1-6 わたしの物語 後編

「むにゃ……むにん――はっ!!」


 慌てて体を起こすとわたしは見知らぬ場所にいた。


「えっと……」


 記憶をたどり、ここに至るまでの出来事を思い出して、


「そうだ!」


 わたしは自分の身なりを一通り確認して、なんともないことを確かめる。


「ほっ……」と胸をなでおろして一安心、「――って、してる場合じゃないでしょ!?」


 とにかく状況把握。周囲を見渡す。壁際に机やらダンボールやらが雑多に置かれていて薄っすらと積もったホコリが見える。ここが長い間使われていないことは明白だった。壁はコンクリートの打ちっぱなしで窓はない。唯一あるのは丸窓の付いた木製の扉。そこからなら外の様子が確認できると思いわたしはゆっくりと扉に近づいて丸窓を覗き込んだ。


 向こう側も部屋になっている。ここよりも広い。そしてそこには2人の見覚えのある人物がいた。


「――え? あれって!?」


 ひとりは背が高い筋肉質の男の人。去年の夏にディバインキャッスルで一緒になった大河さんだ。そしてもうひとりの人物は――


 ――ヤバッ!


 その人がこちらに顔を向けたので慌てて顔を引っ込めた。しかし、気づかれていたらしく、こっちに向かって足音が近づいてくる。わたしは後ずさるように部屋の奥へ移動する。そして、部屋の扉が開いて中に入ってきたのは、


「やあ! 気がついたみたいだね!」


 両手を広げてこちらに笑顔を向けるその人は、


「本宮……先輩……?」


 だった。


「約10年ぶりの再会だね楡金くん!」


 久しぶりの再会を喜ぶように先輩は手を広げたまま近寄ってくる。その大仰な仕草はわたしの記憶の中の先輩のままだった。


 それがなんだか懐かしくてつい頬が緩みそうになる。でもそんなことをしている場合じゃないし、なによりもまず疑問なのは、


「どうして、先輩がここに?」


 それがわたしの素直な気持ちだった。もちろんそれだけじゃない。どうして先輩が大河さんと一緒にいるのか、そもそもここはどこなのかとかいろいろ気になることだらけだった。


「そんなことよりまずは再会のハグと以降じゃないか!」


「うぎゃ!?」


 わたしは有無を言わさず先輩に抱きしめられ頭を撫でられた。


「でもやっぱり栗色より黒髪の楡金くんのほうが好きだな」


「そんなこと……。って、いい加減離してください!」


 わたしは強めに先輩の体を引き剥がす。


「わたしは無理やりここに連れてこられたんです! だからふざけてる場合じゃないんです!」


 すると先輩は肩を竦めてやれやれと首を左右に振った。


「たしかにそうだ。じゃあ簡単に説明しよう。ボクはある人物の命令でキミを保護するように頼まれたんだよ。だから攫った」


「保護? 攫った? じゃあ先輩がわたしをここに?」


 先輩はいいやと首を左右に振った。


「実行犯はボクじゃないよ。でも命じたのはボクで間違いない」


 誰かが先輩に命令してその命令を別の誰かに命じたってことだ。わたしの保護を考えてくれる人物で真っ先に思い浮かんだのは二階堂さんだ。でも彼がこんな手段を使うとは思えない。となるとほかに誰がわたしの身を案じてくれたのだろうか。


「まあとりあえずキミを引き渡すことになってるからそれまでここでおとなしくしておいてくれるかな」


「引き渡す? どういう意味ですか?」


 先輩はいけないいけないと喋りすぎたことを自戒する。


 嫌な予感がした。


「質問……いいですか?」


「答えられる範囲でならね」


「先輩はわたしの味方ですか? それとも敵ですか?」


 言った瞬間先輩の鋭い眼光がわたしを捉えた。でもそれだけ先輩は何も言わない。でもその無言がすべての答えだと言ってもいい。


 ――あなたは自分が女性であることをもっと自覚すべきだ。

 ――たくさんの男たちの慰みものにされ、死にたくても死なせてもらえない地獄のような日々が続く。


 ふと思い出される二階堂さんの言葉。


「そんなのやだっ!!」


 わたしは先輩の脇をすり抜け背後にある扉に向かって逃げようとした。だけどすぐに先輩に腕を捕まれ後ろに引き倒されてしまった。先輩は倒れたわたしを押さえつけるように覆いかぶさってくる。


