1-5 わたしの物語 中編

 さすがにこのままでは風を引いてしまうので、事務所に招き入れお風呂に入ることを勧めた。


 その間にわたしも濡れた服を着替えた。濡れた明里ちゃんの制服はハンガーにかけてドライヤーの温風を当てて少しでも乾かす。明里ちゃんがお風呂から上がってくると、ドライヤーをおいてそっちの相手をする。制服は今乾かしてる途中だと説明してとりあえずわたしの服を着てもらうことにした。


 テーブルを前に床に正座する明里ちゃんが、服の胸の部分を摘んで浮かせたり抑えたりを何度か繰り返す。 


「えっと……どうかしたの?」


 その行動が気になって訊ねた。


「あの……ちょっとぶかぶかなのが気になって……」


 明里ちゃんの視線がわたしの胸に注がれる。


 体型の問題でわたしはいつも大きめのサイズの服を買うようにしている。だから痩せ型の明里ちゃんには少々大きかったのかもしれない。


「えっと、取り敢えず服のことは気にしないように」


 わたしは胸に注目する明里ちゃんの視線を外すように体の向きを変える。


「はい、そうですね」


 それにしても明里ちゃんはさっきから感情を表に出していない。前回彼女がここに来たときもあまり感情を表に出していなかったので、もともと感情を表に出すのが苦手なのかもしれない。


「ところで、どうしてうちに来たの?」


「家に帰っても独りで、その……頼れそうなところがここしか思いつかなかったんです」


「そっか……」


 お兄さんは殺され、両親は誘拐されたまま。


 正直頼ってくれるのは嬉しい。けど、普通は警察がちゃんと――


「ああ……」


 そっか、彼女にとっては警察は頼りにならない存在なのか。警察のミスでお兄さんが殺されてるわけだし。


「えっと、お友だちとかは?」


「ともだち……」


 明里ちゃんはつぶやくように言って表を伏せた。


 ――しまった。


 わたしは見事に地雷を踏んでしまったようだ。そうと気づいてすぐに話題を変える。


「あのね明里ちゃん。もしよかったらだけど、何があったのか教えてくれない?」


 わたしが選んだ話題は事件についてのことだった。わたしたちの共通点などそれしかないから仕方がない。とはいえ気になっていたのも事実。余計なこと訊かなくていいのに、気になることには首を突っ込みたくなる……こういうとこだけ妙に探偵気質だ。


 明里ちゃんは特に否定するでもなく、今回起きた事件のことを淡々と語った――


 わたしが明里ちゃんたちの依頼を拒否したあと、2人は直ぐに警察に行ったらしい。その後犯人から身代金の要求があった。その額なんと五千万。それを今日の午後2時、市内の駅前にある恐竜のモニュメント前で、赤いカバンに現金を入れて待てとのことだった。そして、朔哉くんが赤いカバンを持って犯人の到着を待っていたところで何者かに撃たれてしまった。

 朔哉くんが撃たれた際近くの人はまばらで、警察が言うにはどこか遠くから狙撃されたとのことらしい。その騒動があったせいか、結局犯人はお金を取りに来なかったとのことだった。そしてそれ以降犯人からの連絡はないとのことだ。

 

 明里ちゃんの話を聞いて、わたしは疑問を感じていた。


 犯人はなぜ受け渡し場所に駅前の恐竜モニュメント前を指定したのか――


 今日は休日だ。休日の駅前、しかもお昼なんてかなりの人がごった返す時間帯だ。受け渡しを終えた犯人が、逃走する際人混みに紛れられるからってのはあり得ない。現金が五千万も入ったカバンってのはかなりの重さだ。車でもあれば別だが人混みの中を走って逃げるなんて到底不可能だ。しかも赤色のカバンはそれ自体が目立つ。それは警察に見失わないでくださいって言ってるようなもんだ。

 さらに、人混みに紛れることを想定するってことはその逆も可能。――つまり、警察が人混みに紛れていてもわからないないってことだ。犯人だって、明里ちゃんたちが警察に連絡することを絶対に想定していたはずだから、それはちゃんと理解していただろう。だから普通はもっと人の少ない場所で、警察の隠れられない拓けた場所を選ぶ。


