第23話


 邪神の眷属が、その真っ黒な爪を結界に突き立てている。ジュウウゥゥゥッと肉が灼けるような音、接触部から白い浄化の煙が吹き出ているが、気にも留めずに力を込め続ける。


 ググッ、ググッと、徐々に、結界を力づくでこじ開けていく。


「なんと……!」


 佐山が口元をわななかせるが、その腕に抱かれた小牧は、必死で身を起こした。


 ――呑気に見守っている場合ではない!


「みんな……! 浄化の、光を……!」


 小牧の呼びかけに、一同がハッとしたように祈りの仕草を取った。


「アウル・エファアシーン・ジウラ!」


 邪神の顔面――というより口のあたりに、清浄なる光が集中する。


「グオオアァッ!」


 さすがに効いたか、嫌そうな声を上げて身を引く邪神の眷属。が、その瞳をクワッと見開いたかと思うと、わずかに開いた結界の隙間にその口を突っ込む。


 まずい、と小牧は本能的に察した。


「みんな、逃げ――」


 ドパァッ、と石油があふれるような音を立て、眷属の口から闇が溢れ出した。


 それは粘着質な衝撃波。地表を舐めた黒い破壊の波が、小牧たちに直撃する。


「がッ――!」


「きゃッ――!」


 皆、ろくに悲鳴さえ上げられずに吹き飛ばされた。


 小牧も、受け身を取る暇もなく近くの民家の塀に叩きつけられる。意識が闇に沈みそうになったが、辛うじて祈りを捧げることで回復、どうにか体勢を立て直す。


「みんな――」


 だが、目の前に広がっていたのは、絶望の光景だった。全員がまとめて、今の一撃で吹き飛ばされ、転がっている。血を流して意識を失っている者もいれば、うめきながら身を起こそうとする者もいた。いずれにせよ無傷の者は一人もいない。小牧を心配して、皆が周りに集まっていたのが運の尽きだった。


 そしてその間に、バチィイッと浄化の雷にまとわりつかれながらも、とうとう眷属が結界内に侵入を果たしてしまう。


「まずい……!」


 あの眷属の目的は不明だが、ロクなことじゃないのだけは確かだった。小牧たちを殺戮するつもりなのか、祈りの塔を破壊するつもりか、あるいはその両方か。


 ……多分、両方だ。


 なんとかしなければ、という思いがあった。


 せめて、皆が回復するまでの時間稼ぎを。


 だが、身体に力が入らない。辛うじて意識はつなぎとめたが、骨が何本か折れている上に、精神力もすっからかんだ。


「グルウウォォッ!」


 己の勝利を宣言するかのように吠えた眷属が、ぎょろりと周囲を見回す。


 そして、手近な『獲物』へと目を留めた。畑の真ん中で転がる佐山。打ちどころが悪かったのか、頭から血を流す彼はぴくりとも動かない――


 そんな彼を、さらに蹂躙するつもりなのか。手の爪をこすり合わせながら、一歩一歩、のしのしと近づいていく眷属。


「やめ、て――」


 手を伸ばす。だが光は出ない。万事休すか――


「ラブリー・プリンセス・ビーム!」


「バスターストーム!」


「ドラゴンファイヤー!」


 そのとき、色とりどりの光が眷属の眼を直撃した。


「ウオオッ!?」


 困惑の声を上げる眷属。見れば――子供たちが、戻ってきているではないか。


「佐山おじいちゃんに手を出したらゆるさないぞ!」


「かかってこい! ばけものー!」


「やーいやーい、お前の目ん玉みずまんじゅう~!」


 一斉に、んべ~っと眷属に向かって舌を出す子供たち。


 グルルオッ、と怒声を上げた眷属が、子供たちに狙いを定め、突進しようとする。蜘蛛の子を散らすように、わぁっと逃げていく子供たち。


 そして、そこからは彼らの独擅場だった。


「鬼さんこちら~!」


「手の鳴る方へ~!」


 まるで、光神ごっこでもするかのように、身体強化をフルに活かして、とにかく走って逃げまくる。


 一人、二人なら追いつかれたかもしれない。だが一つ眼の怪物が誰かに気を取られた隙に、別の誰かが死角から目潰しの光を放つのだ。


 その光は、派手な割に浄化の力は大したことがない。だが、軌道を捻じ曲げてまで執拗に眼を狙い、眷属の視界を塗り潰す。派手であるために、単純な目潰しとしてはこれ以上ないほどよく効いていた。


 やがて、ただ単に追いかけるだけでは逃してしまうと悟ったのだろう、フラストレーションの極致に至ったように絶叫した眷属が、近くの家の塀に手を伸ばした。


 無理やり引きちぎり、振りかぶって、石材をぶん投げる。


 とても避けられないような速さで、走って逃げる子供へ飛んでいく。


「ああっ!」


 小牧は悲鳴を上げた。塀が、ズンッと子供の一人に直撃したのだ。


 が、その姿が、スゥッとブレて消えていく。


「ハズレ~! それはざんぞうだ!」


 全く無傷の子が、隣の木陰からひょいと顔を出した。走り回っていたのは、光を捻じ曲げて投影していた彼の影だったらしい。視覚の弱い不死者には効果の薄い技だったが、立派な眼を持つ眷属には存外に効果的。


