第5話


 その夜。子供たちを寝かしつけたあと、老人ホームの一室に主だった面々が集まり、今後の方針について話し合っていた。


「それで、食料はどのくらいもちそうだ?」


 口火を切ったのは、探索組のリーダー・一ノ瀬。本人曰く、帰還してからしっかりと休んだとのことだが、LEDランプの薄明かりに照らされた顔は、お世辞にも血色が良いとは言えなかった。やはり今日の一件はよほど堪えたのだろう。


 いや、それは自分も同じかもしれない、と佐山は思った。深いシワの刻まれた頬をぺたりと撫で、口を開く。


「――一ノ瀬くんたちのおかげで、かなり食料に余裕ができた」


 米、乾燥麺、小麦粉などの穀物類。塩や砂糖、醤油といった調味料、パック入りの燻製肉に高カロリー保存食、缶詰やレトルト食品の数々。相当な時間をかけて集めたらしく、車の積載量ぎりぎりまで荷物が積まれていた。小牧の件を除けば、探索の成果は上々だ。


「ウメさんとも話し合ったが、ワシらの見立てでは二ヶ月はもつ」


 炊事担当の老婆の顔を思い浮かべながら、佐山は結論づける。


「……二ヶ月か」


 それを長いと見るか、短いと見るか。一ノ瀬の表情は険しい。


「爺さん、それは畑を含めての話なのか?」


「……うぅむ」


 続く一ノ瀬の問いに、今度は佐山が渋い顔をする番だった。


「畑の分も含めての話だ。サツマイモはなんとかなりそうだが、他が壊滅でな……鶏たちも、なかなか卵を産んでくれんしなぁ……」


「そうか……」


 眉間にしわを寄せ、手元に視線を落とす一ノ瀬。


「……医薬品は当分大丈夫よ。一ノ瀬くんたちのおかげね」


 悪いニュースばかりではない、とばかりに看護担当の鬼塚おにづか佳代かよが笑いかける。彼女は看護師で、このコミュニティでは唯一の実用的な医療知識の持ち主だ。ちなみに鬼のように気が強いが、『鬼塚さん』ではなく『佳代さん』と呼ばれることを好む。