 そうなるとやはり犯人の本当の目的は――


「ねぇ、明里ちゃん。赤色のカバンって犯人が指定してきたんだよね? それってわざわざ買ったの?」


「いいえ、違います」


 彼女は首を左右に振る。


「私が持っていたカバンを使いました」


「そっか。ちなみに受け渡し役も犯人の指定だったの?」


「いえ、特に指定は。ただお前じゃ重くて持てないだろうって言って兄が……あと、お金を取りに来た犯人を捕まえるんだって張り切ってました」


 赤いカバンは明里ちゃんのものだった、ってことは……


「ねぇ、明里ちゃん。今日は家に帰ったら絶対に戸締まりしなきゃダメだよ。人が訪ねてきても絶対対応したらダメだからね。あと、警察に連絡して家まで送ってもらうからね」


「あの……どうしていきなりそんなことを?」


 わたしの話を聞いて小首をかしげる明里ちゃん。


「えっと、それは……」


 たしかにいきなり過ぎた。何の説明もなしにこんなことを言えばそうなるのも当然だ。一瞬だけ、説明しようかどうか迷った。けど、納得してもらうには話すしかない。


「あのね、これはあくまでわたしの推論だよ」


 そう前置きして明里ちゃんにわたしの考えを説明した。


 犯人の目的は最初からお金じゃなかったのかもしれない、と――


 わたしは先程まで自分が考えていたことをかいつまんで彼女に説明した。


 犯人の目的はお金ではなかった可能性が高いこと。赤いカバンを用意させたのはターゲットの位置をわかりやすくするためのものだったのではないかということ。つまり犯人の目的は最初から特定の人物を殺すことで、その人物は――


「明里ちゃんだったのかもしれない」


 わたしは神妙な面持ちでその言葉を口にした。


 彼女はコーヒーの入ったカップを両手で持ってうなだれたまま何の反応も見せなかった。


「仮にそうだとして、犯人は明里ちゃんを殺すことが目的だったにもかかわらずお兄さんである朔哉くんを殺した。最初からどちらも殺すつもりだったのか、あるいは犯人には2人の区別がつかなかったのか。もし前者なら今後も明里ちゃんは命を狙われる可能性があるってことだよ」


 今わたしが持っている情報だけで推理するならこんなところだう。でも疑問が残らないわけじゃない。犯人はなぜ明里ちゃんを殺そうとしていたのかとか、明里ちゃんを殺すためにわざわざ彼女の両親を誘拐した理由だって不明だ。そんな事ができるなら最初からターゲットである明里ちゃんを攫うことだってできたはずなのだから。


「やっぱり、探偵ってすごいんですね」


 相変わらず感情の乗っていない淡々とした口調だ。でも褒められて嫌な気はしない。わたしはあははと照れ笑いを浮かべる。


 明里ちゃんがガバっとと顔を上げてわたしを見据え、


「なのに――どうしてそこまでわかっていたのに助けてくれなかったんですか?」


 感情の読めない瞳がわたしを射抜く。彼女のその言葉は確かにわたしの胸を抉った。


 わたしが考えた推理は最初に2人が訪ねてきたあの場で思いついたものではない。時間を掛けて組み立てた結果たどり着くことができた結論、いわゆる結果論というやつだ。だからやっぱりわたしには朔哉くんを助けることはできなかっただろう。


 でも……それでも彼女の言葉は胸に響いた。


「ごめんね」


 気まずい空気が流れた。次に明里ちゃんにかけるべき言葉をあぐねいていると、彼女のほうが口を開く。


「あの……お願い、聞いてください……」


「え? うん? なに?」


「今日は、ここに泊めてください」


「……へ?」


「私は犯人に命を狙われてるんですよね? だったら今夜はここにいるほうが安全かと」


 明里ちゃんの言い分は十分理解できた。でもこの国には未成年略取という法があって、たとえ相手の同意があったとしても未成年を家に連れ込むことは禁止されている。


「ってことで申し訳ないけど――」


 明里ちゃんは先程から表情を一切変えていない。だけどその時の彼女はなぜだかとても悲しそうに見えた。いや、彼女の置かれた状況を考えれば悲しくないわけがないのだ。

 両親は誘拐され、兄は命を奪われ、まだ自分の命が狙われているかも知れないという状況。たくさんの不幸が一気に押し寄せてきて悲しむなってのは無理な話だ。


 わたしは出かかっていた言葉を飲み込んで盛大なため息へと昇華させ吐き出した。


「……わかった。今日だけだよ。でもこのことは絶対内緒ね」


 すると、


「ありがとうございます」


 という声が返って来た。


 明里ちゃんの表情はどことなく喜んでいるように見えた。


 …………


 ベッドで2人で寝ることになった。


 今日一日、心身ともに疲れが溜まっていたのだろう、明里ちゃんはベッドに入るとすぐに寝息を立て始めた。


「むぎょっ?」


 そしてなぜかわたしはがっちりとホールドされていた。


「うむむ?」


 明里ちゃんからほのかに甘い香りがした。うちで使っている石鹸やシャンプーとは違う種の香りだ。


 香水?


 だとしても、雨でずぶ濡れだったしお風呂にも入った彼女がどうしてそんな匂いをさせているのかわからなかった。さすがにシャワーのあとにつけ直したってのはないだろう。


 でもなんだろう……すごく安心する匂いだ。


 そんな事を考えていると、甘い香りに誘われるようにして夢の中へと落ちていった……

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