の夜に現れる、そう考えてよいのではありませんか」


 優子さんの体が硬直している。両こぶしは固く握りしめられている。次に言うべき言葉は決まっている。でもそれを言うには勇気がいる。どんなに気が強くても17才の少女なのだ。ものが出るとわかっていてそれに会いに行くなんて、並みの精神力では絶対に無理!


「わかりました。次の水曜日の夜、両親と学校の許可を取って欅の木の下に行きましょう。幽霊でないことを証明してみせて差しあげます」


 おお、言い放った。根性だけはたいしたものね。ちょっとだけ優子さんが好きになった。


「首尾よく証明されることを祈っておりますわ。ああ、それから申し訳ないのですけどわたくしは行けません。夜間の外出は固く禁じられておりますので。なにしろわたくしは居候の身。わがままな振る舞いは慎まなくては追い出されてしまいますからね」

「冷子さんがいようがいまいが関係ありません。これは私の意思による行動なのですから」


 ふふふ、面白いことになってきた。想像しちゃうなあ、欅の木の下に現れたあたしの姿を見て驚愕する優子さんの姿を。もしかして泣いちゃう? あの高慢な顔が恐怖に怯えるさまを存分に楽しんじゃおうっと。


「あなたはどうされますか。参加しますか」

「ええ、もちろんですわ。ひとりではないのですし」

「それなら私も行ってみようかしら」

「あ、では私も」


 幽霊は水曜日の夜に出るという冷子さんの推理はあっという間に学校中に広まった。そして優子さんの他にも幽霊を見てみたいという生徒が少しずつ現れ始めた。ちょっとしたお祭り騒ぎだ。


「ついにあたしの姿が学校中に知れ渡るのね。孤独な日々よ、さようなら。これから毎週水曜日の夜は見物の女子生徒たちと楽しく交流できるんだわ」


 たとえ姿が見えてもあたしの声が聞こえないことはおじさんの反応でわかっていた。でも姿が見えるのなら手振り身振りで意思の疎通はできるはず。そして人との交流を通して幽霊レベルが上がれば視覚聴覚以外の感覚も入手できるかもしれない。


「もう成仏なんかできなくてもいいわ。未来永劫女子生徒と仲良く暮らしていければそれで満足」


 すっかり楽観的になったあたしはのんびりと毎日を送った。そして次の水曜日があっという間にやってきた。


「たくさん集まりましたね」


 すっかり日が落ちた校庭。その片隅にある欅の木の周囲には15名の女子生徒が勢ぞろいしている。いずれも好奇心旺盛な強者ばかり。1年生から5年生まで各学年まんべんなく参加している。


「ふん。幽霊なんているわけないのに。皆さん、本当に暇を持て余していらっしゃるのね」


 優子さんは憎まれ口を叩いているが内心ほっとしていることだろう。14名の仲間がいれば相当心強いはずだ。


「あら優子さん、みんながみんな幽霊を信じているわけではありませんわ。あなたと同じように正体を暴いてやろうと思っている方もみえましてよ」

「そうですか。でもそれは私の役目です。足を引っ張るようなことだけはなさらないでくださいね」


 優子さんは相変わらず強気だねえ。そんなこと言っていられるのも今のうちなんだからね。さて、どうやって出現しようかなあ。やっぱり宙に浮いて現れたほうが衝撃は大きいよね。


「よし、あたしは空中で待機だ」


 幹を背にして人ふたり分ほどの高さに浮き上がる。あとはあたしの存在密度が人の目に捉えられるくらい濃くなるのを待つだけ。


「これ、美味しいですわね」

「お茶を一杯いかが」

「まあいい香りのお菓子ですこと」


 15名の女子生徒たちはゴザの上に置いたランプを囲んで飲み食いを始めている。ずいぶん呑気だなあ。まるで遠足だね。まあいいわ。そのうちその腑抜けた顔が恐怖に歪むんだから。


「これ。あまり騒いではいかん。近所迷惑だ」


 うわっ、今日の宿直は数学の先生か。カンテラぶら下げて歩いて来る。


「はーい。先生もお菓子いかがですか」

「要らん」


 こんな時でも威張っているなあ。この先生、何が楽しくて毎日生きているんだろう。


「まったく何が幽霊だ。くだらん。校長も校長だ。こんな茶番をお認めになるとは……」


 先生の言葉が途切れた。目を見開いてあたしを凝視している。


「あっ……」


 ひとり、またひとり女子生徒が立ち上がりあたしを見上げ始めた。


「来た!」


 ついにあたしが出現したんだ。相変わらずあたしにはあたしの姿が見えないけどそれは我慢しよう。よし、まずは両手を上げて威嚇のポーズだ。


「それ、怖がれ!」

「女に学問など必要ない。さっさと嫁に行け!」


 背後から声がした。それはあたしを見上げている女子生徒の声でも先生の声でもなかった。地の底から響いてくるような恨みがましい女の声。あたしは恐る恐る後ろを振り向いた。


「ウ、ウソでしょ……」


 そこには女子生徒がいた。小振袖に海老茶袴、長い黒髪で顔を覆われた女子生徒があたしと同じように宙に浮いていた。

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