1-4 わたしの物語 前編

 『警察の仕事は疑うことだ』とは、お父さんがよく口にしていた言葉だ。高校時代の先輩にも『すべてを疑え』と忠告された。


 探偵業を始めるにあたって、それらの言葉はわたしの教訓となった。しかし、疑うというのは疑いの余地がある者(物)に対して向けるもので、何でもかんでもすべてを疑ってかかっていては何も始まらない。


 ただ、わたしはそのきっかけを持っていた。でもそんな事はあるはずがないと端っから疑うことをしなかった。本当は疑問に思った時点で追求すべきだったのに。


 今回わたしの身に起きた不幸はほかでもないわたし自身の責任だ。


 …………


 その日、2人の兄妹がわたしの事務所にやってきた。兄の名は卯佐美朔哉うさみさくや、妹は明里あかりと名乗った。


 依頼内容は誘拐された両親を捜してくれとのことだった。わたしはなにかの聞き間違いかと思いもう一度聞き直した。しかし返ってきた依頼内容は先ほどと同じだった。


 誘拐と言えば普通は子どもを攫ってその親に自分の要求――多くの場合はお金――を伝えるものだ。でも今彼が言ったのはその逆で、両親が攫われて自分たちのところに犯人から連絡があったらしい。


 本音を言えばなかなかに興味をそそられる内容だったけど、まずもって言っておかなければいけないことがある。


「えっとね、そういうのは探偵じゃなくて、まず警察に連絡しないと――」


 わたしが諭すと、朔哉くんは怒りをぶつけるようにテーブルを叩き立ち上がった。


「警察に連絡したら両親を殺すって言われたんだ! でも、探偵に助けを求めるなとは言われてない。だからここに来たんじゃないか!!」


 かなり興奮している様子。両親が誘拐されて冷静でいられなくなっているんだろう。対して、隣で座る妹の明里ちゃんは怖いくらい落ち着き払っていた。表情ひとつ変えずに、じっと事の成り行きを見守っている。


「たしかに、犯人は警察に言うなって言うよ」


 それは常套句。いわばお約束。ただし、犯人だってこっちが本当に警察に連絡しないなんて思ってないはずだ。


「いい? 警察はスペシャリストなんだよ。誘拐事件の対処法だってちゃんとマニュアル化されてる。一介の探偵を頼るよりよっぽど役に立つはずだよ」


 事実だから仕方がないとは言え、自分で言っててちょっと虚しくなる。でも、ここで無理に依頼を受けて、最悪な結果になるよりかは遥かにましだ。


「わかったよ、もうアンタには頼まねぇよ!!」


 朔哉くんは吐き捨てるように言って、ずんずんと足音を立てながら、事務所の扉を勢いよく締めて出ていく。兄の行動に出遅れる形で明里ちゃんがスッと立ち上がり、わたしに深々と頭を下げて、お兄さんとは対照的に静かに事務所出ていった。


 ――と、まあ強引に帰したわけだけど、依頼内容が特殊なだけに朔哉くんたちのことが気にならないといえば嘘になる。


 子どもではなく両親が誘拐されるなんて事件。少なくともわたしはこれまでそんな事件を聞いたことがない。わたしも探偵の端くれで、好奇心をくすぐられればそれなりに考えを巡らせたくもなるってもんだ。


 …………


「うわぁ~! おねえちゃんありがとうなの~!」


 嬉しそうに両手を伸ばす女の子にわたしは抱えていた猫を渡した。これにて迷い猫の捜索は終了だ。


「本当にありがとうございました」


 女の子のお父さんがわたしに頭を下げる。


「いえいえ、こっちも仕事ですから」


 わたしは照れ笑いを浮かべ後頭を掻く。依頼を達成したあとは必ずと言って言いほど感謝されるけど、このありがたがられるってのは何回経験しても慣れないものだ。


「それじゃあ、失礼しますね」


 わたしは別れを告げ、依頼人の家をあとにする。その帰り道、駅方面がすごく騒がしくなっていることに気づいた。警察も出動しているようで救急車も止まっていた。


「事件だ」


 こういう時は、野次馬のように現場に赴くよりも、テレビのニュースをチェックしたほうがより確かな情報が得られる。わたしは急いで事務所に帰ってテレビを点けた。すると、予想通り駅前の様子が映し出されていた。


