第24話
その後、光野が全員を完璧に治癒させ、急ピッチで神殿の建設が進められた。
邪神の眷属が一度姿を現したからには、今後同じことが起きないとは限らない、という判断だった。あの眷属が戦術的な判断から川中島の拠点を、つまりは祈りの塔を狙っていたのは明らかであり、今回の一件も、もし光野の帰還が遅くなれば致命的な損害を出しかねなかった。
最後の方で佐山やウメ婆さんが一矢報いたようにも見えたが、あのままでは打撃力不足で、結局は眷属を撃退できず、やられていた可能性が高い。しかし神殿の建設が完了すれば、この地のエファアシーン・ジウラの恩恵は飛躍的に高まり、次に同じことが起きても格段に対処しやすくなるのだ。
そして、その日の真夜中にはもう、突貫工事で神殿が建てられた。
一見、普通の建屋のようだが、内部から光野が急成長させた樹木が支える形となっており、急ごしらえな割には、荒削りなアートのような不思議な魅力のある仕上がりになっていた。
ちなみに光野は一仕事終えたあと、不死者を救済しに行くと言って街に出かけてしまった。周辺に眷属がまだ潜んでいる可能性も考慮して、警戒も兼ねているらしい。
あまりのストイックさに、皆が引き止めたが、光野の決意は固かった。肝心なときにその場にいられなかったことを悔やんでいるらしい。ありがたい話ではあったが、流石に誰もついていく元気がなく、その後は老人ホームで祝勝会を開催する流れとなった。
「いやあ、今日の小牧ちゃんは本当にすごかったなぁ……」
佐山がビールを飲みながら、上機嫌でしみじみと話す。
「見逃したのが残念だ」
小牧が二千を超える不死者を一度に救済した、という話を聞いて、その奇跡を目にできなかった一ノ瀬たちは心底残念そうだった。
「いやーもう、あんときゃ無我夢中で。何をどうやったのか全然わかんないや」
あはは、と笑いながら小牧はジュースをがぶ飲みしている。
「神も、仰ってるよ……小牧ちゃんの祈りは素晴らしかった、って……」
うっとりとした顔で、神の声を実況中継する酒寄。その言葉に皆がざわめいた。
「おお……! エファアシーン・ジウラに、名指しでか……!」
「すごい……! 聖女だな!」
「いや、歌姫じゃないか!?」
「ちょっと、そんなキャラじゃないですよ!」
赤面した小牧は、照れながら唐揚げを頬張る。
――小牧さん、よく頑張りましたね。本当にすごいと思います。
先ほど、去り際に光野に言われた言葉が、不意に蘇った。
「……うふふ」
「あ、なんかレナが変な笑み浮かべてる。乙女かな?」
「……こういうときはそっとしといて」
すかさず酒寄が隣から茶化してきたので、ぶっすりと膨れる小牧。
「にしても、光野さんもやっぱ凄かったよな」
「ああ。最後のあの一撃。なんかあっさり眷属が蒸発していったけど、あれ光野さんいなかったら絶対詰んでたよな」
「だねえ~」
若者たちの話に、茶を飲んでいたウメ婆さんがしみじみと頷く。
「あたしも啖呵切ったからには、頑張ってみたけどさ。ホントは全然刃が通らなくって、内心どうしたものかと思ってたんだよねえ」
「ええっ、そうだったのか婆さん!? ワシには善戦しとるように見えたんじゃが……」
「善戦といえば、爺さんのイモも凄かったな!」
「おう、見直したぜ! イモを」
「イモに感謝……!」
「ワシの努力もちったぁ考えろ! ……まあ、なんと言っても、一番は」
トクトクトク、と酒を注いで、グラスを掲げる佐山。
皆も、その意図に気づいて、穏やかに笑う。
「「「アウル・エファアシーン・ジウラ」」」
全員の祈りが、ぴったりと重なった。
「やはり、神のおかげだ……」
「本当に、偉大な御方だよ」
「今日、神殿を建てて、ますますそう思ったね。なんというか、恐れ多いことだけど、もっと身近に感じるようになった」
「ぶっちゃけ、あの流れから神殿建てるのはちょっとキツかったけど、建ててよかったね」
