第16話
それから数週間がすぎた。
小牧の一日は、朝の祈りから始まる。
「今日もみんなが元気にすごせますように……アウル・エファアシーン・ジウラ」
目を覚まし、まず自室で朝日に向かって祈る。今日も清々しい青空だ。
そう。光野が来て、
目を閉じて、小牧は一心に祈る。
その胸には温かな光が灯っていた。
ここ数週間で小牧は屈指の祈り手へと成長し、微々たる効果ではあるが、癒しの光さえ発動できるようになっていた。
「驚くべき成長速度です。私が指導してきた中では、間違いなく一番の才能ですね」
と、光野が舌を巻いたほどだ。
ただ、少しばかり光術が身についてくると、逆に光野の奇跡が異次元レベルであることも、よくわかってきた。
光野は己の前世に関して多くを語らないが、神に選ばれて転生させられるほどなのだから、やはりよほどの祈り手だったのだろう。そして前世+今世で絶え間なく修行を続けてきた結果、経験の蓄積も桁違いになっている。
聞けば、特殊な思考法と身体的なコントロールにより、思考をいくつかに分割して常に祈りを捧げているらしい。戦闘や勉強、休息にも応用が効く技術らしく、小牧も一応指導を受けたが、今のところできる気がしなかった。
追いつけるとは思っていない。
だが少しでも近づけるようにと、小牧は今日も祈りを捧げる。
「おはよう! アウル・エファアシーン・ジウラ!」
「お姉ちゃんおはよ! アウル・エファアシーン・ジウラ~!」
部屋を出て、道すがらに子供たちと元気にあいさつ。信徒同士のあいさつは祈りも兼ねる。
川中島コミュニティの生活はすっかり様変わりしていた。
祈りの塔の恩恵――不死者が近寄らなくなる、天候が回復する、作物や鶏、住民の体調までもが良くなる――があまりに劇的だったことから、神殿建設もトントン拍子で決定し、倉庫の一つが取り壊されて、基礎工事も完了していた。
あとは、均された土地にどのような神殿を建てるか、それが問題だ。光野は掘っ建て小屋やテントでも構わないと言っていたが、敬愛する神のため、それなりのものを建てたいと願ってしまうのが人の性。
今は佐山や一ノ瀬たちが、建材をどうするか、設計をどうするかで、頭を悩ませている。
佐山といえば、彼は祈りが届くまでかなり苦戦していたようだ。
「ワシには才能がないのかもしれん」
そう愚痴っていたのも、二度や三度ではない。光野に助言を求めたこともあったようだが、あの聖人君子のような光野も、この件に関してはシビアだった。
「――祈りに普遍的なコツなどないのです。それぞれに相応しい祈り方や心構えがあります。まず、あなたはそれを自力で見出さねばなりません。それこそが祈りの極意なのです」
突き放すような言い方ではあったが、正論だった。
周囲の子供たちや若者集団が次々に祈りを届けていくのを尻目に、ずいぶん悩み、苦しんだようだが、ある日畑仕事のさなかで極意を見出したらしい。佐山もまた、深みのある色の光を宿していた。
ちなみに、ウメ婆さんは早々に祈りを届かせ、ますますパワフルに活動している。
「人生、まだまだ捨てたもんじゃないねえ。もっと長生きして、神様に恩返しせんとねえ」
ニカッと笑いながら語るウメ婆さん。その白い歯が眩しい。
歯が復活し、食糧事情が改善されたことも相まって、モリモリご飯や肉を食べられるようになったウメ婆さん。最近では十歳も二十歳も若返ったようだ。以前のように、腰や関節が痛むこともなくなったという。
最終的には、光野の代わりに鶏たちの世話をするのが目標らしく、癒やしの光から光の刃の具現化まで、幅広く習得しようと努力している。そのハングリー精神は若者にも引けをとらないだろう。
ひるがえって、若者集団の躍進も目覚ましい。
一ノ瀬は真っ先に祈りを届け、順調に熟達していっている。光野いわく、一ノ瀬は浄化の力――すなわち、邪神の眷属の力を打ち消す技術に秀でているらしく、近頃は少しでも早く実用的な奇跡を扱えるようになろうと、真剣に祈っているようだ。
「不死者の話を聞いたときは、ショックだったさ」
ある日、祈りの合間に雑談したとき、一ノ瀬はそうこぼしていた。
『奴ら』、改め、不死者の真実を知って、心境の変化が大きかったらしい。『救済』に身を賭して挑む光野を尊敬しながらも、ほんの少しでもいいので、自分もその一助になりたいと考えているようだ。それだけに、彼の祈りの光は強かった。
