3-2 私の物語 中編

 本宮さんに勧められ私はソファに隣り合って座った。ここは私の家なのにこれではどちらがお客かわからない。


「キミの両親を攫ったのはボクじゃない。今回の事件はいわゆる狂言ってやつさ」


 そう言って、本宮さんは今回起きた事件の経緯を説明してくれた。


「今回の誘拐は狂言誘拐。そもそも2人の子どもを残して親が誘拐されるというのはおかしな話だろう? じゃあ何のためにそんなことをやったのかだけど、それはキミの両親がボクから多額のお金を借りていることが原因だ。

 キミの両親はなかなかお金を返してくれなくてね。どうするつもりだと催促したんだんだが彼らは明確な返済プランを提示しようとはしなかった。だからボクが提案したんだ。子どもに保険金をかけて殺すのはどうかなってね。そしたらキミの両親はそれを了承した。だけど彼らは子どもを2人とも殺すのではなくどちらか1人だけにしてくれと頼んできた。ボクは寛大な心でその提案を了承した。で、聞き返した――」


 本宮さんが私の肩に腕を回し自分の方に引き寄せる。


「――どっちを殺すんだい? ってね。ちなみにキミはどっちを選んだと思う?」


 きっと、何も知らなければ両親は兄を殺すことを選んだと答えていただろう。なぜなら今私が生きているのだから、それが何よりの証拠だと。


 だけど私は昨晩楡金さん推理を聞いている。認めたくないけど、彼女の推理が正しければ、選ばれたのは兄ではなく――


「……私」


 震える唇でボソリと言った。


 本宮さんは驚くように目を見開いた。それからすごいすごいとと私を褒め称えた。正直嬉しくはない。


「そう! 選ばれたのはキミ……のはずだった。だからお金を詰めるカバンはキミの持っている赤いカバンを指定した。でもここで想定外のことが起こった。なぜか受け渡し場所に立っていたのはキミではなくお兄さんの方だった。――で、めんどくさかったからそのままお兄さんを殺したんだよ。どうせ保険金は全員にかけてあったからね、誰が死んでも同じことだったんだよ」


 驚きよりもやはりという思いのほうが強かった。本宮さんの話は楡金さんから聞かされたものとほとんど同じだったからだ。


「ただね、お兄さんにかけた保険金だけじゃ足りないんだよ」


 私の肩に回した本宮さんの腕に力がこもる。体が自然と反応してしまう。相手は兄を手にかけた張本人。恐怖するなというのは無理な話だ。


 本宮さんにも私の反応が伝わっているのは間違いなかった。その反応を楽しむようにクスクスとせせら笑う声が私の鼓膜を震わせる。


「キミさ、自分も殺されるって思ってるでしょ?」


「ち、がうんですか?」


 顔をあげると本宮さんはニシシと白い歯を見せつけるように嗤った。


「キミは殺さない。その代わりキミの両親を殺す」


「……え?」


「ボクの話聞いてた? さっき言ったよね。保険金は全員にかけてあるって。もちろん3人分でも足りないけど、キミの両親を殺してその遺産をキミが相続してそれも足しにすればお釣りが来る。残った分はキミが自由に使っていい。どう? キミにとってもプラスでしょ?」


「でも、そんな――」


 たしかに私の両親は諸手を挙げて称賛できるようなできた親ではない。それでも私の父と母なのだ。特に仲が悪かったわけでもなくどちらかといえば良好な関係だった。怒られたり注意されることもあったけどいい思い出のほうがたくさんある。


「――いいだろう別に。キミからしたら、もともとキミを殺して借金の返済をしようとしていたクズ親だよ? それとも嫌なの? 言っとくけどお金ってそんなに簡単に稼げないよ。それともほかにあてがあるの?」


 私は黙ることしかできなかった。


「ま、そういうことから。いいね?」


 いわけなかった。でもこの状況を打開できる代案がないことも事実だった。だから私は本宮さんの言いなりになるしかなかった。


 …………


 外の空気を吸いたいと申し出た。断られるだろうと思ってダメ元でお願いしたらすんなり許可された。


 どこか目的の場所があるわけじゃなかった。ただなく街をさまよい歩いた。そうして歩いて悩んで、悩んで歩いて――、今後のことを考え、導き出したのは“自死”だった。


 たしかに自分を殺そうとした親を許せはしない。でも完全に憎み切ることもできない。そして何よりも私一人生き残ったところでどうすればいいのかがわからない。だったらいっそ死んでしまおうと思った。死ねば何も考えなくてもよくなる。死ねば私の代わりに死んでしまった兄に対する罪滅ぼしにもなる。


