第三章 the answer

永遠に…… 1

 目が覚めるとそこは清潔感漂う真っ白な部屋だった。病室だ。


「……あ、うぁお……お?」


 声が出なかった。


「あ……あ! う! ううう!!」


 自分ではちゃんと喋れているつもりなのに口から出る音は言葉をなしていない。これでは人も呼べない。


「……ああぅあ」


 思い出した。病室にはナースコールというものがある。声を出さなくても人を呼び出すことは可能なのだ。わたしはナースコールを押した。


 それから病室にやってきたのは女性の看護師さんと二階堂さんだった。


「うあおあん!?」


「よかった。ちゃんと目覚めたようですね」


 二階堂さんがわたしに笑顔を向ける。


「あんえ、いあおうさん?」


「あの、先程から何をふざけているんですか?」


 こっちにはふざけているつもりなど一ミリもない。


「うああん!! おおあうああぉう!! ぅぁん!!」


 わたしは癇癪を起こす子どものように自分が喋れなくなってしまったことを必死に伝えようとた。


「私先生を呼んできます」


 わたしの異常を察知した看護師さんが部屋を飛び出していく。


「それしても楡金さん。本当によかった」


 二階堂さんが心の底から安心したような笑顔を見せる。


 わたしのことを心配してくれるのは嬉しかった。でもできるなら悠長なことやってないで状況を説明してほしかった。


「あお、あんえ。ここに?」


「ええ。もう大丈夫ですよ」


 二階堂さんがうんうんと首を縦に振る。


 そうじゃない。わたしは状況を説明しろと言ってるのだ。


 するとさっきの看護師さんがお医者さんを連れて戻ってきた。


「楡金さん。どこか痛いところはありますか」


 体の方は普通だ。でも言葉が変だ。でもそれを伝えようにも肝心の言葉が駄目ではそれもままならない。


「あ、あうんぁあ!」


 お医者さんが顔をしかめる。


「もしかして、喋れないんですか?」


 さすがお医者さん。一発で正解を引き当てた。


 わたしは全力で首を縦に振った。


「喋れない? でもあとかうとか声は出てますよね」


「意味のある言葉を出すのが困難なんだと思います。おそらくアセンブルの影響かと……」


「なるほど。これが彼の言っていた後遺症ですか」


 二階堂さんが深刻そうな顔をする。


 そんなことよりも今アセンブルと言わなかっただろうか?


「あえんうる!!」


 その言葉でわたしはここに来る前の状況を思い出した。たしか誰かに攫われてそのあと本宮先輩に眠らされたのだ。そのわたしがなぜ病院にいるのかわからなかった。


「あぁしあんえおお?」


「えっと、すいませんペンと紙を用意してもらえませんか?」


 二階堂さんが言うと看護師さんが病室を出ていってホワイトボードとペンを持って戻ってきた。わたしはそれを受け取った。これで一応意思疎通ができるようになった。


『なんでわたしはここにいるの?』


「そうですね、説明しないといけませんね」


 お医者さんたちが目配せすると二階堂さんを残して2人は病室を出ていった。それから二階堂さんはこれまでのことを教えてくれた。わたしが『叛逆する者たち』に攫われたこと。そのわたしを助けるために二階堂さんは協力者とともにアジトに潜入したこと。そこでアセンブルを投与された状態のわたしと本宮先輩を発見したこと。

 本当はそのまま命を落とすはずだったが、協力者の中に対処法を知っている人がいて、わたしは奇跡的に一命をとりとめたこと。そして、わたしに関わった明里も命を狙われていてほとぼりが冷めるまで身を隠しているためここにはいないこと、などなど。 


「まあこんな感じです」


『大体わかった』


 命あっての物種とは言うけれどショックはかなりでかい。言葉を失ったこともそうだし頼りにしていた明里がいないことも。そして『叛逆する者たち』のアジトで本宮先輩に無理やりキスされたこともだ。


