日常

《おはよう。学校に行く時間だよ》


 朝、目を覚ますと、目の前に悪魔がいた。


 昨日のことは夢であって欲しかったけれど、そんなことはない。


 一晩、考えてみたけれど、今日から思い切った行動をすることになるのだ。


 腰が重くならないはずがない。


 悪魔が僕の目の前で、その存在を誇示こじしてくる。


 まるで『君はボクに会えてラッキーだったね』とでも言いたそうだ。


 早く学校に行くよう言ってくる。


 だが、僕は従う気にならず、顔全体に布団を覆うほどに被って抗議する。


「今日は体調が悪いので、お休みします」

《なに言ってるの! 学校に行かないと彼女に会えないよ》


 なんということだ。


 悪魔が言う通り、彼女とは個人的に会うなんてことがないため、学校に行かない限り会えない。


 家が隣同士だろうと、会おうとしなければ会えないのだ。


 だからこそ、僕はそのためだけに学校に行く。


 学校は僕にとって好きな女の子に会いに行く場なのだ。


 重かった腰は軽くなり、学校に行く準備を始める。


 決して、悪魔に学校に行くよう急かされたからではない。


 制服に着替え、顔を洗い、朝食を食べ、歯磨きをする。


 忘れ物がないか確認してから家を出た。


 自転車を押し、道路に出てから自宅のすぐ隣にある家を見る。


 そこには僕が思い続けている彼女が住んでいる。


 声を掛け、一緒に登校する勇気はもちろんない。


 だからこそ僕は1人で学校に向か――


「仲村くん」


 ――おうとしたところで名前を呼ばれた。


 僕のことを呼んだのは彼女――吉野さわ、だった。


 幼稚園から高校に至るまで通う学校は同じはおろか、クラスもずっと一緒。


 世間的にはくさえんとも、幼馴染みとも言える存在。


 身長は高校女子の平均程で、キレイな髪を三つ編みおさげにし、チワワのように愛嬌あいきょうのある笑顔を振りまく。


 気があるものだと勘違いしそうになるほど気さくに声を掛けてくれる。


「おはよう」

「おはよう」


 なんてことはない軽い挨拶あいさつを交わしてから学校へと向かう。


 だけれど、それ以上の会話はない。


 勘違いされたくはないため一応、言っておくけれど、別に僕に雑談する能力がないわけではない。


 状況的にできないだけだ。


 2人とも自転車通学。


 時間ぎりぎりとまではいかなくとも余裕があるわけではない。


 気を抜けば遅刻してしまうだろう。


 遅刻を気にしているあたり、僕は真面目だなぁ。と自分のことながら感心する。


 しばらく、吉野さんとの距離を気にしつつ走行していると、いつの間にか吉野さんとの距離が開いてしまっていた。


 吉野さんが側にいないことで、ほっとしたような、寂しいような。


 側にいてほしいのか、いてほしくないのか、ハッキリとしない複雑な心情に浸っていると、悪魔からの横やりが入る。


《いやいやいや。そこは一緒に登校するところでしょ!》

「無理だよ。恥ずかしい」

《ふぅ~。だからいつまで経っても関係が進展しないんだよ》


 口ばかりでなにをするでもない悪魔。


 できることがあるとすればマジックばりに花束を出現させることぐらい。


 悪魔の言葉は無視して自転車をいでいく。


 そういえば、彼女はもっと偏差値の高い高校を志望していたはずなのに。結果的に僕と同じ学校に通っているのだよな。


 僕的にはまた同じ学校。それも同じクラスになって嬉しいけれど、彼女的にはどうなのだろう。訊いてみないとわからないな。


 それを思うと、同じクラスはおろか、学校すら違うところに通っていた可能性があるのだよな。


 今となってはもうなり得ないことを考えているうちに学校に到着。




 ――そして、放課後になり帰宅。


《いや、早いよ! もっとなんかあるだろ! 同じ空間に好きな人がいるんだろ! っていうかなにかしろよ!》

「それはこっちのセリフだ! なんのためにお前がいるんだよ! おかげでなにもなかっただろ!」

《人のせいにするなぁ!》

「トモ。なに1人で騒いでるの?」


 悪魔と口論していると1階にいる母から疑問の声が飛んできた。


「えっと……ちょっと電話で友達とケンカしてて……」

「あんた友達いたの? ……あ、ううん。なんでもない」


 母よ。なぜ僕に友達がいないと思った。


 確かに部に所属せず、学校終わりにまっすぐ帰ってくれば友達がいないのかもしれないと考えるのはわかる。


 だけれど、その友達が部に所属していて放課後は遊ぶことが叶わないとは思わないのだろうか。


 そうだよ。僕の友達は部に所属しているから放課後はひまもてあそんでいるのだ。


