煽り、煽られ

 すでに、さらに1日を無為に浪費し、現在、僕は家の自室にいる。


 放課後になり、すぐに帰ったから、1日を終えたというのにはまだ早い。


 だが、朝の挨拶あいさつの時ぐらいしか声を掛けられるタイミングがない。


 実際は学校にいる時に声を掛けられるが、百瀬ももせさんと常に一緒にいるため、なかなか難しい。


 僕が吉野さんに声を掛けようものなら、


「さーちゃんにどういったようかしら?」


 腕を組んだ威圧的な態度でなぜか百瀬さんが応対する。


 用件の内容が事務的な――クラス委員の仕事に関わることなら問題ない。


 だけれど、個人的な用件となると別だろう。


 実際、ちょっと雑談をという感じで声を掛けたことはないのだけれど……っていうか、怖すぎて声を掛けられない。


 学校で声を掛ける以外にも、家に帰って来たタイミングを見計らって声を掛ける手もあるだろう。


 だが、世の男子ならわかることだと思うが、自分家の前で夜に、わざわざ外に出てクラスの女子に声を掛けるなんてこと恥ずかし過ぎてできるはずがない。


 しかも、彼女の家が隣ときたもんだから尚更だ。


 帰宅のタイミングを見計らって声を掛ける。これは一種のストーカーではなかろうか。


 結局のところ、悪魔が現れてから3日が経ったが、なにも進展がない。


《どうしてなにもしないかな?》

「あんなのが常に近くにいたらなにもできないでしょ」

《そうかな? このビスケットみたいに、サクッ! と行動してみたら、サクサク、案外うまくいくかもよ》

「だといいけど……って! 勝手に僕のビスケットを食べるなよ」

《いいじゃないか。アドバイス料ということで。サクッ! サクサク》

「大したアドバイスを貰ってないと思うけど」

《ゲームと同じ行動をしてみたら? とか。サクッ! サクサク》

「あれ結局、変な目で見られただけだったよ。あれなら普通に挨拶した方がよかった」

《今だって、もっと気楽にサクッ! っと行動、サクサク、してみたらってアドバイスしてるし》

「食べるか、喋るか、どちらかにしろ。……いや、食べるのを止めろ」

《素直でよろしい。サクッ! だけど、止めないよ。サクサク》

「僕がお小遣いで買ったんだからな。せめて1枚だけでも――」

《ごめん。もうない》

「おいぃー」

《まぁ、いいじゃないか。また買って来れば》

「食べた本人がそれを言うか」

《次はもっと高級なのがいいなぁ》

「たとえ買ったとしてもお前にはやらないぞ」

《ケチー》

「ケチじゃない。……本当に何しに来たんだか」

《仕方ない。それじゃ、なぜ君がサクッと行動できないのか考えようじゃないか》

「考えるもなにも、お前だって見ただろ」


 悪魔も一緒だったはずなのにとぼけるため、僕はあのときの――今日起きたことを説明する。




 学校に到着すると、教室内がざわついていた。


「おうおうおう。最近、調子に乗ってるじゃんかよ」

「そうだぞ。そうだぞ。調子に乗ってるんじゃねぇ~ぞ」


 なんだろう。あれ。


 絵に描いたような煽りだな。


 関わらない方が良さそうだ。


「ごめんなさい」


 我関せずを決め込もうとしたら、あおられているのは吉野さんだった。


 なんてことだ。


 こんなことになったら当然。


《ちょっと! ちょっと! チャンスが来たよ。今こそカッコイイところを見せて惚れさせるチャンス!》


 悪魔は僕を煽る。


 それに対して僕は周りに変な目で見られないよう小声で答える。


「いやいやいや。無理でしょ。こんな人がたくさん見ているところでなんて」

《え⁉ 聞こえない。もっと大きな声で言ってくれない?》


 こいつ!


