第22話
「アウル・エファアシーン・ジウラ!」
皆が祈りの言葉を叫びながら、それぞれに得物を振るう。
念の為、ほぼ全員がそれぞれ聖別した武装を用意していて良かった。贅沢を言えば、聖衣も欲しいところだったが――布の聖別が間に合わなかったので仕方がない。
「でも……いったい、なんでこんなことに……」
結界を挟んで不死者たちと対峙しながら、小牧は呟く。
不死者たちの様子が、おかしい。生者を襲うのはいつものことだが、その動きはまるで何者かに統率されているかのような印象を受ける。
それでいて、恐るべき怪物から逃げるような、怯えたような雰囲気も感じた。
ああ――死してなお怯え、さらには苦しみ続けている。
なんと哀れなのだろう。
なぜこんな酷いことを、邪神は望むのか。
眼前の不死者たち、一体一体にナイフを突き立てながら、小牧はやるせなさに涙が滲むのを抑えられなかった。
腐った顔。絶叫し、醜く歪んだ顔。こちらに食いつかんと、口の端から粘液を撒き散らし、手を伸ばす。――いや、あれは、もしかすると、救いを求めているのだろうか。
ナイフを突き出す。一体が灰に還る。
突き出した手に噛みつかれ、肉を食い千切られる。
痛みは感じない。癒しの光で再生する。
再び、ナイフで突く。一体が灰に還る。
ナイフを振るって――
ナイフで突いて――
ナイフを振るって――
ああ、だめだ。こんなことでは。
こんなことでは、彼らを救えない。
どうすればいい? どうすればいいのですか?
神よ。
彼らに慈悲を。
小牧は祈った。祈りながら泣いていた。
自分のためではなく、眼前の不死者たちのために涙を流していた。
彼らの絶叫から、うめき声から、苦しみと嘆きが伝わってきた。
どうすれば浄化の力は届く? 死してなお苦しむ彼らに、どうすれば神の愛を届けられる?
教えてください。神よ。神よ!
小牧の心の絶叫に、不意に、神意が降りた。
「あ」
からん、とナイフを取り落とす。
そうだ。そうだ――自分は、その答えを知っていた。
自然と、頭に浮かび上がる。神の声。美しい、その旋律。
「――――」
不意に響き渡った澄んだ歌声に、全ての音が立ち止まった。
佐山たちが動きを止め、不死者たちさえ茫然と立ちすくむ。
小牧が、歌っている。
不死者たちに語りかけるように。歌詞のない旋律を歌い上げている。
それは人の声ではなかった。小牧という存在が届ける神の愛。
神の、歌声。
ゆったりとした物悲しい歌だった。
単純な旋律の裏に隠された、深い苦悩と嘆き。
だが、それは徐々に、力強い曲調へと転じていく。
生きとし生けるものを尊び、慈しむ、魂を揺さぶるような情動。
太陽のように暖かくも激しい、神の愛の波動が。
――その場に降臨する。
「オオオオ、オオおおぉ――」
不死者たちが、慟哭した。
祈りの塔が共鳴し、輝きを放つ。
全方位へと波のように広がる、光のヴェール。
それらは川中島を溢れ、橋を伝い、両岸の街へと広がっていく。
「ああ――」
溜息のように、安堵の声を漏らして。
二千を超える不死者たちは、一斉に――光に包まれて灰に還っていった。
吹き抜ける風が、不死者たちの残滓を天へといざなっていく。
「奇跡だ……」
鎌を手にしたまま、佐山が涙を流しながら呟いた。
小牧が、神の奇跡を引き起こしたのだ。無数の不死者たちを、一度に救済した――
だが、それ以上喜ぶ暇もなく、ぱたん、と乾いた音がした。
小牧が、糸の切れた人形のように、倒れ伏していた。
「小牧ちゃん!」
周囲の皆が、一斉に駆け寄る。
「小牧ちゃん! 大丈夫か!?」
佐山は癒しの光を放ちながら、小牧を抱き起こす。根拠はないが、あれだけの奇跡を引き起こしたのだ。ひょっとすると神の御下に連れ去られてしまうかもしれない、などと思った。