「違いないわい」
わっはっは、と全員で笑ったが、「……わよ」と暗い声が響いた。
「……おかしいわよ。みんな、絶対おかしいわよ!!」
食堂の隅で叫んだのは、恐怖に顔を歪めた鬼塚だった。
「? 佳代さん、なにがおかしいんだ?」
一ノ瀬が、心底不思議そうに尋ねる。
「だって! あんな化物が襲ってきたのって、絶対に、その『神』とやらのせいじゃない!」
他でもない、光野が言っていたのだ。あの眷属は、祈りの塔の破壊を目的としていたと。
あの祈りの塔が、あんな怪物を引き寄せたのだ。それなら、まだエファアシーン・ジウラの恩恵なく、普通に『奴ら』と戦っていた時代の方がマシだった。
少なくとも、鬼塚はそう考える。
「またあんな怪物が、何度も襲ってきたらどうするのよ! 今回はなんとかなったけど、次はどうなるか……!」
鬼塚の心配に、しかし皆は「なんだそんなことか」という顔をする。
「佳代さんは……その、わかんないかもしれないけど、俺たち神殿建てただろ。その甲斐あって、本当に神の愛を身近に感じられるようになったんだ。だから、次に同じのが来ても」
パンッ、と誇らしげに胸を叩いて、一ノ瀬。
「今度は絶対、負けないぜ」
「ああ。光野さんの助力抜きでも、なんとかしてみせる」
「あたしの光の刃でも、ちったぁ役に立つだろうねえ」
わっはっは、と再び声を揃えて笑う。
違う。そんなことを言いたいんじゃない。もどかしげに、首を振る鬼塚。
「その神殿を狙って、もっと強い怪物がやってきたらどうするの!? 敵だってバカじゃないんでしょう、その邪神とやらも、眷属とやらも!」
「そりゃあ、そのときはベストを尽くすだけさ。神殿は神の力が宿る神聖な場所だぜ? それこそ死んでも守らなきゃな」
「うむうむ」
こともなげに言う一ノ瀬、相づちを打つ佐山。
鬼塚は、それが比喩表現でもなんでもなく、本当に『死んでも守る』という意味だと気づいて、ゾッとした。
「なにを……何を、バカなこと言ってるの! 本末転倒じゃない! あなたは、皆を守るために信仰を始めたんでしょ!?」
なぜ気づかない。手段と目的が逆転している。
「その信仰が原因で、みんなが危ない目にあったら、意味ないじゃない!」
「……確かに、昔の俺ならそう考えてたかもしれないなぁ」
言われて初めて気づいた、という体で、穏やかに笑いながら頷く一ノ瀬。
「でも、今はもっと大切なことを見つけたんだ。信仰を深めること。精一杯、みんなと笑って一緒に生きること。それこそが、エファアシーン・ジウラがお喜びになることなんだ」
みんなもそう思うだろ、と一ノ瀬が言うと、全員がうんうんと頷いた。
鬼塚は、泣きそうな顔で首を振っている。
「狂ってる……もう、みんな狂ってる……!」
「いや、そうは言うが佳代さん。ならワシらにどうしろと言うんだ」
逆に尋ねたのは、佐山だ。
「まさか、祈りの塔も神殿も壊してしまえ、などと言うつもりなのか?」
「っ、そうよ! そうすれば、あんな化物に狙われることはないでしょ!? そんな神なんて信じるのはやめて、昔みたいに静かに暮らしましょうよ!」
言った。言ってしまった。どんなに嫌でも、相手の信仰を否定するようなことは言うまいと思っていたのに。
鬼塚は口に出してから後悔したが、皆の顔を見てもっと後悔した。
ごっそりと――表情が抜け落ちていた。
「……いやよ。そんなの。神の声が聞こえないなんて、耐えられない」
冷たい声で、酒寄が言った。
「わたしもちょっとイヤかなー」
手元でくるくると光をもてあそびながら、小牧も相槌を打つ。
「エファアシーン・ジウラのない人生、か。……ちょっと想像もつかないな。そんなの、何のために生きてるんだか……あ、いや、佳代さんをディスってるわけじゃないんだけど、さ」
ハハッ、と笑ってごまかそうとする一ノ瀬だが、どことなくそっけない。