「やだやだ!! 嫌なんです!! 先輩助けてください!!」


 無我夢中で暴れた。振り回した腕が先輩の体に当たる。


「こら! 痛いよ楡金くん! 暴れないで!」


 結局わたしは両腕を押さえつけられ身動きが取れなくなってしまった。


「ボクだって本当はキミをあの女に渡したくないさ。渡したあとでキミがどうなるかわかったもんじゃないからね」


 どこか悲しそうな表情で言う。


「だったら――!!」


「――でもそうしないとボクは殺される。大河くんも殺される。彼女の命令は絶対だ」


 先輩は先輩でわたしにはわからない事情を抱えているようだった。


「だから、ボクらを助けると思っておとなしくしていてくれないか」


 それで2人は助かるかもしれない。だけどそれじゃあわたしの命の保証がされていない。命だけじゃない、いっぱい嫌な目に合うかもしれないのに。


「わかってるよ。だからボクから彼女にお願いするつもりさ。楡金くんを悪いようにしないでくれってさ」


 たぶん無意味だ。たとえ約束を交わしたとしてもその約束が絶対に守られる保証なんてないんだから。それより確実な手段を取るべきだ。


「逃げましょう、3人で。相手が女の人なら何とかできますよ、ほら大河さんとか強そうじゃないですか!」


 だが先輩の反応は芳しくない。


「無理だよ……無理なんだ……」


 ひどく冷めた声で言った。


「楡金くんは知らないからそういうことが言えるんだよ。キミは探偵だろ? だったらわかるよね? それができるならもうやってるってさ。そうなってないってことはつまりそういうことだよ。彼女には誰も勝てない。人間は魔女に勝つことはできないんだよ」


 魔女……? 先輩はおかしなことを言う。


「何言ってるんですか? 魔女って、そんなのいるわけないですよ」


 先輩は平気でそういう冗談を言うフシがある。どう驚いた? ってな具合に。でも今はそんな素振りを一切見せない。


「嘘じゃない。すべてホントの事だ。それに……こうなったのはキミ自身のせいでもあるんだよ」


「……何を言って」


「アセンブル」


「!?」


 まさか先輩の口からその言葉を聞くとは思っていなかった。いや、先輩がわたしの敵であるなら知っていてもおかしくはない。


「アセンブル……」


 わたしはオウム返しのようにその言葉を繰り返す。それがわたしがここに連れてこられた理由だ。二階堂さんは間違ってなかった。


 先輩は黙った。ただ潤んだ目でわたしを見た。しばらく沈黙があって先輩はわたしの耳元に顔を寄せて囁くように言った。


「――を殺した」


 先輩がゆっくりと顔を離す。


「……う、そ」


 ボソッと言っただけだから聞き間違いかと思った。でも先輩は首を縦に振って本当だよと言った。


「そんな――どうして――!!!」


 先輩は言った。




 ――ボクが楡金十三を殺した――




「どうしてなんですか!?」


「どうしてだって? 許せなかったからだよ……あの男が!! ――楡金くんを騙して汚い金で幸せを謳歌するあの男がさ!!!」


 先輩は鬼のような形相でわたしを睨つける。掴まれた腕に力が込められていく。


「痛い、痛いですよ! 先輩!」


 先輩は腕の力を緩めることなく続ける。


「この際だからはっきり言っておくけどあの男は最初からこちら側の人間だったんだよ」


「こちら側?」


「ああそうさ。楡金くんは楡金十三はアセンブルの謎を追う探偵だと思いこんでるようだけどさっ! 逆なんだよ! あいつはアセンブルを売りさばく側の人間――ボクらの仲間だったってことさっ!」


「……うそ、だ……」


 と、否定の言葉を口にしたものの、実際はその可能性をまったく考えていなかったわけじゃなかった。アセンブルの調査を進める過程で何度かその可能性が頭をよぎったこともある。


 最初のきっかけは探偵という仕事を始めてからすぐの頃だった。それはこの仕事が実入が少ないということだった。お父さんの手伝いをやっていた頃はそんな事考えもしなかったけど、いざ自分がお金の管理までやるようになってわかった。この仕事は自分ひとりの生活がどうにかなる程度のお金しか稼げないことに。でも、お父さんはこの仕事で専業主婦だったお母さんと学校に通うわたしを養っていた。最新のパソコンを導入したり海外の雑誌を取り寄せたりと羽振りの良さも見せていた。警察を辞めたときの退職金で多少は賄えていたのかもしれないけど、それでも結構無理がかかっていたはずなのだ。だけどお父さんが探偵以外の仕事をしているという話は一切聞かなかったし、そもそもそんな暇はなかった。


