黒い渦に入る

 禍々まがまがしい黒いうずの中に入ると、そこは洞窟どうくつの様に暗かった。


 ぐの一本道になっており、迷うことはない。だけれど、どこに向かっているのか、またどこに出るのかという不安が襲う。


 高さは申し分ないが、横幅よこはばは2人がギリギリ通れる程度しかない。


 暗いからそう感じるだけかもしれないけれど。


 僕らは横並びに密着みっちゃくした状態で前へと進む。


 入るときは手を握る程度だったはずなのに、今では吉野さんが僕の腕にしがみついている。


 女の子特有の甘い香りが鼻孔びこうをくすぐり、暗闇くらやみあいまっておかしくなりそうだ。


 入った直後は壁に手をつけ前に進んでいた。


 しかし、奥に進んでいくと、センサーで反応したかのように明かりがともった。


 明かりは左右に、僕の身長よりも高い、2m程の高さにある。


 等間隔とうかんかくにいくつもあるのはありがたいけれど、薄明かりのせいで尚一層なおいっそう不気味ぶきみさをかもし出している。


 明かりを頼りに真っ直ぐ進め、ということだろう。


「どこに繋がってるのかな?」

「わからない。けど、行くしかない」


 来た道を振り返ってみるも、僕達が入って来た入り口はすでに閉じてしまっているようだ。


 外に通じる明かりらしきものは見当たらない。


 彼女だけでも引き返させようとも思ったけれど、それはもうできそうにない。


 この先、どんな困難が待ち受けているかわからない以上、慎重しんちょうに行動する必要がある。


 ところでだ。


 ふと疑問に思ったことを吉野さんに問いかけてみる。


「吉野さんはどうしてここに来たの?」


 僕が質問すると、彼女はほうけた顔をした後、くちびるをきゅっと閉め、語り出した。


「私にもいたの。さっきの妖精ようせいみたいなの」

「天使って呼んでたよね」


 僕のところにだけ特別に来てくれたと思っていたけれど、そうではなかったんだ。

 なんだか残念な気持ちになる。


「そう。ただ、私のところに来たのは全身真っ白だったから、もしかしたらちょっと違うかもしれないけど」

「それはメスだからだよ」

「え?」

「あいつが言ってたんだ。オスは黒、メスは白だって。だから吉野さんの前に現れたのはメスだったんだよ」

「そっかー。天使だから白いのかと思ってた」


 彼女に話してから疑問に思う。


 さっきまで一緒にいた妖精はメスなのに黒かった。


 不思議に思うも、吉野さんが納得しているのを水差すわけにもいかず気にしないことにする。


「当の本人は恋のキューピットだって言ってたけどね」

「私の方も言ってた。だけど、見た目が見た目だから全然信じられなかったな」

「僕もだよ。でも、吉野さんの方は白いんだからまだ信じられたんじゃない?」

「私もそう思ったんだけどダメだったの」

「なんで?」

「だって、弓を持ってないのだもん」

「ゆみ?」

「弓」

「それってそんなに重要?」

「重要でしょ? 弓がなきゃ心を射抜いぬけないもん」


 納得できるような、できないような。


 僕は付き合いました、しかし別れましたでは意味がない、と悪魔が言っていたことを思い出しつつ弓の重要性について考える。


 もし彼が言っていた通り自分の力で、かつ弓を使うのだとすると、彼に出してもらう必要があるな。


 ただたとえ、僕が弓を使って彼女の心を射抜けたとしても、結局は自分の力ではないから弓を出してもらうことはできなさそうだ。


「それで試しになにが出せるのか訊いたら、花瓶かびんだって言うし」

「なぜ花瓶?」

「あ、でも、その花瓶に入れた花は手入れをまったく必要とせず、生けてさえいればいいんだって」

「それは楽でいいね」

「うん。だけど、お花を手入れする楽しみがないのは残念」

「花、好きなの?」

「好き。毎年お父さんが会社の周年記念で貰ってくるお花を世話するのが楽しみなの。だけど自分で買うのはなんか違うかなって思う」

「そうなんだ」


 そういえば、今日、吉野さんが着ているスカートは花柄だ。


 無意識かもしれないけれど、自分でそういうのを選んでいるのかな?


