第3話 大罪の記憶

 ボクが15歳を迎えると佐伯さんから蔓杜つるもり高校にいけと言われた。まともに義務教育を受けていない人間が高校になんて入れるとは思えなかったけど、佐伯さんは大丈夫だと断言した。

 蔓杜はもともとアセンブルというクスリを開発する研究所を隠すため、カモフラージュとして建てられた学校で、ボクはテストを受けなくても入学できるとのことだった。


 ボクが入学することになったのは蔓杜高校という名の全寮制の女子校だった。それを知らされたのが入学の直前のことだった。当たり前だけどボクは佐伯さんに講義した。まず第一にボクは男なのだ。女の子しかいない場所で男であることを隠しながら3年間も過ごす自信なんてなかった。


 だけど佐伯さんはボクの意見を聞き入れてはくれなかった。結局ボクは蔓杜高校に行く羽目になった……


 佐伯さんがボクを蔓杜高校に入学させた付近に潜伏する『叛逆する者たちレイブンズ』の構成員と連絡を取るためだった。蔓杜高校は全寮制の高校だったが週に一度だけ開放日があって外に出ることが許されていた。その日を利用してコンタクトを取れとのことだった。


 入学するまでの短い期間にボクは自らの性格を変える努力をした。内気で引っ込み思案でナヨナヨとした自分ではすぐに正体がバレると思ったからだ。堂々と、そして気さくに、笑顔の練習もして、背筋を伸ばして歩く術を身に着けた。女性らしい仕種も意識するようにした。

 ボクの知っている人物で参考になる女性は佐伯さんしかなかったから彼女の所作を真似るようにした。


「ボクの名前は結だ。よろしく!」


 うん……結構様になってるじゃないか。


 姿見に映るセーラー服姿のボクを見ながらそんな事を思った。


 入学早々試練が訪れた。蔓杜高校の寮は二人一部屋だったのだ。事前に佐伯さんが根回ししてくれると言っていたからてっきり一人部屋があてがわれるものと思っていたのに違った。普通に女の子と相部屋だった。


「ふふふ。驚いたかい?」――なんて具合にほくそ笑む佐伯さんの姿が目に浮かぶ。ボクは完全に弄ばれていた。


 それでもボクは練習した通りの自分を演じて平静を装うに努めた。だけど内心ではドキドキしっぱなしだった。


 周りは女の子ばかり。そんな彼女たちは女生徒だけの空間に気が緩みがちで、中には割と無防備で軽率な行動を取る子もいて、それを見るたび悶々とした気持ちになった。


 人間は慣れる生き物だ――と誰かが言った。その言葉通り学校での生活が3ヶ月も続けばボクはこの環境に慣れていた。だけど……慣れは油断や隙を生むのだということにその時のボクはまだ気づいていなかった。


 …………


 一年も経たぬうちにボクは過ちを犯した。自分を抑えることができなかった。気がついたらすでにそうなっていた。そもそも女の子と一緒の部屋で過ごすなんて無理だったのだ。


 事件が起きたのは12月のことだった。蔓杜高校は地理的に雪はほとんど降らない場所にあったけど風が地肌にしみる寒い季節だった。その事件が起きる少し前からルームメイトの内山さんの様子がおかしいことにボクは気づいていた。そんな彼女に夜の学校に誘われたのだ。不正な方法での侵入ではなく当時の生徒長と協力して図書準備室に居座る市井さんを何とかするための活動の一環だった。


 市井さんは蔓杜高校に噂される霊現象に興味がありそれの謎解きみたいなことをやっていた。その謎を解くのに協力してくれたら出ていってくれるとのことでボクや内山さん、生徒長は必死になっていたのだ。正直な話市井さんの件はどうでもよかった。ただ、忙しくしていることで余計なことを考えなくて済むから協力していた。


 調査場所は西棟にある2階のトイレ。生徒長は当直の先生にこれから学内を歩き回る旨を説明をするため職員室にいた。だからそのときはボクと内山さんの2人だけだった。


 トイレに向かう途中ルームメイトの内山さんは立ち止まりボクの方を振り返った。


「正直に答えて。あなた男でしょ?」


 心臓が飛び出るかと思った。反射的にうんと言いそうになって慌てて言葉を飲みこんだ。


 校舎内は暗いたぶんこちらの表情は気取られていないはずだ。


「アッハハ。やだなぁ、内山くんらしくない冗談だね」


 ボクはいつものボクを演じた。


「誤魔化さなくていいよ、もうわかってるから」


 ――わかっている? ――なにを?