 私は自らの死に場所を求めて街をさまよった。あたりがすっかり暗くなると、自然と私は灯りを求めるようにして歓楽街の方へ歩みを進めていた。今から自殺しようとか考えている人間の行動じゃないなと気づく。どうせ死ぬんだったら人気のない暗い場所へ行けばいいのに……とまるで他人事ひとごとのように感じている自分がいた。


 夜の歓楽街を歩く。


 あるいは私は誰かに救いを求めているのだろうか……


 本来なら未成年が立ち入ってはいけない場所。当然来るのは初めてだった。そもそも万葉学園に通う人間は昼の歓楽街であっても足を踏み入れるようなことはない。


 万葉学園には遊びに行く時も学園指定の制服を着用する規則がある。そのせいで下手な場所へ足を運んだり、素行不良を行えば一発でそれとわかってしまう。

 ただしそのルールをきちんと遵守している生徒が果たしてどのくらいいるかは定かではない。


「――ッ!?」


 その珍しさから周囲の景色に気を取られていたせいで、すぐ後ろに人がいることに気が付かなかった。私の背中に硬いものが押し付けられる。

 

 ――ナイフ……それともピストル……?


「そ、それ、万葉の制服だよね」


 背後から聞こえてきた声は男の人のものだった。まとわりつくような粘ついた声だ。


「そのまま俺が誘導する通りに歩け。言うことを聞かなかったら学園にバラすぞ」


 歩き疲れていた私は抵抗する気力もなく男の指示に従うしかなかった。


 抵抗すれば殺されるかもしれない――なんて考えがよぎった。今から自殺しようと考えていた人間が死に対して恐怖を抱くなんてバカみたいだ。それでも一度感じてしまった恐怖を払拭することができなかった。


 連れてこられたのはメインストリートを外れた裏路地。わずかばかりの明かりに照らされたまったく人気のない場所だった。


 男の動きが止まった。私はそれを疑問に感じる間もなく突き飛ばされバランスを崩しそのまま地面にうつ伏せに倒れた。その反動でメガネが吹き飛んだ。


 それからすぐに背中に体重を感じた。倒れた私にさっきの男性がのしかかり抱きついているのだと理解する。男は私の耳元に顔を寄せ卑猥な言葉を口にした。息が荒くアルコールの臭いが鼻についた。


 制服が背中側に引っ張られ首がしまる。


 男の人が無理やり服を剥がそうとしているんだとわかると、その先の展開を想像し全身に鳥肌が立つ。


 嫌だけど声が出なかった。こんな状況に陥ってるのに叫び声を上げることが恥ずかしいと思ってしまった。だから無言で抵抗した。死にたいと思ったけど……どうせ死ぬなら清い体のままで死にたい。それとも男の人に暴行されれば死ぬ理由がひとつ増えるのだろうか?


 私は混乱する頭で、それでも必至に抵抗した。


「おとなしくしろ!」


 抵抗虚しく男の人の腕が首に回されきつく締め上げてくる。


「う、るじ……い――。た……助……でぁ」


 喉の奥から声を絞り出す。助けを求めていた。死の縁にさらされ本音が漏れた。


 ――ああ……やっぱり死にたくないんだ……


 でもそう気づいたときには私は意識を失いかけていた。


「うちの店の裏でなにしとんじゃワレェ!!!」


 ドスの利いた低い声が路地に響いたかと思うと、首の締め付けが解かれた。


「ひゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!? バケモ――」


 男の悲鳴が途中で途切れた。


 よくわからないけど私は最悪の事態を回避できたみたいだった。


「チョットアンタ、大丈夫なの?」


 私を心配してくれる声の主を見上げる。


 人が立っていた。こちらに手を差し伸べてくれている。メインストリートから漏れる薄明かりがその人を照らす。化粧の濃い女性物の服を着た……外見はどう見ても男の人に見える人。


 私はその人の手を取ると力強く握り返してくる。その武骨な手は血の通った暖かなぬくもりを感じさせてくれた。


 ――――


 その男性(女性?)はキャサリンと名乗った。


 私が襲われていたすぐ隣の店で働くバーのママだと自己紹介された。男性なのにママ……歓楽街は私の理解できない世界なんだと思った。


 キャサリンさんは私をそのバーに招き入れてくれた。そしてすぐに店の奥からこれを着なさいと服を持ってきてくれた。大きめのサイズのピンク色の法被で背中には『キャサリンLOVE』と刺繍されていた。


