3-6 time to come 後編

 犬塚さんを追いかけてしばらく走ると、通路の先に倒れている人を発見した。


「あっ! 八重ちゃんだー!」


 最初に到着した犬塚さんが嬉しそうに声を上げる。


「八重様!?」


 私は急いで駆け寄った。そこには折り重なるようにして倒れる八重様と本宮さんがいた。


「八重様!!」


 私は半ば狂乱気味に上に重なっていた本宮さんを引き剥がして投げ捨てた。


「うは!? 見た目に似合わずワイルドなネエちゃんだなおい」


 お兄さんがなにか言っていたがこの際どうでもいい。


「八重様しっかりしてください!」


 八重様を抱き起こすとその体は首がすわらない赤ん坊のようにぐったりとなる。八重様は白目をむいて呆けたように口が半開きになっていた。


「八重……さま……?」


 何度読んでも返事はない。まさかとは思い八重様の胸に耳を押し当てる。


 鼓動が……聞こえない……


 八重様は死んでいた――


「そん、な……うそです……」


 私が悲しみに打ちひしがれていると、何かに気づいたように「おい、ちょっといいか」と犬塚さんのお兄さんが私の傍にしゃがみこむ。


「真理絵、ちょっとこい」


「んー?」


「このネエちゃんの匂い嗅いでみてくれ」


「何をするんですか!」


 そんな変態チックな事させるわけにはいかない。


「待てって! もしかしたら助かるかもしれねぇんだよ」


「助かる?」


 心臓が止まっているのに助かるもなにもない。


「おー、この匂いはあれだー!」


 八重様の匂いを嗅いでいた犬塚さんが言った。


「何なんですか、いったい?」


 二階堂さんが疑問を呈する。私も同じ気持ちだった。


「結論から言う。このネエちゃんはアセンブルを投与されてる」


「まさか!?」


「そんな……一体誰が?」


 確かに不思議だった。でも普通に考えればここにいない佐伯撫子がやったという結論に行き着く。でもそうなると八重様の身柄を欲していたはずの彼女がなぜそんなことをしたのかという疑問が生じる。


「んなこた今はどうでもいいんだよ。――重要なのはオレと真理絵もそうだったんだよ。この意味、わかるか?」


 お兄さんが私を見て、二階堂さんを見る。


 つまり犬塚さんとお兄さんもアセンブルを投与された経験を持ち、そして今ここに生きている。


「助かる……んですか?」


「その可能性はある。完全無事ってわけにはいかないがな。おい、今すぐここを出るぞ!」


「わかりました。では卯佐美さんは楡金さんをお願いします」


 言われるまでもなく私は八重様を抱きかかえた。


 二階堂さんはさっき私が投げた本宮さんを抱える。


「その人も連れてくのー?」


「ええ。生き返るかもしれないのでしょう? だったらこの人は重要参考人ですよ。『叛逆する者たちレイブンズ』について詳しく知るためのね」


 二階堂さんは片目をつぶってみせた。


 それから私たちは巨大地下迷路を最短ルートで抜けて外へ出た。二階堂さんの車まで畦道を走る。その間に犬塚さんのお兄さんがどこかに連絡していた。


「状況は伝えた。今からオレの言う場所に向かってくれ!」


「了解です」


 私たちが急いで車に乗り込むと二階堂さんはアクセルを思いっきり踏み込んだ。


 …………


 着いた場所は上納市内にある個人病院だった。八重様と本宮さんにはそれぞれ応急処置が施され、ベッドの上で眠りについている。


 犬塚さんと犬塚さんのお兄さんもその昔アセンブルを投与されたことがあるらしい。それで命を落とすはずだったが、その後奇跡の復活を果たしたのだそうだ。当時のそれはほんとうの意味での奇跡。でも今は2人が所属するノアという機関でアセンブルに関する研究が進んで、その状況、症状に応じた対処法が確立されているとのことだった。もちろん100パーセントではないけど人の力で奇跡を起こす確率を上げることに成功しているのだそうだ。そのおかげで八重様はなんとか一命を取り止めることができた。


 でもまだ予断を許さない。


「ここでできることはここまでだ。この後容態が急変する可能性だってある。助かる確率を上げるならもっと大きな病院へ移したほうがいい」とはお医者様の言葉。

 それを受けて犬塚さんのお兄さんがノアの管轄下にある大病院へ移すことを決めた。誰も反対しなかった。それで八重様が助かる確率が上がるなら従わない手はない。

 八重様と本宮さんを移送するための準備が進められ、病院の前に車が到着する。救急車ではない黒いベンツのような車だった。その中に八重様が運び込まれ私もそれに続いて乗り込んだ。


