第14話


 夕方。


 川中島の拠点には、ジューシーな匂いが漂っていた。


「これってまさか唐揚げか……!?」


「あいつら卵産まないし、とうとう〆られたか」


「悲しいなぁ。せめて安らかに眠れ……」


 見張りなどから戻ってきた一ノ瀬たち若者一同が、食堂で唐揚げの山を前に手を合わせた。


「いただきます!」


「わーい、お肉だー!」


「わたしからあげだいすきー!」


 久々の大ごちそうに子供たちもテンションが上がっている。


「ふふふ、楽しんでいるようだなぁ」


「おう、爺さん。あいつらの命、美味しく頂いてるよ……」


「うまいぜ。レモンかけたいなー」


「レモンかけるとかふざけんな張り倒すぞ」


「かぁーッ! キンキンに冷えたビールが飲みてえ!」


 もっしゃもっしゃと唐揚げを頬張りながら、賑やかな一ノ瀬たち。佐山はフフフッと不敵な笑みを浮かべる。


「聞いて驚け! 実は今回、鶏たちは一羽も〆ておらんのだ!」


 佐山の発言に、一ノ瀬たちも、子供たちも、顔を見合わせる。


「じゃあ俺たちが食ってるこれはなんだ」


 反射的に尋ねる一ノ瀬、しかし「いや待て」となにかに勘づく。


「この件、アレだな。光野さんが絡んでるな」


「うむ。実はな……」


 事の顛末を話す。鶏たちからもも肉をわけてもらい、即座に再生させたという光野の偉業に皆が唖然としていた。が、若者たちと子供たちの箸は止まらない。


 唯一、テーブルの奥で鬼塚だけが気味悪がって箸をつけなくなったが。


「そんなわけで、これからは二日に一回は鶏肉が食べられるぞ!」


「うおおおおおおおッ!」


「サツマイモも食べられるぞ!」


「お、おう」


「なんだその落差は! ワシが必死で育てたサツマイモだぞ!!」


 復活させたのは光野さんだがなぁ! と言いつつも怒る佐山。


「と、ところで光野さんは? 見当たらないようだが……」


 話を逸らすように一ノ瀬。当然、佐山はそれほど単純ではなく、じろりと一ノ瀬を睨む。


「あ、光野さんなら街に出かけたよ」


 救いの女神は、その隣にいた。ちまちまとご飯を口に運びながら、小牧。


「街に? 一人でか?」


「うん、塔の材料を探しに。……あと、街中の不死者も、見つかり次第浄化しとくって」


「無茶な……と思ったが、あの人なら大丈夫か。『奴ら』相手でも」


「……元々、一人で旅してたみたいだしね」


 長い、旅だったそうだ。行けども行けども、荒れた街と不死者ばかり。最後に人里を発ってから、小牧たちの川中島コミュニティにたどり着くまで、数週間歩き通したらしい。


 もっとも、不死者たちを『救済』するのにかなりの時間を費やした、とのことだったが――光野に聞かされた、ある衝撃の事実を思い出し、小牧の食事の手が止まる。


 一人で街に向かう。材料探しを兼ねて、不死者たちの救済のために。


 光野にそう聞いたとき、小牧は尋ねていた。なぜそうもストイックに、不死者たちの相手をするのか、と。


 昨日までほぼ休みなく旅を続けてきたのだ。いくらエファアシーン・ジウラの恩恵があっても精神的な疲れはあるだろう。少しは休めばいいのに――小牧はそう言ったが、光野は静かに首を振って、こう答えた。


「不死者たちもまた、哀れな被害者です。彼らは今もなお苦しみ続けている。放っておくわけにはいきません」


 そして光野は言った。



 、と。



 彼らはただの動く屍ではない。腐り落ちた体は肉の牢獄と化し、その魂は邪神の呪いに囚われたままなのだ。魂が擦り切れてボロボロに崩れてしまうまで、気が狂うような痛みに絶えず苛まれ続けている――


 まさに地獄の業苦。


「小牧さん。あなたになら、わかるはずです。魂を苛む苦痛がどのようなものか」


 あなたは噛まれた痛みをご存知でしょう――光野は沈痛な面持ちでそう告げた。


 小牧は、頭を殴られたような衝撃を受けた。


 ずっと『奴ら』と呼んでいた。呪われた怪物なのだと思っていた。


 だが――それが違っていたとしたら。あのうめき声に、別の意味があったのだとしたら。


 噛まれた痛みはもう忘れられそうにもない。全身に広がっていく、魂さえ凍るような痛み。あれが――永遠に続く? そんな。耐えられるはずがない。しかもどんなに苦しくても、泣きわめくことさえ許されないのだ。