「それはね、うちのお店に来てくれる常連さんに配っているものなのよぉん。それを着て外を歩けば少なくともこの歓楽街内で襲われることはないわよぉん」


「はあ……」


 なんて言っていいかわからなかった。しかも、さっき助けてくれたときと声色と口調が変わっていた。


「今日はもうお店を締めてあるから、遠慮せず座っていいわよぉん」


 少し大きめの法被を羽織ってスツールに座るとキャサリンさんが水をカウンターに置いて、私の方に滑らせるようにして差し出す。


「ワタシの奢りよぉん」


「どうも……」


 受け取って、飲もうとすると、


「ってもぅ、違うでしょぉん。そこは、『奢りってこれタダ水じゃない!』って突っ込むとこでしょぉん?」


「え……」


「あ、でもね、普段はお水一杯でもお金取るのよぉん」


 そう言ってウインクした。


「えっと……奢りってこれただ水じゃない」


「ええっ!! このタイミングで言うの、アナタ!? しかも棒読み!?」


 キャサリンさんは素の声で驚いた。


「すいません」


「面白いわねあなた」とキャサリンさんがつぶやく。とにかく水を飲むよう勧めてきた。


 コップの水を空にして、カウンターにグラスを置いた。


「いい飲みっぷりね。――ところで、万葉の制服を着てるってことはあなた未成年でしょ?」


 無言で頷いた。


「この時間帯の歓楽街のルールはもちろん知っているんでしょ?」


 また無言で頷いた。


「事情は聞いてもいいのかしら?」


 いつの間にかキャサリンさんは真面目な口調になっていた。茶化すつもりはないということだ。


 少しだけ迷った。今自分が置かれているこの状況は客観的に見て現実離れしている気がしたからだ。それでも、本来は有料のお水と法被、そして何より助けてもらった恩義があるのに、事情をはなさないというのは不義理だ。


 だから私は正直に今日の昼頃に起きた事件からキャサリンさんに助けてもらうに至ったことまでを説明した。


「そう……お兄さんがね……。そういえばテレビでちらっと見た気がするわ」


 グラスを磨きながらキャサリンさんがしんみりとなる。


「でも自殺ってのはいただけないわね」


 そのことはもう十分理解していた。さっき男の人に襲われたときに自分の本当の気持ちに気づけたから。


「人間、生きていればいいことあるものよ。ただ、嫌なことのほうが多いし、そういうのって心に残りやすいのよね」


「そうなんですか……」


「ワタシはご覧の通り性的マイノリティってやつなのよ。それこそ子どもの頃はそういった文化が浸透してなかったから笑いのネタにされてたりとかしたのよ。だから余計に自分を表に出せなくて葛藤してたわ。でもね、先人たちが頑張ってくれたおかげである程度の市民権が得られるようになったのよ。だから今ワタシはこうやってそれを表に出して、商売までやってる。まぁ、親には勘当されちゃったんだけどね」


 キャサリンさんはウフフと自嘲する。


「でもここに来るお客さんはみんないい人ばかりよ。ありのままのワタシを受け入れてくれる。それがあるから救われてるって感じることができる。だからね、アナタにもいいことあるわよ。生きてれば、いつか、きっと。にしても……その本宮結って名前、なぁんか引っかかるのよねぇん」


 キャサリンさんはブツブツと言いながら、考え事をするように視線を上げた。


 ――――


 キャサリンさんの話が終わると、私は店を出ることになった。帰り道、キャサリンLOVE法被は予想以上の効果を発揮した。まるで海を割るモーゼのごとく人の波が左右に割れ、私は無事家路につくことができた。

 家に帰ると本宮さんはまだ家にいた。我が物顔で家に居座り笑顔でおかえりと出迎えてくれる。だけど帰ってきた私の恰好――万葉学園の制服に怪しげな法被姿――を見て本宮さんは言葉を失っていた。


 結局私は生きていればいいことがあるというキャサリンさんの言葉を信じて本宮さんの指示に従うことにた。それは同時に両親を見殺しにするという選択でもあった。


 私は最低な人間だ――


 本宮さんに覚悟が決まったことを告げると、彼はパアッと満面の笑みを浮かべてよかったよかったと私の頭をポンポンと叩く。そして近いうちにまた来るからと言って家を出ていった。

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