第5話 暗躍の記憶

 卯佐美明里をスパイとして送り込んでからおよそ2年が経った。彼女はよくやっている方だったが、楡金くんがアセンブルに関する情報をどこまで把握しているのかについての調査は難航しているようだった。そこでボクはボク自身が直接楡金探偵事務所に出向いて調べることにした。


 卯佐美くんの協力のもと事務所から楡金くんを遠ざける計画を実行した。期間は一週間。その間ボクは楡金探偵事務所に忍び込み家探しした。しかし、卯佐美くんからほとんど満足な調査報告が上がって来なかっただけのことはあり、事務所内にはアセンブルを示すような何かは見つからなかった。

 そこで目をつけたのは仕事用のデスクに置かれているパソコンだった。その中身も検めさせてもらったが、ほとんどが事務的な内容の書類ばかりだった。


「不発か……」


 楡金くんは自頭がいいから外部に記録せず自分の頭の中に記憶として留めている可能性も考えた。あるいは彼女がアセンブルに関して調査をしている事がただのボクの思い過ごしの可能性だってある。


 ボクはパソコンの操作を続けた。楡金くんの秘密を暴くという行為だということを意識するとちょっと変な気持ちになってくる。彼女は普段このパソコンでどんなことをしているのだろうか。もちろん仕事以外でだ。


 インターネットに接続するためのブラウザを開いてブックマークをチェックしてみる。一番上にブックマークされていたページを開く。そのページはBPビューティープロテクト社が提供するレンタルドライブだった。ページがIDとPASSを要求していた。

 それを見てボクは直感した。この先にアセンブルに関する情報を保存しているのではないかと。試しに楡金くんの名前と誕生日を入力してみたがログインできなかった。まあそう単純なわけがない。

 しかし適当に思いつく限りログインを試すのは危険だ。こういうのは何度かエラー繰り返すとロックが掛かる仕組みになっている。楡金くんが帰ってきたあとでロックがかかっている状態になっていたらそれだけで誰かがパソコンを弄ったことがバレてしまう。

 だからボクは素直に諦めることにした。


 パスワードの件は一旦おいて、一応他のサイトも順番に開いてみることにした。映画や本を紹介するサイト。料理のレシピが見れるサイトが複数。それ以外は時事ニュースを垂れ流すサイト。

 ああ見えて楡金くんは意外と……なんてことはなかった。


 ボクは安堵していた。ボクの好きな楡金くんがちゃんとボクの好きな楡金くんでいてくれたことに。


 それはさておきやはり気になるのはパスワードを入力した先にあるものだった。BP社のサイトはブックマークの一番上にあった。それはそのサイトを頻繁に訪れている証拠ではないだろうか。楡金くんの正確的にそんな気がした。


 家主が居ぬ間に得られた情報は結局それだけだった。そしてそれはなんの成果も得られなかったのと同義だ。楡金くんが意識していたわけじゃないだろうけど、なんだかしてやられた感じがしてちょっと悔しかった。

 だから最後に興味と実益を兼ねた“隙”を残していくことにした。ボクは楡金くんの部屋に忍び込みタンスから下着を失敬した。勘のいい楡金くんのことだから事務所に賊が侵入したことに簡単に気づいてしまうだろう。でもこうしておけば楡金くんの注意は絶対にこっちに引っ張られる。

 犯人は下着泥棒だという印象を与えれえば、真犯人であるボクの意図には気づかれないはずだ。


 …………


 卯佐美くんが旅行から帰ってきたあとの報告でボクは彼女に事務所に侵入してわかったことを伝えた。そして彼女にBP社のサーバーに侵入してほしい情報をゲットできないかと頼んだ。ほとんど期待はしていなかった。なにせ相手は全国一のセキュリティを誇るBP社だ。そんなボクの思いを吹き飛ばすかのように彼女は「やってみます」と返事をした。


「え、あ、そうなの? できるの?」


 すると卯佐美くんは相変わらずの無表情で、でもなんとなく自信なさげに「たぶん」と答えた。もし仮に失敗したとしてもこの件に関してはお咎めなしにしてあげることにした。


 ――――


 晩夏とも初秋とも言える季節。


 ボクは久しぶりに外を散歩していた。ここ最近立て込んでいたせいで数週間ぶりの休日だ。昼過ぎまで惰眠を貪り夕方前に外を散歩なんて実に贅沢な一日だ。とは言え立場上完全に心休まるときなどない。逆にこういうときこそいらぬトラブルが舞い込んでくるものだ。