「レナ~! わたし、今朝も神様の声聞こえちゃった!」
小牧の親友、酒寄も負けず劣らず熱心な信徒になった。
元々、小牧を救ってくれたエファアシーン・ジウラと光野に感謝していたこともあり、その信仰心は崇拝となって、彼女の心に深く根付いたのだ。
おかげで、光を灯してから神への祈りを欠かしたことはなく、放っておけば寝食さえ忘れてずっと祈り続けてしまう。食事に出てこないので自室を訪ねてみれば、トランス状態で祈りを捧げていた、など近頃ではザラだ。
「あそこまで無心に祈れる人は、そうそういませんね」
と、光野にまで評される始末。ただその分、信仰への没入度も凄まじく、光野を除いた信徒の中で唯一、コンスタントに神の声を聞くことができる。
「私の前世には、神の声を聞く専門家――いわば巫女のような職があったのですが、酒寄さんはその適性があるかもしれませんね」
とは光野の談だ。
「みっちー、今日はどんな感じだったの?」
エファアシーン・ジウラの声。小牧も何度か聞いたことはあるが、内容をはっきり理解できた試しがない。そもそも思考体系が違うし、存在としての格、スケール感が人間とかけ離れているため、意思疎通が難しいというのが光野の解説だった。
「えっとねー、まあ全部はわからなかったんだけど」
眼鏡をクイッとしながら、恍惚とした表情で頬に手を当てる酒寄。
「多分ねー、世界のどこかの、鳥の一生について語られていたように思えるの。羽ばたく姿が美しいだとか、子供みたいに風と戯れるところが微笑ましいとか、つがいを探してどこまでも飛び続ける姿に感動したとか、そういう想いがギュッと圧縮された言葉だったと思う」
「へえー、よくわかったね」
感心しながら頷く小牧。そこまで理解できるなら、神の声に耳を傾けるのも楽しいだろう。酒寄は元から文学少女で、物語の世界に没入するのが大好きだった。祈りに『ハマった』のは、そういう側面もあるのかもしれないな、などと小牧は思った。
「レナ姉ちゃん、みてみて~!」
「ん~? なにかな?」
と、小さな女の子が、小牧の前に来て祈りの仕草をする。
若者集団の躍進にも触れたが、中でも子供たちの順応速度は特筆に値するだろう。
女の子は、なにやらポーズをキメたかと思うと、そこからさらに手をぐるっと回して、
「ラブリー・プリンセス・ビーム!」
ピンク色の、しかもハート型の光を両手から放った。
「わぁ、すごいね~!」
素直に感心する小牧。ラブリー・プリンセス・ビームは、パンデミック以前の人気アニメで主人公が使っていた必殺技だ。他の子供たちも競うようにやってくる。
「おれもできるぞ! くらえ、バスターストーム!」
「ぼくだってできるもん! ドラゴンファイヤー!」
色とりどりの光が廊下に咲き乱れる。
そしてそのうちのいくつかは小牧を狙ったものだった。もちろん、当たっても痛くも痒くもないのだが、「ぐわ~やられた~!」などとノリノリで応じる小牧。
そう、自在に操れる光は、子供たちにとって、絶好のおもちゃになった。
祈りを届けた次の日には光で遊び始め、あれよあれよという間に自在に操れるようになってしまった。今では、無意識のうちに軽い身体強化を使う子までおり、かつてのアニメや漫画のキャラクターを再現するごっこ遊びに夢中のようだ。
神聖な神の光をおもちゃにするのって大丈夫なの、と当初は心配したものだが、光野に相談すると「もちろん大丈夫ですよ」と笑っていた。
「子供たちが健やかに遊んでいるのです。神もきっとお喜びになるでしょう」
光野が子供たちを見る目は、どこまでも優しかった。
「……私も前世で、幼い頃はああやって遊んだものです。こちらの世界はアニメや漫画のような創作物が豊かなので羨ましいですね」
あのごっこ遊び、絶対楽しいですよね……などと心底羨ましそうに言うものだから、小牧は思わず笑ってしまった。
「それに……ああして夢中で遊ぶ子ほど、十年後、二十年後には、驚くような熟練の祈り手に成長するものですよ」
もしかしたら追い抜かれてしまうかもしれませんよ――ニヤリといたずらっ子のような笑みを浮かべて、光野はからかうようにして言う。近頃、小牧によく見せてくれるようになった、光野の素の顔だ。打ち解けてくれているようで嬉しく思う。
