実践
「やぁ、吉野さん。今日はいい天気だね」
悪魔に言われた通り、ゲームを
「……今日は曇りだけど?」
「………………」
確かに
ゲームのセリフをそのまま使ったのがいけなかったのか、セリフと現状が合っていない。
気を取り直して、次だ。
「今日は一段とかわいいよ」
「……え、あ……ありがとう?」
吉野さんは首を傾げて大層不思議そうに見てくる。
あれ? 思っていた反応と違う。
もっと嬉しそうにあたふたとすることを想定していたのに。
思ったよりもうまくいかず、このまま続けてもいいものかわからない僕は続く言葉が出てこず、無言になってしまう。
「……えっと、先に行ってるね」
数秒ではあるも、続く言葉を待ってくれた吉野さん。
申し訳なさそうに僕の脇を通って先に行こうとする。
それもそのはず。
そんなに時間がないのだ。
今は忙しい朝の、学校に向かう時間。
本来ならのんびりしていられない。
にもかかわらず、この時間を選んだのは学校では声を掛けづらいからだ。
だというのに、その時間を有効活用できず、ただただ過ぎ去る彼女の後ろ姿を見送る始末。
いや、静かに尻を追いかける始末。
別に
僕も彼女も向かう先が一緒。ただそれだけの話だ。
別のルートを通って学校に向かってもいいのだが、もしそれで遅刻でもしたらいい笑いものだ。
彼女の尻が眩しすぎて見ていられず、普段とは違うルートを選んだら遅れました。
……なんちゅう言い訳を考えているのだ僕は。
《これで一歩前進だね》
「どこがだよ」
《君から彼女に声を掛けられた。これを一歩前進と言わずしてなんと言う》
「まるで僕から彼女に声を掛けたことができないような言い草、止めてくれよ」
《あれ? 違ったかい?》
「違うね。声を掛けるだけなら元々僕にだってできていたさ。だけど会話を繋げることが難しいんだ」
《つまりはこのボクがいながら君はまったく進歩していないと》
「これでお前が役立たずだということが証明されたな」
《君のヘタレっぷりが地獄級なだけだろ》
「自分に非がないことをことさらに主張してくるな。少しは自責の念を持ったらどうだ」
《その言葉そっくりそのまま返させてもらうよ》
なんにも生まれない無為な言い争いを朝っぱらから繰り広げる。
時たま、吉野さんが
もしかすると変な人だと思われたかもしれない。
ただ彼女は彼女でぶつぶつと独り言らしきことを言っているような気がするのだけれど、気のせいかな?
《そういえば、言ってなかったかもだけど、君以外にボクの姿は見えないから。さっきから君、周囲から独り言を言ってる変な人に映ってるよ》
今更ながらの発言だった。
ただ考えてみれば、こんなのが側にいれば話題にあがるだろうに、そうはならなかったことから、そんな気はしていた。
僕が吉野さんの尻を追いかけているうちに学校に到着。
到着して早々、学校の駐輪場にて悪魔に声を掛けるよう促されるも。
「さーちゃん、遅いよ。もう~」
「まほちゃん、ごめ~ん」
僕と吉野さんの間に割って入るかのように、吉野さんに声を掛ける人物がいた。
彼女は吉野さんの親友、
身長は吉野さんより低い。腰まで真っ直ぐ伸ばした髪は怒ると逆立っているような
平和な日常を好む僕にとって、苦手なタイプだ。
小中高と同じ学校に通っている。親しいというわけではない。
ないのだが、吉野さんにべったりで、過去にちょっとしたいざこざがあったから顔と名前ぐらいは覚えている。
そのいざこざというのは、小学生の頃の話だ。
確か、小学校4年生頃だ。
クラス替えして間もなく、委員会および係決めの時の話だ。
クラス委員なんて面倒なだけで、誰もやりたがらない。
だけれど、誰かがやらなければならない。
だからこそ誰かを推して自分がならないよう免れようとする。
それが彼女、百瀬真保だった。
「吉野さんがいいと思います」
もう何度目かもわからない委員会および係決めの時間。
クラス委員は誰もやりたがらないことから最初に決めることになっている。
だけれど、それは建前でその後の進行を生徒に押し付けたいという教師の
だって、大抵はクラス委員が決まってからの先生は暇そうにしているのだから。
まったくいいご身分だ。
失礼ながらそんなことを考えてしまう程に。
クラス委員を押し付けられた生徒にとってはたまったものではない。
隣で暇そうにしている教師の横で、大勢の視線にさらされながらも、あくせく働くのだから。
「○○委員やりたい人」「○○係やりたい人」
教室内にいる人全員に届く声でそんなことを言わねばならない。
最初の仕事からしてもう面倒。
「……え? 私?」
百瀬さんに推された吉野さんは困惑を声と態度で表す。
まさか自分が推されるとは思わなかったのだろう。
「吉野さんは真面目で、面倒見がいいし、いいと思います」
それっぽいことを言っているけれど、明らかに自分がなりたくないだけ。そうわかる言動だ。
やりたくないことを無理にやる必要なんてない。
「やりたくない」と言えば済む話。
にも関わらず、吉野さんはおもむろに立ち上がり、
「……よ、よろしく、お願いします」
教室内に拍手
これはなんの拍手だ?