 決して友達がいないわけではない。そこは勘違いしないでいただきたい。


《君、友達いないの? ボッチなの?》

「お前は一緒に学校にいただろ!」

《そこらへんすっ飛ばしたから知らないよ》


 まぁ、確かにすっ飛ばしたけどさぁ。


 ということで時を戻そう。




「今度の休み、一緒にバドろうぜ」

「ヤダよ。ていうかなんで僕なんだよ」

「ナカトモしかいないんだよ」


 ナカトモとは僕のことだ。


 仲村なかむらともを縮めて、ナカトモ。


「部内に相手してくる人はいないのかよ」

「いなくはないが、他は初心者ばっかでつまらねぇんだよ」


 彼――伊東(いとう)広正(ひろまさ)とは中学からの付き合いだ。


 知り合ったきっかけは同じ部活に所属していたから。


 その部活というのはバドミントン部のこと。


 中学時代は僕も所属していたが、高校では所属していない。


 理由は……まぁ色々とあるだろう。


 ちなみに、彼の言う「バドろう」というのはバドミントンしようという意味。


 一般的に言うのかは知らないが、彼はよくそう言っている。


「いいだろ。どうせ暇だろ。帰宅部さんよ」

「そうだよ。暇だよ」

「だろ?」

「だがな。帰宅部は帰宅することが活動なんだよ。一応は帰宅部である僕も例外ではない」

「なんだよ。それ~。っていうか、休日なんだから朝起きた時点ですでに帰宅済みじゃないか。一度は外に出ないと帰宅したことにならないぞ」

「そこは問題ない。窓から顔を出して引っ込めたら一度は外に出たことになる」

「いや、さすがにそれはないだろ」

「窓越しでも日光に浴びたらそれはもう外だと言うよりかはましだろ」

「窓越しでも日光を浴びている分、窓から顔から出すよりも健康そうに聞こえるのは気のせいかな?」




 以上で現在に戻ってくる。


「どうだ!」

《いや、どうだと言われても……あのあと特に会話はなかったと記憶しているだけれど》

「僕にも友達がいるということがわかってもらえたようでよかった」

盛大せいだいにボクの言うことを無視したよ、この人》

「こう見えても僕と彼は唯一ゆいいつ無為むいの親友」

《唯一無為にしてはあのあと会話がなかったのはいかがなものか》

「そう言うけどね。僕と彼はたとえ言葉を交わさなくとも、心を通わせるのさ」

阿吽あうんの呼吸、というやつだね。本当にそれができるのなら素晴らしいとは思うよ。だけど、君の場合は会話がわずらわしいだけなんじゃないのかな?》

「親友との会話がわずらわしいだなんて心外だな。現に僕はお前とこうやって会話をしているじゃないか」

《…………確かにそうだね》


 僕たちはただ会話をしているだけなのに、なんだか言い争いをしているような感じになってしまった。


 それもこれも、悪魔が役に立たないのが悪い。


 彼は視線を下げ、元気を失くしてしまっている。


 なんだか悪いことをしてしまった気になり、申し訳なくなる。


「……まぁ、なんだ。あれだ……」


 僕が元気づけようとするも、悪魔はまったく気にしていなかったようで、憎たらしい笑みを浮かべて言った。


《ボクぐらいしか君の話し相手はいないもんね》


 ニタリとこれでもかというほどムカつく顔を悪魔は向けてくる。


 こいつは僕をバカにしている。そうに違いない。


 僕が顔だけで怒りをあらわにしていると、悪魔から不満が飛んでくる。


《なんだよ。本当のことじゃないか》

「本当のことじゃないし。たとえ本当のことだったとしても言っていいことと悪いことがあるだろ」

《そんなセリフが出るってことは本当のことなんだぁ~。ぷぷぷ~》


 僕はこの悪魔を殴ってもいいだろうか。いいだろう。


 今殴らずしていつ殴る。


《それよりもいいの?》


 僕が怒りで今にも手を出しそうになっていると、悪魔は何でもない世間話をするかのように話題を変えてきた。


「いいって? なにが?」

《彼女と結ばれないと大変な罰を与えられるんだよ》

「大変な罰⁉」

《そう》

「聞いてないよ」

《言ってないもん》

「それって、僕がやらないって言ったら回避できなもの?」

《もちろん》

「どうせ、大したことないんだろう」

《そんなことないよ》

「……そうなんだ」


 なんということだ。


 深く考えず、やると宣言してしまった。


 あのときの僕を殴ってやりたい。


 将来、詐欺さぎにあわないよう気をつけないと。


 ……いや、もうすでにあっているのかもしれない。


 それにしても罰とはなんだろうか。


 命を取られる?


 それとも、男ではないと烙印を押され体の大事な部分を取られて女になってしまう?


