第2話


 ――カチッ


 やけに乾いた音が響く。


「…………ッッ!」


 銃を口にくわえたまま、ぎゅっと目をつぶり、ぷるぷる震える少女。やがて、自分がまだ死んでいないことに気づき、おそるおそる目を開く。


「……ふぇ? ぁれっ? なんで?」


 慌てて、銃を引き抜く。しかし撃鉄はきちんと落ちていた。


 ただ、弾が出ていない。


「え? 弾切れ……なわけないし。あれ? なんか間違えた?」


 もう一度弾倉を見てみると、やはりちゃんと一発残っていた。なぜ撃てなかった? まさか不発弾? 撃鉄の不具合?


 軽いパニックを起こしながら銃口を覗き込んだり(非常に危険な行為なので真似してはならない)、引き金を引いたり、弾倉を出し入れしたり。そして撃鉄の具合を確認するため少しだけ引き起こそうとした拍子に、うっかり指を滑らせてしまう。


「あ」


 かつん、と撃鉄が落ちた。


 タァンッ! と拳銃が火を噴く。


 パチッ、ギューンと背筋の凍るような音を立て、顔面すれすれを弾丸がかすめていった。


「うきゃっ!?」


 ビビってサルのような声が出た。反射的にのけぞりひっくり返る少女。硝煙を立ち昇らせる拳銃片手に、寝転がったまま茫然と空を見上げる。


「……あっぶな」


 思わず呟いてから、危ないどころか、そもそも死のうとしていたことを思い出す。事の重大さに気づき、少女はガバッと跳ね起きた。


「えっ!? 待って待って待って! 今の撃っちゃった? 撃っちゃったよね!?」


 当たり前だが、弾倉を見てみると、


「アアァ――ッ! 撃っちゃったァーッ!」


 残弾ゼロ。頭を抱える。やらかした。死に損なった。ゾンビたちが合いの手を入れるように眼下でアァーアウアウとうめいている。汚いコーラスだった。


「意味わかんないんですけどー!! なんで撃っちゃうかなぁー!? っていうかなんで最初撃てなかったのぉ!? ねえーッ!?」


 やり場のない怒りから、握りっぱなしの拳銃にキレ始める少女。


 余談だが、弾丸が出なかった原因は、この回転式拳銃にある。


 この手の拳銃を利用した度胸試し、『ロシアンルーレット』はあまりにも有名だろう。実弾を一発だけ込め、弾倉を適当に回し、どこに弾が入っているかわからなくした上で、自分のこめかみに向けて撃ってみるというアレだ。


 そして、そう、この『回転式の弾倉』がクセモノだった。


 弾倉が回転する。つまり弾丸の位置が少しずつズレていく。少女は確実に死ねるように最後の一発をセットしたつもりだったが、実際には、撃鉄を起こした段階で弾倉が回転していた。撃鉄が叩いたのは弾切れになった部分だったわけだ。


 リボルバーの仕組みと、少女の不注意が重なって起きた事故。まだ、普段の少女であれば、撃つ前に気づいたかもしれない。しかし自死に臨むという極限状態で、慣れない銃の扱いにまで気を払えというのも、酷な話だった。


「……ああ~。どうしよ~……」


 ずるずると座り込みながら、うつろな表情の少女。


 自ら命を断つ手段が失われてしまった。拳銃以外には針の一本すら持っていない。


 実は拠点を出発する際、仲間から「ナイフでも持っとけよ」と言われていた。だが少女は「そんなものゾンビ相手になんの役に立つの」と一笑に付していたのだった。


 あのときのアドバイスにさえ従っていれば。


「しまったぁ~……つつ……うぅ~」


 全身の痛みにうめきながら、少女は深く後悔する。ナイフで胸を一突き――考えただけでも恐ろしいが、このまま傷の痛みに苛まれ、発狂する最期はもっと恐ろしい。


 これまで何人も、噛まれた人を見てきた。その末路も。惨いことに、全身の肉が腐りかけて動けなくなってもなお、しばらくは意識があるらしい。


 痛い、寒い、とうわ言のようにつぶやきながら苦しみ続け、やがてこの世のものとは思えないような断末魔の叫びを上げて、激しくのたうち回る。そしてそれが止んだとき、『奴ら』として甦る――


 そんな、想像を絶する最期。


 もう傷口を見たくなかった。じきに腐臭が漂ってくるのではないか? と思ってしまうほどに、傷口周辺の肉も変色し始めている。


 どうすればいい。どうすればいい?


 少女は視線をさまよわせるも、答えはどこにも見つからない。いや、鉄塔をさらに登って身投げするという手もある。だが、もう――


「うっ、くっ……うぅぅ」


 よろよろと立ち上がろうとして、足に力が入らず、膝をついてしまう。ここまで全力疾走で逃げてきた。鉄塔をよじ登る体力など、もう、これっぽっちも残っていなかった。


 そしてそこに『感染』のダメ押し。根性でどうにかなる話ではない。もはや少女に残された道は、二つ。このまま傷に蝕まれ苦しみながら果てるか。それともこの足場から降りて、下の連中に生きながら喰われるか。


 ――結局、『奴ら』の一員になるしかないのか。


「……やだよぉ~」


 少女はとうとう、さめざめと泣き出した。


 空元気も出ない。虚勢もはれない。絶望だ。泣くしかない。


「なんでよぉ~……わたし頑張ったもん……最期くらい……楽に死なせてよぉ……」


 一度決壊すると、もう、ダメだった。涙が止まらない。


 今まで頑張って生きてきた。噛まれても諦めずに、仲間たちのためにベストを尽くした。


 だから、せめて人間として、楽に逝けたっていいじゃないか。なのに……なのに……


 何より辛かったのは、暴発のせいで再認識してしまったことだ。やはり自分は死にたくないのだ、と。弾丸が顔をかすめて、「危ない」と思った。それが全てだ。


「えぇ~ん……パパぁ、ママぁ……」


 もはやこの世にいない両親を呼びながら、子供のように泣きじゃくる。少女の心をいたぶるように、じわじわと痛みも強くなっていく。


「ううっ、うぅぅ……」


 痛い。怖い。力なく鉄塔の足場に横たわる。もう肩の辺りまで変色が進みつつあった。呼吸が苦しい。はぁっ、はぁっ、と再び息が荒くなる。


「誰か……助けてよぉ……」


 あまりの苦しさに、「これだけは言うまい」と決めていた言葉が、つい口からこぼれた。


 無駄だとは、わかっている。助けてくれる人などいない。助かる見込みもない。

助けを呼んだところで、返ってくるのは不死者のうめき声だけ。


 言ってもさらに虚しく、惨めになるだけだ。


 それでも、すがらずにはいられない。


「助けて……誰かぁ……」


 一縷の望みに。


 奇跡に。




 ――しゃあん、しゃあん、と涼やかな音が聞こえてきたのは、そのときだった。

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