「ほらね……」


 なんて、自分で自分にツッコミを入れてみる。


 夕刻の繁華街を歩いているとボクの視界にケンカをしている2人の男の姿が飛び込んできた。大人の男が高校生くらいの男の子を一方的殴りつけている。場所は表通りからは四角なっていて立ち止まってよく見なければわからない。どうしてそんなところに目が行ってしまったのかと言うと職業がら周囲に注意を払う癖があるからだ。いわゆる職業病ってやつだ。

 その2人が赤の他人なら無視して通り過ぎることもできただろうが大人の方はボクのところで雇っている子飼いの男だったから声をかけることにした。


「何してるのさ?」


「ああん?」


 男は凄みながら振り返る。だがボクの姿を認めると慌てて表情を変えた。


「あ、これはこれは本宮さん」


 男は水飲み鳥のようにヘコヘコしだす。


「キミは確かこの時間仕事中だよね? こんなところで油売ってていいのかい?」


「ああ、そうでしたそうでした。どうもすんません」


 照れ笑いを浮かべながら男は立ち去ろうとするのをボクは呼び止める。


「待った」


「へ? まだなにか?」


「あれ、持ってるよね?」


 ボクが催促するように手のひらを出すと男はあああれかと銀色のケースを出してボクの手のひらの上に置いた。


「そんじゃ、自分はこれで」


 男は表通りの方に去っていった。


「まったく」


 やれやれと小さなため息をついて受け取った銀のケースを開けた。そこには薬瓶と注射器が収められていた。こんなものを持ったまま街を歩いて職質でもされたらどうするつもりだったんだ。しかもただのクスリじゃない『叛逆する者たちレイブンズ』肝いりのアセンブルだ。警戒心ってものが足りなさすぎる。

 まあそれも、昨日今日雇い入れた人間には無理からぬ事なのかもしれない。


「さて、」


 とは言ったものの、職質云々に関してはボク自身にも当てはまることだ。だから今すぐにでもこいつを手放してしまいたい。


 で、目の前には一方的に暴力を振るわれ気を失っている少年がひとり。


 木を隠すなら森の中。クスリを隠すならカラダの中ってね。


 ボクは気を失った少年の袖をまくりクスリを彼の体内に流し込んだ。それから注射瓶は粉々に砕いて傍の側溝の中に捨てた。水に溶けたアセンブルは甘い匂いを放つ特徴があるが、その匂いはドブ臭いニオイでかき消された。注射器のはいっていたケースは服の内にしまう。ケースだけなら持っていても問題ない。


 証拠隠滅を終わらせて立ち去ろうとしたとき少年の体が一度だけビクンと跳ねた。


 早速始まったかと思って見ると少年はゆっくりと目を開ける。それから二言三言ボクと会話して少年はフラフラとした足取りで表通りの方へ歩いていった。


 ボクはしばらく立ち尽くしていた。アセンブルを投与されてまったくの無事だった例というのは数少ないからだ。もしかして彼は佐伯さんが言っていた“適合者”ってやつなのかもしれない。だとしても彼は体あるいは精神に何らかの異常をきたすはずである。


 だが、投与した以上は観察の必要がある。ボクはしばらく彼の動向に注意を払うことにした。


 …………


「八重……すごく、やわらかい……」


 着信音がなった。


「んあ……?」


 夢の中で八重と幸せな時間を過ごしていたボクは現実に引き戻された。


 ――なんだよ、まったく。


 心のなかで悪態つきながらスマホの画面を確認する。大河寅次郎と表示されていた。最近うちにやってきた大男だ。通話ボタンをタップする。


「何かあったのかい?」


『マズいことになった。甲斐夏男が死んでた』


「…………」


 ボクは一気に目が冷めた。甲斐夏男は組織の一員で構成員が少なくなった今では最も古株の男だ。


「ホントかい?」


『ああ』


「とりあえず彼のスマホだけ回収してくれないか?」


『なんだと!?』


「彼のスマホが警察に回収されたらいろいろとマズいことになる」


『はぁ……、わかったよ』


 面倒くさそうな声が返ってきた。でも大河くんだって事の重大さはちゃんと理解しているはずだ。


「よろしく」


 通話を終えた。


「あいつらの仕業か?」


 最近は比較的トラブルもなかったはずだから油断していたのかもしれない。いやでも、と思い直す。これが本当にあいつらの犯行なら死体を残して行ったりなどしないはずだ。ということは素人の犯行。なにか別のトラブルに巻き込まれたのかもしれない。


 そしてボクのこの考えは概ね正しかった。


 上納市連続殺人事件――彼はその最初の犠牲者となったのだ。

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