「……楽観的すぎるな、佳代さんは」
ぐいっ、と酒をあおって、佐山がボソッと言った。
「仮に、祈りの塔と神殿を壊して、信仰をやめたとしよう。……それで、邪神がワシらを見逃してくれる保証が、どこにある?」
「…………」
「むしろ、これ幸いにと滅ぼしに来るかもしれん。今さら遅いわい」
「それにエファアシーン・ジウラの恩恵がなかったら、普通の不死者にさえロクに対抗できないじゃん。それを相手にする探索組の気持ちにもなってくれよな」
「そうでなくても、邪神がなんかの気まぐれで不死者を百人でも送ってきたら、全滅だろ」
呆れたように、若者たちも肩をすくめる。
「第一、天気が曇りばかりで作物も育たないしねえ」
ズズ、と茶をすすりながらウメ婆さん。
「そうだな。神の恩恵に与りながら、言っていい台詞じゃない」
じっと。
全員の視線が、鬼塚に突き刺さる。
「うぅ……」
どうして。どうしてこうなった。
泣きじゃくりながら、鬼塚は力なく、ふらふらとその場で尻もちをつく。
思い出すのは、ほんの数ヶ月前までの日々。
『佳代さん、この子が怪我しちゃったの、診てあげてくれない?』
『佳代さんや、最近腰が痛くてねえ。いい湿布はないかねえ?』
『佳代さん、風邪薬とかある? ちょっと熱が出そうでさ』
『佳代さん――』
『佳代さん――』
皆が、頼ってくれた。嬉しかった。充実していた。
いつ死んでもおかしくない、そんな毎日だったけど。
だが、今の鬼塚からすれば、輝いて見えるほど――それは――
「返して……」
――それは、まともな日々だった。
「返して……返してよぉ……!」
あのときの、みんなを返して。
どうしようもならない喪失感と虚無感に襲われ。
鬼塚は、床に伏せって号泣した。
「かわいそう……」
さめざめと泣きじゃくる鬼塚を前に、子供のひとりが呟いた。
本当に、心底そう思っている顔だった。哀れんでいる。
「エファアシーン・ジウラがいなかったら、こんなことになっちゃうんだね……」
信仰が、ない。それを理由に、子供が大の大人を哀れんでいた。
「うぅむ……やはり、佳代さんは神の愛を知らんからなぁ」
「でも、なんか様子おかしいよ。ひょっとして邪神の呪いでも受けてるんじゃ……」
「……その可能性は、あるな」
鬼塚が泣いている間に、話が妙な方向に進み始める。
小牧が席を立って、鬼塚に癒やしの光を当てようとした。
「いやっ! やめて! そんなの当てないで!」
しかし半狂乱になった鬼塚が、その手を振りほどく。
この光のせいだ。この光でみんなが狂ったんだ。そう考えて。
「……やっぱり、なんかおかしいんじゃないかな?」
「うぅむ……」
「あっ、そうだ」
そのとき、酒寄がポンッと手を叩いた。
「せっかく神殿ができたんだから、佳代さんを『治療』してあげようよ。きっと呪いも消えて、魂も浄化されるよ」
酒寄の提案に、皆が「名案だ!」とばかりに笑った。
「それはいいな。神殿なら祈りの威力高まるし」
「もしかしたら佳代さんにも神の声が聞こえるかもしれない」
「やっぱり、仲間はずれはかわいそうだもんなぁ」
「そうだよ! かわいそうだよ!」
「あたしも佳代さんのためにお祈りするー!」
「ぼくもー!」
「よし、そうと決まれば善は急げだ。みんな、神殿に行くぞ!」
佐山が呼びかけ、全員が「おー!」とノリノリで答えた。
「よし、佳代さん。今助けてやるからな!」
一ノ瀬が笑顔で鬼塚を肩に担ぐ。鬼塚はそこで初めて、事態の深刻さに気づいた。
「いやっ! やめて! 離して!!」
「おっと、そう暴れないでくれよ。誰かー!」
「佳代さん、ちょっとの辛抱だからね。落ち着こうね」
小牧が穏やかに笑いながら、鬼塚に癒やしの光を当てる。
「いやっ……やめてっ……!」
得体の知れないぬくもりに包まれて、鬼塚の身体から力が抜けた。
