第4話 再会の記憶

 内山さんはすぐさま病院に運ばれ一命をとりとめた。そこ後も彼女は病院でボクが男だとか、ボクに殺されそうになった――彼女の中ではボクが階段の上から突き落としたことになっていた――と主張していたらしい。

 でも誰も内山さんの話を信じなかった。彼女は頭の打ちどころが悪くておかしくなってしまったと結論付けられ、遠くの精神病院に入れられることになった。その後彼女がどうなったのかはわからない。ただ1つわかっていることは裏で『叛逆する者たちレイブンズ』の力が働いたということだけだった。


 ボクは少なからずショックを受けていた。周りの人たちはそんなボクの様子を見て、ルームメイトを失ってショックを受けているのだと勝手に勘違いしてくれていた。


 でも本当は違う。正直内山さんのことはどうでもよかった。ただボクの中に大嫌いな父の血が流れていて、それが一瞬でも顔を覗かせようとしたことがショックだった。


 いっそ身を委ねてしまうのも手だっただろう。それこそまさに犯罪者の本懐だ。でも父のようにはなりたくないという思いのほうが強かった。その血筋に押しつぶされないようボクは気をたしかに持つよう努めた。


 そしてボクが本調子を取り戻すことができたのは翌年の4月。運命の再会を果たしてのことだった。


 …………


 翌年の4月。ボクはこの蔓杜で思わぬ人物を目にした。彼女の名は楡金八重――楡金十三の娘。ボクの初恋の人。その気持は今もずっと変わらないまま。久しぶりに見る彼女は少しだけ大人になっていた。背は変わらないけど顔つきや体つきは女性らしい丸みを帯びたものになっていた。中でも胸の成長具合は著しかった。


 楡金八重を見てボクはあのときのことを思い出した。楡金十三を殺したときのことだ。


 ボクは過去に殺人という大罪を犯している。それから比べれば他の犯罪行為など些末なことにすぎないのだ。こんなボクに果たして彼女と言葉をかわす資格なんてあるのか。葛藤がないわけではなかった。それでもやっぱり彼女に近づきたいという欲望のほうが勝っていた。

 吹っ切れたボクは勢いのままに図書室にいた楡金八重に声をかけた。それが彼女との初めての会話。彼女はボクのことを知らないけれどボクは彼女を知っている。


 ボクは適当に話題を選び彼女と話をした。すると彼女は生徒長になりたいのだと自分の目標を口にした。


 何たる僥倖。生徒長になりたいのだという楡金八重の意見を汲んで、ボクは少しでも彼女と一緒の時間が作れるようにと趣向を凝らした。完全に職権乱用だったのは言うまでもない。


 それから1年間は図書準備室に引きこもっている市井さんを追い出すという名目で、楡金くんとの楽しい時間を過ごした。浮かれすぎて彼女がどうしてこの高校にやってきたのかを考えることをすっかり忘れていた。その事に気づいたのは楡金くんが無事生徒長になったあとだった。そのころちょうどマリア先生からも楡金くんの監視を頼まれボクはそれに従った。


 そうして明らかになったのは楡金くんがアセンブルに関する情報を手に入れるためにこの場所に来たということだった。楡金十三の件が関係していることは明らかだった。

 そんな彼女を目の当たりにしたマリア先生は楡金くんを処分しようとした。ボクのルームメイトだった内山くんを何の躊躇いもなく階段から突き落とした彼女の言葉だから冗談なんかじゃない。ボクは楡金くんを失うのは嫌だった。だから彼女を殺さないでくれと先生に懇願した。

 そしてこのことを秘密にしてほしいともお願いした。彼女がアセンブルを追っているという事実を『叛逆する者たちレイブンズ』のほかのメンバーに知られるのは危険だと判断したからだ。


 そのせいで失ったものもあったけど楡金くんを助けるためだから仕方ないと割り切った。


 ボクが卒業を迎える日、楡金くんに助言を送った。これ以上アセンブルに関わってほしくないという純粋な思いから起こした行動だ。楡金くんがアセンブルのことを探っているということが『叛逆する者たちレイブンズ』に知られれば彼女は間違いなく殺される。だから彼女を遠ざけたかった。