 私は神に祈った。


 どうか八重様を助けてくださいと。


 私の頬を暖かな雫が伝う。涙を流したのは助けを求めて八重様の事務所を訪ねたあの大雨の日の夜以来だった。


 …………


 大きな病院に移されてから一日経っても八重様は目を覚まさなかった。私は寝るのも食べるのも忘れ、ずっと八重様の眠るベッドの傍で彼女の回復を待った。そして二日が過ぎた日の昼、病室に来訪者があった。二階堂さんだった。彼はいつにない神妙な面持ちで「実は――」と話を始めた。


 まさか八重様の容態が急変したのではと最悪の想像をしかけた私の耳に飛び込んできたのはまったく別の話だった。でもその話は別の意味で私にショックを与えるものだった。


 あの日、連れて行かれるはずだった八重様はなぜかアセンブルを投与された状態で置き去りにされていた。一緒にいた本宮さんも同様。2人の体にはアセンブルを投与した際にできたと思われる注射痕が見つかっている。しかし投与したと思われる注射器は現場から発見されていない。

 ヤケを起こした本宮さんが楡金さんとともに心中を図ったわけではなく、何者かが明確な殺意を持ってそれをやったということになる。その何者かは当然佐伯撫子で、注射器は彼女が回収したのだろうと二階堂さんは語った。

 佐伯撫子が八重様を連れて行くという話は彼女が仕事をやりやすくするためについた嘘で、本宮さんと大河さん、私に八重様の4人をまとまった場所に集めておくための策だったのだろうというのが二階堂さんの推理だった。

 そして今もなお佐伯撫子はアセンブルの情報を持っている人間を殺して回っている。その彼女の殺害リストの中にはまだ私の名前があるのは確実だ。八重様にアセンブルを投与した佐伯撫子は彼女が死んだと思っているはずで、八重様が目を覚ましたあと命を狙われる可能性は極めて低い。でも私は違う。私は確実に佐伯撫子に命を狙われる。その時私が八重様の傍にいれば八重様が生きていたことが佐伯撫子にも知られてしまう。


「だから私は八重様の傍にいるべきじゃない……」


 誰に言ったわけでもないその言葉に、二階堂さんは律儀にも首肯する。


 嫌だとは言えなかった。私のわがままを通せば八重様の命が危険にさらされるのだから。犬塚さんのお兄さんが佐伯撫子は常識の通用する相手ではないと言っていた。思えば過去に本宮さんからも似たような話を聞いたことがあった。この2人がそういうのだから佐伯撫子は相当な人物なのだろう。

 だから私には八重様を守ってあげることはできない。


「そういうことです。それに別の問題もありましてね」


 二階堂さんが小脇に抱えていた封筒から一枚の紙を取り出し私に確認するように言う。


「――?」


 最近になって『叛逆する者たちレイブンズ』と頻繁に接触している人物として一人の女性の写真がそこに印刷されていた。赤いアンダーリムのセミロングの女性だった。一見すると、


「私……ですか?」


 自分でもそう思ってしまうほどその人は私によく似ていた。でも私ではない。


「違うのですね?」


「はい。私は眼鏡は黒しかかけません。髪もこの通り長いですし、タイトスカートなんて履きません。あと……胸もそんなにないです」


 二階堂さんはバツが悪そうに少し視線をそらす。


「その言葉、僕は信じますよ。ただ、今言った条件はいくらでも偽装できるでしょう」


 眼鏡なんてかけ変えればどうにでもなる。髪だってウイッグでごまかせる。スーツの種類なんて言わずもがな。胸だってあるものをないように見せるのは難しいけど、ないものをあるよう見せることはできる。


「問題は僕が卯佐美さんを信じてあげる事ができても、他の人たちはそうはいかないということです」


「私は逮捕されるんですか?」


「僕に逮捕件はありません。ただ警察も『叛逆する者たちレイブンズ』を追っていますからそうなる可能性もあるでしょう。問題は『叛逆する者たちレイブンズ』を追っているのは僕たちや警察以外にも存在しているということです。そしてその全員にいちいち事情を説明して回る時間もツテもありません」


 なんとなく想像はできていた。二階堂さんが私と八重様を助けに来た際なぜか犬塚さんとそのお兄さんが一緒だった。そして彼らはアセンブルに精通していた。結局彼らが何者かに関しては詳しく聞いていないけどなんとなく察することはできる。


「私はどうなるんですか?」


「いちばん簡単な方法はほとぼりが冷めるまで身を隠すことですね。ですが今起きているこの騒動がいつ終わるのかは誰にもわかりません。最悪終わらない可能性だってあります。――ですが方法は一つしかないわけではありません」


 言いながら二階堂さんはさっきの封筒から別の紙を取り出して私に差し出してきた。私はそれを受け取って目を通した。


「要は卯佐美さんとその女性が似ていることが問題なわけです。だったら外見を変えてしまえばいい。――そこにあなたがサインするだけで契約は完了です。しばらく国を発つことになりますが、ことが済めばまた彼女と一緒にいられますよ」


 まるで私の気持ちを理解しているかのように二階堂さんはベッドに眠る八重様を見る。


 二階堂さんからの提案。それは私としても願ってもないものだった。

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