「あぅ……」


 しばらく眠っていた――どのくらい眠っていたか知らないけど――せいかトイレに行きたくなってきた。


 ササッとペンを走らせ『ちょっとトイレ』と二階堂さんに伝える。


「そうですか。じゃあ僕もしばらく外に出てますね」


 二階堂さんが部屋の扉の取っ手に手を伸ばす。わたしはベッドから起き上がろうとして、


「えおういっ!?」


 足に力が入らなくてベッドから落ちた。もう見事なまでに床にベチャッとなった。


「大丈夫ですか楡金さん!?」


 二階堂さんが駆け寄ってくる。


 わたしは体を起こして立ち上がろうとしたけど足にほとんど力が入らなかった。


「あうぁ!?」


 ヤバい……


「物凄い音が聞こえましたけど、どうかしたんですか!?」


 わたしがベッドから落ちた音を聞きつけて看護師さんが病室に入ってきた。


「トイレに行こうとしてベッドから落ちたんです」


 二階堂さんがわたしの代わりに説明してくれる。


「大丈夫ですか立てますか?」


 優しく訊ねてくる看護師さんに向かって首を左右に振る。


 というかこんなことをしている場合ではないのだ。幸い腕はちゃんと動く。わたしは這ってでもいいから急いでトイレに向かおうとした……けど間に合わなかった。


「はぅ!? うあ……ぁぁぁぁっぁあっぁ」


 下半身に広がっていく生温かい感触。濡れた生地がピタリと肌にまとわりつく気持ち悪い感触。


「……楡金さん?」


 頭上から降り注ぐ困惑した二階堂さんの声で顔がカッと熱くなる。恥ずかしさのあまり、わたしは顔を伏せたまま上げられなくなった。


「何を突っ立てるんですか! 早く病室から出ていってください!」


「え? あ!? す、すいません!」


 慌ただしく病室の外へ出ていく足音。


「大丈夫ですよ。恥ずかしくないですよ。きっとしばらく眠っていたせいで足の感覚が麻痺していたんだと思います。しばらくすれば治りますから」


 看護師さんが優しい言葉をかけてくれながらわたしの下の世話を始める。


 惨めだった。とっても惨めだった。


 ――――


 二階堂さんから事の経緯を説明されたお返しというわけじゃないけれど、こっちの事情も大まかに彼に伝えることにした。


 本宮先輩とわたしの関係。本宮先輩が同じ女子校に通ってた先輩なんだと説明すると二階堂さんは困惑したような表情を浮かべた。『どうかしたの?』と訊くと、彼は慌てて取り繕うように「いいえ何も」と答えた。たぶん先輩が中性的な顔をしてるから男だと勘違いしてたんだろう。

 それからその先輩がわたしのお父さんの命を奪ったことを話し、実はお父さんが悪事に手を染めていたことも話した。


 すべてはわたしの勘違いから始まったことで、その結果わたしはこんな事になってしまった。


 最後に、着替える前にズボンのポケットから回収しておいた指輪……だったものを二階堂さんに返した。


「……これ、結構高いんですよ」


 二階堂さんは粉々になった発振器を見ながら嘆いた。


『知らない。気づいたらそうなってた。途中で気がついて先輩と一悶着あったからそのときに壊れたのかも。えへへ』


「えへへ、って……。わざわざ書かなくてもいいんですよ」


 それは、わたしなりの愛嬌ってやつだ。そう書けば許してもらえるかな、的な。


「まあいいでしょう。所長には僕から事情を説明しておきます。ああそれと、その本宮先輩なんですが……」


 二階堂さんが一呼吸置いた。


「先程完全に息を引き取りました」


「あぁー」


 息を引き取った。つまり死んだということだ。


「奇跡というのはそこかしこで起こるものではありませんからね。むしろこうなることが本来のあり方です」


 本宮先輩がお父さんお命を奪ったこと、そしてわたし自身にやったことは許しがたい行為だ。だから当然の報いだと言ってしまうこともできる。そうだとしてもわたしは然るべきところに出て法の裁きを受けるべきだったと思う。

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