第18話


 共有スペースのソファに腰かけて、小牧がギターを爪弾いていた。


 思えば、食事や祈り以外で、普通にすごしている小牧を見るのは、ずいぶんと久しぶりな気がした。ゆっくりと、音を確かめるような調子で弾いている。新しい曲の練習でもしているのだろうか。いずれにせよ、聞いたことがない曲だった。


 不思議なメロディ。


「あ、佳代さん」


 ふと、こちらに気づいた小牧が、にっこりと微笑む。


 例の、穏やかな笑み。鬼塚はとっさに視線をそらした。


「……? 佳代さん、どうしたんですか?」


「え、いや。別に」


「何か、お悩みごとでもあるんですか? わたしで良ければ相談に乗りますよ」


 じゃーん、とギターを鳴らしながら小牧。そして、クスクスと笑いだした。


「あはは、変なの。なんかキザなアニメキャラみたい」


 ツボに入ったのか、ころころと笑う小牧は、例の穏やかな顔ではなくなっていた。


 なんとなく、昔の小牧が戻ってきたようで、鬼塚の肩からも力が抜ける。


「いや、本当に。何もないのよ」


 ただちょっと散歩してただけ、と呟くように。


「そうですかー……」


 やはり元気のない鬼塚を前に、小牧も困った様子で、笑みを引っ込めた。


 ――おそらく、話題を探しているのだろう。妙な沈黙が続く。


 ある意味助かっているのだが、今のところコミュニティの皆は、鬼塚に信仰を強いようとはしない。光野の影響が強いのだろう。「エファアシーン・ジウラは無理強いしても喜ばない」という言葉を素直に、あるいは盲信的に、受け入れている。


 それでも、直接的にせよ遠回しにせよ、何度か信仰を『勧められた』こともあったが、皮肉なことにその場に居合わせた光野が、それとなくたしなめて事なきを得たのだった。


 おかげでこの頃は、皆がその話題を避けようとしがちだ。鬼塚と話すときは。


 ――そもそも、鬼塚と話す必要性も失われつつあったが。


「それ――聞いたことがない曲ね」


 気づけば、鬼塚はそう言っていた。


 先に沈黙に耐えられなくなったのは、鬼塚の方だった。


「あ、ああ……これですか」


 話しやすい話題を振ったつもりだったのに、小牧が困ったような顔をする。


 なぜだ。何を間違えた?


「素敵なメロディだと思うけど、なんて曲なの?」


 変な空気にならないようにと、続けて問う。



 ――すると、不意に、小牧が穏やかな笑みを浮かべた。



「わたし、時々きれいな歌声が聞こえるんです」


 どこか遠くへ耳を傾けるかのように、目を閉じて微笑む小牧。


「とっても素敵で、美しいメロディなんですけど、たぶんエファアシーン・ジウラの歌声だと思うんです。わたし、神の声はあんまり聞こえないんですよね。みっちーはいっつも声が聞こえてるみたいなんですけど。でも、わたしは二度か三度くらいしか聞こえたことなくって……それに、内容もよくわかんないし。その代わり最近は本当によく歌声が聞こえるようになってきました。だからそれをどうにか再現できないかなー、って。声の感じが人間とちょっと違うんで、直接歌うのは難しいかもしれませんけど。楽器で弾いたりしながら応用して、将来的には、エファアシーン・ジウラを讃える曲に仕上げたいなって思うんです。あっ! ほら、また聞こえてきました。そうそう、このメロディ……」


 爪弾くギター。奏でられる軽快なメロディー。


「おや、エファアシーン・ジウラの歌ですね」


 と、そのとき、共有スペースに光野が姿を現した。


「あっ、光野さん! 光野さんも、やっぱり聞こえてますよね?」


「ええ。まさに命の洗濯です。しかしそれを拾い上げて再現するとは、流石小牧さんですね」


「? ある程度の音感があれば、なんとかなるんじゃないですか?」


「これも才能の一つですよ。神の声が、万人には理解できないのと同じように、この歌も万人には再現できないものなのです」


「へぇー、そうだったんですね!」


「私の前世には、歌を再現し、それを起点として奇跡を引き起こす術の使い手もいましたよ」


「えっ!? そんな術もあるんですか! ぜひ教えてください!!」


 小牧が目を輝かせて頼むと、光野が渋い顔をした。


「残念ですが、それはできません」


「えっ……ダメなんでしょうか。そうですよね。わたしはまだ、修行が足りてませんよね」


「いえ、そういうわけでは。私が、教えたくても教えられないのです」


 忸怩たる思いを滲ませながら、光野。


「……実は、その。私、音痴でして」


 赤面する光野を見て、小牧は死ぬほど驚いた。


 おそらく一生に一度拝めるかどうかのレア顔だ、これは!


「えっ、あっ、そっ、そうだったんですかー!」


「なんだか反応が白々しいですね小牧さん……」


「いやっ、そんなことないです! なんだーそういうことだったんですね、光野さんにも苦手なことってあるんだなぁ。わっはっは」


「いや、笑いごとではありませんよ。わかりますか、私の絶望が」


 小牧が笑い飛ばしてごまかそうとすると、珍しく、ぷりぷりと怒った風を見せながら光野が食いついてきた。


「私は前世でも歌が下手でした。そして生まれ変わって、今世でも音痴のままです。つまり、つまりですよ。私の音楽のセンスのなさは、肉体ではなく、私の魂そのものに起因するということです! わかりますか! この絶望の深さがっ! 魂レベルの音痴であることが、奇しくも証明されてしまったのです! おお、神よ……! どうか、教えてください。私はどうしたらよいのか……」