「さ、やま……さん……」
精神力を使い果たしたのだろう。うつろな目の小牧は、呟くのもつらそうに。
「大丈夫だ! 喋らなくていい」
「み……んな、は……」
「うまく、いったよ。不死者たちは、皆……神の御下へ、旅立った」
見てご覧、と小牧の頭を支えてあげ、灰の舞い散る橋を見せる。
「……よかっ、た」
小牧は、微笑みながら――はらはらと涙を流している。
佐山は、神に祈った。ありがとうございます。我々に、こんなにも心優しい少女を残してくださって。彼女が今、ここで生きているのは、他でもないあなたのおかげです、と。
「すごい……すごいぞ、小牧!」
「奇跡だ! 本当の奇跡だ!」
「エファアシーン・ジウラもお喜びになる……!」
「光野さんもびっくりするぞ!」
どうやら小牧も無事らしい、と悟った皆が騒ぎ出す。光野の名を耳にして、小牧は力なく、しかし嬉しそうに微笑んだ――
そのとき。
「レナ――ッ! みんなァ――ッ!」
拠点の方から、駆けてくる者がいた。
酒寄だ。必死の形相。どうやら意識を取り戻したらしい。
「どうした、酒寄くん。落ち着いて、もう終わったよ」
佐山の問いには、「今さらそんなに慌てなくても」というニュアンスがあった。だが、酒寄はぶんぶんと、眼鏡が吹き飛びそうなほどに首を振る。
「ダメです! まだ終わってません!」
酒寄の叫びに、皆が怪訝そうな顔をした。
終わっていない? 何がだ。
押し寄せていた不死者は全て、灰に還ったではないか――
「まだ、来てないんです!」
空の果てを指差し、酒寄は必死に訴える。
「恐ろしいやつは、まだ! ここに来ていない!」
――太陽が、陰る。
「……なに?」
全員が、空を見上げた。
急激に、空が暗雲で覆われつつあった。
昔、空を覆い続けていた、曇天の比ではない。
邪悪を塗り固めたような、真っ黒な雲が広がる。
「あ、ああ……!」
誰かが、絶望の声を上げた。
空から、何かが降ってくる。
どろりとした、粘性なものが、滴り落ちてくる。
それは、どちゃっと鈍い音を立てて、橋の真ん中にへばりついた。
降り積もっていた不死者たちの灰を吸い込み、膨れ上がる。
そしてやがて、いびつで巨大な人の形を取り、産声を上げた。
「――――!!!」
空がびりびりと震えるような、おぞましい咆哮。
酒寄が震える声で呟く。
「化物……」
まさしく、そうとしか呼びようのない存在だった。
真っ黒な、ぬめぬめとした体躯。ずんぐりとした歪な人型だ。体長は優に三メートルを超え、丸太のように太い腕は地面につくほど長く、手足にはゴツゴツとしたトゲが生えている。
何よりも異常なのは、その口。
頭部は存在せず、首にあたる部分に、乱杭歯を生やした口が開いている。どろどろと垂れるよだれは、不死者たちのそれに似た、得体の知れない濁った粘液。
そして、その胸部の真ん中には、ぎょろりとした青い一つ眼があった。
まるで氷のように冷たく、酷薄な色。
「なんだ……あれ……」
「怪物だ……」
「怖い……」
皆が気圧されていた。初めて光野の奇跡を目の当たりにしたときのように。
未知の、圧倒的な『力』がビリビリと伝わってくる。
「まさか――」
小牧は、その正体を察した。
「邪神の、眷属――!!」
小牧の言葉に応えるように。
にやり、とその凶悪な口が歪んだ――気がした。
次の瞬間、眷属が踏み込む。橋のアスファルトを砕きながらの、凄まじい突進。
結界に、激突する。
――ドォンッ、と爆発じみた轟音が、空気を震わせた。
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