永遠に…… 2
しばらくすれば治るという看護師さんの話は結果的に言えば間違っていた。看護師さんは気休めを言ったわけではなく本当にそう思っていたのだろうが実際は違った。しばらく経っても足に力が入らなくて事態を重く見たお医者さんがいろいろと検査してくれた。
その結果わたしはアセンブルを投与された影響で言語能力の一部と歩行能力が失なわれているのだろうという結論に至った。
絶望かに思われたがお医者さんはこうも言った。リハビリを続ければ回復する見込みがあると。それからわたしのリハビリ生活が始まった。
歩行能力に関してはリハビリをやればやるだけ効果出て一ヶ月も経てば普通に歩けるようになるまで快復した。気を抜くとたまに力が抜けて座り込んでしまうこともあったけど。これからさらにリハビリを続けていればそれもなくなるだろうということだった。問題は声の方だった。こちらは足と違いなかなか良くなっている実感が持てずにいた。
それでもリハビリをやめるという選択はなかった。いつか帰ってくる明里と再会した時に恥ずかしい自分を見せたくはないからだ。
晴れた日は病院の敷地内を歩くようにした。この病院はわたしのようにアセンブルによって、あるいは他の薬物や覚醒剤によってまともな生活が送れなくなった人たちのための更生施設も兼ねた病院だった。わたしの病室がある病棟はそっち側だ。それもあってか敷地内で一般の人が歩いている姿はほとんど見かけなかった。
歩き疲れたわたしはベンチに腰掛けた。そして勝手に持ってきた休憩室にあった本を広げて音読する。
「ドンと、いう。しょうげきろあと、からあが……ちゅにういて。バスが……がかしあに。おちた」
読んでいた本に急に影が差した。何事かと顔を上げるとそこにはひとりの女性が立っていた。セミロングに紅いアンダーリムの眼鏡。タイトスカートからスラリとした長い足が伸びていた。
「ぁえあ?」
一瞬明里かと思って持っていた本を落としかける。でも明里ではない。とてもよく似ていたけど。
「隣、いいかしら」
涼やかな声。それも明里によく似ている。
女性はわたしと少し間を空けてベンチに腰を落ちける。
「ごめんなさい。私のせいで」
「んにぃ?」
なぜかわたしは女性に謝られた。まったく見に覚えがないことで謝られるのはとても変な感じだ。
「私が間違ってた。運命はそう簡単に変えられないのね。原因は違うけど結局同じ結果に行き着いた」
女性はどこか遠くを見つめて吐露する。
「でも安心していいわ」
――この人はさっきから何を言ってるのだろう?
「あ……」
そこでわたしの頭にとある考えが浮かぶ。
もしかしてこの人はここの患者さんなのではないだろうか。薬物を使用している人はそれを辞めても禁断症状のようなものがでて幻覚を見ることがあると聞いた。現にわたしは病棟内でタバコの自動販売機をニコチンさんと呼んで会話している女の子を見たことがある。たぶんこの人はきっとわたしを誰かと勘違いしているに違いない。
「あなたの大切な人は必ず帰ってくる」
女性はわたしの目を真っ直ぐと見つめながら言う。
「そのとき、彼女のありのままの姿を受け止めてあげてほしいの」
女性はベンチから立ち上がって振り返る。
「それを伝えたかったの。また40年後に会いましょう。それまでさよなら、八重おばあちゃん」
女性は微笑みながら手を振るとわたしのもとを去っていった。
――40年後? 八重おばあちゃん?
まったく意味がわからない。40年後って何? そもそもなんであの人はわたしの名前を知ってたの? ってかおばあちゃん? おばあちゃん!?
「はっ!? うっ!? うぅう?」
わたしは持っていた本を膝の上において自分の顔をペタペタと触った。
もしかしてわたしってそんなに老けて見えるのだろうか? 30超えたらおばさん扱いされるというのは聞いたことがある。ってわたしはまだぎりぎり20代だよ! しかもおばさんをすっ飛ばしておばあちゃんだよ!?