だが、それでも。意地でも意識だけは失わない。それが鬼塚のアイデンティティだ。この、抵抗するという意志が、鬼塚という人格の中核なのだ。
これが失われたら、自分は――自分でなくなってしまう。
しかし周りはそんなことを知る由もなく、鬼塚を運んでいく。
楽しそうに、嬉しそうに。
ぞろぞろと続く信徒の列。
皆、自分は善いことをしていると、欠片も疑っていない。
――ああ、ダメだ。これはもう、本当に、ダメだ。
「…………わかった! わかった、から!」
そう悟った鬼塚はペシペシと、力なく一ノ瀬の肩を叩いた。
「わかったから、下ろして! 行くなら自分の足で行くから」
「お、……そうか? なんか急に落ち着いたな、佳代さん」
暴れるのをやめた鬼塚を、一ノ瀬が肩から下ろす。
しっかりと自分の足で立った鬼塚は、周りを見回した。
全員の顔を、見る。
じっくりと。
目に焼き付けるように。
「落ち着いた? それじゃ佳代さん、神殿に行こうよ!」
「……ごめんなさい。明日でいいかしら」
とうとう神の愛を受け入れてくれるんだ、とばかりに嬉しげな小牧に、鬼塚は硬い声で言う。
「え、でも……」
「ちょっと、動転してたの。みんなの気持ちは嬉しい。けど、少し、わたしも気持ちを整理したくて……みんなの邪魔をした上に、待たせてしまって申し訳ないけど」
「……わたしたち、佳代さんが心配で。もしかしたら、邪神の悪い影響を受けてるんじゃないかって」
「そう、かもしれない。でも今日はちょっと、気分じゃないっていうか。わたしも覚悟を決めたいっていうか……明日になったら必ず行くわ。それに光野さんも言ってたじゃない、本人の気持ちが大切だって」
「ふむ、それもそうじゃな」
「確かに、無理に連れて行っても、神はお喜びにならないか」
鬼塚の言に皆、納得したようだ。
そのまま食堂に戻って、祝勝会を続ける運びとなった。鬼塚は「せっかくの雰囲気を台無しにしちゃって、ごめんなさいね」と作ったような顔で言い、「明日に備えて休むから」と、そのまま医務室に引っ込んだ。
「…………ホントに、もうダメなのね」
薄暗い医務室で、力なく椅子に腰を下ろし、鬼塚はぽつんと呟いた。
とっさに機転を利かせていなければ、あのまま神殿に運ばれて――鬼塚は、殺されていただろう。
あの得体のしれないぬくもりに、それもさらに強力なやつに、ずっとさらされ続けたら自分がどうなってしまうかわからない。
鬼塚の人格は、決定的に捻じ曲げられ、原型を留めなくなってしまうに違いない。
「……あんなの、ゾンビと変わらないじゃない」
最後に皆の顔を見て、確信してしまった。
あの一様に穏やかな笑み。
変わり果てた姿だった。あれはもう鬼塚の知る皆ではない。別の何かに、すっかり作り変えられている――
そして、明日には自分も、そうなってしまう。
「……させない」
きっ、と唇を引き結んだ鬼塚は、立ち上がる。
つかつかと、埃を被っていた戸棚に歩み寄る。
そして小さな引き出しを開けた。
そこには――黒光りする拳銃。
弾丸は、一発しか入っていない。拠点の奥の医務室に備え付けてある時点で、それは護身用というよりも、そういう用途のものだったから。
鬼気迫る表情で、鬼塚は手の中の拳銃を睨む。
「……わたしは」
カチッ、と撃鉄を起こす。
「わたしは――!」
あんなふうに、なってしまうくらいなら。
「わたしは、人として、死んでやる!」
この尊厳だけは、汚させない。
銃口をくわえる。
血走った目に、もはや迷いなどなかった。
引き金を引く。
ダァンッ! と破裂音が響き渡った。医務室の壁に赤色が飛び散り、ぐらりと体が傾いて、そのまま床に倒れ伏した。
そうして、鬼塚佳代は、人として尊厳ある死を選んだ。
――はずだった。
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