 僕が周囲の目を気にして小声でしか話せないことをいいことに。


 怒り沸騰で今にも殴りかかりたい衝動に駆られるも、それどころではない。


 吉野さんがピンチなのは事実で。


 恋のキューピットを名乗る変な生き物を相手にしている場合ではない。


 そもそもとして、どうしてあいつらは吉野さんにあんなにも突っかかっているのだろうか。


 高校に入学して初めて知り合った人達で、あまり真面目に授業を受けている印象ではないけれど、吉野さんに突っかかる理由がわからない。


 親友たる広正ひろまさに訊いてみた。


「どうしたんだ? あれ?」

「おう! 俺とバドる気になったか?」

「そういう挨拶をはやらしたいのか? そうじゃなくて。なんか騒がしいがなにがあったんだ?」

「別に大したことじゃないよ。それよりも俺とバドる方が重要」

「いいから教えろ」

「本当に大したことじゃなんだけどな」


 そうやって彼が教えてくれない中、吉野さんをかばう者がいた。


「あんた達がいけなんでしょ!」


 吉野さんの親友たる百瀬さんだ。


 腰に手を当て、堂々とした面持ちで彼らに詰め寄り、抗議する。


 あんな堂々としていられるのは羨ましい。


 そんなのんきなことを考えつつ耳を傾けていると、騒動の元凶は本当にどうでもいいことだと知ることになる。


「だってよ。こいつ、俺たちに宿題をやれやれってうるせーんだもん」


 子供か!


「出された宿題をやるのは当然のことでしょ! やらない方が悪い!」

「だからってよ。吉野に言われるのは納得がいかねぇよ。せんせぇに言われるんならまだしもよ」

「先生が言ってもやらないからクラス委員のさーちゃんが言ってるんでしょ!」

「誰に言われようとやらん」

「威張って言うな!」


 なんだかな。


 高校生にもなってなにをやっているのだか。


 呆れ半分、安堵半分。


 広正が言う通り、大したことではなくてよかった。


 確かにこれは、彼とバドミントンする方が重要かもしれない。


 吞気のんき俯瞰ふかんして見ていると、矛先が僕に向いてくる。


「ナカムラ! あんたもなに我関せずを決め込んで傍観ぼうかんに徹しているのよ。あんたもクラス委員でしょうが!」


「え……いや……その……」


 百瀬さんが視線だけで殺せそうな程、睨めつけてくるもんだから、僕は目を泳がせ、たじたじになってしまう。


 そんな中でも僕は自分の意見を述べることにした。


「宿題をするかどうかは個人の自由っていうか……自己責任だと思うし、あまり外野がとやかく言うことじゃないんじゃないかな?」

「それじゃ、さーちゃんが悪いみたいじゃない!」


 そうですね。そうでした。すみません。


 吉野さんは悪くありません。


 ついで言うと僕も悪くないのでそんなに睨まないでください。


 声には出さず、僕は心の中で謝罪と懇願こんがんをする。


 言葉にしないと伝わらない。声に出せ、なんて言われそうだけれど。


 そんなことできるわけがない。


 したが最後。どぎつい言葉と共に威圧感で圧倒され、心をボロボロにされる。


 殴ったり、蹴ったり、といった暴力を振るわないのが唯一の救いではあるも、世の中には言葉の暴力というものがある。


 それを彼女は知るべきだ。


「文句があるんならハッキリと言いなさいよ!」


 僕が目を泳がせ、彼女との距離を測りかねていない内に、気づけば目の前に詰め寄って来ていた。


「あたし、あんたみたいになよなよしてる男がイッチバン! 嫌いなのよね」


 グサリ! 攻撃された。


 ただその言葉を言われるだけならなんとも思わないかもしれない。


 しかし今、僕は事実としてなよなよしてしまっている自覚がある。


 あるもんだからこそ胸にくるのだ。


 僕にダメージを与えたことに満足したのか、今度は後ろを振り返り、吉野さんを煽っていた彼らに向けて攻撃する。


「あんたらも! 学校の宿題すらまともにできないような社会のお荷物になりたくなきゃ、今度からちゃんとやるのよ。じゃないとゴミを漁って生きていくような人生になるわ」

「な! ……」


 どぎつい言葉を言われ、反論するかと思いきや、歯噛みしてなにも言わずにいる。


 彼らも僕と同じように自覚があるのかもしれない。


 図星だからこそ反論したい気持ちがあるのだろう。


 だけれど、反論したらしたで、自覚があることを露呈してしまうのと同じこと。


 そうなれば、そこを突いて更にいたぶってくることを彼らも知っているのだろう。


「若いっていいわねぇ」


 そうこうしているうちに先生登場。


 ふわふわとのんきなことを言って教壇へと移動していく。


 それを見たクラスメイトは皆、各自の席に着き、朝のHRに備える。


 先ほどまで吉野さんに突っかかっていた彼らも同様だ。


 こういうことはちゃんとしているのに、宿題はやらないのだな。


 基準がよくわからない。


 ざわざわと騒がしかった教室が嘘のように静まり返り、これはこれで居心地の悪さを感じた。


 先生はそんな空気を物ともせず朝のHRを始める。


「みなさん。宿題はちゃんとやりましょうね」

『はーい』


 小学生か!