 誰かが銃で撃たれて命を落としたとの報道がなされていた。


「うそでしょ!?」


 こんな田舎で銃撃事件だなんて。


 しかしわたしの驚きはそれだけにとどまらなかった。アナウンサーが被害者の名前を告げる。


 ウサミサクヤ――


「え?」


 アナウンサーが被害者の名前を繰り返し、10代の少年であるという情報を付け足した。


 それはあの日わたしに助けを求めに来た卯佐美朔哉くんの名前と同じで、10代という特徴も一致していた。


 ――――


 日が落ちて、外は大雨になっていた。バケツを引っくり返したような大雨。時折雷鳴が轟く。


 わたしは事務所のソファに座って、事件のことを考えていた。


 お昼ごろから始まった駅前の事件の報道は時間が経つにつれてより詳細になっていった。


 被害にあった少年は病院に到着する前にはもう息を引き取っていた。それから被害者の名前が生前の写真とともに報道された。それを見て彼が数日前わたしの事務所にやってきたあの朔哉くんだと確信した。


 どうやら朔哉くんは誘拐犯と現金受け渡しを行うために指定の場所に立っていたところで撃たれてしまったそうだ。誰に撃たれたのかまでは報道されていなかった。これは明らかに警察のミスでマスコミや住民たちから非難の声が上がっていた。警察も言い訳ができずに平謝りを繰り返す。しかも命を落としたのは未成年。今回の失態は警察にとってかなりの痛手になるに違いない。


「なんだかなぁ……」


 ニュースを見ながら悪態つく。見ていられなくてテレビを消した。わたしは謝罪する警察官という絵面をみるのがあまり好きではない。トラウマといわけじゃないけど、どうしてもあの時のお父さんのことを思い出してしまうからだ。

 無敵を誇っていたスーパーマンだったお父さんの凋落した姿は思い出すと悲しくなる。


 わたしは嫌な記憶を払拭するように思考を変える。


 身代金誘拐といえば普通は子どもが攫われるものだ。その理由は、子どもは大人に比べて攫いやすいのとその子どもには絶対に保護者がいるので身代金を要求しやすいってことが上げられる。

 だが今回起きた事件はその逆で、親が攫われて子どもにお金の要求が来ている。つまり犯人は今回誘拐した2人の間に子どもがいることを知っていたってことだ。となると顔見知りの犯行である可能性が極めて高い。大の大人2人を誘拐している点を考えると見えてくるのは、誘拐犯は気心の知れた相手で朔哉くんの両親が完全に油断していたパターン。犯人は複数であることも考えられる。


 次に身代金の問題。身代金誘拐ってのは相手がお金を払ってくれることが大前提だ。犯人がどのくらいの額を要求してきたのかは知らないけどそれなりの大金に違いないはず。そんな大金普通子どもには払えない。親がお金持ちであってもそのお金が子どもの自由にできるとは限らないのだから。そう考えると犯人の目的はお金ではなかったのでは、とも思う。実際朔哉くんが殺されてしまっているわけで、この考えは当たらずとも遠からずだろう。


 こうやって考えてみると、今回の事件はいろいろとおかしいのだ。そしてこのくらいのことは警察にだってわかっていたたはずだ。それとも彼らはそんなことにも考えが及ばなかったのだろうか。


「って、ダメだな……わたしって……」


 今さら考えを巡らせたところで起きてしまったことはもう覆らない。


 こういう過ぎたことをズルズルと引きずったり、感傷に浸ってしまうのは、探偵としてやっていく上では欠点でしかない。気持ちをスパッと切り替えられるドライさってのが必要なんだ。


「こういうときは寝て忘れるに限る」


 夜も遅いし、今から依頼に来る人もいないだろう。そう思って店じまいを始めようとした矢先、事務所のチャイムが鳴った。


「このタイミングで!?」


 しかも、こんな激しい雨の中どんなに急ぎの依頼なんだ――なんて思って扉を開けると、


「え……?」


 そこには、ずぶ濡れになった制服姿の明里ちゃんが項垂れた状態で立っていた。


「明里ちゃ――って、うわっ!?」


 明里ちゃんはその場で膝を折りわたしの胸に飛び込んできた。イヤイヤをするみたいにしてわたしの胸に頭をグリグリと擦り付ける。


 なんて言っていいかわからなかった。そもそも今の彼女にかけてあげられる言葉なんてない。だから、ただ優しく抱きしめた。その方法しか思いつかなかったから。


 彼女を濡らしていた雨がじんわりとわたしの服に染み込んでいく……

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