 でも直接それを説明することはできなかった。それをやったらボクは裏切り者になってしまう。そしたらボクの命も危なくなる。


 だから、ちょっと遠回しな言い方になってしまった。でも聡明な彼女のことだからその言葉の真意にすぐ気づいてくれるだろうと思った。


 だが、自分の思うように事が運ばないのが世の中というものである。


 …………


 学校を卒業したボクは2年の時を経て上納市に戻ってきた。この地方一体を統括するリーダーとして。


 裏社会の生活というのも楽ではない。警察の目を掻い潜りながら悪行を行う一方で、競合との抗争だってある。しかし本当に厄介な存在は『叛逆する者たちレイブンズ』のことをコソコソと嗅ぎ回っている謎の連中“ノア”の存在だった。


 そいつらは訓練で培った力を正義のために行使する人間たちの集りだ。もちろんこっちにだって戦えるだけの腕を持った構成員は数多くいた。だが、最初から使い捨てにするつもりでネットや街で声をかけた人間も多くいた。そんな彼らが訓練された人間相手にかなうはずもない。

 結果、ボクの抱える支部に配属された人間は目に見えて少なくなっていき活動は縮小していった。


 だが悪いことばかりではなかった。組織が小さくなると必然的に構成員は練度の高い者たちだけが残った。すると下手ないざこざも少なくなる。一人あたりの仕事の負担が増えたのに全体の稼ぎは減少するという災難はあったが。組織が完全崩壊するより何倍もマシだった。


 裏稼業を営む傍らでボクはとある女性の監視も行っていた。その女性というのは楡金くんだ。ボクが上納市に戻ってきたとき彼女はすでにここで探偵として働いていた。

 嫌な予感がした。そしてその予感は的中した。彼女はまだアセンブルのことを嗅ぎ回っていた。あの時のボクの忠告はまったく意味をなさなかったのだ。だから監視することにした。彼女が真実に近づきすぎないように。


 …………


 上納市で働くようになってから5年ほどたった頃。とある事件が起きた。小さな犯罪はあれど比較的平和なこの街で銃撃事件が起きたのだ。それを起こしたのは『叛逆する者たちレイブンズ』だ。そして殺したのは他でもないボク自信。


 『叛逆する者たちレイブンズ』は稼ぎのために金貸しをやっていた。借り手の中に高級住宅街に住む夫婦がいて、その取り立ての際に彼らは返す当てがないといい出したのだ。


 それは困る。その2人の借金の額は目ん玉が飛び出るくらいの金額だ。それを失ったらこっちの上納金ノルマに影響が出る。金がなければ無理矢理にでも作るしかない。おあつらえ向きにもその夫婦に2人の子どもがいた。だからボクは命じた。子どもに保険金をかけて事故に見せかけて殺せと。するとどうだろうその夫婦はわかりましたわかりましたとあっさり受け入れたのだ。

 子どもを殺せと言われたら普通は怒り狂って抗議のひとつでもするものだ。それが親ってものだろう。でも彼らは普通じゃなかった。闇金に手を出すくらいだから頭は悪いと思っていたがまさかここまでとは思っていなかった。


 その夫婦は早速子どもに保険金をかけたようだった。元本がんぽんはこちらが用意した。保険をかけてからすぐに殺したのでは疑われるから時間を空けるよう指示した。保険金が入るまでは少額ではあるが面倒も見てやると約束した。

 そこから一年が経過した。借金はまだ返済されていない。時間を空けろとは言ったがさすがにまたせ過ぎだった。件の夫婦を事務所に呼び出し事情の説明を求めた。するとやっぱりできないと言い出した。


 そう、それが普通の親の反応なのだ――と、納得するわけがない。約束は約束だ。不甲斐ない2人に代わりボクが手を下すことにした。


 それから適当なシナリオを作った。それが狂言誘拐である。ただ親が攫われて子どもに金を要求するというありえないストーリーになってしまったが、なるべく自然に且つ足がつかないようにしながら子どもを殺す方法はそれしか思いつかなかった。結果は、多少誤算はあったがうまくいった。

 卯佐美夫妻はなぜ息子の方を殺したのだ娘を殺す約束だっただろうと喚いたが、取引場所に現れたのが息子だったんだから仕方がない。ボクにしてみれば金が入ればどっちが死のうと構わなかった。