 この学校のレベルの低さを垣間見たような気がする。


 仮にもこのクラスは進学コースなのだが、いいのか? こんなんで。


 なんだか不安が残るも、僕にできることはない。


 せいぜいクラス委員としてみんなの見本となるよう振る舞う程度だ。


《君にピッタリの学校だね》


 悪魔め、どういう意味だ。




《最後まで聞いても、君がどうして行動に移せないのかわからないなぁ》

「いやいやいや。怖いでしょ。無理でしょ。ちびるでしょ」

《ちびっちゃえ》

「ヤダよ。なんで、そんな他人事ひとごとなの?」

《だって他人事だもん》

「協力者! 仮にも協力者だよねぇ」

《そうは言っても、君が性交しようが、しなかろうがどうでもいいもん》

「さりげなく段階を踏み越えたよ」


 僕が言えたことではないけれど。どうして、こう、この悪魔にはやる気が感じられないのだろうか。


 失敗しても、悪魔にペナルティがないからだろうか。


 とはいえ、僕に科されるペナルティだって大したことはない。


 そう考えると、僕はまだ真剣に向き合えていないのかもしれない。


「やってみるか」

《え⁉ ヤっちゃうの?》

「なんか意味が違う気がするけど……やる! やってやる! お前が言うようにサクッと行動したら案外うまくいくかもしれないし」




 ――翌日


「用件を言ってみなさい」


 悪魔のアドバイスに従い、サクッと行動に移してみたところ、僕が思っていた通り、僕と吉野さんの間に百瀬さんという壁が立ちはだかる。


 僕よりも、また吉野さんよりも、身長が低いにも関わらず、百瀬さんが発する威圧感はまるで猛獣のようだ。


 僕がもし野生の熊すらも凌駕りょうがする力を持っていれば倒せるかもしれない。


 が、当然のことながら、そんな異端とも言える力はない。


 ゆえに、遭遇したが最後、逃げる一択なのだが、今回はそうもいかない。


 そもそも吉野さんの親友であることを考えると倒してはいけない気もする。


「用がないなら行くけど」


 願ってもない。さようなら。


 昼休みに教室前で呼び止めてから僕が一向に用件を切り出さないため、痺れを切らして彼女らは元々向かおうとしていた方面へと歩みを向ける。


 百瀬さんは迷いなく、吉野さんは僕のことを気に掛けながら。


《いやいやいやいやいや。早いよ。諦めるの早いよ》

「どうせ僕はミジンコ以下の存在さ」

《心がやられてる。いつやられたの?》

「声を掛けて用件を訊かれるなんて……もう無理」

《普通だよ。むしろ訊かない方がおかしいよ》

「でも、あの威圧感だよ」

《まったく、しょうがないなぁ》

「なにか出してくれるの?」

《出せるのは花束しかないよ》


 悪魔はそう言いながら、ボンッと出してみせる。


「……それは、いらない」

《しょうがないって言ったのはボクが力を貸そうという意味さ》

「力って言ったって……花束を出す以外なにもできないんだろう」

《そんなことはないアドバイスはできる。ボクが言った通りのことを言えばいいのさ。いくら威圧感にやられていてもそれぐらいならできるだろ》

「まぁ、確かにそれくらいなら」


 ということで、彼女らを追いかけ、再度、声を掛けた。


「いったい、なんの用なのよ」


 以降、僕は悪魔が指示する通りに言葉を発する。


「好きだぁぁぁ。僕と付き合ってくれぇぇぇ」

「んっ、はぁ⁉」

「僕はマゾだぁ。どうか、その美尻で下敷きにしてください」

「あ、あ、あ、あんた、頭がおかしいんじゃないの⁉」

「違う! あんたなんかに話しかけてない!」

「あ”!」


 このあと、憤慨ふんがい色に顔を染めた百瀬さんにメチャクチャ怒られた。もう心がボロボロだ。


《これでマゾヒストに一歩前進だね》


 悪魔の言うことをどうして僕は信用してしまったのだろうか。

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