そんなノリツッコミをしてしまうくらいに女性の一言はわたしに大きなショックを与えた。
その後病室に戻ったわたしは据え付けの鏡を前ににらめっこした。両手でほっぺを抑えて上げたり下げたり、つまんで引っ張ってみたり。肌に自信があるわけじゃないけど年相応のはずだ。それを再確認するようにもう一度ほっぺを上げたり下げたりする。そこへタイミングよく看護師さんがやってきて「えっと、大丈夫ですか?」と苦笑い。彼女が心配しているのはきっとわたしの頭だ。
……………………
…………
リハビリ生活を続けてから、早いものでもう5ヶ月が過ぎた。基本ひとりの毎日。たまにお見舞いに来てくれる人もいた。そういうときは誰であっても嬉しい。とは言えここに来る人は二階堂さんか真理絵ちゃんかそのお兄さんの3人だけ。お母さんは来られない。なんせおしゃべりだからわたしのことをどこかでうっかり喋ってしまう危険性があったからだ。二階堂さんの話ではわたしが生きていることは伝えてあるらしい。でもきっと寂しい思いをしているに違いない。いつかすべてが解決したら元気な姿を見せてあげたいものだ。しかしそれがいつになるのかはわからない。場合によっては一生来ないかもしれない。それはつまり明里にも会えないってことだ……
18のとき楡金探偵事務所を再開した。明里が事務所で一緒に働くようになったのは今から約3年前。それまでずっとひとりだった。ひとりだった期間のほうが長いのになんだか明里と一緒にいないことのほうが不自然に思えてくる。それだけわたしにとって明里の存在が大きいのだろう。
「うぅん」
いけないいけない。感傷に浸っている暇はない。今日もリハビリをしないと。
わたしがベッドから出ようとすると病室の扉がノックされた。
「あぅい!」
返事をした……つもりだ。
すると病室に見たことのない人が入ってきた。髪を後ろで結ったパリッとしたスーツに紫のネクタイを締めた眼鏡の男性だ。
「だあ……え?」
わたしが訊ねると、その人は、
「ただいま帰りましたよ。八重様!」
と、ニッコリと微笑んだ。
自分のことを八重様と呼ぶ人物で思い当たるのはひとりしかいない。だけど、目の前にいる人はわたしの知っている明里と違っていた。言われてみれば明里の面影があるように見えるけど、長かった髪はショートになってるし。いつもほとんど無表情だったのに、目の前の明里はちゃんと笑えている。その姿がわたしの中の明里のイメージからかけ離れていた。
「あぁ……う、あ……?」
わたしは口をあけたままほとんど固まっていた。半信半疑なのだ。
「戸惑うのも仕方ないですよね。じつは、ちょっとした事情がありまして整形したんです。驚かないでくださいね。私、男になったんですよ!」
「……んへ?」
それは整形ではなく性転換では?
とにかく手近にあったホワイトボードを使って説明を求めた。
『なんで男に?』
「なんでって……決まってるじゃないですか。八重様とずっと一緒にいるためですよ!」
にこやかな笑顔で明里が近づいてくる。
「んあ?」
『一緒にいるのに男になる必要ある?』
「ありますよ! だって、この国では男にならないと結婚できないじゃないですか!」
「ああ……うああ!? けえ、こん!?」
「そうですよ! ……あ、もしかして八重様は私のことを……」
悲しそうな顔をする明里。わたしがふるふると首を横に振ると、明里は再び表情を明るくする。
「本当ですか!? それってつまり、そういうことですよね!?」
明里がわたしの手を両手で包むように握る。
「あ……ぅ、あ……」
展開が急すぎて何が何だかわからない。脳みそがオーバーヒートを起こしそうだ。
「あ!? もしかして、子どもの心配ですか? 大丈夫ですよ八重様。ちゃんと子どもが作れるような体になってますから!」
――子ども!?
――それってつまり、わたしと明里がああなってこうなるわけで……
「あう……あ……ぅ……」
顔の熱が上がっていく。
「あれ? 八重様!? しっかりしてください――」
明里の声が遠くに聞こえる……
とにかく情報の整理が必要だった。でもちょっとショッキングすぎて頭が働きそうにない。
「――様!? や……、ま」
これからわたしの生活はどうなってしまうのか……
不安も大きいけれど、また明里と一緒に過ごす毎日が戻ってくるのだと思うとやっぱり嬉しくもあった。
「ふにゃ……ぁ……」
ひとまずわたしはそのままもう一度眠ってしまうことにした。
考えるのは次に目が覚めてから。それからでも遅くない。
アセンブル6 ―― time to come 桜木樹 @blossoms
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