 そういえば小学生の時、クラスのお花係が世話に飽きたからと仕事をほっぽった時も代わりに世話していたな。


 あれはクラス委員だからサポートのためにやっているもんだとばかり思っていた。


 ちなみに僕はその時、手伝っていない。


 なぜなら同じお花好きの女子がこぞって手伝っていたからだ。


 その輪の中に入る勇気はなかった。


 そういうのを見ると係決めって時に無に帰すよなって思う。


「誰だよ、係」


 そんな言葉が飛び交っていた教室内の光景がよみがえる。


 特に日直は日替わりで、当番の子が休みだと本当にわからなくなる。


 それでとりあえずクラス委員が代わりに仕事をすることになるのだよな。


「……なかむら……仲村くん」

「え、なに?」


 何度か名前を呼ばれていたようだけれど、僕はすぐには気づかなかった。


 吉野さんと2人きりという絶好ぜっこうの機会にボーッとしてしまうなんて。なんてアホなのだと内心で自分を卑下ひげしてしまう。


「ごめんね。私のせいで」

「なんで?」

「だって仲村くん、さっきから辛そうだよ」

「え? そう?」

「そうだよ。大丈夫?」


 言われて気づく。


 確かに僕は辛いと感じている。


 だけれど、それは決して彼女のせいではない。


 これから僕らをおそうであろう困難を思うと、吉野さんが共に歩むことを良しとしたことが辛いのだ。


 やはり今からでも引き返し、彼女を安全な場所に置いて来た方がいいのではないのだろうか。


 そう思い、来た道を振り返って見てみるも、変わらず出入り口らしきものは見当たらなかった。


 仕方なしに、僕は吉野さんを命懸いのちがけで守る決意を固める。


 まずは、僕のことを心配している彼女を安心させるべく言葉をかけよう。


 心配ないよ。僕に任せて。マイハニー、君は僕が命に代えても守るよ。


 ……かける言葉をどうしようかと思考を巡らせているうちに緊張してきた。


 こんなキザなことを僕は今、彼女に言おうとしているのか。


 どうかしていると思うと同時に、こんな時だからこそ、こんな時にしか、言えないことがあるのではないのだろうか。


 苦渋くじゅうの思いでらぐ決心を再構築していき、すぐ隣で、僕の腕を抱きかかえている彼女の方へと顔を向ける。


 そうして僕は大衆たいしゅうの面前でスピーチする以上の緊張状態で恥ずかしいセリフを言おうと――


 ――したところで、はたと気づく。


 吉野さんの顔がじゃがいもになっていることに。


 いったい今、彼女がどんな表情をしていうのかまったくわからない。


 だけれど、目の前に彼女がいるということは認識できている。


 だからこそ緊張は止まず。彼女と付き合うという目的を達成できなかったことによるペナルティ――極度の緊張状態になると他人の顔がじゃがいもに見えるが発動する。


「どうしたの?」


 僕が訊きたい。


 え? なにこれ?


 これが悪魔が言っていたペナルティなの?


 落ち着け。落ち着くのだ僕。


 落ち着いて状況を整理しよう。


 僕は吉野さんと薄暗い異空間に2人きり。


 そして、その彼女の顔が極度の緊張状態のせいでじゃがいもに見えている。


 緊張のせいで好きな子の顔がじゃがいもに見えるってなんじゃそりゃぁぁぁぁ。


 他人の顔がじゃがいもに見えるって大衆の前でステージに立った時だけではないの?


 こんな時まで顔がじゃがいもに見えるなんて聞いていないよ。


 クッ!