ただ、それはそれとして、子供たちに抜かされるかもという危機感は本物だった。
その夜、部屋に戻って技を再現できるか、こっそり試したのは内緒だ――
光野とエファアシーン・ジウラのおかげで、拠点での生活は遥かに充実したものになった。
先の見えない明日ではなく、確かな未来を信じて生きられるようになった。
「さーて、今日はどうしようかなぁ」
朝食後、エファアシーン・ジウラに感謝の祈りを捧げて、小牧は今日の予定を考えていた。このまま修行に突入してもいいが、久々に何か別のこともしてみたい気分。
ぶらりと共有スペースに入ると、置きっぱなしのギターケースが目に入った。
「あ、そういやしばらく弾いてないなぁ」
これはいかん、とケースのホコリを払いながら小牧。久々になにか弾いてみるか、とギター引っ張り出す。
「……歌手になるのが、夢だったなー」
調律しながら、そんなことをふと思い出す。将来の夢はミュージシャン、だった。だが世界が滅んで――夢も諦めた。
「いや、待て。でも光野さんが世界を救ってくれたら、まだチャンスはあるんじゃないかな」
世界を救う。昔の自分なら、なにをバカなことをと鼻で笑っていただろう。
だが、今は確信がある。エファアシーン・ジウラと光野の存在があれば、世界は救われる、と。
そうなれば――また、人々が笑って暮らせる世界がやってきたら。
きっと自分は――
そんな未来を、夢想する。
「あら、小牧ちゃん。ギターなんて久々ねえ」
と、共有スペース前を通りがかった女性が、小牧に声をかけてきた。彼女は子供たちの母親の一人で、先日エファアシーン・ジウラの光を灯した信徒でもある。
「ええ、しばらく弾いてなくて、ホコリかぶってたのでヤバイと思って」
「弦楽器って、すぐに腕がなまっちゃうもんねえ」
「最近、修行に夢中だったもんで……」
てへ、と舌を出しながら小牧。
「もちろん、修行も大切でしょうけど、あんまり放っておいたらギターが可哀想よ」
「わたしもそう思ったんです。……昔、歌手になろうとしてたときは、毎日必死で練習してたんですけど」
ぽろろん、と弦を鳴らし、余韻を楽しむ。
「……歌手になるって夢も、一度は諦めてたんですよね。でも、光野さんのおかげでまた希望が持てるかなって」
「……そうね。わたしもわかるわ、その気持ち」
女性も遠い目をして頷いた。彼女も、息子以外の家族を全て亡くしている。
「この間までは、明日にはもう死んでるかもしれない、って、常に怯えながら生きてたもの。エファアシーン・ジウラと光野さんのおかげで、本当に……救われたわ」
「そうですね……わたしもです」
しばし、二人して感謝の祈りを捧げる。
「……もし、世界が救われたら。わたし、やっぱり歌手になりたいです」
照れたように笑いながら、小牧は言葉を続けた。
「――そして、エファアシーン・ジウラを讃える歌を歌いたいです。神の優しさと偉大さを、みんなで分かち合えたらいいなって」
「まあ。それは素晴らしい目標ね!」
女性もうっとりとした表情で頷いた。
「でも、プレッシャーじゃない? エファアシーン・ジウラを讃える歌だなんて、よほど良い曲じゃないと神の偉大さに負けちゃうわよ?」
「あ、それに関しては、ちょっとだけ考えがあるんです。試してみたいことがあって」
「あら、作曲家のツテでもあるの? なんてね」
「あはは。いや、ちょっとこう……頑張ってみようかな、なんて」
「まあまあ! 良いと思うわ、そういうのも。それにしても小牧ちゃんがうらやましいわあ! わたしって芸術的な才能が全然ないから、そういうの憧れちゃう!」
「いっ、いや! わたしだって、別に才能なんて……」
「うふふ、まあ頑張って。もし一曲できたら聴かせてね! そろそろ行かなきゃ、ウメさんにお昼ご飯の下ごしらえ手伝ってって、頼まれてるの」
「あ、はーい。じゃあまたあとで」
二人して笑顔で頷き、「アウル・エファアシーン・ジウラ」と唱和する。
「よーし、じゃあ頑張っちゃいますか」
女性の後ろ姿を尻目に、ギターを爪弾き始める小牧。
一音一音、メロディーを確かめるように、真剣な顔で。
どこか、遠い場所の音に、耳を傾けるように。
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