悪魔がいなくなった

「さわとは仲良くしてくれているかしら」


 朝の通学に忙しい時間、家の門扉前で吉野さわの姉――吉野えりに声を掛けられた。


 彼女は黒髪ロングで、かわいい系よりキレイ系。


 おっとりとしていて、背筋をまっすぐ伸ばした優雅ゆうがたたずまいが印象的だ。


 吉野さんとケンカしたことを知っているのかとドキリとしたが、顔を合わした際に声を掛けられるのは今日に限った話ではない。


 それに知っていたからと言って、どうというのだ。


「変なことを言ってごめんなさい」

「……いえ」

「さわったら、あなたのことをよく話しているから、つい……こんなことを言ったら後で怒られそうね」


 なにを話していいものかわからない。


 決して吉野さんとケンカしているからとかではなく、元からわからないのだ。


 友達の姉、なんて親戚のおじさん、おばさん、並にどう接していいのかわからない。


 物理的な距離は近いけれど、心理的な距離は遠い、とでも言えばいいのか。


 そんな気まずさを察してか、早々に話を切ってくれた。


「これからも妹をよろしくね」

「……はい」




 ――悪魔がいなくなってから1週間が経過した。


 彼のせいで僕は規則正しい生活を身に付けてしまっていた。


 夜は10時には寝て、朝は7時には目を覚ます。


 規則正しすぎて違和感を覚えるも、この生活リズムを崩してしまうのは彼との時間を無下むげにしてしまっているようでできなかった。


 休みの前日なんて夜にゲームをしていたら気づいたら朝だったなんてことすらあったのに、今では考えられない。


 夜に眠気を感じる度に僕はあいつのことを思い出すのかな?