 こんなことなら悪魔の言う通りもっとペナルティの深刻さについて考えておくべきだった。


「本当に大丈夫? 顔色が悪いよ」

「大丈夫。ちょっと悪魔に言われていたペナルティが思ったよりも深刻だっただけ」

「……ペナルティ……」


 吉野さんはなにを思ったのか胸を隠すように両腕を前で抱きかかえる。まるで水着をポロリしてしまったかのようだ。


 もちろん、彼女は服を着ているため、ポロリをする心配はないのだが。


 もしかしたら服の中でブラ的ななにかがズレてしまったのかもしれない。


 そんな汚れた思考をしてしまったことから、僕は彼女から視線を逸らす。


 しばらくしてから、彼女から目を逸らしたままでは状況を読み込めず、どう行動したらいいものかわからないことに気づいた。


 そこで僕は恐る恐る少しずつ視線を彼女の方へと戻していく。


 もしかしたらズレてしまったものを元の場所に戻すために服の中でもそもそと探っている最中かもしれない。


 脳内でもそもそと服の中を漁っている吉野さんの画を思い浮かべながら見てみると、なんてことはない。


 彼女は変わらず胸の前で両腕を抱えている。


 表情から感情をみ取ろうと顔を覗いてみるも、よくわからない。


 だってじゃがいもにしか見えないのだもん。


 体の動きや雰囲気から察するに、おそらく頬を赤らめ、恥ずかしそうにしている。


 また、同時に悲しそう。


 多分だけれど。


 なんたって顔がじゃがいもだからね。


「そういえば吉野さんのペナルティはなに?」

「⁉」


 思わず質問してしまった。


 ペナルティを受けた責任の半分は間違いなく僕にあるというのに。


 自覚があるあたり確信犯的で罪悪感が半端ない。


 なら訊かなければよかったのでは? と、自問自答するも、訊かずにはいられなかったのだ。


 だって僕だけペナルティを受けるなんて不公平じゃん。


 彼女のペナルティも僕が請け負おう。


 ……なんて男らしいことを考えられないあたり情けない。


 それもこれも顔がじゃがいもに見えているのがいけないのだ。


「……え、えっとね。……減るの……体重が」

「ふーん。言葉だけ聞くと大した事なさそうだけど、実際どう?」

「⁉」


 またもや思わず質問をしてしまう。


 だって僕の「緊張状態になると人の顔がじゃがいもに見える」だって言葉だけ聞くとなんか良さそうじゃん?


 だから彼女の「体重が減る」もなんか裏がありそうでならない。


 その証拠に彼女はペナルティの話題になった瞬間から様子がおかしい。


 顔がじゃがいもにしか見えないにも関わらず、異変に気づける程なのだから相当だ。


「……思ってたのとは……違った……かな?」

「へー、どう違ったの?」

「⁉」


 もう止めてあげて。


 なに? 顔がじゃがいもに見えるとこんなにも積極的になるの、僕?


 自分で行動を起こしているはずなのに歯止めがきかなくなっている。


 駅前で自分から彼女に声を掛けられなかったのが嘘のようだ。


 今ならもっとすごいことが訊けそうだ。


 例えば、そう。


「そういえば、吉野さんのスリーサイズ、いくつ?」


 パンッ!


 殴られた。


 見事な平手打ちを左頬にらいヒリヒリする。


 痛いはずなのに、彼女から僕に触れてくれたという事実には変わらない。


 そう考えると嬉しくなる。


 おかしいな。


 殴られてよろこぶなんて。


 これでは悪魔が言っていた通りマゾみたいじゃん。


 実は僕ってマゾなのかな?


 自覚はなかったけれど、こう実体験を伴うと危うくなってくる。


 いやいや違う。


 彼女が僕に触れてくれたことを悦んでいるだけだ。


 怒らせたら触れてくれるのだから、もっと怒らせたらもっと触れてくれるはず。


 ……おっと? なんか危ない世界に足を踏み入れようとしていないか?


 そんな感じで現実逃避とうひよろしく、怒った吉野さんとどう接すればいいのかわからず、しばらく彼女から目をらしてしまう。


 それでも歩みだけは止めずにいると、ようやく、外に出られた。

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