 ボクはこれまでの生活で細心の注意を払っていたはずで、ボクが男だとバレる要素はなかったはずだ。自分を抑えきれなくて彼女にちょっとだけイタズラしたこともあったけど、そのときはちゃんと彼女が眠っているか確認した。


 だからバレる要素など微塵もないと自信を持って言える。


「なに言ってるのさ。さっさとトイレ調べるんでしょ?」


 ボクは平静を装い内山さんの言葉を無視して、トイレに入ろうとすると、彼女はボクの腕をつかみ持っていた懐中電灯を奪った。


 そしてその光をボクの顔に向ける。


 光を遮るように反射的に手で顔を覆った。


「ねえ! 今この場でスカートめくって見せてよ!」


 内山さんは持っていた懐中電灯の光を下へとさげる。


 ――絶体絶命


 ボクの後ろには女子トイレ。その先は行き止まり。退路はない。


「どうやってこの学校に入学したのか知らないけどあなた最低よね。この変態!! 女装してまで侵入して気持ち悪いのよ!!」


 内山さんが涙混じりに叫ぶ。


「違う……ボクは」


 好きでこんな恰好をしてるわけじゃない。


「何が違うのよ! あなたなんでしょ! そうに決まってるわ絶対あなたよ。あなた以外に考えられない!!」


 内山さんは突然意味のわからないことを言って頭を振り乱す。


「……というか、ねえ、どうしてボクが男だと思ったの?」


 言った瞬間彼女はボクを睨みつけた。


「はぁ? しらばっくれないでよ!! 生理が来ないのよ!! 私!! この意味わかるでしょ!!」


「……へ?」


 そうか、そういうことだったのか――


 生理が来ないイコール妊娠。でもボクが男だと確信を持っているわけじゃないみたいだ。ただその捜査線上にボクが浮かび上がっただけだ。でも断じて違う。ボクじゃない。イタズラしたことは認めるが最後の一線は超えていない。超えてはいないのだが不幸にも内山さんの「ボクが男である」という主張は間違ってはいないのだ。


 絶体絶命には変わらない。しかもこの状況を突破する方法も思い浮かばない。


「勘違いしてるようだけどボクじゃないよ。それにちゃんと検査とかしたほうがいいんじゃないかな」


 とにかく落ち着いてもらおうといつもの調子をくずさず言った。そしたら平手打ちが飛んできた。


 叩かれた頬を抑える。ふつふつと怒りがこみ上げてきて、それが黒い感情となって全身を駆け巡るように負の感情が湧き上がってくる。


 冷静に話し合おうと言ってるのに。つけあがりやがって……、そんなに言うなら本当に✕✕✕してやろうか。


「この期に及んでまだそんな事! 訴えるわ! すぐにでも!」


 内山さんは踵を返す。マズいと思って腕をつかもうとするも空を切る。彼女は来た道を戻るように駆け出そうとして、


「ナニをシテイルのデスカ?」


 タイミングを図ったかのように前からマリア先生が歩いてきて、内山さんもボクも足を止めた。


 内山さんはマリア先生に助けを求めるようにすがり一連の出来事を早口でまくしたてる。マリア先生はウンウンとうなずきながら親身になって耳を傾けていた。


「ワカリマシタヨ。トリアエズショクインシツにイキマショウ」


 マリア先生は内山さんの両肩に手を置いて回れ右させて先を歩かせる。電車ごっこのように肩に手を置いたままマリア先生が後ろを歩く。ボクは少し距離をおいて2人の後ろをトボトボと歩く。そして階段に差し掛かったとき。


「きゃあああああああぁぁぁぁっっ!!!!!」


 内山さんの悲鳴が夜の校舎内に響いた。ボクは目の前で起きた出来事をはっきりと見ていた。


 マリア先生が内山さんを階下に向かって突き飛ばしたのだ。


「先生、何やってるんですか!?」


「ナニってナニ? ジャマナオンナをショブンシタダケデスヨ。モトハトイエばアナタノセイデショ? アナタがバカなコトスルカラ。ホント、ドウイもナシにオソウナンテ、アナタはチチオヤトオナジデスネ!」


 それはマリア先生にしてみれば何の気なしに放った言葉だったのだろう。だけどそれはボクの心を深く抉った。でも違う。断じてボクじゃない。

 ボクじゃないけど、さっき一瞬だけ黒い感情を抱いたことは確かだった。ボクはあれだけ嫌っていた父と同じ過ちを犯すところだったのだ。


「ハ、はは……」


 自然と乾いた笑いが漏れる。


 蛙の子は蛙とは良く言ったものだ。


 ボクは蛙だ――


 それもとびっきり醜い蛙――

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