1-3 時すでに遅く

 わたしは帰りの電車に乗っていた。後ろの窓から夕日が差し床にわたしの影が写っている。お母さんはわたしが美容室で着替えている間に二階堂さんの車で先に帰っていった。同じ車両に他のお客さんの姿はない。だから今は完全にひとりだ。


 わたしはお見合いのことを振り返る。


 わたしだってアセンブルを追うことが危険なことだって十分に理解しているつもりだった。かつてそれを追っていた父さんがどうなったかを忘れたわけじゃない。


「けど……」


 それは本当につもりでしかなかった。二階堂さんに言われて今自分が置かれている状況をはっきりと理解できた。もちろん自分が嫌な思いをするのは嫌だ。でもそれ以上にお母さんや明里を巻き込みたくない。


「ここらが潮時なのかな……」


 と言っても、これまでの調査に進展らしい進展があったわけじゃない。わたしは二階堂さんからもらった小さな箱を両手で弄ぶ。


「結婚か……」


 わたしは今までまともな職に就いた経験はないしこれと言って特筆すべき資格もない。そんな30歳を目前に控えた女が再就職に乗り出すにはかなり厳しいものがある。そんなわたしにとって結婚とはある意味最高のゴールではないだろうか。

 二階堂さんにどのくらいの稼ぎがあるのかわからないけど専業主婦になれれば働かなくてもいいはずだ。ちょっとカッコつけなところもあるけどそこに目を瞑れば真面目で誠実な人だ。それにアセンブルの調査を進めてその情報を教えてくれると言っていた。そうすればお父さんの死の真相もわかる。一石二鳥ってやつだ。


「真剣に考えてみようかな……」


 試しに弄んでいたケースを開けてみる。中にはやや大きめの光る石がくっついた指輪が収められていた。正直宝石の価値なんて微塵もわからない。普段アクセサリ類を身につけることもないのでこういう物に別段魅力を感じたりする方でもない。


 ただ純粋にキレイだと思った。そして石の大きさから考えて結構値段が張ることもわかる。ここに二階堂さんの誠意が込められているのかと思うと、また一段と重みが増して見える。


「でもこれって。わたしもこれと肩を並べるくらいのものを用意しろってことだよね?」


 でも、プロポーズの時に渡す指輪と結婚指輪って別物? そういう話に興味のないわたしには全然わからない。


 わたしは指輪をよく観察してみようと思いそれをつまみ上げた。見た目以上に重い。実物に触れたことがないからこんなものなのかと思い目線の高さまで持ち上げる。そこで初めて違和感に気がついた。


「あれ、これって」


 よく見ると指輪の宝石部分に自分の顔が逆さまに映っていた。まるでイミテーションのようなそれ。


「……なるほど、そっか」


 そこでようやく理解した。


 ――これは本物じゃない。


「――っ。二階堂さんめ……」


 わたしは乙女の純情を返せと叫びたくなるのを必死でこらえた。


 …………


 電車を降りて事務所に到着するころにはすっかりと日が落ちてあたりは暗くなっていた。


「うん?」


 事務所についてふと違和感。事務所内から一切の明かりが漏れていない。


「ただいま、明里?」


 事務所の扉を開けた。しんと静まり返っていて、人の気配がない。


「いない……わけないよね」


 事務所の扉の鍵は開いていた。明里が鍵をかけずにどこかへ出かけるなんてことはないはずだ。


「…………」


 嫌な予感がした。


 さっきの今でそんなにタイミングよく二階堂さんが言っていた“彼ら”が動くものなのか。


 わたしは急いで事務所を確認して回る。1階が終わったら次は2階の部屋。そして3階――明里の部屋。


 扉をノックして、


「明里、もしかして寝てたりする?」


 返事はない。扉のノブに手をかけると鍵はかかっていないようだった。わたしは扉を開けた。部屋の中は真っ暗で、やはり人の気配はしない。


 部屋の電気を点けて室内を見回す。ベッドの上には昔わたしがプレゼントした大きなペンギンのぬいぐるみが鎮座している。部屋の中央のテーブルの上には閉じられたノートパソコン。そして壁にはハンガーに掛けられた半被があった。背中側がこちらを向いていて、そこには『キャサリンLOVE』と刺繍されていた。


「明里の趣味……?」


 だとしてもキャサリンって誰?


「――って今はそんなこと考えてる場合じゃない」


 明里がどこにもいないというこの状況は普通じゃない。


「そうだ、携帯!」


 わたしは明里と連絡を取ろうとポケットからスマホを取り出した。電話帳を呼び出して明里の番号をタップしようとしたときだった。


「ひう――ッ!」


 いきなり背後から布で口をふさがれた。突然のことで思いっきり息を吸い込んでしまった。ほんのりと甘い香りが鼻腔を刺激し体内に染み込んでいく。この匂い……まさか……


「んー! んんー!!」


 必死に抵抗してみるけど、背後にいる人間はビクリとも動かない。


 一体どこに隠れていたのか。人が隠れられそうな場所はすべて確認したつもりなのに。


 徐々に身体から力が抜けていくのがわる。


「んんー! ん……」


 ――あなたは自分が女性であることをもっと自覚すべきだ。

 ――たくさんの男たちの慰みものにされ、死にたくても死なせてもらえない地獄のような日々が続く。


 不意に二階堂さんの言葉が思い出され、嫌な想像がわたしの頭に浮かぶ。


 イヤだ――! そんなのヤだよ……!!


 たすけて、明里――


 わたしの意識は闇の中へと落ちていった……

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