自分が面倒な仕事を引き受けなくて済んでほっとしたという拍手だろうか。
吉野さんは納得のいっている顔には到底思えない。
だけれど、本人が拒否しない以上。
「やりたくない」の一言が言えない以上。
誰にも止めることはできない。
それは教師も同じ。
「吉野さん。無理にやる必要はないのよ」
そんな教師の優しい一言にさえ、
「だ、大丈夫です。やります」
こう答えてしまってはもう後には引けまい。
本来ならクラス委員が1人でも決まればその子が仕切るのだが、吉野さんが緊張からか、一向に動こうとしないため、引き続き先生が仕切る。
「それじゃ、女子のクラス委員は吉野さんということで……男子は誰か立候補はいる? 出来れば立候補がいいなぁ、先生」
突然の立候補推し。
吉野さんのやりたくないオーラが滲み出ているからだろう。
その時の僕は、何を考えていたのだろうか。
吉野さんのことがかわいそうだという同情なのか?
それとも、明らかに嫌そうにしているにも関わらず、止められない自分への
先生の立候補して欲しいという言葉に押されたのかもしれない。
さっきまでクラス委員なんて面倒だと考えていたけれど。
人前に立つのが苦手な僕だけれど。
気づけば手を上げ、クラス委員に立候補していた。
それから僕はクラス委員として数々の雑用を引き受けることになる。
最初はイヤイヤだったことも、吉野さんと一緒ならと、不思議と悪い気がしなくなる。
それから翌年。また翌年と同じことが続いた。
ただ一点。
違うところをあげるとするならば、吉野さんが自ら率先してクラス委員に立候補し、それを確認してから僕が立候補する。
そんな流れが確立していた。
それを知ってか、知らずか、他に立候補者はおらず、毎年、僕と吉野さんがクラス委員をやることになった。
それが高校生の今も続いている始末。
さすがに高校生にもなれば知らない顔が多くいるのだから、誰かが立候補し、投票で僕が落選。そして、クラス委員をやることはなくなるだろう。
そんな風に吞気に構えていた。
にも関わらず、そうでもなかった。
むしろ高校の方が顕著にやりたくないオーラが充満してしまう。
すんなりと決まってしまった。
僕としてはもうお馴染みの、彼女と一緒のクラス委員に。
《いい話じゃないか》
僕の話を聞き終えた悪魔はウソ泣きとしか思えない、本当に泣いているのか怪しい泣き方で感動を表明している。
「どこがだよ。僕も吉野さんも面倒事をただ押し付けられただけじゃないか。いじめられていた過去を聞いて涙を流しているようなものだぞ! ……あれ? おかしいな。これじゃ辛い過去を聞き、共感して涙を流していることになるな」
《辛い過去があったんだね》
「なんか納得がいかない! 確かに僕にとっては辛い過去なんだけど、それでもいい思い出であって、あの出来事があったから吉野さんと距離を縮められて」
《いい話だぁ~》
「……うん。もうそれでいいや」
なんだかその一言で済ましていいことではないような気がするけれど、面倒くさくなってきたし、まぁいいか。
同じようにまぁいいかで済ましてしまっているから、クラス委員もまぁいいかで引き受けてしまっているのだろうなぁ。
僕の悪いところだ。
《それはそうと、なんで学校でなにもないの?》
過去話をした現在、僕らは家の自室にいる。
僕らはいったい、いつ帰って来たのだろうね。
「僕はちゃんと授業に出席したのだから何もなかったことはないだろ」
《いやいやいや、彼女との接触だよ。まさか家の前でちょっと声を掛けるだけで終わるとは思ってもみなかったよ》
「お前はそれを一歩前進とか言って僕を褒めていなかったか? なのに責め立てるなんて……褒めるか、責めるか、どっちかにしてもらいたいものだね」
《わかったよ》
僕の理不尽な主張に悪魔は首肯する。
思いのほかすんなりと理解を得られたようでよかった。
そう安堵するのも束の間、僕の言葉は曲解されてしまっていたようだ。
《これからは君のことは褒めない。責めて責めて責め続けることにするよ》
「違う! そういうことじゃない!」
《さすが! 自ら行動できず、受け身であり続けるヘタレは違うね。まさか責められて悦ぶマゾヒストだったなんて》
「なぜそうなる⁉」
《自分で言ったんじゃん。責められたいって》