 それがボクが起こした銃撃事件の顛末だ。


 しかし息子の保険金だけでは借金を帳消しにすることはできなかった。じゃあ娘の方も殺そうかと思ったが、昨日の今日で兄妹が立て続けに死ねばどう考えても怪しまれてしまう。だからやり方を変えることにした。ボクは卯佐美夫妻に内緒で娘に接触した。


 両親は誘拐されたことになっている。この状況を最大限に利用しない手はない。例えば身代金の受け渡しが失敗したから卯佐美夫妻が誘拐犯に殺されたとしても何ら不思議はない。


 卯佐美夫妻に親兄弟がいないことはすでに調べ済みだ。だから彼らが死んだらその遺産はすべて卯佐美明里が相続することになる。その時彼女から遺産の一部あるいはすべてを引き上げる。そのための前準備として卯佐美明里に接触した。


 そしてもうひとつ卯佐美明里に接触したのには理由があった。それは彼女をボクの組織に引き込むことだった。


 ボクは以前から楡金八重の監視を続けていた。でもこっちにだってやらなきゃいけないことはたくさんあった。だから四六時中彼女に監視の目を光らせるのは無理だった。そこで卯佐美明里を楡金探偵事務所にスパイとして送り込もうと考えた。

 卯佐美夫妻が誘拐されたことを知った兄妹が楡金探偵事務所に足を運んだ事はわかっていた。つまり楡金八重と卯佐美明里には接点がある。そこをうまく利用して潜り込ませることにしたのだ。


 スパイとして送り込んだ卯佐美明里に命じた仕事は2つ。ひとつは楡金くんがどこまでアセンブルの情報をつかんでいるのかを調べること。もうひとつは楡金くんのプライベートな写真を撮影し提出することだった。


 あと直接命令した訳ではないが。卯佐美くんは楡金くんのボディーガードの役割も担っていた。

 ボクはこれまで楡金くんをずっと見てきた。そして気づいたことは彼女にはまるで警戒心がないことだった。探偵という職業は依頼内容によっては理不尽な恨みを買うことだってある。

 例えば浮気調査。パートナーの浮気を調べそれが発覚した場合、浮気がバレた方は「どうしてわかったんだ?」となる。その時依頼人が探偵に調べてもらったと言えばどうなる?

 その探偵のせいで浮気がバレてしまったんだと逆恨みの対象になることだってあるのだ。そしてその探偵がそんなに強くなさそうな個人探偵だと知ったら……


 男なら間違いなく楡金くんに淫らな制裁を加えようと考えるだろう。女ならその身体に嫉妬して辱めようとするだろう。


 そうなることを防ぐためボクはずっと裏で手を回していた。そのことを楡金くんは知らない。彼女が女一人で平穏無事に個人探偵をやっていけてるのはそういう理由があるからだ。


 卯佐美くんは回を重ねるごとにカメラの腕を上げていった。彼女にこの仕事を任せて正解だったと心からそう思った。 


 …………


 郊外にあるアパート。築うん十年も経過したボロアパート。その一室がボクのプライベートルーム。住人たちはボクともう一人を除いて皆安月給で働く者たちばかり。その外観も相まって人はほとんど寄り付かない。だからこの部屋でナニをしていても基本的にはバレない。


 ボクはカモフラージュのために上から貼り付けていた大して興味もないバンドのポスターや映画のポスターなんかをすべて剥がした。

 その下に現れたのは。ボクが撮影したものと卯佐美明里に撮影させた写真が所狭しと貼り付けてある。


 笑顔、アンニュイな一面、無防備な寝顔、着替え中。多種多様の楡金くんがそこにいた。壮観だった。


「八重……」


 ボクの心は恍惚の光に満たされていった。


 来訪者を告げる家のブザーが鳴る。ボクは慌てて楡金くんの写真が貼られた壁にポスター類を張り直す。


「ちょっとまってね」


 軽快な口調で玄関の外にいる人物に呼びかけながら戸を開ける。


 そこには着飾った縦ロールの少女がいて、ボクの登場を待ちわびていた。


「久しぶりだね」


「はい!」


 笑顔。だけど虚ろな目。


 彼女が本当に待ちわびているのは、


「今日ももらえるんですの?」


「うん。じゃあ、入って入って!」


 ボクじゃなくてアセンブル。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る