 固唾かたずんで、恐る恐る聞いてみる。


「大変な罰ってなんだよ」

《それはね》


 悪魔はまるでそうなった僕をあざ笑うかのような笑みを浮かべて告げた。


《ステージ上に立ち、大勢の人に注目されるような極度の緊張状態になると、他人の顔がじゃがいもにしか見えなくなるんだよ》

「……それって罰なの? 僕的には嬉しいんだけれど」

《君はことの大変さに気づいていないようだね》

「なんだよその言い草。どう大変なのかわかるように説明してくれよ」

《嫌だよ。面倒くさい。それにそのうちわかるでしょ》

「すでに失敗するって決めつけてない? 仮にも手伝う立場だよね⁉」

《別にいいんじゃん。嬉しいことなんだよね》

「もう応援する気、まったくないよね!」

《そんなことはどうでもいいんだよ》

「いや結構大事なことだと思うけど⁉」

《それよりも、どうするの?》

「なにがだよ」


 急に悪魔が真剣な雰囲気をかもし出すものだから、つられて緊張が走る。


《そんなにヘタレ過ぎたらあっという間に期限超過しちゃうよ》

「期限があるのも初耳だぁ!」

《あれ? 言ってなかったっけ?》

「聞いてないよ」

《まぁいいじゃないか。どうせ期限超過するでしょ》

「だから協力者がそれを言うな! クソ程も役に立たないくせに!」

《なにを言う。ボクは恋のキューピットであり、ただ君を後押しするだけの存在だ。最終的に行動するのは君自身なんだよ。それにボクはいつまでも君のそばにいられるわけではない。2人が結ばれるのを見届けたら去らなければならない。結ばれました。でも、すぐ別れましたでは意味がないんだよ》


 矢継ぎ早に突きつけられる事実。


「…………確かにそうだけど、なんかアドバイスとかないの? お前は僕を後押ししに来たんだろ。直接的になにかできなくとも第三者的意見はないの?」

《まずは気軽に雑談できるようになろう》

「その方法を聞いているんだけど……」

《指示待ち人間なんてすぐにクビを切られるよ》

「それってサラリーマンに対して言う言葉だよね⁉ っていうか恋愛でも言うんだとしたら怖いわ」

《あり得ると思うけど?》

「それはフラれるとか、離婚するとか、っていう意味だよね! 物理的な意味ではないよね!」

《………………》

「そこで黙るな!」

《世の中、絶対なんてことはないんだよ》


 やれやれという風にあきれ顔でそんなことをのたまう悪魔。


 一向に解決策が見えない議論に疲れた僕は趣味の美少女ゲームをプレイすることにする。


 勉強、運動などのステータスを向上させ、お目当ての女の子を攻略する。


 単調極まりないゲームなのだが、登場するヒロインに吉野さんそっくりのキャラがいるせいでどっぷりハマってしまっている。


 本来、僕は美少女ゲームはあまり好んでやらないのだが、このゲームだけは特別だ。


 なんたって小学生の時からこのゲームに興じているわけだからね。


 我ながらよくもまぁこんなにも長く続けられるものだ。


 自分のことながら感心させられる。


《これだよ!》

「どれだよ。役立たず」

《ついに悪魔とすら呼ばなくなったね》

「いいから話せよ。役立たず」

《しょうがないな。ここは恋愛の――》


 そういえば僕はこの悪魔がどの程度、恋愛知識があるのかを知らなかった。


 そう思い、不覚にも期待に胸を膨らませて続く言葉に耳を傾ける。


 が、勝手に期待してしまった自分を恥じる言葉が続いた。


《——知識ゼロのボクが助言を与えよう》

「本当に何しに来た! 素人は帰れ!」

《いいから聞きたまえ。今、君がやっているゲーム。それを実際に再現してみるのはどうかな?》

「なんだよそれ。現実とゲームを一緒にするなよ」


 僕の言葉は聞かず、悪魔は続ける。


《幸い、世界観といい、ヒロインといい、なにより主人公のヘタレっぷりといい、今の君の状況にそっくりじゃないか》

「おい。最後のは明らかに余計だろ」

《試しに真似てみてもいいんじゃないか?》


 不覚にも内心納得してしまった。


 なにも行動に起こさないよりかはましだし。


 それに、ゲーム内で起きていることは決して現実離れしているわけではなく、やろうと思えば可能なことばかり。


 こんなストーリーでよくゲームとして出そうと思ったな、と感心するほどだ。


 悪魔が言う通りに行動するのは癪ではあるが一度行動してみるのもありかもしれない。


「よし! 素人恋愛アドバイザーの言うことを聞くのは本意ではないけど、なにもしないよりかはましか」

《なんだよ。その言いぐさは!》


 というわけで僕は明日から行動に移すことにした。

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