 …………なんかヤダな。


 彼女と夜のいとなみをしている時もあいつのことを考えているということではないか。


 それは勘弁かんべん。さっさとあいつのことは忘れ去ることにしよう。


 彼女との営みの為にも可及的かきゅうてき速やかにそうしよう。


 まぁ僕に彼女ができるのかあやぶまれるのだけれどね。


 悪魔がいなくなってから僕は元の生活に戻った。


 とはいっても、僕の心の中になにか得体えたいのしれぬ穴がぽっかりと空いてしまっている。


 それに僕の気にせいかもしれないが、吉野さんの元気がない。


 悪魔が居なくなった日の翌日。


 僕は朝早々に彼女に謝罪した。お姉さんと別れた後だけれど。


 その時もなんとなくではあるのだけれどなにか大切な物を無くしてしまったかのように上の空だった。


 もしかすると僕が怒ったことを根に持っているのかもしれない。


 そう思って彼女を観察してみるも、むしろ僕のことを見ていないように見える。


 それにクラス委員の仕事を一緒にしている時に嫌そうな顔をしていないし、普通に会話をしてくれる。


 会話と言っても挨拶あいさつや業務的なものだけれど。


 なにかあったのかと訊いてみたい気持ちはある。


 だけれど、僕が元凶げんきょうではないかと思うと、勇気を出せない。


 悪魔が現れる前の自分に戻ってしまった。




《あんたはどうして、デビルには罰がないと考えてるんかな?》


 学校から帰り、自室の扉を開くと、見慣れた生き物に出迎えられた。


 期限超過ゆえに、僕の前から姿を消した悪魔。


 僕の机の上に腰かけ、待っていたとばかりに話しかけてくる。


 僕はゆっくりと彼に近づいていく。


 近づくにつれ、僕は見慣れた悪魔でないことに気づいた。


 全身真っ黒で、つの、羽、尻尾しっぽが生えている。


 容姿こそ悪魔にそっくりだが、よく見れば顔の形がいくぶん整っている分、こいつの方がイケメンだ。


 というよりも、胸の膨らみや腰のくびれからして、性別すら違うように感じる。


《あんたには罰が科される。ならその協力者たるデビルにだって罰があると考えるのは普通のことだと思うけど?》

「……オマエは誰だ?」

《あーし? あーしはデビルと同僚とでも言えばいいかな? 名前はフェアリー》


 フェアリーって……今度は妖精かよ。


 なんにしても、こいつ――妖精は気になることを言っていた。


 僕はボソッとその言葉を呟く。


「……罰」

《そう。デビルから説明されたと思うけど、失敗したら罰を科される》

「だけどそれは、僕に科されるもので――」

《それと同時にデビルにも科される》


 反論しようと思うも、できなかった。


 否定できる材料がなにもないからだ。


 僕は自分のことしか考えていなかった。


 罰を科されても別にいい。


 緊張状態になった際、人の顔がじゃがいもに見えたって問題ない。


 そんなのんきなことを考えていた。


 少し考えればわかることだ。


 僕に罰を科されるということは、協力者たる悪魔にだって何かしらあるはずだと。


 当然そうであると考えるべきだったのにそうしなかった。


「……それで、その……あいつに科される罰って、いったい……」


 僕はおそおそる訊いてみる。


 悪魔が僕に言わなかった事実。


 もしかしたら、彼は気をつかって言わなかったのかもしれない。


 自分に科される罰を気にして僕が無理にでも吉野さんとくっつこうと躍起やっきになる。もしくは罰を受けさせようとわざと失敗する。そう考えたのかもしれない。


 悪魔が言っていた、付き合ってもすぐ別れたら意味がないと。そんな言葉が脳裏を過ぎる。


 緊張で息をむ中、真剣な眼差しで妖精は僕の問いに答えた。


拷問ごうもんを受けることになる》


 僕は心のどこかでどうせ大したことではないのだろうと考えていた。


 だけれど、答えを聞いてそんな甘い考えは捨てなければならないと思い知った。


「……拷問……具体的には?」


 僕が恐る恐る問うと、妖精ようせいは不気味な笑みを浮かべて答える。


 明かりをけず、カーテンで閉ざされた薄明かりの部屋。不気味ぶきみな雰囲気をかもし出している。


《それはもう言葉にするのも無残むざんなものさ。かくいう、あーしも過去に拷問を受けた身だからね。今もまだ存在しているのが不思議なくらいだよ》


 言葉にするのも恐ろしい拷問⁉


 僕は考えるうる限りの拷問を思い浮かべてみる。


 縄で逆さに吊されたり、縄で手足を拘束されたり、縄で……あれ?


 おかしいな。縄ばかり出てくるぞ?


