心に効く薬はありません。

「心に効く薬ありませんか?」


 百瀬さんにやられた心をやすべく、僕は保健室へ直行した。


「どこのクラスの子か知らないけど、そんな薬あるわけないでしょ」

「ですよね」


 スラリと伸びた足を組んだ状態でイスに座っている保健室の先生。


 女性にしては長身で、白衣がよく似合う。


「先生……ちょっと」

「ここにいてもいいけど、物をあさらないでね」


 誰かに呼ばれ、保健室の先生が去って行く。


 その背中を眺め、ドアが閉まるのを確認してから、僕は薬棚を漁ることにした。


 ただ、心に効きそうなのはなさそうだった。


 先生の机の上にリボビ〇ンDがある。


 もうそれでいいのではとも思ったけれど、それならば、自分で購入すればいい。


 物色を諦め、適当なベッドに腰かける。


 不思議と消毒液の匂いだけで心が癒やされる錯覚を得るが、ただ単純に時間が経過したことによるものだ。


 掛け時計をボーっと眺め、時間が経つのを待つ。


 それが今できる最高の薬だと信じて。


 ガラガラッ!


 保健室のドアが開き、誰かが部屋に入ってくる。


 先生が戻って来たのかもしれない。


 僕は傷心状態を主張すべく、掛け時計を見つめ動かないよう努める。


 汲んでくれた先生が、実はどこかに隠してある心に効く薬を出してくれるかもしれない。


「大丈夫?」


 先生の声と違う気がするも、気にせず、僕は傷心状態を貫く。


 聞き覚えがある気がするも、その声に先生の声が似ているだけだ。


「大丈夫じゃない……です」

「どうしたら大丈夫になる?」

「心に効く薬をください」

「……そんなのないよ」

「それじゃ――」


 どうやら本当にないようだ。


 それならばと、代替案を出す。


「――膝枕、してくれたら、大丈夫になる……かな? なんて……」


 言っておいてなのだけれど、先生にお願いすることではない。


 軽くあしらわれると思っていたけれど、そんなことはなかった。


「……いいよ」


 マジか。


 僕の隣に腰かけ、頭が彼女の膝上に載るよう誘導される。


 その際、僕は変わらず掛け時計を眺めていた。


 膝上に頭が載る段となり、さすがに顔を見ないのは失礼だと気づき、視線を彼女に送る。


 ………………。


 そこで僕はようやっと気づいた。


 保健室に入り、僕に膝枕をしてくれているその人は先生ではなかった。


 では誰かというと、吉野さんだ。


 幼稚園からずっと同じクラスで、家は隣同士。


 小学4年生からはクラス委員の仕事を共にしている。


 幼馴染みと言える存在で、僕の思い人だ。


 そんな彼女が自らの意思で僕の元にやって来てくれた。


 いつもならボディーガードのごとく、百瀬さんが近くにいるも、今はいないようだ。


 陰からこっそりと覗いている可能性があるも、考えないようにする。


 もし本当に近くにいるのだとすれば、無理やりにでも僕と吉野さんを引き剝がそうとするだろう。


「ごめんね。まーちゃんのせいで……」

「ううん。大丈夫。もう大丈夫になったから。ありがとう」

「そう?」


 上体を起こし、元気になったことをアピールする。


 吉野さんはいぶかしんでいるも、僕は気にしない。


 本当は空元気ではあるも、これ以上、彼女に心配されたくない。


「まーちゃんがやり過ぎたかもって気にしてたよ」

「そうなんだ」

「それで、用事ってなにかな? 先生になにか頼まれた?」

「ううん、そうじゃないんだけれど……」


 ようやく2人きりで話せる場を設けられたけれど、なにを話すのか決めていなかった。


 妙な沈黙が流れる。


《またボクが話す言葉を決めようか?》

「それはやめとく」

「?」


 悪魔が言うことを無視してもよかったが、反射的に返答してしまった。


 それを吉野さんは首を傾げ、僕のことを不思議そうに見る。


 彼女には悪魔が見えないからだろう。


 気を取り直し、話を切り出す。


「今度の休みにさ。出掛けない?」


 言ってから気づく。ドストレートに誘っていることに。


「う〜ん。……いいよ」


 悪魔が言うように、案外、踏み込んでみるとうまくいくものなのかもしれない。


「どうせ、まーちゃんとだらだら過ごすだけだろうし」


 それは百瀬さんにとってはよくはないのではなかろうか。


 あまり恨みを買うようなことはしたくはないのだけれど。


 気にしてもしょうがないため、話を進めることにする。


「それじゃさ。プールに行かない?」

《欲望丸出しだな》


 悪魔がうるさい。


「う~ん。それもいいんだけど――」


 吉野さんの乗り気でないテンションを目の当たりにして、僕は選択を間違えたのかもしれない。


 いきなりプールはなかったかな?


 言い直したい気になりつつ、続く言葉に耳を傾ける。


「――バドミントンしたい、かな」

「……バドミントン」


 今度は僕のテンションが下がる番だった。


「別に無理ならいいの。……ただ、2人共、中学でバドミントン部だったのに打ち合ったことなかったから……ちょっとやってみたいなぁと思って」

「その後、プールで汗を流すなら僕はいいよ」

「……あ、うん。まぁ、それでもいいよ」


 どこか乗り切れないデートの約束。


 僕はバドミントンが、乗り気になれない理由を生成している。


 バドミントンか……下手なところを見せられないことを思うと今から無駄に力が入ってしまう。


 何はともあれ、悪魔が言う通りにサクッと行動してみたら、案外うまくいったようだ。


 悪魔のせいで百瀬さんに僕の心がやられたことを思うと、感謝すべきかどうかは微妙なところだ。


《ボクのおかげだね》


 ……微妙なところだ。

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