「今のところ風邪をひく子もいないし、お年寄りのみんなも体調は悪くないみたい」


「それはなによりだ」


 一ノ瀬も、少しばかり硬い笑みを浮かべて頷いた。実際、病人も怪我人もほとんどいない。腰を痛めた老人や持病持ちの子供が数人いるくらいだ。


 その他は――病人も怪我人も、とっくの昔に死ぬか、不死者と化した。この拠点に残っているのは、すでに『大規模感染パンデミック』を生き延びた者たちだけなのだ。


「……子供たちの様子はどうだろう」


 少しの沈黙を挟んで、一ノ瀬が静かに尋ねた。


「……落ち込んでるわね、やっぱり」


 鬼塚の表情が曇る。小牧がいなくなった穴は大きかった。皆の共有スペースに置かれたままのギターケースを見て、子供たちがまた泣き出してしまったほどだ。


 あれは――佐山も、こみ上げてくるものがあった。


「酒寄は……どうしてる?」


 続けて、ためらいがちに問う。酒寄さかより三千花みちか――例の眼鏡っ娘のことだ。


「……部屋に閉じこもってる。結局、夕食にも出てこなかったわ……」


「……そうか」


 仮面を貼り付けたような無表情で、天井を仰ぐ一ノ瀬。


 あまり責任を感じてはならないよ、と言おうとして佐山は口をつぐむ。佐山はただ留守番していただけだ。この件に下手に口出しするのは、それこそ無責任であるように思えた。


「……食事と言えば、一ノ瀬くん、ちゃんと夕食は食べたかね? ワシには少々やつれているように見えるが」


 なので、それとなく話題を変えた。


「いや……正直、あまり食欲がなくて」


「それはいかん。気持ちはわかるが、しっかりと食べなければ」


 気分転換に関係ない話を振ったつもりだったが、不意に一ノ瀬の無表情が崩れた。苦しげに顔を歪めて、うつむく。


「……爺さん。街でな。みんなでスーパーを漁ったんだ。食い物がたくさん残ってた」


「……うむ」


「そしたら小牧が、いきなり大声を上げたもんだからさ。みんなびっくりして駆けつけたら、あいつ、桃缶持ってはしゃいでやんの」


「…………」


「桃缶、大好物なんだってさ。これ自分のだから! ってあいつ、そう言っててさ。帰ったら一人で全部食べてやる、って……嬉しそうに、リュックに……」


 ぐしゃぐしゃと髪をかき乱しながら、一ノ瀬が机に突っ伏す。その言葉は震えていて、最後の方はほとんど聞き取れなかった。ぽた、ぽたとこぼれ落ちる涙。


「一ノ瀬くん……」


 鬼塚が席を立ち、一ノ瀬を後ろから抱きしめた。そうして、赤子をあやすように、ゆっくりとその頭を撫でる。


「……どうしようも、なかったんだよね」


 鬼塚の言葉に、うん、うん、と一ノ瀬が声もなく頷いていた。


「あんまり、自分を責めないで……もっと自分のことも考えて、ね?」


「でも……あんなに楽しみにしてたのに、あいつはもう……何も……」


「だからこそ、よ。生きてるあなたがちゃんとしないで、どうするの」


 優しくもしっかりとした口調で、言い聞かせるように鬼塚。一ノ瀬はその腕に抱かれたまま黙っている。こういうとき、自分のようなジジイは出る幕がないな、と佐山は思った。


「……なにか軽食でも用意しよう」


 そう言って席を立つ。しばらく泣けば、腹も減ってくるだろう。難しい話はまた後日。今は休息を取るべきなのだ。


 あとで他の探索班の若者たちも訪ねてみよう、と佐山は思う。きっと眠れない夜を過ごしているはずだ。彼らにも何か用意してあげねば。


 腹が減っては戦ができぬ、というが、生きることもまた戦いだ。小牧の犠牲を無駄にしてはならない。一ノ瀬たちは、こんな滅びかけた世界でも、未来ある若者なのだから――


 一ノ瀬のすすり泣きを背に、部屋を出る。


「まったく、老骨には堪えるわい……」


 佐山のつぶやきが、廊下の暗闇に吸い込まれて、消えていった。



          †††



 翌日。


 老人ホームの庭で、簡単な葬儀を執り行うことになった。


 宗教関係者の生き残りはいないので、格式張ったものではない。ただ皆で小牧の冥福を祈るだけだ。どちらかというと、残された者たちが気持ちを整理するための儀式だった。


 久々にプリンターを起動、小牧の笑顔を印刷して額縁に入れる。屈託のない笑顔が眩しく、だからこそ余計に悲しかった。白いテーブルに遺影を置いただけではあまりに殺風景なので、子供たちが色紙で花束を作り、その周りを飾る。そして小牧の大好物だという桃缶も、一緒に供えられた。


 見張りやその他作業で手が離せない者を除いて、ほぼ全員が葬儀に参加する。一ノ瀬を始めとした探索班の面々は、やはり一夜明けても心労が抜けないようで、かなりやつれた様子を見せていた。


 が、小牧の親友・酒寄の憔悴っぷりはそれに輪をかけてひどい。昨夜は一睡もできなかったらしく、目の下には濃いくまができ、頬もげっそりとこけていた。ふらふらと力ない足取りもあいまってまるで幽鬼のようだ。


 眼鏡の奥の血走った瞳が、一ノ瀬たちを睨む。昨日のように、声高になじるような真似はしなかったが、無言ゆえの威圧感があった。


 あまりに鬼気迫る様相に、探索班の面々はもとより、子供たちまで怯える始末だ。佐山も面と向かっていさめる勇気はなく、皆がはれものを扱うかのように酒寄を避けていた。


「では……小牧ちゃんの冥福を祈ろう。黙祷……」


 佐山の言葉に従い、皆が思い思いに祈りを捧げる。一ノ瀬は懺悔するかのように厳しい顔で合掌し、酒寄はただ無言で、はらはらと涙をこぼしていた。


 佐山もまた、胸に手を当てて冥福を祈る。そして、ふと思う。小牧は『奴ら』に噛まれて囮役を買って出たという。ということは、とどめを刺されることなく力尽きて、『奴ら』の一員になってしまったのではないか。


 ひょっとすると今この瞬間も、変わり果てた姿のまま、どこかをさまよっているのではないか。


 だとしたら、なんと――なんと惨い運命だろう。やるせなくて、悲しくて、今さらのように目頭が熱くなった。皆に気取られないよう服の袖で目元を拭う。



 が、そのとき、頭上からカランカランと鐘の音が鳴り響いた。



 屋上だ。老人ホームの屋上で、誰かがハンドベルを鳴らしている。


「なにが起きた!?」


 一ノ瀬が叫ぶ。これは見張りが緊急事態を知らせる鐘の音だった。みだりに騒音を立てると『奴ら』を引きつける現状、火災や『奴ら』の大攻勢など、よほどのことがない限り鳴らさない決まりだったが――


大事おおごとじゃ! 大事じゃあ!」


 屋上の手すりから、左手にハンドベルを持った老婆が顔を見せる。黒田くろだウメ。炊事その他を担当する、コミュニティでも随一のパワフル婆さんだ。しかし普段の図太さはどこへやら、今は幽霊でも見たような青い顔をしていた。


「ウメさーん! どうしたー!?」


 心臓発作でも起こしやしないかと心配しながら、佐山は問う。


「橋の、橋の方から――ふがっ」


 が、大声で答えようとしてウメ婆さんがむせた。その拍子に総入れ歯が飛び出し、屋上からぽとりと落ちる。


「ふぁふぃのふぉうふぁら! ふぉまふぃふゃんふぁ! ふぁふぇっふぇふぃふぁんふぁ!」


「婆さーん! なに言ってるか全然わからーん!」


 こりゃ話にならん、と閉口する佐山。かろうじて、橋の方で異変が起きたのはわかるが――あの慌てようを見る限り、想定外の事態のようだ。まずは子供たちを避難させねば、次に守りを固めるか、と指示を出そうとしたところで、今度はドタドタと足音が聞こえてきた。


「爺さーん! 一ノ瀬ーッ!」


 橋のバリケードの監視を担当していた若者が、血相を変えてこちらに走ってくる。


「どうした!? なにがあった?!」


 持ち場を離れるとはどういうことだ!? と仰天しながら一ノ瀬。若者はあわあわと口を震わせながら、動転して橋の方を指差す。


「かっ、かえっ、きた! き、きた、きたんだ!」


「落ち着け! 深呼吸して、ゆっくり言ってくれ。何が起きた?」


 一ノ瀬にバシンと背中を叩かれ、深呼吸した若者だったが、しかし落ち着くことはなく叫ぶ。


「帰って、きたんだよ! 小牧ちゃんが! 帰ってきたんだよォ!」

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