 まぁいいか。……にしても、考えるだけで気持ち悪くなってきた。


 拷問という言葉だけで恐ろしさが伝わってくる。


《あんた。気持ち悪そうなのに、嬉しそうだけど、大丈夫か?》

「なにその相反あいはんした表情⁉」

《まぁ意外とそういう表情でるよね。頭がおかしくなってると》

「待って! 僕の頭がおかしいみたいに言うの止めて!」

《え? 違うの?》

「違うわ!」


 話が脱線してしまうも、妖精の咳払いを皮切かわぎりに会話を戻す。


《デビルは今も罰を受けている最中さ》

「……そうか」


 改めて考えてみると、デビル……悪魔はなんの役にも立たなかったので当然だと思う。


 しかし、僕自身の問題であるにも関わらず、彼が罰を受けるのはなんか違う気もする。


《そのごく一部をあんたに見せるよ》

「え?」

《言葉だけで信じられる人はいないからね》


 おっといけない。


 妖精の言葉ひとつで信じ切ってしまっていた。


 悪魔と出会ったことで普通の感性から離れてしまったのかもしれない。


《ん? もしかして必要なかった? あーしの言葉ひとつで信じてた?》

「いやいやいや。まったく信じてなかったよ。この変な生き物はなにを宣っているのかと疑問すら感じてたよ。そりゃもう、すっごく」

《……そう、ならいいけど》


 僕は勢いよく何度も頷いて、信じていなかったことを強調する。


 あまりにも勢いよく僕が否定するものだから、妖精が引いていた。


《それじゃ見せるよ》


 そう妖精が言うと、机の上に置いたままにしていたゲーム機のスイッチがつく。


 こいつも悪魔と同じようにゲーム機を自由に操作できるんだな。


 妖精に促されるがまま、僕はゲーム機を手に取り、画面を見つめる。


 しばらくすると「デビルの同僚・フェアリー」と表示される。


 悪魔といい、妖精といい、変なところにこだわっているようだ。


 にしても、デビルの同僚って……妖精はそれでいいのだろうか。


 文字が消え、一度、画面が真っ暗になってから映像が映し出された。


 音声こそないが、映像だけでもむごさが伝わってくる。


 手足を十字架じゅうじかに張り付けられ、正面から鞭を打ちつけられている。


 罰を受けている悪魔は完全に諦めきっているのか、首を垂らし、微動だにしない。


 力強く、また何度も、鞭を打ち込まれたことで身体が麻痺まひしているのか、鞭で打ちつけられる瞬間ですら動きはなかった。


 当然のことながら僕はこんな仕打ちを受けたことも、目の当たりにしたこともない。


 ゆえに、こんなにも身動きが取れないものなのか知らない。


 もちろん、自由に動けはしないけれど、頭ぐらいは動かせるだろうに。


 鞭打ちをしているのは悪魔達の仲間だろうか。


 後ろ姿しか映し出されてはいないけれど容姿はそっくりだ。


 時折ときおり、鞭打ちを躊躇ためらう様子が映し出されている。


 される方はもちろん辛いが、する方も辛いのだろうな。


 見れば見る程、される方よりも、する方が辛そうだ。


《これで信じてもらえたかな?》

「……そうだね」


 思っていたより本格的な罰ゆえに、こんなむごいことをする生き物と関係を持ってしまった事実に驚怖する。


 僕が科された罰――極度の緊張状態になると他人の顔がじゃがいもに見えるも、実は楽観視できないのではないかと考えてしまう。


 まだ、その効果が現れている様子はないけれど。


《そこで、あんたに1つ提案なんだけど》

「?」

《デビルを救う気はないか?》


 突然の提案に僕は戸惑う。


 すでに悪魔は罰を受けている。


 だけれど、それを止められると言うのだ。


 僕の返事を聞く前に、妖精は必要事項を伝えてくる。


《明日の午前9時、ここから最寄り駅前集合で。あと、弁当持参ね》

「ピクニックか⁉」

《おやつは300円まで。バナナはおやつに含めても構わないから》

「小学生かよ⁉」

《聞かれそうなことを先に答えたんだけど不服だったかい?》

「子供扱いが過ぎる!」

《なにか困ったことがあったら先生に相談すること!》

「はい。先生」

《なんでしょう。あんたくん》


 あんたくんって……僕、妖精に名前を覚えられていないのではなかろうか。


 気にせず僕は質問する。


「移動するのが面倒なので現地まで瞬間移動してもらうことはできますか?」

《遠足は家を出てから帰るまでが遠足です。自分の足で歩きましょう》


 ピクニックではなく、遠足だったか。違いがわからないけれど。


 続けて2つ目の質問をする。


「はい!」

《なんでしょう》

「行かなきゃダメですか?」

《ダメです》


 拒否権はなかった。


《もし時間に現地にいなければ》

「……いなければ?」

《引きずってでも向かわせます》

ひどい」

《嘘です。ただ、損をさせないことは保証します》

「そんなことを保証されてもなぁ」

《来なければ死刑。ゆえに来た方がいい》

「確かにそれなら行った方がいいな」

《ちなみに引きずって向かわせるより死刑を選ぶ理由はなんかもう面倒だから》

「雑! 理由が雑! っていうか死刑の方が片付ける手間を考えたら面倒じゃないかな?」

《確かにそうだな。……それじゃ死刑はなしで》

「変わるの早いな」

《それではお待ちしてます》

「まだ行くとは言ってないのだが……」


 僕の意志を聞く前に妖精は消えてしまった。


 まさか悪魔を救出することになるとは思いもしなかった。


 僕のせいで彼が拷問ごうもんを受けているのだから、行かない理由はない。


 明日の準備を開始する。


 お弁当は明日の朝におにぎりを握ればいいとして、おやつか……。


 毎回、疑問に思うことだけれど、300円以内に収まっているかどうかなんて、どう判断しているのだろうか。


 もっと言えば、税込み? 税抜き? 定価?


 どれで計算するのだろうか。購入する店舗によっても違うだろうし。


 ……あまり難しく考えず、大量でなければいいか。


 悪魔のことを考えながら最寄りのスーパーで適当なお菓子を物色する。


 その中から会計時の金額が300円以内になるよう選出した。


 リュックに詰め込んで明日に備える。

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