「言ってない! 褒めるか、責めるか、どっちかに――」
《だからボクは責める方を選んだ》
「褒める方を選べよ!」
《どっちか選べばいいんだろ? ならボクは責める方を選ぶ》
「言葉の文だよ。内心では褒める方を選んで欲しいの」
《なら、最初からそう言えばいいじゃんか。わざわざ遠回しな言い方をしないでさ》
「……そりゃ……そうだけど……」
《遠回しな言い方をしたって相手には伝わらないよ》
「……まぁ……ね……」
言いたいことはわかる。
わかるのだけれど、それができない複雑な心情も察して欲しい。
《と、いうことで! 今すぐ、彼女のところに行って告白しに行こう!》
「は⁉」
《なにも難しいことは必要ない。好きです。付き合ってください。僕は
「後半部分は言ったが最後、距離を置かれる気しかしないけどね」
《自分がマゾヒストであることを恥じる必要はないさ。それも一種の個性だよ》
「なぜ僕がマゾヒストである前提で話を進めようとする!」
《僕は貴女に責められるために産まれてきました》
「そんな告白してたまるか! それこそ遠回しな言い方だ」
《貴女の尻に敷かれて感じる男なんです。どうかその美しいお尻で僕を下敷きにしてください》
「………………」
マズい。ちょっといいかもと思ってしまった。
いや、マゾ的な意味ではなく。
こう、お尻の感触を想像してしまって。
《そして、その豊満な胸を僕の顔に息ができないほど押しつけ、こう言って欲しい。これか? これが欲しいのか? この変態め!》
「吉野さんはそんなこと言わない! 僕の中にある理想の彼女を汚すな!」
《ああいう大人しい子程、ベットの上では過激だったりするんだよ。現実を見なよ》
「んなわけあるか! ……でも、ちょっといいかも」
《……なんだ。やればできるじゃんか》
そう言われ、はたと気が付く。そういえば、僕が素直に気持ちを
《その調子で彼女に会って告白だ》
「ちょっと待て」
《なんだ? また怖じ気づいたか? 「僕を
「その一言だけしか言わなかったら、それはもう完全に変態だな。……って、そうじゃなくて」
《じゃあ、なんだよ》
僕が言っていることを本当に理解できないという風に悪魔は
言い出しづらいことではあるも、勇気を出して僕は言った。
「……脳内で僕を尻で敷いたり、胸を押し付けたり、してくる吉野さんが離れなくて……しばらく彼女の顔を直視できなさそう」
《言ってる場合か!》
「お前のせいだろうが!」
そういうわけで、吉野さんを直視できるようにと、やり込んでいるギャルゲーの登場する彼女似のキャラを攻略する旅にでた。
思いのほか効果
攻略中のキャラが尻で敷いたり、胸を押し付けたりしてきて、ぶり返すもんだから、まったく意味がなかった。
まぁ、もちろん。事故でそうなっただけで、わざとではないのだけれどね。
というか、こんなシーンあったのだな。
長年やり込んでいるとはいえ、まだまだ知らないことが多いようだ。
《どう? ボクの力で君の理想のシーンを創り出したよ》
……なんて思っていたら、悪魔のせいだった。
どうやったのかはわからないけれど、こんなことができるのなら、現実の方をどうにかして欲しいものだ。
それにいつ僕がこんなシーンを理想だと言った。
勝手に
僕は悪魔に暴言を吐く代わりにこれ見よがしに嘆息してみせた。
内心では悪魔に対してグッジョブなんて思っていることは知られたくない。
「なんにせよ。百瀬さんがいるせいで吉野さんに近づけないんだよね」
《ちょっと見てるだけですごい睨んできてたもんね》
「そう考えると関係を進展できないのは僕だけのせいではないよね」
《それでも諦めきれないあたり、マゾだよね》
「お前はどうしても僕をマゾにしたいんだね」
《それにしても、そんなことがあったのにどうして2人は仲が良いのかな? 昨日の敵は今日の友とは言ったものだけれど》
「それは僕もわからない。気づいたら仲良くなってた」
《当面の目標は目つき悪女をどうにかするところにありそうだ》
目つき悪女って……百瀬さんのことだとわかる僕も僕だけれど。
できれば関わりたくないなぁ。
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