 なんと惨い運命なのだろう。そして自分も、あと少しでそうなるところだったという事実に震える。光野がいなければ、今頃は――


「ですから、私は行かねばなりません。一刻も早く、彼らの魂を解放するために」


 夜明けまでには戻ってきますよ、と笑って。


 バールのようなものを片手に、光野は拠点を去っていった。


「……レナ? どうしたの?」


 突然、沈んだ表情を見せる小牧に、隣の席の酒寄が心配そうな顔をする。


「あっ、いや。ちょっと考えごとしてただけ、なんでもないよ」


 無理に笑顔を浮かべて、小牧はごまかした。


「へー光野さん、すげえなあ」


「その神様とやらを信じたら、俺にも似たようなことができるのかな?」


「光野さんはそう仰っていたが……今のところ、ワシは一度も祈りがうまくいかなんだ」


 と、小牧が物思いに沈んでいるうちに、佐山と一ノ瀬たちは神と光野の話題で盛り上がっていたようだ。


「普通ならどんなに早くても一週間はかかる、という話だ。しかし小牧ちゃんは、昨日の今日で祈りが届いてな! 光野さんもびっくりしとったわい」


「小牧ちゃんいけたの? マジかよ」


「すげえな!」


 突如、皆の注目が集まり、小牧は「ええっ」と狼狽した。


「レナ姉ちゃん、ちょーのーりょく使えるの!?」


「すごーい!」


「い、いや。光野さんほどすごいことはできないよ! ただちょっと、手が光るくらいで」


 子供たちにキラキラとした目を向けられ、わたわたと慌てる小牧。


「え~、でも手が光るの!? かっこいい!」


「見せて見せて~!」


「ええ、ええっと……」


 見れば、子供たちだけでなく、一ノ瀬たちも期待に満ちた目をしている。テーブルの奥の方から、鬼塚がそれとなくこちらの様子を窺っているのにも気づいた。


「さ、さすがに緊張しちゃうなぁ……」


 あはは、と諦めたように笑いながら、いったん箸を置いて、小牧は胸に手を当てた。


 握り拳で円を描くように。エファアシーン・ジウラへの祈りの作法。


 ……そうだ。今もなお苦しむ人々のために、祈ろう。


 小牧はそう思った。街に残された不死者たちの苦しみが、少しでも早く終わるように。


 今もなお独りで奮闘しているであろう、光野のために。


 どうか。神様。


 彼らに、救いを。


 彼らに、慈悲を。


「……アウル・エファアシーン・ジウラ」


 そっと、呟く。じん、と胸の奥が震える。大いなる意志と感情が溢れてくる。


「ああ……」と溜息のような声が漏れた。あまりにも深い、嘆き、悲しみ、そして、生きとし生けるものへの限りない愛情。


「おお……!」


「わあ……!」


 見守っていた皆が、感嘆の声を上げた。小牧の胸元が、光り輝いている。清らかな白い光。プリズムのように揺らめく七色の輪郭。


 それは、わずか数秒にも満たない輝きだったが、胸を打つ美しさがあった。


「すげえ……」


 若者の一人の声は、紛れもなく皆の総意だっただろう――



「――気持ち悪い」



 いや。


 そうでない人間も、いた。


 皆が声もなく見とれていたからこそ、その小さな呟きは、食堂中に響き渡ってしまった。


 全員の視線がテーブルの奥に集中する。


 失言した、とばかりに口元を押さえる鬼塚の姿があった。


「佳代さん……」


 小牧は、少しばかり傷ついた顔でその名を呼んだ。純粋に、悲しかった。エファアシーン・ジウラの光を、けなされたことが。


「……今のは忘れて」


 気まずげに視線をそらした鬼塚が、席を立つ。


「…………その力が有用だし、みんなのためになるってことは、わかってるわ。でも、みんなして前のめりで夢中になってるのが、なんだか不気味に見えちゃって……」


 言い訳するように早口で言う鬼塚だったが、ぺちんと己の額を叩いて溜息をついた。


「……ごめんなさい。やっぱり、今日の私、なんだかおかしいみたい。小牧ちゃん、あなたのことを悪く言うつもりはなかったの。それだけは本当よ」


 そう言い残して、鬼塚は食堂から去っていった。


「…………」


 あなたのことを悪く言うつもりはなかった――裏を返せば、エファアシーン・ジウラのことは認めていない、というわけだ。


 鬼塚の、光野とエファアシーン・ジウラに対する風当たりは強い。


 だが小牧は、彼女を責めようという気にはなれなかった。鬼塚の過去を小耳に挟んだことがあるからだ。


 ――彼女の家は、新興宗教のせいでメチャクチャになったらしい。


 なんでも幼い頃に親が詐欺まがいの宗教にはまり、財産諸々を失った挙げ句、一家離散する羽目になったそうだ。


 それ以来、彼女は宗教というものを憎んでいる。幸せな家庭を崩壊させた元凶として。不幸に見舞われた自分を最後まで救ってくれなかった、その無責任さも。


 刻み込まれたトラウマが、光野への態度を硬化させていることは、想像に難くなかった。


「フッ、『みんなして前のめりで夢中』、か……」


 鬼塚の背中を見送って、一ノ瀬が小さく呟く。


「……当たり前だ。夢中になるに決まってる」


 その顔には、凄絶な笑み。


「この力があれば、『奴ら』を駆逐できるかもしれない。『奴ら』に対抗できるなら。これ以上誰も苦しませずに済むなら……」


 ぎりっ、とその拳に力がこもる。


「不気味だろうが、なんだろうが、構うものか。俺は悪魔とだって契約してやる……!」


 一ノ瀬の覚悟が滲む言葉だった。心強くもあり、悲しくもある。


 特に、『奴ら』――不死者たちの実情を知ってしまった小牧にとって、彼らに向けられる感情が憎しみだけというのは、あまりに辛い。


 だが、ここで一ノ瀬が、そして皆が、真実を知ったところで何が変わるだろう。


 光野がそっと、自分にだけ真実を教えていった意味を、小牧は考えずにはいられなかった。


 ――今は、言えない。


 やはりそういう結論に至る。一ノ瀬たちが、この痛みを、この悲しみを知るのはもっとあとでもいいはずだ。


 だから――ただ、一つだけ。どうしても言っておかなければならないことだけを、言う。


「……一ノ瀬。エファアシーン・ジウラは、悪魔じゃなくて優しい神様だよ……」


「あ! すっ、すまん。そういう意味で言ったんじゃないんだ」


 心底悲しそうな顔をする小牧に、先ほどまでの凄みはどこへやら。


 一ノ瀬は一転、慌てて頭を下げるのだった。

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