 だからもしかして……なんて考えもしたけど……


 それでもやっぱり――


「……違うよ。お父さんは……そんな人じゃ……」


「楡金くん……覚えているかい?」そう言って先輩はわたしの腕を掴む手の力を緩ませる。「高校を卒業するときボクはキミにこう言ったはずだ。『すべてを疑え』ってさ」


 先輩は自嘲する。


 覚えている。ちゃんと覚えている。


 お父さんを疑え、そして優しく接してくれていた先輩のことでさえも疑えということだったのだろう。


「うっ――、そんな……」


 涙が溢れてきた。


 わたしが見たお父さんのパソコンに残されていたリスト。つまりあれは取引先を記したリストだったわけだ。それをわたしが勝手に勘違いして……そうだと自分に言い聞かせて、アセンブルに深入りして結果このザマだ。


「おい。何やってんだ?」


 扉の方から低い男性の声がした。大河さんだ。


「ああ悪いね。ちょっと昔話をしていただけさ」


 先輩はすっと表情を変え何食わぬ顔でわたしの上からどいた。


 解放されたわたし。でも逃げる気にはなれなかった。どのみち扉付近に大河さんが陣取っているので無理だ。


「あれを」


 先輩が手を出すと、


「あいよ」


 大河さんが先輩に向かって何かを放り投げる。それを手に先輩はもう一度わたしに覆いかぶさるように近づく。その手には薬の入った瓶が握られていた。


「まさか……」


 アセンブルという言葉が脳裏に浮かぶ。


「違うよ。ただの睡眠薬さ。これ以上暴れられると困るから眠っててもらうよ」


 先輩は瓶から錠剤を一粒取り出してわたしの口に無理やり突っ込んだ。そんなものを大人しく飲むようなわたしじゃない。口に入れられた錠剤をぷっと吐き出した。薬は宙に浮き床に落ちてコロコロと転がった。


「あの頃のとっても素直だった楡金くんはどこへ行ったのやら」


 先輩はやれやれと首を左右に振った。


「わたしも大人になったってことですよ」


「ふふっ。嘘ばっかり」


 先輩は含みのある笑みを浮かべて再度瓶から薬を取り出した。


 何度やっても無駄だ。わたしは口をつぐみ薬の侵入を阻んだ。先輩はつまんだ薬でわたしの唇を左右になぞる。そんなことをしたって無駄なのに。


「中々しぶといじゃないか。でも無駄だよ」


 それはこっちのセリフだ。わたしは薬から逃れようと頭を左右に振る。


「さっき大人になったといったね。ちょっと確かめてみようか?」


 いきなり何を言い出すんだ……? なんて思った瞬間――


「きゃん!?」


 わたしは口を開けて小さく悲鳴を上げていた。先輩が空いている方の手でわたしの胸を揉んだのだ。先輩はその好きに錠剤をわたしの口に放り込んだ。


「あはは。怪獣みたいな悲鳴は卒業したんだね!」


 先輩がおちゃらける。


 でもまだ負けてない。たとえ侵入を許したとてまた吐き出せばいいだけだ。


「おっと、そうはいかないよ」


「んんんんん――っ!?」


 わたしの考えを悟った先輩はわたしの口をふさいできた。手でじゃない。唇でだ。


 つまりわたしは今先輩とキスしている状態。


 ――わたしのはじめてのチューがこんな形で……


 さらに先輩は薄く唇を開け舌でわたしの唇をなぞりこじ開けて侵入しようとしてくる。これでは口を開けるのは無理だ。

 薬を吐き出せば先輩の舌が入ってくる。薬を飲み込めばわたしはどこの誰とも知らぬ人の元へ。


 どっちを選ぶべきか……


 しかし選ぶ間もなく息が苦しくなってきて、口の中の唾液と一緒に薬を飲み込んでしまった。喉が鳴る音がやけに大きく聞こえた。それを機に先輩の唇が離れそのまま立ち上がる。


 わたしは涙目で先輩を睨みつけた。


「おやすみ。楡金くん」


 先輩がわたしに背を向けて部屋を出て行った。


 立ち上がる気力も起きなかった。わたしは体を横にして縮こまらせて声を殺して泣いた。一度にいろんなことが起きすぎて混乱する頭。どこから整理をつければいいのかもわからない。


 ただ泣きたかった。


 やがて、薬の影響でわたしの意識は遠ざかっていく。

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