 ガチ苦悩し始めた光野に、小牧も流石に笑いごとではないらしいと察する。


「ひっ、光野さん、そんなに落ち込まないで……あっ、また聞こえる……ああ~♪ 光野さん~♪ 落ち込まないで~♪」


「うーむ。どんなに良いメロディでも、歌詞が伴っていないとダメなんですね」


「そんなしみじみと言わないでください! 恥ずかしいじゃないですか!」


 出来がイマイチな自覚はあったのか、顔を赤くしながら憤慨する小牧。と、ここまで話していて、鬼塚を放置していたことを思い出した。


「あ、すいません、かよさ――」


 しかし振り返ると、そこにはもう、鬼塚の姿はなかった。




 ――医務室に戻った鬼塚は、ソファにうつ伏せで寝転んでいた。


「もうイヤ……」


 周りがみんな聞こえるものが、自分にだけ聞こえない。


 周りがみんな知っているものが、自分だけ知らない。


 周りがみんな好んでいるものが、自分だけ受けつけない。


 言葉にすればそれだけのことだったが、実際に経験するといかに辛いか。


 鬼塚はそれを嫌というほど噛みしめていた。深刻なレベルで。


「もう、イヤ……」


 だが、逃げ場などない。外に出てゾンビになるか、このまま中にいて信者になるか。


「誰か、助けて……」


 ――それは、誰にも聞かれるわけにはいかない呟きだった。


 今は皆、黙って鬼塚を見守っているが。


 もしも万が一、このように苦しんでいることがバレたら――皆が一斉に手を差し伸べるだろう。


 純粋な善意から。


 鬼塚を『助ける』ために。


 医務室の外に出なければよかった、と今さらのように後悔する。


 この、誰にも必要とされない場所だけが、鬼塚に残された最後の砦だった。



          †††



 その日の夜。


「神殿の設計図ができました」


 佐山と一ノ瀬が、光野に設計図を見せにきた。


「おお。やはり無難な形に落ち着きましたか」


 大雑把な見取り図を一瞥して、得心したように頷く光野。


「はい。現時点では、あまり凝っても意味がなかろうという結論に至りましてなぁ」


「僭越ながら、私もそう思います」


 神殿は、最悪の場合、掘っ建て小屋やテントでも構わないと光野は言っていた。


 それは、見てくれよりも中身、すなわち信仰の方が大切である、という意味でもあったし、将来を見据えて拡張の余地を残した方が良いという判断でもあった。


 ただ、仮に何かを建てるなら、内部で光術を使う可能性を考慮して、天井の高さはそれなりに確保した方が使いやすい、ともアドバイスしていた。その結果、天井を高くとったシンプルな建屋、という形に落ち着いたようだ。


「私も、建築の際は協力させて頂きます」


「ありがとうございます。本当に助かります」


 光野は人型重機とでも呼ぶべき怪力だ。こんな場面でも圧倒的に頼りになる。


「それで、つきましては資材に関してなのですが、木材が少々足りておりませんで。近々街へ調達へ向かおうという話になりました」


「ほほう」


「――それで、光野さんにも同行して頂けたらと思うんです」


 やや緊張気味に、一ノ瀬が佐山の言葉を引き継ぐ。光野はにっこりと微笑んだ。


「もちろんです。喜んで参加させてください」


「ありがとうございます!」


 快諾する光野。喜ぶ一ノ瀬。


 これは、満を持しての遠征、と言い換えても良かった。


 ここしばらく、一ノ瀬を始めとした若者たちは、集中的に修行を積んでいた。おかげで外での探索を担う五人の若者が、ある程度の癒やしの光や、その他簡単な光術を使えるようになったのだ。


 そして、光野の監修の元、対不死者装備もいくつか揃えられた。


 今回の物資調達。それは今後、川中島コミュニティの者が、問題なく不死者を相手取れるかどうかの試金石でもあるのだ。


 もっとも、光野が数日おきに街に出かけて『救済』していたので、今はもうほとんど不死者は残っていないらしい。いずれにせよ、そう危険な目には遭わないはずだ。


「では、出発は?」


「明日の朝にでも」


「わかりました。英気を養いましょう」


 光野はそう言って微笑んだが、言外に「今のうちにちゃんと休んでおきなさい」と助言された気がして、一ノ瀬は苦笑してしまった。



 そのとき、バタンッ! と音を立てて部屋の扉が開く。



「おおっとと!」


 姿を現したのは、小牧だ。どうやら部屋の外で聞き耳を立てていたらしい。「あ」という顔で固まっている。


「えーと、えへへ。話は聞かせてもらったぜい!」


「小牧ちゃんは留守番だ、ワシらと一緒にな」


 笑ってごまかそうとする小牧に、先回りして佐山。


「えーっ」


「えーっじゃない、車の定員オーバーだし、お前は拠点に残ってろ」


 頭痛をこらえるように額を押さえる一ノ瀬。


 ちなみに光野は全力で走れば車より速く移動できるが――そのことは口に出さなかった。


「でも、わたしだって浄化の光は使えるようになってきたんだよ? それに、一人でも多く、少しでも早く、不死者を解放してあげたいって気持ちは……わたしだっていっしょだもん」


 唇を尖らせながらも、しかし真剣な表情で小牧は言う。


「それはわかる。だけど、今回は光野さんと俺たちに任せてくれ。お前の分も頑張ってくるから」


 だが一ノ瀬も負けず劣らず、真面目な態度で答えた。


「それに、子供たちと約束しただろ。もうどこにも行かないって」


「むぅ……」


 そこを突かれると弱い。


「子供たちを盾に取るとは……卑怯なり!」


 妙なポーズを取りながらおどける小牧だが、実質白旗宣言だ。


 佐山が吹き出し、つられて皆も朗らかに笑ってから、その夜は解散となった。


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