 良いように騙され、もてあそばれたのがよほど腹に据えかねたのか、その場で地団駄を踏む眷属。咆哮しながら突っ込もうとするが、その背後から背の低い人影が忍び寄る。


「キエアアアアァッッ!」


 気勢を上げながら、人影が眷属の背中に踊りかかった。なにごとか、と振り返った眷属の腕の爪が、ジャッ! という音とともに数本、切断される。


「ウメばーちゃん!」


 それは、両手の指から光の刃を伸ばしたウメ婆さんだった。


「子供たちにゃ近寄らせないよ! まずはあたしを倒していきな!」


 もはや老いなど感じさせない、堂々たる構え。


 一番長く生きた。だからここで、皆のために死んでも悔いはない。


 清々しいまでの覚悟。不退転の決意を滲ませ、ウメ婆さんは眷属と対峙する。


 窮鼠猫を噛む――と云うが、相手はただのネズミではない。警戒した様子の眷属が、切られた爪を再生させながら、じりじりとウメ婆さんとの距離を詰めていく。


 が、眷属が踏み出した瞬間、転がっていた佐山が跳ね起きた。


「馬鹿め! そこはワシの聖域よ!」


 眷属が踏み込んだ場所――それは、佐山が心血を注いで世話をした畑のひとつ。


「神の偉大さと自然の怒りを思い知れ! アウル・エファアシーン・ジウラ!」


 佐山の祈りと同時、畑の土がめくれ上がる。


 姿を現したのは、大蛇と見紛うばかりに成長した、サツマイモの蔓。


 それがのたうち、くねりながら、眷属の身体に巻き付いていく。


「グガアアアァァッ!?」


 聖なる光をまとって、ぎりぎりと力強く巻き付いてくる太い蔓に、初めて眷属が悲鳴らしい悲鳴を上げた。全身から浄化の煙が立ち昇り、引き剥がそうとする先から蔓がどんどん伸びていく。


「キエアアアアァッッ!」


 さらにその機を逃さず、ウメ婆さんが光の刃で追撃を加える。眷属は眼だけは必死で守ろうとしているが、それに構わず、爪先や脛などいやらしい部位を切り刻むウメ婆さん。


「さあ、動きは止めましたぞ!」


 佐山が興奮気味に叫んでいる。


「だからあとは頼みます! 光野さ――んッ!」



 そして、小牧はそのとき初めて気づいた。



 橋の向こう。こちらに向かって走ってくる人影に。



「皆様ッ遅れました!」


 白い衣をはためかせ、全力で疾走する光野。


「アウル・エファアシーン・ジウラ!」


 バールのようなものから虹色の光が放たれ、拠点の真ん中に着弾、爆発する。


 虹色の衝撃波が、邪神の眷属を包み込み、浄化の炎でその身を灼く。


 そして対照的に、満身創痍で倒れていた小牧たちを、またたく間に癒やしていく。


「邪神ウィーザンゲル・アーリの眷属――まさかここで再び、相対することになるとは。しかし、」


 バールのようなものを掲げた光野が、眷属の前に立ちはだかった。


「私の前では、もう。喝ァッ!」


 バチバチバチィッ、と激しい音を立てて、光野が紫電を帯びる。それは――非常に珍しい、光野の怒りが発現したかのようだった。


 が、一瞬だけ、心配そうに、光野の目がちらりとこちらを見た。


 小牧は、頷く。


 心配いらないと。だから構わず、そちらに集中して、と。


 少しだけ、口の端に笑みを浮かべた光野は、すぐに戦士の顔に戻り、眷属を睨む。


「俺たちを!」


「忘れてもらっちゃ困るぜェ!!」


 そしてさらに、橋の向こうから車が走ってきた。一ノ瀬たちだ。


「デカイ的だなぁ、よぉッ!」


 ドンッ、ドンッ、ドンッと発砲音。聖なる弾丸が眷属の体表を削っていく。


 さすがに銃は痛かったのか、蔓に絡め取られたまま身を捩ろうとする眷属だったが、その手足をさらに数本の矢が射抜いた。サンルーフから身を乗り出し、続けざまに矢を放つ一ノ瀬。


 だらりと下がる腕。がら空きになる眷属の胴。むき出しになった瞳が、恐怖に歪んでいる。


「さあ、眷属よ」


 ゆらりと、バールのようなものを振り上げる光野。


「我らが神の名において」


 光が差した。


「邪神の下へ還るが良い」


 頭上の暗雲が、消えていく。


「アウル・エファアシーン・ジウラァァ――ッ!」


 太陽の輝きを背負った男が、輝くバールのようなものを振り下ろす。



 小牧は生涯、その光景を忘れないだろう。



 一条の光となって、眷属に激突する光野。



 天を割らんばかりの轟音、全てを灼き尽くさんばかりの閃光。



 莫大な浄化の奔流が眷属を貫く。



 そしてそれらが全て晴れたとき――



 邪神の眷属はもはや、かけらの一つすら残さずに、蒸発していたのだった。

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